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龍の神  作者: カズハ
-とある龍神達の事件簿-

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胡蝶の龍神の事件簿

某日、パラチウム学園にて――


高度な科学技術が齎す冷徹な幾何学と、悠久の時を生きる龍神族の幻想的な魔術。その二つが極致で融合した帝国・月の国は、いつだって冷たい銀色の光に満ちていた。中でも最先端学術都市カエルム・アルバスの象徴たるパラチウム・エクス・キャンパスは、地上と月面を結ぶ巨大な転送門を内包し、真空を望むドーム型教室や反重力区画がパッチワークの様に並ぶ、カオスでアヴァンギャルドな学び舎だ。

その日も、学園の中心部に位置するメガ・ルナ・バザールは、日用品から最新の魔導ガジェット、異世界の未知の素材を買い求める学生たちで溢れかえり、何時も通りの賑わいを見せていた。

然し其の平穏は、あまりにも唐突に且つ優雅に破られる。都市のいたる所に張り巡らされたホログラム広告の画面が、一瞬だけ激しく明滅した。映し出されていた最先端の天体観測データが歪み、ノイズを伴って一枚の鮮やかな絵へと上書きされる。

其れは白と黒のコントラストで描かれた、不敵な笑みを浮かべる道化の影絵。そして其の影絵の足元から、月の国の公用語である幾何学的なフォントではなく、流麗な手書きの文字線が、空間を削るようにして浮かび上がった。

『今宵、月の国から世界の夜を一本、描き換えに参ります。 ――怪盗「ミスター・カオス」』

警告とも、退屈な日常への挑戦状とも取れるその文面は、瞬く間にカエルム・アルバス全域へと拡散し、都市の警備陣を震撼させる事となった。

怪盗の予告状が届いた数時間後、第一の事件はカエルム・アルバスが誇る彩色美術館の最奥、厳重な結界が幾重にも施された特別展示室で発生した。

「……酷い。こんなの、芸術に対する侮辱だわ」

憤慨した声を上げたのは、黒龍神の少女、ミカゲだ。彼女は現場の床に自分のキャンバスを広げた儘、鋭い黒色の瞳をさらに細めて、展示ケースの中央を睨みつけている。

厳重な魔導ロックを解かれた硝子ケースの中に鎮座していたのは、世界創生期の歴史と概念を記録した、帝国至高の至宝――白仙の魔導書。

其の表紙には、本来なら世界に熱と情熱を齎す為の、燃え盛る様な赤色の術式が描かれていた筈だ。然し今やその場所は、まるで最初から何も描かれていなかったかの様に、真っ白な空白の羊皮紙へと成り果てていた。

物理的なこじ開け傷もなければ、高度なハッキングの痕跡もない。其れ処か、空間に一切の魔法の残滓すら、残されていないという徹底的な消滅だ。

「只の盗難じゃない。此れは、世界の記述其の物を消し去る様な、不気味な術の気配がする」

そう言って、特製のハーブティーが注がれたマグカップを差し出したのは、幼馴染の一人である蒼龍神のキリウだ。彼は気弱そうに眉を下げ乍らも、現場の微小な環境変化を熱心に手帳にメモしている。

実際、異常事態は美術館の中だけに留まらなかった。此の赤色の術式が消滅した瞬間から、カエルム・アルバスの一部区画において、物理法則のバグが発生し始めていたのだ。機械の熱膨張機能が突如として停止し、学生達が放つ火属性の魔法が、構成術式は完璧であるにも関わらず発火という現象に至らずに不発に終わる。世界から赤という概念の力が、物理的に切り離されつつあった。

月の国の法秩序を守る境界観測評議会(フリンジ・ボード)は、この未曾有の事態に対し、表立った軍隊の投入ではなく、ある特別な三柱へ非公式の調査を要請した。

美術館の冷たい床に、靴音を響かせて歩み寄る影がある。白銀の髪を長く伸ばし、濃紅と紺色のラインが美しく仕込まれたブレザーを纏った少女――ユラ。ユラはケースの前に立つと、感情の失われた瞳で、只じっと空白の羊皮紙を見つめた。会話は途切れがちで、周囲の誰もが息を呑んで彼女の言葉を待つ。

「……色が。」

ぽつり、と零れ落ちた声は、鈴の音の様に澄んでいたが、あまりにも静かだ。

「……色が、泣いている。」

その一言だけで、彼女の言わんとする全てを理解できる者は、世界にほんの数人しかいない。

「ほらほら、ロト!ユラが『犯人は単なる泥棒じゃなくて、色そのものを奪って自分の糧にする特別な能力者だ』って言ってる! 完全に僕達の専門分野じゃん。さあ、張り切って調査開始といこう!」

