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龍の神  作者: カズハ
-とある龍神達の怪奇譚-

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8/40

清浄奇譚

某日、とある港にて――


 濃霧が世界を閉ざす。此処は世界の果て、断崖絶壁に立つ古びた灯台。海から吹きつける潮風が、湿気を帯びた濃い霧を灯台へと運び、その姿をぼんやりと霞ませていた。

 灯台の頂上から放たれる光は、この分厚い霧を突き破るにはあまりにも心許なく、まるで闇夜にぽつりと灯る小さな提灯の様だった。

その灯台の、錆びついた鉄骨でできた展望台に、一人の青年が立っていた。名をセオンという。彼の瞳は、絶え間なく押し寄せる霧の波の向こう、水平線のさらに先をじっと見つめている。

「まだかな……。」

ぽつりとセオンは呟いた。その声は、霧に吸い込まれるようにか細く、どこか物悲しい響きを帯びていた。セオンがこの場所に来て、どれほどの時が経っただろう。数日か数週間か、或いは数年か。

 時間の感覚は、とうに霧の中へ消え失せていた。ただ一つだけ確かな事がある。彼は此処で、誰かを待っている。それが誰なのか、いつ来るのか、彼自身にも分からなかった。ただ、胸の奥で燻る、どうしようもなく切ない衝動に突き動かされ、彼はこの灯台に立ち続けているのだ。

「兄さん、もう戻りましょう?体が冷えてしまうわ。」

 背後から心配そうな女性の声が聞こえる。声の主は、彼の妹であるレイラだ。彼女はセオンの肩に、ふわりと温かい毛布をかけた。

「有難う、レイ……でも、大丈夫だよ。この位、へっちゃらさ」

セオンは微笑んだ。その笑顔は、どこか寂しそうで、レイラは胸が締め付けられる思いがした。セオンの体は嘗ては病弱で、この程度の寒さでもすぐに倒れてしまう程弱かった。皇帝の座をレイラに譲らざるを得なかったのは其の身体の為だ。だが彼はレイラに心配をかけまいと、少しずつ少しずつ強くなった。

 今では、この程度の寒さで体調を崩す事はなくなった。しかし、無理をすればどうなるか分からない。その事を、セオンは誰よりもよく知っていた。だからこそ彼は、細心の注意を払って、自分の身体を労わっている。

 因みにレイラとカミラが、さりげなく彼の健康をサポートしている事には、まだ気づいていない。

「兄さん、無理はしないで頂戴ね?私だって心配している訳だし。」

「カミラも、か。心配かけちゃってるね。ごめんよ。」

「いいえ。お兄様が、元気に笑っていてくれれば、それでいいんです。」

 カミラは、セオンのもう一人の妹だ。彼女の事を耳にすると、セオンは少しだけ表情を和らげた。レイラは、そっとセオンの手を握った。その温もりが、セオンの心にじんわりと染み渡る。

「……大丈夫。僕は、此処にいたいんだ。もう少しだけ、此処にいさせて。」

 セオンの目に宿る強い光を見て、レイラはそれ以上何も言えなかった。彼女は静かに頷き、セオンの背中を見つめながら、その場を後にした。彼の決意が、痛いほど伝わってきたからだ。

 一人になったセオンは、再び霧の海に視線を戻した。その時、霧の向こうで、何かが光ったような気がした。いや、気のせいではない。確かに微かな光が、こちらに向かってくる。それは、まるで夜空に浮かぶ星の様に、瞬いては消え、また瞬く。

セオンは思わず、展望台の手すりを強く握りしめた。彼の胸の鼓動が、トクン、トクンと、早鐘を打つ。

「来た、のか…?」

彼の心臓の鼓動に合わせて、胸元の淡い緑色の光の渦が、大きく脈動を始めた。それは彼の闇喰が、彼の気持ちに応えるかの様に、その存在を示している。光は少しずつ大きくなり、輪郭をはっきりとさせていく。

