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龍の神  作者: カズハ
-とある龍神達の怪奇譚-

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7/40

司書奇譚

某日、龍神の国にて――


 古めかしい煉瓦造りの建物が、薄い霧に包まれて佇んでいる。蔦が絡みつく壁には、何十年も前に掲げられたであろう「■■病院」と書かれた看板が、風雨に晒されて色褪せていた。曰く付きの病院として、近隣住民から忌み嫌われるこの場所は、今や心霊スポットとして一部の好奇心旺盛な若者達の肝試しに使われる程度の存在だった。

 そんな病院の前に、一人の女性が立っていた。艶やかな白髪を背靡かせ、白いブラウスに黒いホットパンツというシンプルな服装。外見は二十代前半といった所だろうか。すらりとした長身に、整った顔立ち。涼しげな瞳は、じっと病院の入り口を見つめている。カミラ・フォルティア・アルバエレミア――それが彼女の名前だ。

「はぁ〜……今日も暇ねぇ〜……。」

 カミラは深い溜息をついた。今日は非番で、特にやる事もない。本当は家で読書でもし乍ら、兄のセオンが淹れてくれた珈琲をゆっくりと味わいたかったのだが、どうにも集中できない。この病院には、彼女の興味を惹く「何か」がある様な気がして、つい足を運んでしまったのだ。

「……中に入ってみましょうか。何か面白い事でも見つかるかもしれないし」

 カミラはそう呟くと、迷う事なく扉を開けた。ギィィィ……と不気味な音を立てて開いた扉の向こうには、埃とカビの匂いが充満した薄暗い空間が広がっていた。受付は蜘蛛の巣に覆われ、床にはガラスの破片が散乱している。

 カミラは構わず中へ進んでいく。ふと、彼女の足元に影が蠢いた。まるで生き物の様に形を変え、彼女の足に絡みつこうとする。然しカミラの足に触れた途端、影はシュッと音を立てて消滅した。影は怪訝そうに、それでも臆する事なく再び形を成し、今度はカミラの全身を覆い尽くそうと襲いかかる。

「あら、これは……。」

 カミラは淡々とした口調で呟くと、懐から一冊の小さな本を取り出した。白地に赤縁の表紙には、複雑な魔法陣が描かれている。

 華桃燃華(ペルシチ・ブロッサム)――彼女はそう本の名前を呼んだ。すると、本から桃色の花弁が舞い散り、呪文が立体的に浮かび上がる。カミラはその中から「身体能力強化」の呪文を選択し、自身に付与する。

 瞬間、カミラの身体能力が飛躍的に向上した。彼女は襲いかかってくる影を、驚く程の速さで軽々と躱していく。影は苛立ちを募らせ、次第にその動きを激しくしていく。

「しつこいわね……仕方が無い、月光天青(ルーナ・ブルー)、此れで何とか……。」

 カミラは再び溜息をつくと、もう一冊の本を取り出した。今度は白い表紙に青い縁取りが施された、シンプルな装丁の本だ。カミラがページを開くと、白紙のはずのページに、彼女の思考が文字となって浮かび上がる。

『この場に、強力な浄化効果を持つ光を生成する』

 その文字が現実世界に具現化する。突如、カミラの掌から眩い光が放たれ、病院の廊下を照らし出した。その光は、影を形成していた「怪異」を直接焼き払う。影は悲鳴を上げながら、ジリジリと縮んでいき、最終的には煙となって消え去った。

「ふぅ……これで、少しは静かになるかしら?」

 カミラはそう言って、再び歩き始めた。まるで、邪魔な障害物を払い除けるかの様に淡々としている。怪異達は、カミラの予想外の強さに戸惑いを隠せないでいた。彼らは、この病院に長年巣食ってきた存在で、訪れる人間を恐怖に陥れる事を何よりの楽しみにしていた。

 然し目の前の女性は、自分達の攻撃をまるでゲームのチュートリアルであるかの様に軽くいなしていく。怪異達は、自分達の縄張りを荒らされた事に憤慨し、更なる策を練る事にした。

 カミラは最上階の、院長室らしき部屋に辿り着いた。部屋の中は、他の場所と同じく荒れ果てていたが、唯一机の上に置かれた日記帳だけが、埃を被っていなかった。カミラは興味を惹かれ、その日記帳を手に取った。

