序章08 チベットの少女
序章第八話 チベットの少女
▼1
放課後の三〇二号室。常夜灯はまだついておらず、カーテンが夕日で橙色に染まっていた。
夢人はもともと、自分の体の様子を見に来たついでに、アンソニアがナースステーションのプリンをこっそり食べていないか確かめに寄っただけだった。一時間がたち、カバンを背負って立ち上がったところで、後ろからマフラーの端をくいっと引っぱられた。
「あの……夢人さん」
ベッドに座ったアンソニアが、雪のように白い瞳で彼を見ていた。けれど、その焦点は彼のずっと後ろにある。この表情は月に二、三回出る。そういうときは口を挟まないほうがいいと、夢人はもう学んでいた。
「帰り道で、あなたの人生観を変える人に出会いますよ」
「……は?」
「それから、道を渡るときは気をつけてくださいね。頭の上の、車に」
「頭の上? 車にはねられた経験ならあるけど、車に『落ちてこられる』って、どういう新しい遊びだよ」
「私に言えるのはここまでです」彼女は手を離して、無邪気そのものの顔で笑った。「幸運を祈っていますね」
「お前、いつも半分しか言わないよな。どこのコンビニで予言のポイントカードでも配ってんだよ」
夢人は白い目をむいて、マフラーを巻き直した。家に帰れば晩ごはんが待っている。予言者のなぞなぞに付き合っている暇はない。
廊下の反対側。自販機の陰に、猫耳のカチューシャをつけた女の子がしゃがみ込んでいた。スマホのカメラが、角だけちょこんとのぞいている。
「一週間つけ回して、毎日あの銀髪のとこに見舞いに来てるのは分かったけど……」猫女は声をひそめて、ひとりごとをこぼした。「白狼の兄貴が探せって言ってる六道人って、ほんとにこの子なのかにゃ? 台北ってこんなに広いのに、どこ探せっていうのよ、にゃ」
お腹がぐうと鳴った。彼女はスマホをしまい、ひとまずコンビニまでついていって、ついでにおにぎりでも買うかどうか考えることにした。
★ ★ ★
▼2
夕方の交差点は人であふれていた。夢人は横断歩道の前で赤信号を待ちながら、まだアンソニアの言葉を頭の中で転がしていた。
(人生観を変える人、ね。体は入れ替わったし、ヒーローにもなった。今さら変わる人生観なんて残ってるのか?)
向かいの歩道で、ひとりの少女が踊っていた。
ちゃんとした踊りではない。歩きながらくるりと回るたびに、スカートの裾が円を描き、編み込みの肩掛けがふわりと振り出される。口ずさんでいるのは、ゆったりとした節回しの歌だった。チベット風の丈の短い衣装に、黒髪を横で編んだ三つ編み。肌は淡いはちみつ色をしている。夢人はひと目見て、思わず「アンソニア?」と呼びそうになった——似すぎていた。首をかしげる角度まで、そっくりだった。
二度見したら、似ていなかった。アンソニアの静けさは、すべてを見通している静けさだ。この少女の静けさは、知らない街に越してきたばかりで、大きく息をすることもためらっている、そういう静けさだった。
信号が青に変わった。
少女は小刻みな足取りで横断歩道を渡りはじめ、途中でふいに立ち止まって、しゃがみ込んだ。
「わあ……三毛猫ちゃん」
横断歩道の真ん中で、三毛猫が一匹縮こまっていた。この交差点の人波に、たぶん猫も怯えてしまったのだろう。少女が手を伸ばすと、猫は逃げるどころか、頭を彼女の手の甲にこすりつけてきた。
「さあ、わらわと一緒に帰るのじゃ」そう言ったとたん、彼女は慌てて口を押さえ、顔を赤くした。「あっ、ごめんなさい。こういう言い方、従兄に教わったの。こうしたほうが、威厳が出るって」
