↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍の神  作者: カズハ
-とある龍神達の怪奇譚-

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/40

彗星奇譚

某日、月の国にて――


 夜の帳が降り街の喧騒が遠のく頃、サラはアルバエレミア家の屋敷のバルコニーで、天文観測儀(アストロラビウム)を覗き込んでいた。澄み切った夜空には、満天の星々が瞬いている。

「ふふふ、今夜は中々良いデータが取れそうだ。」

 白く長い髪が夜風に揺れ、星明かりを反射してキラキラと輝く。彼女の左目には、彗星の尾を模した光跡が微かに宿り、深い藍色の瞳孔が宇宙の深淵を覗き込む様に光を放っていた。

「そろそろ、あの怪現象を確かめに行くか……。」

 彼女がそう呟くと、天文観測儀がカタカタと音を立て乍ら、ひとりでに折り畳まれる。そして掌に収まるサイズになった。サラはそれをポケットに仕舞い、楽しげな表情で立ち上がる。

 問題の場所は、とある高級マンションの地下駐車場だ。ここ数日、夜な夜な誰もいない筈の駐車場から、足音が聞こえるという怪現象が起きていた。最初は気のせいではないかと思ったが、監視カメラの映像を確認しても、其処には誰も映っていないとの事だ。住民たちは気味悪がり、夜の駐車場には近寄らなくなっていた。

 だが然しサラにとって、それは最高の研究材料だ。得体の知れない現象や未知の存在というのは、好奇心旺盛な彼女にとって、とても唆られるのだ。彼女の探究心は、恐怖よりも好奇心に駆り立てられていた。

 エレベーターで地下へと降りると、金属的な冷たい空気が肌を刺す。薄暗い地下駐車場には、車のヘッドライトが落とす淡い光が、無数の影を揺らめかせている。

「さてと……怪奇現象は一体、何だろうな?」

 サラは愉しげに独り言を呟き、ゆっくりと奥へと足を進める。その瞬間、カツ、カツ、と乾いた足音が聞こえてきた。それは規則正しく、然し何処か虚ろな響きだった。音の主を探して周囲を見渡すが、やはり誰もいない。監視カメラの映像が、まるで嘘のように感じる。

「へぇ……此れは面白い。」

 サラの口元に笑みが浮かぶ。彼女はポケットから小さな試験管を取り出した。星と月の神秘が凝縮された銀色の液体、星月の雫(ステラ・スティーラ)だ。

「えーと先ずは、相手の正体を炙り出そうか。」

 栓を抜くと微かな月の香りが漂い、銀色の液体がみるみる内に気体へと変化し、濃霧となってあたりに広がる。この霧は幻覚を見せる効果があるが、サラは魔力でそれを制御し、自分には影響が及ばないようにしていた。

 霧が立ち込める中、足音は依然として鳴り響いている。しかし、霧の中にいるはずの"それ"の姿は、依然として見えない。

「ふむ、幻覚も見せないとは……なかなか手強いな。」

 サラは更に奥へと進む。すると足音は、彼女の背後から聞こえるようになった。

「おや……後ろに回り込むとは、なかなかやるね。」

 彼女は振り向かない。背後で、カツ、カツ、という足音が徐々に近付いてくるのが分かる。サラは冷静に、そして楽しげに思考を巡らせる。

(視覚的な干渉も幻覚も効かない……という事は、物理的な存在ではない、或いは物理的な存在であり乍ら、認識できない特殊な性質を持っているか……いや、それならば、足音は聞こえない筈……音とは空気の振動であり、物理的な現象だからね……となると……)

 彼女はふと立ち止まり、右手をポケットに突っ込んだ。

「よし、サンプルゲットだ!」

 そう叫ぶと同時に、彼女の左目が深い藍色の渦を巻き、彗星の魔眼が発動する。彼女の視界に、これまで見えなかったものが映し出された。

 そこに立っていたのは、ぼんやりと光る、まるで星屑で出来たかのような人影だった。それは彼女の背後に静かに佇んでおり、まるで彼女の存在其の物を観察しているかの様だった。

(やはり、物理的な存在ではないか……然し、なぜ足音だけが……?)