 それは一隻の船だった。船体はぼろぼろで、今にも沈みそうな小さな船。その船の甲板に、一人の女性が立っているのが見えた。彼女は銀色の長い髪を風に靡かせ、白いワンピースを身につけていた。その手には、古びたランタンが握られている。彼女の姿は、まるで霧の中から現れた幻の様で、現実味がない。

だが、セオンは直感的にわかった。彼女こそ、彼がずっと待ち望んでいた人物なのだと。船は灯台の麓にある、小さな桟橋にゆっくりと接岸した。セオンは、展望台を駆け下り、桟橋へと続く階段を降りていく。

 その足取りは、いつになく軽やかで、彼の心が高揚しているのがわかる。桟橋に降り立ったセオンの前に、女性は静かに立っていた。彼女の顔には、この世のものとは思えないほどの美しさが宿っている。然し其の瞳は何処か虚ろで、深い悲しみを秘めているように見えた。

「……君は……。」

 セオンの声は、震えていた。女性は、何も言わずに、セオンをじっと見つめている。その視線に、セオンは胸が締め付けられるような、切ない痛みを感じた。まるで、ずっと昔に失ってしまった、大切な何かを思い出したかのような痛みだ。

「僕の名前はセオン。君は……?」

 セオンがそう言うと、女性は初めて口を開いた。その声は、風鈴のように澄んでいて、心地よい響きを持っていた。

「私は……ナギ。あなたは、私の事を知っている……?」

ナギと名乗った女性は、不思議そうな顔でセオンを見つめた。セオンは、彼女の言葉に首を横に振る。

「いや、君の事は知らない。でも、僕は君をずっと待っていたんだ。」

「待って、いた……?」

「ええ。この霧の中で、ずっと。君が来るのを。」

「どうして……?」

 ナギは、更に困惑した表情を浮かべた。セオンは、少し照れくさそうに笑っていた。ナギの問いに、セオンは答えられないのだ。ただ彼の胸の中に、どうしようもない感情が渦巻いている。

 それは、切ない再会と、再び失ってしまうかもしれないという予感。セオンは、ナギの冷たい手をそっと取った。彼女の手は、まるで氷のように冷たく、生きている人間のものとは思えない。

「君は……何者なんだい?」

「私は……この世のものではないのかもしれない。私は、死を運ぶ者。生きとし生けるものの命を奪い、霧の中へと連れて行く……それが、私の役目なの。」

 ナギは、そう言って寂しそうに微笑んだ。セオンは、彼女の言葉にショックを受ける。

「そんな……。」

 彼がナギの手から伝わる冷たさに意識を集中させると、彼女の体に、かすかに瘴気が纏わりついているのが分かった。瘴気は、ナギの体から絶えず漏れ出し、彼女を蝕んでいる。セオンは、その瘴気の正体を瞬時に見抜いた。

 それは死者の怨念と、この世界を覆う濃霧の持つ負のエネルギー。穢れに極めて弱い、セオンの身体が微かに震える。然し彼の心臓の鼓動に合わせて、胸元の光の渦が脈動し、彼を穢れから守っている。

「君の体を蝕んでいるこの瘴気は…僕が浄化してあげる。」

 セオンは、彼女の手を握ったまま、浄化(プルガティオ)の能力を発動させた。彼の掌から、透き通る様な白銀の光が放たれ、ナギの身体を包み込む。ナギは、驚いた顔でその光を見つめている。

「これは……。」

 光はナギの身体を蝕んでいた瘴気を、瞬時に洗い流す。彼女の体から、黒い霧が立ち上り霧散していく。白銀の光が完全に吸収されると、ナギの顔色はみるみるうちに良くなり、冷たかった手には温かさが戻ってきた。