ユラの口からではなく、彼女の精神世界の奥底——魂を共有する双子の姉であるキラが、ユラの身体から抜け出す。空気が打って変わって、キラの軽薄で飄々としたトーンで響き渡った。ユラとキラは肉体を共有する一卵性の双子であり、無口なユラのフォローをするのは、いつもこの陽気な姉の役割だ。

「あぁ、わかっていますよ、キラさん。ユラさん、あまり現場の魔力残滓に近づきすぎないでくださいね。もし罠が仕掛けられていたら危ないですから」

大きな身体を屈める様にして、過保護な視線をユラに注いだのは、彼女の婚約者であるロトスだ。ロトスはユラの手を優しく握ると、もう片方の手で、自身の象徴たる胡蝶の杖を軽く空間に振るった。

「おいで、僕の可愛い観察者達。」

チリン、と鈴の音に似た美しい羽音が響くと同時に、彼の背後から、半透明の淡い光を放つ無数の蝶が溢れ出した。ロトスの幻想が発動する。此れらの蝶は、世界に決定された事実を流動的な可能性へと引き戻し、空間に刻まれた情報の揺らぎを敏感に察知する。放たれた蝶達は、空白となった魔導書の周囲をひらひらと舞いながら、犯人が立ち去る際に残した、目に見えない次元の歪みを次々と吸い上げていった。

「……足跡が見えます。犯人は空間を塗り潰し乍ら移動している。ユラさん、僕の後ろについてきてください。君の其の美しい瞳を、これ以上濁った悪意に晒したくはありませんからね」

ロトスの過保護ぶりに、ユラは無表情の儘、ほんの少しだけ閉口した様に視線を反らした。だが其の胸の奥にある匣の中では、ロトスへの深い愛情が温かく脈打っているのを、キラだけが笑い乍ら見守っていた。


犯人の痕跡を追い、パラチウム・エクス・キャンパスの広大な敷地内へと足を踏み入れたロトス達の前に、次々と頼もしくも騒がしい幼馴染達が合流してきた。

「一寸、其処の過保護デカ男と無口お嬢様!立ち止まりなさい!」

上空から鋭い声とともに飛び降りてきたのは、紅龍神のヒオンだ。サバサバとした姉御肌の彼女は、着地と同時に其の瞳を怪しく光らせる。彼女の幻想が、既に周囲一帯の空間スペックを完全にスキャンしていた。

「ヒオンさん、何か分かったのですか?」

ロトスが尋ねると、ヒオンは空中にホログラムの数式を展開しながら、フンと鼻を鳴らした。

「犯人の魔力波形、数手先まで演算させてもらったわ。」

此の先に、第三実習棟の地下へ向かうルートと、真空錬金科の実験室へ向かうルートの二つに分岐している。

「だけど妙なのよね……エネルギーの減衰率がゼロなのよ。」

まるで世界其の物が彼らの移動を、承認しているみたいに滑らかなのだ。

「世界の承認、ですか……あ、あの、僕もこれを見てほしくて」

キリウが気弱そうに手を挙げながら、自分が採取した現場のサンプルを差し出した。

「彩色美術館の裏口に、微かに残っていたんです。」

キリウが持っている植物は、普通の植物ではない。高濃度エーテルによって変質した、特殊な衣服の繊維……キャンバスの切れ端の様だ。

「犯人は、学園の内部に完全に溶け込んで、僕達のすぐ近くに潜伏している可能性があります。」

「ははあ!面白くなってきたじゃない!だったら片っ端から怪しい奴を炙り出しちゃえばいいのよ!」

ミカゲが好戦的な笑みを浮かべ、その場に巨大な黒い筆を取り出した。彼女の幻想が発動し、空間に墨汁の様な濃密な黒い魔力が迸る。彼女が空間に一閃を描くと、其れらが物理的な質量を持つ巨大な黒龍の輪郭へと変貌し、周囲の空間を威圧する様に咆哮を上げた。

「ユラ!あんたの綺麗な白を汚していいのは、この私の至高の黒だけなんだからね!訳の分からない泥棒なんかに、あんたの観測を邪魔させるもんですか!」

相変わらずのライバル心むき出しのミカゲの言葉に、ユラは只、小さく瞬きを返すだけだ。然し当精のキラは大喜びしている。

「相変わらずミカゲは熱いねえ!よしよし、僕も混ぜてよ!」

其処へ路地裏の影から、漢服を纏う男が、煙草の煙の様な金色の魔力を揺らせ乍ら姿を現した。街の片隅で探偵兼便利屋を営む金龍神、ムシキだ。

「お前ら、あまり大騒ぎするな。評議会の耳に入れば、実戦部隊が動いて学園ごと封鎖されるぞ」

「ムシキさん!何か掴んだのですか?」

ロトスが蝶を呼び戻しながら問いかける。ムシキはその鋭い灼眼を不気味に明滅させた。彼の瞳は世界に渦巻く真実を見抜き、視認した悪意を直接発火させる力を持つ。

「ああ。裏のルートから情報が入った。ミスター・カオスを名乗るあの怪盗、ただの愉快犯じゃねえな。俗世のゴミ溜めに溜まった悪性情報の集積体――魔性(サヴァト)の影がチラついてやがる。」