『……患者達を救う為に、私はこの病院を設立した。然し、病は日に日に進行し、もはや私の手には負えない。』

『……彼らの苦痛を和らげる為に、私は汎ゆる手段を試した。然し、結果は徒労に終わるばかりだ。』

 日記を読み進める内に、カミラは違和感を覚えた。この院長は、どうやら患者達を救う為に必死になっていた様だが、その方法は次第に常軌を逸したものになっていたようだ。

『……私は、彼らを永遠に安らかに眠らせる方法を見つけた。もう、苦痛に喘ぐ必要はない。彼らは此処で、永遠の眠りにつくのだ。』

 日記の最後のページには、意味不明な呪文の様なものが書かれていた。そして其のページの文字が、突如としてカミラの手の中で蠢き出す。

「あら、これは……。」

 カミラが呟いた瞬間、日記帳は燃え上がり、ページから黒い煙が立ち昇った。煙は人型を象り、カミラに襲いかかる。それは、日記帳に封じられていた院長の残留思念だった。怨念に満ちたその存在は、カミラをこの病院から追い出そうと、必死に手を伸ばす。

 然しカミラは冷静だった。彼女は懐から、古い羊皮紙の様な質感の栞――「記憶編纂の栞《モディフィケイト・ブックマ》」を取り出した。

「貴方の記憶、少しだけ書き換えてさしあげましょう。」

 カミラはそう言うと、栞を院長の残留思念に「挿入」するイメージで能力を発動させた。すると院長の記憶の中に、存在しない「患者達が皆、幸せな最期を迎えた」という記憶が挟み込まれた。

「ああ……そうだ……皆、安らかに……眠りについたのだ……。」

 院長の残留思念は、その偽りの記憶を信じ込み、安堵の表情を浮かべた。そして、満ち足りた様にフッと消えていく。

「さて、これで本当に最後かしら?」

 カミラがそう呟いた瞬間、病院全体が不気味な音を立てて揺れ始めた。床が軋み、壁にヒビが入る。そして、病院の壁や床から、無数の手が這い出してきた。

「今度こそ、お前を追い出してやる!」

 怨嗟の声が病院全体に響き渡る。その声は、この病院で亡くなった患者達のものだった。彼らは、院長の仕業によって永遠にこの場所に縛り付けられていたのだ。

 カミラは眉ひとつ動かさず、自身の「千里眼(クレイルボヤンス)」を発動させた。瞳が深い青色に輝き、病院の過去、現在、そして未来の可能性を視通す。彼女は患者達の最期の苦痛、そして院長が彼らを「救済」と称して行った行為の全てを理解した。

「……成る程、そういう事ね。」

 カミラは静かに頷くと、右手に真鍮製の万年筆――「想いを綴る万年筆(フォンス・カナム)」を握りしめた。彼女は万年筆のペン先を空間に走らせる。

『患者達の魂は、解放され、安らかな眠りにつく』

その文字が、金色の光を放ちながら現実世界に具現化する。すると、病院の壁や床から這い出していた無数の手は、一瞬にして光の粒子となり、天へと昇っていく。怨嗟の声は安堵の声に変わり、病院全体が穏やかな光に包まれた。

「ふぅ……。」

カミラは小さく溜息をつくと、万年筆を懐にしまった。彼女はそのまま、病院の裏口へと向かう。其処には、病院の創設者である院長が遺した、小さなレモンケーキのレシピが書かれた紙が落ちていた。

「へぇ、此れは美味しそうね……今度、家で兄さんとレイラ達に作ってあげましょうか。」

 カミラはそう言って、紙切れを大切に懐にしまうと、穏やかな表情で病院を後にした。カミラは何事も無かったかの様に、軽い足取りで其の場を後にする。・

 曰く付きの病院に巣食っていた怪異達は、必死にカミラの邪魔をしようとした。カミラによってあっけなく倒され、直ぐに消滅させられた。彼女の圧倒的な能力とマイペースさによって、悉く無意味なものとなっていたのだ。

 カミラ自身、彼らの事情を知る由もなく、自分の好奇心を満たす為に動いていたに過ぎない。そして美味しいレモンケーキのレシピを見つける為に、この病院に足を踏み入れた様なものだ。

 彼女は只、自分の目的を達成する為だけに、動いていたという事である。そして其の結果として、病院に囚われていた魂達は解放され、この曰く付きの場所は再び静けさを取り戻した。