 サラは人影をじっと見つめる。すると、人影から微かな魔力の波動が放たれている事に気づいた。それは極めて微弱で、殆ど知覚できないレベルのものだった。

(此れは……残響、いや、残像か?誰かが過去に残した、思念の残像の様なものか?そして其の残像が、特定の条件が揃うと、物理的な音として具現化する……成る程、此れは面白い)

 サラは、人影に近づいていく。彼女の頭上には、無数の星が散りばめられた様な、星月の王冠(ステラ・クラウン)が浮かび上がる。王冠が放つ銀河の輝きが、人影を柔らかく包み込んでいく。

「……さて、予めて聞こうか……君は一体、何者なんだい?」

 サラが問いかけると、人影は初めて反応を見せた。そのぼんやりとした輪郭が、少しだけ鮮明になり、彼女の目の前に、懐中時計のようなものが現れた。

 それは、宇宙時計だった。複雑な歯車と文字盤が組み合わされた、天体観測儀に似た機械。然し其の文字盤には、この世界の時間ではなく、遥か彼方の宇宙の時間、そして、ある一つの惑星の運行が示されていた。

(此れは……私達が住む世界の時間軸とは違う、異世界の時間……?)

 サラは直感的にそう感じた。人影は此の異世界の住人で、何らかの理由で、この地下駐車場に思念の残像として現れている。そして其の残像は、特定の時間や場所でしか、物理的な音を具現化できないのだ。

 サラは星月の王冠(ステラ・クラウン)の力を使い、宇宙時計を解析し始めた。すると、時計の文字盤がくるくると回り、ある一つの場所に針が止まった。

 それは此の地下駐車場の最も奥、誰も使っていない薄暗い一角だった。

「どうやら、そこに君の本体が……いや、君の世界に繋がる次元門があるんだね?」

 サラは楽しげに笑い、人影に「有難う」と告げると、其の場所へと向かった。

 其処には、只の壁があるだけだった。然しサラの彗星の魔眼には、その壁の向こうに、別の空間が広がっているのが見えた。

(成る程、結界が張られているのか。しかも、かなり強力な……)

 サラは、月の竪琴(ルーナ・チタラ)を取り出す。三日月を模した優雅な形状の竪琴は、彼女の指先で美しく、そしてどこか幻想的な音色を奏で始めた。

 竪琴から放たれる音色は、空間の歪みを修正し、結界を弱体化させる。音色の調和によって、壁に微かな亀裂が走り、その奥から、星々の煌めきが漏れ出してきた。

「ふふふ、良いぞ良いぞ。」

 サラは月の竪琴(ルーナ・チタラ)から、月光花の杖(フロス・ルーナ)へと構える。杖の先端に施された白い月光花が、月の光を吸収して淡く発光する。彼女は杖を振るい、壁の亀裂を広げていく。そして、ついに壁が完全に崩壊し、その向こうに壮大で美しい光景が広がった。

「ほぉ……おぉ?」

 其処は夜空を切り取ったかの様な、広大な宇宙空間だった。無数の星々が瞬き、銀河の渦がゆっくりと渦巻いている。そしてその中心には一人の少女が、眠る様に佇んでいた。彼女の周りには、まるで宇宙のエネルギー其の物の様な、藍色と紅の光が渦巻いており、その光は、サラの闇喰が放つ色とよく似ていた。

「おや、君は……?」

 サラが少女に触れようとすると、彼女の背後に巨大な龍神の姿が現れた。深遠な藍色と燃える様な紅色の鱗に覆われた、しなやかで優雅な龍神。その龍神はサラとよく似た、流れるような彗星の尾を模した角を持ち、左目からは深い藍色の光の渦が放たれていた。

(えぇ……?これは……私?)

 サラは困惑した。目の前の少女も、その背後の龍神も、どう見ても自分と瓜二つなのだ。

「もしかして、君は、私……?」

 サラの問いかけに、少女はゆっくりと目を開いた。その瞳は、彼女の左目と同じ、深い藍色の渦を宿していた。

「……漸く会えた……私の、半身。」

 少女の口から、か細い声が漏れ出す。サラは「半身」と聞いて、どういう事だと面食らう。自身の瓜二つの存在が、いきなり爆弾発言をしたのだ。面食らうのも無理も無い。

「私は君が生み出した、もう一人の私。君は、自分自身の異常性に気づき、その力を危険視した。だから其の力を制御する為に、私という存在を創造し此の場所に封印したの」

 少女はそう言うと、静かに微笑んだ。サラは話を聞いても、只々困惑するばかりだ。

「でも君は、私を忘れてしまった……だから私は、君に思い出してもらう為に、この場所に思念の残像を送り続けたの。」

 サラは、少女の言葉に衝撃を受けた。自分の力は、自分自身が制御する為に、もう一人の自分を生み出していた。そして其のもう一人の自分を、別の空間に封印し其の存在を忘れていたのだ。