「暖かい……有難う、セオン。貴方の光は、とても温かい……」

 ナギは、セオンの手を握り返し微笑んだ。その笑顔は、これまでに見た事のない程、明るく眩しいものだった。彼女の言葉に、セオンは胸が熱くなった。初めて、ナギと心を通わせる事ができた。

「君は、誰かを待っていたのかい?」

「ええ。ずっと待っていた。私を救ってくれる、貴方のような人を……」

セオンの問いに、ナギは静かに頷く。ナギは、セオンの瞳をじっと見つめた。その瞳には、もう悲しみはなかった。あるのは唯、セオンへの想いだけ。二人は灯台の中で、互いの事を語り合う。


 ナギは自分が死者の魂を、霧の中へ導く役目を負った存在である事。セオンは彼がこの世界の、清浄を司る存在であり、穢れに弱い事。二人の存在は、まるで光と影の様に、対極にあるものだ。だが其の対極にある存在だからこそ、互いに惹かれ合い求め合う。

「僕が、君の役目を代わってあげることはできないかな。」

 セオンは、ナギの顔を覗き込み尋ねた。ナギは、悲しそうな顔で首を横に振った。

「いいえ、それはできないわ……私の役目は、私にしか果たせない。それは、貴方も同じでしょう?」

 ナギの言葉に、セオンは何も言えなかった。確かに、彼の「清浄」の力は、彼にしか発揮できない。それと同じように、ナギの「死を運ぶ」力も、彼女にしか発揮できないのだ。だが、セオンは諦めなかった。

「なら、せめて君の身体から瘴気を祓い、君が安らかにいられるようにしてあげる。」

「そんなことが…本当にできるの…?」

「やってみるさ。僕には、君を一人にしたくないっていう、どうしようもない気持ちがあるからね。」

 セオンの提案に、ナギは目を丸くした。セオンは、再びナギの手を握りしめる。そして、彼女の身体にまとわりつく瘴気を、何度も何度も浄化し続けた。

 数日間、セオンはナギの浄化に全力を注いだ。その間、レイラが食事を運んできてくれたり、カミラが暖かいスープを作ってくれたりした。セオンは家族の温かさに触れ、ますますナギを守りたいという気持ちを強くした。

 ナギの身体から、遂に全ての瘴気が消え去った。浄化された彼女の魂は、まるで此の世に生まれたばかりの赤子の様に、清らかで美しい存在になっていた。

「有難う、セオン。これで私は、もう死を運ぶ役目を果たさなくてもいいの?」

ナギの言葉に、セオンは静かに首を横に振った。

「いや、役目は果たさなければいけない。君は、これからも死を運ぶ存在だ。だが、もう君が苦しむ必要はない。君は、清らかな心で、その役目を果たせばいいんだ。」

 セオンは、ナギの額にそっと唇を寄せた。その瞬間、ナギの額に、白い蓮の花の紋様が浮かび上がった。それは、セオンの幻想が、ナギに宿った証だ。ナギは、涙を流し乍ら微笑んだ。

「有難う…セオン。貴方に会えて、私は本当に幸せ……」

 その言葉を最後に、ナギの身体は光の粒子となって、セオンの目の前で霧散していく。其れはまるで霧の様に、セオンの手から消えていく。

「ナギ……!」

 セオンはナギの消えた空間に手を伸ばすが、其処には何もなかった。ただ彼の心臓の鼓動に合わせて、胸元の光の渦が強く強く輝いているだけだった。それはナギの魂が、セオンの魂と一つになった証だった。


 ナギが消えてから、セオンは再び灯台に一人で立っていた。セオンは心には寂しさが全くない。ナギは彼の心の中で、生き続けていると信じているからだ。そして彼は何時か、またナギと別の形で再会できるとも。