「さぁ、帰ったら美味しい珈琲でも淹れて、本でも読み乍らレモンケーキでも作るとしましょうか。」

 カミラはそう呟き、夕暮れの空の下、軽やかな足取りで家路についた。彼女の背後で、かつて曰く付きと呼ばれた病院は、ただの古びた建物として静かに佇んでいる。

 もう、そこに不気味な影や怨念は存在しない。カミラは今日もまた、誰かの救世主になった事を知らずに、日常へと戻っていく。カミラが家に戻ると、玄関の扉が静かに開いた。

「お帰りなさい、カミラ。」

 中には兄のセオンが、柔らかな微笑みで彼女を迎えた。セオンは生まれつき身体が弱く、家の事はカミラや妹のレイラが担う事が多かった。然し穏やかで知的な彼は、家族にとってかけがえのない存在なのだ。

「只今、兄さん。いい香りね、何か淹れてくれたの?」

 カミラはリビングに入ると、テーブルの上に置かれたコーヒーカップに目をやった。湯気が立ち上るカップからは、彼女の好きな深煎りの香りが漂ってくる。

「ああ、君が帰ってくる頃合いだと思ってね。」

「有難う。」

 セオンはそう言って、もう一つカップを用意する。カミラはセオンの淹れてくれた珈琲を一口飲むと、至福の表情を浮かべた。

「やっぱり、兄さんの淹れた珈琲が一番美味しいわ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ……そう言えば、今日はどこに行っていたんだい?随分と遠くまで出かけていたようだけど……。」

 セオンは、カミラの行動を全て把握しているわけではないが、彼女の纏う空気の変化で、いつもと違う場所にいた事を察した。

「えぇ、少し曰く付きの病院にね。面白い事が起きるかと思ったのだけど、空振りに終わったわ」

「ふふふ、君らしいね。でも、その割にはご機嫌そうだ」

「ええ、まあね。レモンケーキのレシピを見つけたの。今度、兄さんやレイラに作ってあげるわ」

「それは楽しみだ。」

 カミラの不敵な笑みを見て、セオンは嬉しそうに微笑んだ。彼女にとって、世界を脅かす様な存在も、日常の邪魔をする只の障害物に過ぎない。彼女の物語は、これからも続いていく。此のレモンケーキのレシピが、物語の結末をどう変えるのか、彼女自身も楽しみにしていた。






某日、龍神の国にて――


 アルバエレミア家の屋敷……窓から差し込む午後の穏やかな陽射しを浴びながら、カミラは読書に耽っていた。隣のテーブルには、お気に入りのカフェで買ったレモンケーキと、湯気の立つ珈琲が置かれている。彼女の住む屋敷の一室は、壁一面が本棚で埋め尽くされ、数えきれない程の本がぎっしりと並んでいた。時折ページを捲る音だけが静寂を破る。

「ふぅ……。」

 手元の原稿用紙に目を落とし、思考を巡らせる。カミラにとって、この静かで平和な時間が何よりの至福だった。然しその至福の時は、何時も唐突に終わりを告げる。コンコン、と控えめなノックの音が響いた。