「私は……そんな事を……全然分からなかった。」

 サラは言葉を失った。自分自身のサイコパスとしての本質、道徳観念や倫理観の欠如。それを抑え込む為に、彼女は無意識のうちに、もう一人の自分を生み出していたのだ。

「大丈夫。」

 少女は安心させる様に、優しくサラの手を取った。すると彼女の体から、藍色と紅色の光が、サラの体へと流れ込んでいく。それは温かく、そして懐かしい光だった。

「私達は、もう一つになれる。君が、私という存在を思い出したから……君はもう、一人じゃない」

 光が完全にサラの体へと流れ込んだ瞬間、彼女の頭上に浮かんでいた王冠が輝きを増し、彼女の左目から放たれる彗星の魔眼の光が、より穏やかで強力なものへと変化していく。

 そして彼女の心の中の、何処か欠けていたパズルのピースが、カチリと嵌まる音が聞こえた。ストンと、何かが腑に落ちた様な感覚を覚える。

「ああ……そうか。私はもう、異常者じゃない……のかな?」

 サラは安堵の表情で呟いた。彼女は、もう一人の自分……つまり、彼女のサイコパスとしての本質を、制御する存在と一つになったのだ。

 地下駐車場に戻ると、足音はもう聞こえてこなかった。彼女の心の中に、もう一人の自分がいる。彼女の道徳観念や倫理観を補い、彼女の力を正しく導いてくれる存在が。

「只今、私……うふふ。」

 サラは満面の笑みで、そう呟き帰路につく。これで、もう誰も彼女を「異常者」とは呼ばない。彼女は、自分自身の力を完全に受け入れ、そして愛する事ができたのだ。夜空には今も、満天の星々が瞬いている。サラの瞳には其の星々が、愛おしく希望に満ちて見えたのだった。






某日、月の国にて――


 漆黒の夜空に、無数の星々が瞬く。その輝きを切り取った様な、深い藍色の瞳が、デジタル一眼レフのファインダー越しに夜空を覗き込んでいた。

「うーん、今日はちょっと雲が多いかな。でも、この雲の切れ間から見えるオリオン座も悪くないね」

 サラは愛用のカメラを構え、天体写真の撮影に没頭していた。彼女の趣味は天体観測と天体写真。特に肉眼では捉えられない遥か遠い銀河や、星雲の姿をカメラに収める事に無上の喜びを感じていた。

 今日の撮影場所は、人里離れた山頂にある廃墟の天文台。周囲に人工の光がなく、星空が最も美しく見える場所として、彼女のお気に入りのスポットだ。シャッターを切り、三脚に固定したカメラを放置して彼女は一息つく。

「それにしても、こんなに星が綺麗に見える場所も、なかなか無いよな……。」

 冷たい夜風が髪を揺らす。彼女はポケットから小さな天文観測儀(アストロラビウム)を取り出し、くるくると回し乍ら夜空の星を読み解いていく。その複雑な歯車と文字盤は、宇宙の時間と周期を彼女に告げていた。

「ふふ、宇宙時計は今日も順調に動いているね。この感じだと、もう少しで星々の力が強まる頃かな」

 彼女の左目には、微かに彗星の尾の様な光跡が宿っていた。それが、彼女の幻想の力の源だ。星の運行や象徴を自在に利用し、天体其の物の力を引き出す能力だ。

 数時間後、満足のいく写真が何枚か撮れたので、サラは機材を片付け、帰路につく事にした。家に帰りパソコンにデータを移して、写真を確認する迄が彼女のルーティンだ。

翌日、自宅の書斎で、彼女はパソコンのモニターに向かっていた。

「よし、撮れた写真を確認するかー。」

 モニターに次々と映し出される、煌めく星々の写真。天の川銀河、アンドロメダ星雲、そして色鮮やかなオリオン大星雲。どれも息をのむほど美しい。然し其の中に、一枚だけ異様な写真が混ざっていた。

 それは、天文台の廃墟を背景にした一枚の写真だった。建物全体を捉えた構図は完璧で、空には満天の星が広がっている。だが廃墟の窓ガラスに、ぼんやりと人影が映り込んでいる様に見えた。

「ん?何だ此れ?」

目を凝らしてよく見ると其の人影は、まるで白くぼやけた幽霊のようだった。更に拡大してみると、その顔は無表情で、虚ろな眼差しが此方を見ている様に感じられた。

「……心霊写真、かな。まさか、私が撮るなんて」

 サラは先天性のサイコパス故に、道徳観念や倫理観が欠如している。その為、一般的な人間が抱く恐怖や嫌悪感といった感情を抱く事はない。寧ろ未知の現象に対する好奇心が湧き上がってきた。