 霧は相変わらず、灯台を包み込んでいる。だが其の霧は、もうセオンの心を閉ざすものではなくなった。彼女との再会を、セオンが予感させるものと考えを改めたからだ。

「兄さん、もう戻りましょう。」

 レイラの声が、再び聞こえる。セオンは振り返り、優しく微笑んだ。彼の表情は柔らかで、何処か吹っ切れた様な――そんな凪いだ表情だ。

「うん、戻ろうか……レイ、夕飯のデザートはパンケーキがいいな。」

「えぇ?料理の後に、パンケーキは重くないかしら?」

 彼の声は、もう物悲しさを帯びていない。その瞳には、未来への希望が満ち溢れていた。セオンはレイラの手を取り、灯台の階段を降りていく。其の足取りは力強く迷いがない。ナギの事は吹っ切れたらしい。霧に包まれた灯台は、彼にとって誰かを待つ場所ではなく、彼とナギの永遠の愛の証になったのだった。






某日、龍神の国にて――


 彼の名前はセオン。彼の住む世界……龍神の国は龍神族を始め、魔力や精霊、不思議な生物が息づく世界だ。彼にはカミラとレイラという大切な妹達がいる。彼女達と穏やかに過ごす日々が、僕にとって何よりも幸せな時間である。

 セオンの仕事の一つは、呪いや穢れに苦しむ人々を癒やす事である。他にも色々と役割があるが、此処では関係ないので割愛する。セオンの持つ幻想と闇喰の御陰で、穢れを浄化し傷ついた人々を癒やす事が出来るのだ。

 今日は、少し変わった依頼が舞い込んできた。曰く、とある屋敷で奇妙な出来事が頻発し、其の屋敷に暮らす人々が恐れ慄いているという。その屋敷の持ち主は、セオンの父と古くからの知り合いだというから、無下にも出来ないのだ。

「セオン様、どうかこのメモをお持ちください。屋敷の何処かで拾ったのですが、どうにも不気味で……」

 屋敷の執事は、震える手でセオンに一枚の古びたメモを差し出した。紙は黄ばみ、インクは滲んでいるが、確かに奇妙なルールが記されている。


【メモ:この屋敷を歩く者へ】

扉は右から開け。左から開ければ、その身は穢れに塗れる。階段は一段飛ばしで昇れ。普通に昇れば、呪いが全身を蝕む。部屋の隅には目をやるな。何かが、君を見ている。時計が三度鳴ったら、息を止めよ。音を吸い込めば、魂を奪われる。


 成る程、実に奇妙だ。然しセオンの幻想と闇喰の御陰で、この程度の穢れには耐えられる。そうセオンは昔、身体がとても病弱だったのだ。本来なら長子のセオンが皇帝の座を継ぐ筈だったが、穢れに弱く直ぐに倒れてしまう程の身体だった。

「あの時は、本当に苦労したな……。」

 レイラやカミラを筆頭とした、家族の支えの御陰で、セオンは強くなったと言っても過言ではない。セオンはもう、彼女達に心配をかけるような事はしないと決めている。

 セオンはメモを懐にしまい、屋敷の中へと足を踏み入れた。屋敷の中は、ひどく澱んだ空気が満ちていた。長年放置されていたのか、埃っぽく冷たい。然しセオンの胸元にいる闇喰が淡い光を放ち、屋敷の穢れを浄化してくれている。

「ふふふ……彼らがいなかったら、僕は今頃……有難う。」

 セオンは一人、己の闇喰に感謝の気持ちを伝える。最初のルールは「扉は右から開け」という文言だ。セオンは目の前の扉を、ルール通りに右から開ける。すると扉の向こうから冷たい風と共に、腐敗した様な嫌な匂いが漂ってきた。風には、無数の小さな黒い靄が渦巻いている。これは穢れだ。メモの通り、もし左から開けていたら、この穢れを全身に浴びていたのだろう。

セオンは躊躇なく「浄化(プルガティオ)」を発動し、穢れを清らかな光で洗い流す。すると、充満していた靄は、何故か悲鳴を上げ乍ら霧散していった。これで先ずは、一つ解決……という事だろう。