「入っていいわよ。」

「ごめんよ、カミラ。せっかくの読書時間を邪魔してしまって」

 扉を開けて入ってきたのは、カミラの兄、セオンだ。申し訳なさそうに眉を下げて話すセオンに、カミラは小さく首を振った。

「いいの、どうせ行き詰まっていた所だし……それで、どうしたの?」

 セオンは、少し深刻そうな顔で切り出した。こういう時は難事件を頼む時だと、カミラは知っている。

「実は、カミラに頼みたい事があって……。」

彼の話によると、ある貴族の娘がドッペルゲンガーに悩まされているという。

「へぇ……ドッペルゲンガー、ねぇ……。」

 カミラは興味なさげに呟く。ドッペルゲンガーとは、自身の分身を見るという現象だ。それは不吉な前兆とされ、多くの人々に恐れられている。

「そのドッペルゲンガーは、依頼者の行動を先回りしたり、存在しない記憶を周囲に植え付けたりするらしいんだ。とても厄介な能力の持ち主でね……」

「このまま放っておけば、依頼者だけでなく、周囲の人々の人生もめちゃくちゃになってしまう……そういう事ね。」

 セオンの言葉に、カミラは大きな溜息をついた。明らかに面倒くさそうな反応で、セオンは苦笑いするばかりだ。

「はぁ〜……面倒くさいわね。なんで、私なの?」

「だって、カミラなら解決できるだろう?君の幻想なら、きっとそのドッペルゲンガーの正体も見抜ける筈だ。」

 兄の熱心な視線に、カミラは根負けした。セオンの頼みなら、断る事なんて出来ない。

「分かったわ、分かったから、そんな目で私を見ないで。行くわよ……其れで?依頼者の名前は?」

「ありがとう、カミラ!本当に助かるよ!名前は、エリス・クレメンティアだ」

 カミラはセオンからエリスの情報を聞くと、さっそく準備に取り掛かった。リリスの屋敷は、街の中心部から少し離れた、静かな森の奥にあった。門構えからして格式高く、広大な庭園には手入れの行き届いた薔薇が咲き誇っている。

 屋敷の応接室で待っていると、一人の少女が部屋に入ってきた。彼女こそが依頼人のエリス・クレメンティアだ。黒曜石のような艶やかな白髪と、深い青色の瞳を持つ、人形の様に整った顔立ちの少女だった。然し其の表情には深い疲労と恐怖が刻まれている。

「貴女が、セオン様のお知り合いの……?」

リリスは怯えたようにカミラを見つめる。

「えぇ。私はカミラというの、宜しく。ドッペルゲンガーの件で伺ったわ……詳しく聞かせてくれる?」

カミラはリリスの前に座り、静かに話し始める。エリスは、震える声で語り始めた。ドッペルゲンガーが現れたのは、一週間程前の事だ。最初は、リリスが見ている筈のない場所に自分の姿を見たという、些細な出来事だった。然し次第にその現象はエスカレートしていく。

「あの子は……私が見ている夢の内容まで知っているの。私が考えた事、これからしようとしている事、全て……」

エリスは自分のドッペルゲンガーが、周囲の人々に嘘の記憶を植え付けている事も知っていた。

「父や母は、私がやっていない事を『エリスがやった』と信じ込んでいるの。例えば、私が大切にしていた花瓶を割ったのは、私じゃないのに……あの子は私のフリをして、周囲の人間を騙している。どうすればいいのか、もう分からない……」