「これは、面白いサンプルになりそうだ……よし、決めた!もう一度、あの場所へ行ってみよう!」

 彼女の瞳の奥に、研究者のような探究心が宿る。何故、こんな写真が撮れたのか。写真の幽霊は一体誰なのか。それを確かめるには、もう一度あの場所へ行くしかない。彼女はそう決心すると機材をまとめ、再び天文台の廃墟へと向かった。


 再び山頂の廃墟に立つサラ。夕暮れの空が、深紅から藍色へとグラデーションを描いていく。

「よし、此処だ。」

 彼女は写真の構図と同じ位置に三脚を立て、カメラを固定した。そして、天文台の窓を見つめる。昼間に見ても、そこには只の廃墟が広がっているだけだ。彼女はカメラのシャッターを切り、夜になるのを待った。

 夜の闇が全てを覆い、星々が煌めき始める。彼女はカメラのプレビュー画面を確認する。然し何度シャッターを切っても、あの白い人影は映らなかった。

「おかしいな……何かが違うんだろう?」

 彼女は天文観測儀(アストロラビウム)を取り出し、周囲の魔力の流れを解析する。廃墟の周囲には、ごく微弱だが不自然な魔力の波動が漂っているのを感じた。

「此れは……月の魔力?もしかして、満月が関係しているのかな」

 彼女はふと思い出した。あの写真が撮れた日は、満月だった。今日は月が欠けている。彼女は立ち上がり、天文台の中へと足を踏み入れた。内部は埃と蜘蛛の巣にまみれ、崩れた天井から星空が見える。嘗て此処に多くの天文学者が夢を追い求めた痕跡が残っていた。

「此処……もしかして、誰かが何かを研究していたのかな?」

 その時――彼女の背後で、扉が音を立てて閉まった。サラは振り返ると、誰もいない筈なのに、扉は完全に閉ざされている。

「へぇ……面白い。」

 彼女は恐怖を抱く代わりに、不敵な笑みを浮かべた。その左目が、微かに藍色の光を放ち始める。

「何か、私に用でもあるのかな?」

 すると彼女の目の前に、白い靄の様な物が現れ、軈て其れは人影の形を成していく。其れは彼女が写真で見た、あの幽霊だ。幽霊は何も話さない。ただ、虚ろな瞳でサラを見つめるだけだ。彼女は、懐から星月の雫(ステラ・スティーラ)を取り出すと、その栓を抜いた。

「貴方が何者か、教えてくれる?」

 栓を抜いた瞬間、周囲に銀色の濃霧が立ち込め、月の香りが漂う。霧の中にいる幽霊は、一瞬たじろいだ様に見えた。彼女の幻想は、純粋な天体の力を引き出す。月の魔力を持つ幽霊に対して、この銀色の液体は、一種の「浄化」の作用を齎す。

 霧が晴れると、幽霊の姿はより鮮明になっていた。それは、若き日の天文学者の様だった。そして彼女は、幽霊が何かを指差している事に気付く。それは、床に散らばった古びた書物だった。

「これ……?」

 サラがその書物を手に取ると、表紙に「月と星の交差点」と書かれていた。中には、月の満ち欠けと天体の運行、そして人間の精神状態の関係について、詳細な研究記録が記されていた。

「なるほど……月の満ち欠けが、此処に溜まった想いを具現化するのか。そして此の場所は、その力を増幅させる『交差点』という訳ね」

 彼女が書物を読み進める内に、幽霊の姿は徐々に薄れていく。それは、彼が抱えていた「無念」が、解き明かされる事で浄化されているかの様だった。

「君は此処で、研究を完成させたかったのか……でも、志半ばで……。」

 幽霊は、ゆっくりと頷く。その表情は何処か安堵している様にも見えた。軈て彼の体は光の粒子となって、夜空へと昇っていった。

「サンプルゲットだ!」

 彼女は心の中で呟き、書物を大切に鞄にしまう。この書物に書かれた研究は、彼女の幻想を更に深めるヒントになるかもしれない。書物を鞄にしまい、天文台から出ようとしたその時、再び扉が閉まった。そして周囲の空気が、先程とは全く異なるものへと変貌していく。