 次にセオンは、階段を軽やかに上っていく。ルールは「階段は一段飛ばしで昇れ」だった。セオンはメモの書かれている言通り、一段飛ばしで階段を昇っていく。

 すると階段の裏側から、何かが此方をじっと見つめている気配がした。もし普通に階段を昇っていたら、この呪いの視線に捉えられていたのだろうかと、セオンは心の中で考える。

 セオンは背筋に冷たいものを感じ乍らも、そのまま階段を昇りきった。僕は「解呪(リガメン)」を発動し、階段にかけられた呪いの鎖を断ち切る。すると呪いの視線は、黒い霧となって消え去った。


 三つ目のルールは「部屋の隅には目をやるな」である。セオンはスタスタと廊下を進み、一つの部屋の前に辿り着いた。ただ部屋の中は暗く、隅々まで見通せない。然し其の暗闇の奥から、無数の視線が僕に突き刺さるのを感じた。

「此れは、怪異の類だろうか……?」

 セオンは部屋の隅に目をやらない様に、真っ直ぐに部屋の中央を進む。すると視線は、より一層激しくなってきた。セオンはすかさず「破魔(ペルデレ・デモニウム)」を発動し、光り輝く弓矢を具現化する。

 セオンは弓矢を部屋の隅に向かって放つ。光の矢は、部屋の隅に潜んでいた怪異に命中し、眩い光を放ち乍ら爆発した。怪異は悲鳴を上げ、光に溶けて消えていった。


 最後のルールは「時計が三度鳴ったら、息を止めよ」だ。僕は屋敷の中心部、大広間に辿り着く。大広間の天井には、古ぼけた巨大な振り子時計が吊るされている。時計の針は、僕が来た時にはすでに二度鳴り終えていた。


 カチ、カチ、カチ……


 そして、三度目の鐘が鳴り響く。


 カーン。


 セオンはルール通り、息を止めた。鐘の音と共に屋敷全体が、どろりとした淀んだ空気が満ちていく。これは、魂を吸い込む瘴気だ。セオンは「結界(オベックス)」を発動し、僕の周りに透明な障壁を張る。

 結界は瘴気を弾き返し、セオンの身を護る。そして鐘の音が止んだ瞬間、セオンは「禊祓(プリヒカティオ)」を発動し、屋敷全体に清らかな光を放つ。光は屋敷全体を包み込み、瘴気は一瞬で消え去った。

「ふう……これで全部かな?」

 僕は一つ息を吐き、結界を解除する。穢れが浄化され、淀んでいた屋敷の空気は、澄み切った清らかな空気に変わっていた。これで、依頼は完了した。セオンは屋敷の執事に、もう大丈夫だと伝える。彼は驚きと安堵の表情を浮かべ、セオンに深々と頭を下げた。

「セオン様、本当に有難う御座います。これで皆、安心して暮らす事ができます」

「いえいえ、僕の仕事ですから。それより、これからこの屋敷をどうするか、皆で話し合ってみてはどうかな?」

 セオンは執事の言葉に、にこやかに微笑む。そして屋敷を後にした。屋敷を出たセオンは、自宅の屋敷へと帰っていく。きっとカミラとレイラは、セオンの好物であるパンケーキを用意して待っていてくれているだろうとワクワクしている。セオンの足取りは、いつになく軽やかだった。

「今日は沢山動いたから、パンケーキがいつもより美味しく感じられるかもしれないな。」

 そんな事を考え乍ら、セオンは夕暮れの道を歩いていく。そして屋敷の門を潜った途端、セオンの身体はふわりと浮かび上がったのだ。

「おおおっ……?」

「もう!兄さんったら、また危険な依頼に行ったでしょ?」

「兄さん、いつも無茶ばかりして……私達、心配したんだから。」

 セオンの身体を浮かび上がらせたのは、セオンの愛する妹達だった。カミラはぷりぷり怒っているし、レイラは心配そうにセオンを見つめている。

「まぁまぁカミラ、そんなに怒らずに……レイラも、そんなに僕を引っ張らないで……転んでしまうよ。」

 二人の小言に、セオンは苦笑いしながらも、心の中では温かい気持ちで満たされていた。セオンの帰りを心から喜んでくれる家族がいる。それだけで、セオンは十分幸せだと感じている。彼は二人を優しく抱きしめ、何時もの様に言った。