猫に向かって謝っていた。
夢人は思わず声を出して笑った。笑ってから、まずいことに気づいた。歩行者信号の青い人の絵が、もう点滅している。少女はまだ道の真ん中にしゃがんでいて、左折してきた黒いセダンが、彼女の横から突っ込んでくる。スピードを落とす気配はない。
「おい! そこの!」
夢人はもう飛び出していた。この体の筋肉の記憶は、頭よりも速い。体ごと飛びつき、片手で少女の肩を抱き、もう片方の手で猫ごとすくい上げて、背中で車の鼻先を受け止めようとした。
(またはねられるのか? 今月これで何回目だよ)
衝撃は、来なかった。
彼は片目を開けた。エンジンの音がすぐ近くで鳴っていた。熱く感じるほど近い。なのに車は、彼らの頭の上に止まっていた——いや、車の前半分が宙に止まっていて、ゆっくりと横に傾いていくところだった。
少女が、彼の目の前に立っていた。
右手をだらりと下げている。手のひらの縁には、うっすらと赤い跡が残っていた。額に巻いていた織物の帯がふたつにちぎれて、アスファルトに落ちている。前髪の下で、細長い印が裂けるように開いていた。
それは傷跡ではなかった。閉じていた、ひとつの目だった。それが今、開いたのだ。
「——身勝手な人間め」
ひとりの声ではなかった。子供の声、老人の声、男の声、女の声。それが重なり合って、同じひとつの口から出てくる。誰かが彼女の喉の奥にマイクを六本並べたみたいに、ぴったりとそろっていた。
「青信号ひとつ取るために、前も見ずに突っ込んでくるとは」
彼女の視線が、サイドミラーの上で止まった。そこには、オレンジ色の小さな旗が下がっていた。彼女はそれを長いあいだ見つめていた。
「また、この旗か」
あたりの空気が、まるごと赤く染まった。まわりの看板も、街灯も、ガラスも、すべてが小刻みに震えている。夢人は生まれてこのかた、こんな圧を感じたことがなかった。特撮のラスボスにだって、こんなのはいない。理性より先に、脚から力が抜けた。
(これが……六道人? いや、違う。俺だって六道人だ。こいつは、もう生き物としての格が違う)
真っ二つにされた車が、そこでようやく本当に落ちてきた。後ろ半分は道端に叩きつけられ、前半分はさっきの衝撃で跳ね上げられて、運転席ごと彼らの頭上五メートルのところで一回転し、落下してくる。
「頭の上——」
夢人は自分で叫んでから、アンソニアの予言を思い出して、危うくその場で悪態をつくところだった。
彼は右手を前に突き出した。頭の中にあるのは、特撮のワンシーンだけだった。空から落ちてくる人を追いかけて、ヒーローが引き金を引く。宙に、ネットがぱっと広がる。
白い光が閃いた。
手のひらに、何かが現れた。銀色のプラスチックみたいな質感の銃身。銃口はラッパみたいに広がっていて、横には点滅する小さなランプまでついている。どう見ても、日曜の朝の特撮番組についてくるおまけのおもちゃだった。
(武器は作れるって話だったけど、かっこいい武器が作れるとは言ってない)
彼は引き金を引いた。
ネットが「ボンッ」と弾けた。網の四隅には小さな重りがついていて、宙で落ちてくる運転手をちょうど受け止め、落下の勢いをひと息ぶん殺した。夢人は自分の体を下に滑り込ませて、二人いっしょにアスファルトに転がった。
銃とネットは、白い光になっていっしょに消えた。運転手は彼の横で白目をむいて伸びていたが、胸はまだ上下していた。
夢人は地面に突っ伏したまま、アスファルトの味を半分噛みしめていた。
(センス。こういうときは、もうちょっとプロっぽさとかあってもいいんじゃないか?)