「……どういう事?」

 彼女は直感的に、此れは先程の幽霊とは別の存在だと察知した。周囲の魔力の波動が、先程の月の魔力とは違い、より強く攻撃的なものに変わっている。

「歓迎してくれるのは嬉しいけど、いきなり不意打ちとは、随分と無粋じゃないかい?」

 サラの左目に宿る彗星の魔眼が、藍色の光を強く放つ。その光は、彼女の目の前に広がる、夜空を切り取ったかの様な幻影を鮮明に映し出した。

 その幻影の中に、無数の黒い影が現れる。それは、半透明で不定形な、まるで闇其の物の様な怪物だった。彼らは、彼女が持つ幻想の力に引き寄せられてきた、この場所の「負の感情」の具現化だった。

「ふふ、成る程……君達は此の場所で、夢破れた者達の怨念の集合体という訳か。」

 彼女は、静かに笑みを浮かべる。サイコパスである彼女に、彼らの放つ負の感情は一切影響を及ぼさない。寧ろ彼女の研究欲を、刺激するだけの存在だった。

「なら、実験台になってもらおうかな。」

彼女は腰に差した月光花の杖(フロス・ルーナ)を抜き、優雅に振るう。杖の先端に施された白い月光花の飾りが淡く発光し、静謐な光を放ち始めた。

「星月の雫(ステラ・スティーラ)!」

 彼女が杖を振ると、再び銀色の濃霧が立ち込める。此の霧は、先程とは比べ物にならないほど強力だ。霧の中にいる怪物達は、幻覚に襲われ同士討ちを始める。

「よし、今だ!」

 彼女は杖から魔弓――三日月の魔弓(ルーナ・アルクス)へと変形させる。三日月を模した白銀の弓を構え、魔力で編まれた光の矢を番える。

「さようなら、無粋な訪問者さん」

 彼女が矢を放つと、光の矢は追跡機能で怪物を追い詰め、命中した瞬間に爆発四散させた。一つ、また一つと怪物が消滅していく。然し数は減らない。それどころか、霧の中から次々と新たな怪物が現れる。

「ふむ……しつこいな。」

彼女は一度攻撃の手を止め、天文観測儀(アストロラビウム)で周囲の状況を解析する。

「成る程、此の場所の負の感情が、私という異物を排除しようとしているのか。なら、根本から浄化するしかないね」

 彼女は、静かに目を閉じ、胸に手を当てる。そして、深遠な宇宙を思わせる、聖歌を口ずさみ始めた。

『星々は廻り、月は満ち欠ける。其の光は、時に闇を照らし、時に癒しを齎す。ああ、我が愛しき星々よ、その光で、この場所の闇を祓いたまえ。』

 彼女の歌声は、まるで星々が瞬く様な幻想的な音色を奏で、周囲の魔力の波動を整えていく。彼女の背後には、夜空を切り取ったかの様な、深遠な宇宙の幻影が広がっていく。

「ふふ、もう終わりだ。」

 彼女は再び目を開き、その左目から放たれる彗星の魔眼の力が、領域全体を覆い尽くす。彼女の頭上に、無数の星が散りばめられた様な王冠、星月の王冠(ステラ・クラウン)が浮かび上がった。

 王冠は、宇宙のありと汎ゆる事象を支配する究極の権能。彼女は、この場所の負の感情を、根本から「浄化」する事を選んだ。

 王冠から放たれる光が、天文台全体を包み込む。怪物達は光に触れた途端、悲鳴を上げ乍ら消滅していく。そして彼女の歌声が、彼らの怨念を優しく包み込み、星屑へと変えていった。


 夜が明ける頃――天文台の廃墟は、嘗ての威厳を取り戻したかの様に、静かに佇んでいた。周囲に漂っていた不自然な魔力の波動は消え、清々しい空気が満ちていた。

「……これで、もう誰も苦しまずに済むね。」

 彼女は、再びカメラを構える。ファインダー越しに、夜明けの空を見つめる。そして一枚、シャッターを切った。


 その後――帰路についたサラは、パソコンのモニターに映し出された写真を確認する。夜明けの空を背景に、微かに星屑が舞う、美しい天文台の姿が写っていた。そして窓硝子には、あの天文学者らしき男の、安らかな笑顔が一瞬だけ浮かび上がっていた。

「うん、最高のサンプルが撮れた。後は、この書物を研究して……新しい幻想を生み出さなきゃね」

 サラはそう言うと、満足そうに微笑み、新たな研究への一歩を踏み出した。彼女の知的好奇心は、此れからも邁進していくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。