エリスの瞳からは、大粒の涙が溢れ出した。カミラは、その涙を静かに見つめる。此れは何とかしなければいけない。

「わかったわ。とりあえず、私がこの屋敷にいる間は、貴女のドッペルゲンガーを寄せ付けないようにしてあげる。安心なさい」

そう言って、カミラは白仙の水晶《エレミア・クリスタルム》を取り出した。水晶を掌にのせ、魔力を流し込む。水晶の内部に揺蕩う白い靄が、ゆっくりと形を変え始めた。

「……成る程、このドッペルゲンガーは、只の幻影ではないわね。強い幻想を持った、一種の独立した存在……それも、貴女の想いが形になったものだわ」

カミラの言葉にエリスは驚き、目を見開いた。予想外の答えに心底驚いている様子だ。

「私の……想い?」

「えぇ。貴女の心の奥底にある、『もっと自由になりたい』『この退屈な人生から逃げ出したい』という強い想いが、形になってしまったのよ。

 だからこそエリスの行動を先回りして、貴女の代わりをしようとしている。カミラの占いの結果は、ドッペルゲンガーの正体を明確に示していた。

「そんな……でも、どうしてそんな事が……?」

「恐らく君の幻想を歪ませた、何らかの魔術的な干渉が原因ね。誰かが君の心の隙を突いて、その幻想を具現化させたのでしょう」

カミラは水晶を片付け、立ち上がった。

「私がそのドッペルゲンガーを捕まえるわ。そして、その魔術的な干渉を取り除く。それまで、貴女は私の傍を離れないで」

カミラはエリスを連れ、屋敷の中を歩き始めた。彼女の千里眼(クレイルボヤンス)が、ドッペルゲンガーの存在を探知する。

「彼処ね。」

 カミラは、屋敷の奥にある書斎の扉を指差した。扉を開けると、そこにはカミラ達と全く同じ様に、扉の前に立つもう一人のリリスがいた。

「……貴女は、誰?」

 ドッペルゲンガーは、カミラとリリスを交互に見ながら、困惑した表情を浮かべる。その表情は、本物のリリスと瓜二つだった。

「私はカミラ、そして君はリリスの想い……それ以上でも、それ以下でもないわ。」

カミラの言葉に、ドッペルゲンガーは顔を歪ませた。

「違う!私はリリスよ!この退屈な日々から、彼女を解放してあげるの!だから、邪魔をしないで!」

ドッペルゲンガーは叫び乍ら、カミラに向かって手を翳した。するとカミラの周囲に、存在しない筈の記憶がフラッシュバックの様に現れる。

『カミラ様は、私の大切な花瓶を割りました』

『カミラ様は、いつもセオン様を困らせています』

『カミラ様は、嘘つきです』

 ドッペルゲンガーは記憶編纂の栞《モディフィケイト・ブックマ》の様な能力を使って、カミラの記憶を改変しようとしていた。然しカミラは至って冷静である。

「ふぅん……なかなかやるじゃない。でも、私には効かないわ」

 カミラは、自身の闇喰の力で、負の感情を冷静な分析力へと変換する。改変された記憶は、彼女の頭の中に一瞬浮かんだだけで、すぐに消え去った。

「さぁ、観念しなさい。」

カミラは、懐から白仙寓意画(アルバ・タロット)を取り出した。

「戦いは好まないみたいだけど……ごめんね。『隠者』、君の力を貸して」

 カミラがカードの名前を呼びかけると、カードが光を放ち、一人の老人が具現化した。彼は大きなランタンを持ち、その光がドッペルゲンガーの心を照らし出す。

「いや!私を消さないで!」

 ドッペルゲンガーは悲鳴を上げ、屋敷の廊下を逃げ出した。カミラは、そのドッペルゲンガーを追いかける。

「逃がさないわ」

 カミラはドッペルゲンガーを追い詰め、書斎の奥にある書庫に閉じ込めた。

「|書架迷宮《ブックシ《ブックシェルフ・ラビリントゥ厶》、展開」

 カミラが呪文を唱えると、書庫全体が揺れ、無限に続く本棚の迷宮へと姿を変えた。迷宮の中には古書の香りが満ち、微かな囁きが聞こえてくる。

「っ……此処は、一体……!?」

 ドッペルゲンガーは、突然の状況の変化に混乱している。その隙に、カミラは想いを綴る万年筆(フォンス・カナム)を取り出した。

「『消滅』……は、しないわ。君は、エリスの想いだからね……『エリスの想いへと戻る』のよ」

 カミラは迷宮の空間に直接、文字を書き込んだ。万年筆が放つ光が、文字を現実のものにする。ドッペルゲンガーは、悲鳴を上げ乍ら、光の粒となって消えていった。

「これで、お終い。」

「カミラ様……私、どうなるの?」

 カミラは書庫の扉を閉め、深い溜息をついた。想像以上に疲れていたらしい。書庫の外で待っていたエリスは、心配そうにカミラを見つめている。エリスは不安そうにカミラに尋ねる。やはり今後の事が気になるらしい。

「大丈夫よ。貴女のドッペルゲンガーは、元の想いへと戻ったわ。後は、貴女自身が、その想いと向き合うだけ」

 カミラは運勢編纂《フォルトゥナ・コンピレーション》の力を使って、エリスの未来を少しだけ変えた。彼女の未来に、『新しい趣味を見つける』という運勢を付与したのだ。

「もう一度、自分自身を見つめ直してみて。きっと君が本当にやりたかった事とが見つかる筈よ」

 カミラはそう言って、優しく微笑んだ。生来の面倒見の良さが、諸に出ている。当のエリスはカミラの言っている事を、あまり理解していない様だ。然し何処か安心出来る様な、将来が楽みな気持ちが持てる言葉だと感じた。


 数週間後、カミラの元にセオンから一通のメールが届いた。セオン曰く、エリスは今とても元気に過ごしている。彼女は絵を描く事に、とても夢中になっているらしい。自分の心の中にある、沢山の想いを絵にする事で、毎日を楽しく過ごしているそうだ。

 メールを読み終えたカミラは、満足そうに頷いた。不安や恐怖に怯えているエリスが、ちゃんと元気にしている事が分かったのが何より嬉しかったらしい。

「良かったわね、エリス。貴女の人生は、貴女自身が描く物語なのよ……私も、そろそろ新しい物語を書き始めようかしら?」

カミラは再び、手元の原稿用紙に目を落とす。エリスに触発されたのか、カミラは執筆活動に熱が入る。窓から差し込む陽射しは、あの時よりも、少しだけ暖かく感じられたのだった。

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