「……あれ?」
その声は、ひとりのものに戻っていた。
少女は自分の手を見て、真っ二つになった車を見て、地面に転がっている夢人を見た。額のあの目は、誰かに電源を落とされたみたいに、ゆっくりと閉じていった。あとには、薄い赤い線が一本残っただけだった。
「何があったの?」彼女は小さな声で聞いた。「この車、どうして壊れちゃったの?」
「……覚えてないのか?」
「わ、私、また寝ちゃってたみたい」彼女はしゃがんで、ちぎれた織物の帯を拾い上げた。まるで、自分がしでかしたことの証拠を拾うみたいに。「ごめんなさい。また忘れちゃった。みんな、忘れたほうがいいって言うの」
その言葉は、とても軽かった。毎日暗唱している台詞を口にするみたいに、軽かった。
夢人は体を起こした。口を開いたが、ひと言も聞けなかった。
腕の中の猫がにゃあと鳴いた。彼の腕がゆるんだ隙に、ひょいと跳んで歩道から飛び出し、向かいの通りへ走っていった。
★ ★ ★
▼3
「姫ーっ!」
声が先に届いて、人はそのあとからやってきた。
上半身裸に肩掛けをはおった背の高い男が、交差点の向こうから駆けてきた。手首の金属の腕輪が、走るたびにじゃらじゃらと鳴っている。その後ろから、長い髪の女がついてきていた。額に小さな宝石がひとつ。急ぐでもなく、ゆったりとした足取りで、手の中で銀色に光る輪をくるくると回していた。
「あんまり速く走るなって言っただろ? 三ブロックも追いかけたんだぞ!」男は少女の肩をがしっとつかんで、上から下まで確かめた。確かめている途中で、ようやく彼女の足元にある、真っ二つになった鉄の残骸に気づいた。
声が、急に低くなった。
「……また、か」
「火は、先に収めて」長い髪の女が言った。
「収める収める、もう収めたって」男の手の輪から火花が少し散って、すぐに消えた。彼は夢人のほうへ振り向き、満面の笑みを浮かべた。その笑顔の下に、遠慮なんてかけらもなかった。
「お嬢ちゃん、この子はうちの……」
「姫、だろ」夢人がかわりに言った。声が少しかすれていた。「聞こえてたよ」
男の笑顔が一瞬止まった。水輪の視線は、夢人のマフラーの上に落ちていた。二秒ほど、そこに留まっていた。
「六道人」彼女は言った。問いかけではなかった。
「だったら?」夢人は膝に手をついて立ち上がり、運転手と二人のあいだに割って入った。「この人、もう少しで潰されるところだったんだ。あんたたちが誰だか知らないけど、このまま済ませるわけには……」
「済ませられるさ」男の口調が急に、とても誠実になった。商談でもしているみたいな誠実さだった。「この車は、うちのスポンサーが弁償する。治療費は俺が出す。焼肉が食いたいなら、それもおごる。今日は何も見なかったってことにしてくれ。な、どうだ?」
「ダメだ」
「俺たちは悪い奴じゃない」
「じゃあ、なんでさっき、運転手より先にその子のけがを確かめたんだ?」
口にしてから、夢人自身も少し驚いた。わざとそんなとげのある言い方をしたかったわけじゃない。ただ、さっきの一秒、彼にははっきり見えたのだ。男の目に最初に浮かんだのは、心配ではなく、恐怖だった。
この男は、彼女を怖がっている。
そして、自分が彼女を怖がっていることを、誰かに知られるのも怖がっている。
少女が顔を上げた。洗ったばかりのガラスみたいに、澄んだ目をしていた。
「あの……ありがとう。手から、血が出てる」彼女は、ずいぶん古いハンカチを差し出してきた。蓮の花の刺繍が入っている。「何があったのか、よく覚えてないんだけど……もし私が壊したなら、ごめんなさい。ちゃんと弁償する方法、考えるから」
「ドルマ」水輪が低い声で遮った。「しゃべりすぎないで」
「あ、うん」少女はうなずいて、素直に口を閉じた。
ドルマ。
夢人はハンカチを手のひらに握りしめたまま、何も言わなかった。
歩道の向こうから、この場にまるで似合わない車のクラクションが聞こえた。
シルバーグレーのセダンが一台、道端に止まっていた。窓が下がり、運転席の男は目の下に濃いくまをこしらえている。助手席から、白衣の人影が身を乗り出して、こちらに向かって必死に手を振っていた。