「只今、二人とも……うん、お腹が空いたな。今夜は僕が腕によりをかけて、とびきりの料理を作るよ。」

 そう――セオンにとっての幸せは、奇妙なルールが書かれたメモを解き明かすことでも、恐ろしい出来事を解決する事でもない。ただ愛する家族と笑い合い、食卓を囲む事である。其れこそが、僕にとっての、本当の幸せなのだ。

 そして僕は、カミラとレイラに腕を引っ張られながら、屋敷の中へと消えていく。セオンの聖歌が屋敷の中に、優しく穏やかに響き渡っていた。

「……ところで兄さん、今回はどんな無茶をしたの?」

「お兄様、ちゃんと休んでくれた?」

カミラは溜息交じりにそう尋ねる。レイラは心配そうに僕の顔を覗き込む。僕は二人の間に立ち、一人ずつ優しく抱きしめた。

「二人とも大丈夫だよ。今日の依頼は、一寸したお化け屋敷の片付けみたいなものだったから」

 そう言ってセオンは、今回の奇妙なメモと、それに従って起きた出来事を二人に話して聞かせた。カミラは驚きと呆れが混じった表情で、レイラは真剣な顔で聞いていた。

「それで、そのメモの通りに動いたら、呪いや怪異に襲われたってこと?」

「そうだよ。でも僕の力と、闇喰のおかげで、全て解決できたよ」

 セオンがそう答えると、カミラとレイラは安堵の表情を浮かべた。過保護にも程がある。気持ちは分からなくもないが。

「兄さんが無事で何よりよ?でも、もしもの事があったら……私は不安で仕方が無いわ。」

「レイ、心配しすぎだよ。僕はもう、昔の病弱な僕じゃないんだ。それに、もし僕に何かあったら、君達が助けてくれるだろう?」

 セオンはそう言って、二人の頭を撫でた。カミラは少し照れたように、レイラは嬉しそうに微笑んだ。

「当たり前じゃない。でも、次はもっと手堅い依頼にしなさいよ」

「そうですよ、兄さん。私達、お兄様の身体が一番大事なんだから」

 二人の言葉に、セオンは心から幸せを感じた。どんなに恐ろしい出来事が起きても、どんなに危険な目に遭っても、こうしてセオンの帰りを待ってくれる家族がいる。それだけで、セオンにとっては十分である。

「ふふふ、二人とも有難う……さ、此れからパンケーキを焼くよ。二人とも、手伝ってくれるかな?」

「えぇ、勿論。」

「兄さんのパンケーキ、楽しみだわ。」

 僕がそう言うと、二人は満面の笑みで頷いた。そして、僕達は三人でキッチンへと向かった。窓からは夕日が差し込み、台所は温かい光に満ちていた。セオンはパンケーキを焼き乍ら、二人の楽しそうな笑い声を聞く。セオンの心が満たされていくのを感じている。


 その日の夜、セオン達は三人で食卓を囲んだ。セオンが作った今回のパンケーキは、何時も以上に美味しく感じられた。カミラとレイラは、何時もセオンの料理を褒めてくれる。

「兄さん、本当に美味しいわ。」

「兄さんのお料理、やっぱり最高ね。」

 セオンは二人の笑顔を見て、これからも此の穏やかな日々を、驚異から守る為に、セオンはもっと強くならなくてはと――再び心の中で誓う。そして二人が困った時には、セオンが全力で助けようと……セオンの人生は、愛する家族と共に歩んでいくのだった。

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