「君語ちゃーん! アンソニアから電話があって、あなたが危ないって言うから、飛んできたのよ! 大丈夫……って、なにこれ、どういう状況!?」
ラフィアは真剣な顔で車を降りてきたが、交差点の残骸の山を見たとたん、その真剣な顔は粉々になった。
火輪と水輪は顔を見合わせた。
「姫、帰りましょう」水輪が言った。
「でも、まだあの人にちゃんとお礼言ってない」
「さっき言ったじゃないか」火輪はそう言いながら、彼女を後ろへ引っぱっていく。「ほら行くぞ、行くぞ。今日のお勤めがまだ残ってる。お嬢ちゃん、またな! いや、できれば二度と会わないのがいちばんだけどな!」
彼らの引き上げ方は、とても速かった。この場面を前もって練習していたみたいに。ドルマは二回振り返った。二回目には手まで振った。額の前髪が風にめくれて、あの薄い赤い線は、もう影くらいしか残っていなかった。
夢人は手を振り返せなかった。腕はすり傷だらけで、血が袖にしみ込んでいた。
★ ★ ★
▼4
三十分後、環天使の自家用車は病院へ向かう道を走っていた。
ハンドルを握っているのは三十歳くらいの男で、髪はぼさぼさ、目の下には青黒いくまが二つ。車内の空気は、ほんの少し酒くさかった。夢人は後部座席で、ラフィアに白い光で腕の傷を手当てしてもらいながら、横目で男の様子をうかがっていた。
「あの……あなたは、ラフィアさんの彼氏ですか?」
「おおっと、お嬢ちゃん、なかなか空気読めるじゃないか~。そうそう、俺は彼女の……ぐふっ!」
言い終わる前に、助手席からのひじ打ちが正確に彼のあばらに突き刺さった。
「バカ酔っぱらいは黙ってなさいよ、もう」ラフィアは振り向きもしなかった。「この人も使徒なの。自分で認めたがらないだけ。気にしなくていいから」
「使徒?」
「運転手をやらせたら、飲酒運転の切符を山ほど切られた、そういう使徒よ」
「いや、あれは事故みたいなもんで……」
「三枚」
「……三枚」
前の席のにぎやかな二人を眺めながら、夢人は思った。自分がこれから覚えなきゃいけないことは、想像していたよりずっと多いのかもしれない。少し考えて、いちばん大事な質問から先にすることにした。
「さっき、知らせを受けたって言いましたよね。じゃあ、あの子は……」
「六道姫」
ラフィアの声が、すっと引き締まった。
「チベットから来た、修羅道の能力者よ。額に第三の目があって、それが本当に開いたら、台北の街まるごとでも壊し足りないって言われてる。ふだんのあの子は、ゴキブリ一匹叩けないようなおとなしい子なのよ。中華民主国にあるお寺で暮らしていて、外国語学校に通ってる」
「ゴキブリも叩けない? でも、さっきは……」
「だから『姫』なのよ。ただの女の子じゃないの」
運転席の男が、バックミラー越しに夢人をちらりと見た。気だるそうな声だった。
「六道姫のことは、政府の特異課が誰よりもぴったり張りついてる。ただ、張りついてるだけで、たいして何もできてないけどな。なにしろ誰も彼女には勝てないんだ。みんな、あの子の機嫌が悪くならないように祈るしかない。今日出くわしたのは、まあ……運がよかったってとこだな」
「運がよかった?」
「生きてるなら、運がよかったってことだ」
夢人はしばらく黙り込んだ。
重なり合ったあの六つの声を思い出す。ハンカチを差し出してきたときの彼女を思い出す。二つはまるで噛み合わない。それなのに、どちらも同じひとりの人間から出てきたものだった。
「じゃあ、彼女が覚えてないのは、どういうことなんですか」
ラフィアはすぐには答えなかった。彼のほうをちらりと見る。その目つきを、夢人は三〇二号室で一度見たことがあった。あのときも、彼女は何か言いかけて、やめたのだった。
「たぶん、誰かが、あの子に忘れていてほしいんでしょうね」彼女は言った。「そうだ、忘却者さん。このあと、ちょっと記憶の上塗りに行ったほうがいいんじゃない? あの運転手、目が覚めたら車が真っ二つになったのを覚えてるわよ」
「今行くとこだよ」男はため息をついた。「だから言ったんだ。あの子とは、絶対に揉めるなって」
「さっきは、おとなしい子だって言ってたじゃない」
「おとなしいときはおとなしい子。おとなしくないときは天災。その二つは矛盾しない」
「そうそう、輪廻ヒーロー。どうも、忘却者です」男は赤信号で車を止めて、振り返って笑った。「これで会うのは二回目だな」
「……一回目じゃないですか?」
「二回目」彼は言った。「一回目はあんまり格好悪かったから、ついでに君の記憶を消しといた」
彼は上着のポケットから、小さなスプレーの瓶を取り出した。ガラス製で、口紅とたいして変わらない大きさ。中の液体は、淡い琥珀色をしている。それを二本の指で挟んで、夢人の目の前で軽く振ってみせた。
「これだ。ひと吹きで、ひとつ忘れる」
夢人は口を開けた。どこからツッコめばいいのか分からなかった。
ラフィアがかわりに補足した。
「この人の力はね、普通の人に、見たことを忘れさせるの。私たちみたいなのがいちいち社会面のニュースにならずにすんでるのは、半分はこの人のおかげなのよ」彼女はそこで一度言葉を切り、バックミラー越しに運転手をにらんだ。「でも、本人はその逆。何ひとつ忘れられないの。一度見たナンバープレートも、一回聞いた電話番号も、全部覚えちゃう。だからあの瓶、毎朝自分にもひと吹きしなきゃいけないのよ」
「一日ひと吹きな」忘却者はスプレーをポケットに戻した。「ふた吹きすると、頭が空っぽになる。看護師さんがそう言ってた」
「ほんとの話よ」
「じゃあ、俺は……普通の人ってことですか?」夢人は聞いた。
「今日の君は、あんまりそうは見えなかったけどな」忘却者は前に向き直った。信号が青に変わる。「ま、次からは、銃がおもちゃみたいな見た目じゃないことを祈るよ」
夢人は顔の半分をマフラーにうずめて、その話題はそこで打ち切ることにした。
★ ★ ★
▼5
夜のお寺は、とても静かだった。
ドルマは本堂の外の石段に座って、両手でバター茶の杯を包み込み、ゆっくりと飲んでいた。五輪の残りの三人は、境内の四隅に立って見張っていた。誰も口をきかない。経文の旗をなでていく風の音まで、ひっそりとしていた。
「今日、私、またなにかやっちゃった?」
火輪が彼女の前にしゃがみ込み、まぶしいくらいの笑顔を見せた。
「やってないって。ちょっと速く走りすぎて、道で寝ちゃっただけだよ」
「でも、手がちょっと痛いの」
「それは寝てるあいだに壁を叩いちゃったからさ。次は道端で寝ないように。な?」
「……うん」
彼女はうなずいて、それ以上は聞かなかった。杯の中のお茶から湯気が立ちのぼっている。その湯気の向こうで、彼女の目が淡い弧を描いていた。
お寺でいちばん年老いたラマが、本堂の暗がりに座って、手の中で法螺貝を回していた。身じろぎひとつしない。声も出さないし、誰のことも正そうとはしなかった。
「そういえば」ドルマがふいに言った。「今日、ある人に会ったの。手から血が出てて、私、たしか……ハンカチをあげたと思う」
彼女はうつむいて、ポケットが空っぽなのに気づいた。
「私、ほんとにハンカチ、あげたのかな」
「あげたよ」水輪が隅から歩いてきて、彼女の肩掛けを直してやった。「いい人だったわ」
「じゃあ……もう一回、会えるかな」
誰も答えなかった。
お寺の鐘が、ひとつ鳴った。長く伸びたその音は、夜風に押されて遠くへ運ばれていった。
通りを挟んだ向かいの屋根の上で、猫女があの三毛猫を抱えていた。交差点からずっとここまでつけてきて、明かりのついたお寺を、しばらく眺めていたのだ。
「六道姫に、予言の女の子に、輪廻ヒーロー……今日だけで三人まとめて収穫にゃ」彼女は猫の鼻先をちょんとつついた。「白狼の兄貴が聞いたら、笑いすぎて怒るのも忘れちゃうかもにゃ」
猫があくびをした。彼女もつられて、あくびをひとつした。
「帰ろっか。今日の偵察は、ここまで」
——第八話 完
本作は、中国語の原案をAI翻訳によって日本語化したものです。
翻訳に不自然な点や、内容について気になることがありましたら、お気軽に教えてくださいね〜!