犯人は、自分自身の意志だけで動いてるではない。世界を呪う悪意其の物と手を組んで、此の月の国の根幹を狙っている。ムシキの言葉を証明するかの様に、突如として学園全体の警告アラートが鳴り響いた。

『警告、第二、第三の概念侵害を検知。ノクス・アビス区画及びアイギス・アクア区画において、青と黄の色彩情報が消失しました。これより、全域に緊急制限令を発令します』

「な、何だって!?」





ロトスが目を見開く。第二、第三の事件が同時に発生したのだ。今度は青と黄の色彩が世界から強奪された。その瞬間、ロトスたちの周囲の景色が目に見えて変質し始める。大気に漂う光の粒子から黄が失われ、物理的な運動エネルギーが急激に消失していく。風が止まり、通りかかる列車の速度が不自然に低下した。更に青が奪われたことにより、人々の脳内における思考の伝達速度に致命的な遅延が発生し始める。

「くっ、頭の回転が……遅く、なる……!」

ヒオンが額を押さえてよろめいた。演算速度を誇る彼女にとって、思考の遅延は最も苛烈な毒に等しかった。

「皆、僕の近くへ!」

ロトスが叫び、胡蝶庵の簡易結界を展開する。四季折々の幻影の花が周囲に咲き乱れ、癒やしの魔力が幼馴染達を包み込む事で、世界のエラーによる精神汚染を辛うじて食い止めた。混迷が深まる中、世界のOSである龍神会議の管理サーバーすらも、この連続する色彩の消失によって莫大なエラーログを吐き出し始め、月の国全体を支える巨大防衛バリアの出力が、ガタガタと低下していくのが分かった。

「此の儘じゃ、月の国が内側から崩壊するよ……ロトス、どうする?」

キリウが特製ハーブティーの入ったボトルを握りしめ乍ら、不安げにロトスを見つめた。ロトスは静かに目を閉じ、自身の個の境界が薄れるリスクを冒しながらも、覚悟を決めてその宝冠――胡蝶の王冠を頭上に顕現させた。蝶を模した銀と黒の意匠が、彼の思考を限界を超えて増幅させる。

「犯人がこれ程大規模な術式を、誰にも気づかれずに実行できた理由を突き止めます……皆、僕が意識を深く沈めている間、周囲の警戒を頼みます。」







ロトスは胡蝶の王冠の力を全開放し、今回の一連の事件で被害に遭った美術館の館長、そして周囲にいた異邦人達の記憶の海へと直接ダイブした。無数の人々の思い出や感情が、蝶の羽ばたきの様にロトスの脳内を駆け巡る。その膨大な情報処理の最中、ロトスはある極めて不自然な共通点を発見した。

館長達の記憶の断片、其のどれを見ても、事件直前の光景に必ず一人の人物が映り込んでいる。然し其の人物の顔、服装、そして存在其の物が、まるで白黒の影絵の様にベタ塗りで塗り潰されており、誰一人としてその人物の特徴を記憶に留める事ができていないのだ。

「認識の剥奪……いや、此れは世界から存在を、忘れ去られた者の仕業ですね。」

ロトスが現実世界へと意識を戻し、荒い息を吐き乍ら目を開けた。

「どういう事、ロトス?」

ミカゲが尋ねる。

「犯人は、誰からも認識されなくなった事で、この世界から消滅しかけていた存在なんだ。僕達龍神族が記録し、刻み込む事から漏れてしまった……哀れな幻影です」

彼は、自分が世界から完全に消え去るのを防ぐ為に、魔性の悪性情報を取り込み、世界から色彩を奪う事で、自分だけの新しいキャンバスを構築しようとしている。其のロトスの推理を肯定する様に、それまで一言も発さずに佇んでいたユラが、静かに一歩前へと踏み出した。

彼女の左眼、吸い込まれる様な蒼天の魔眼が、妖しくも美しい光を放ち始める。ユラは自身の深層心理が具現化した絶対領域を、現実の空間へと静かに重ね合わせた。周囲の景色が、無限に広がる厳かな美術館の回廊へと変貌し、鮮やかな光が降り注ぐ。

ユラは、左眼の魔眼で、世界から奪われた『赤』『青』『黄』の色彩エネルギーが、何処へ向かって流れているのか、その因果の糸を完全に捉えていた。感情を排した、然し何処か悲しげな声が、彼女の唇から零れ落ちる。

「……見つけた。」

ユラは、誰もいない筈の、学園の最深部に位置する仮想現実科のデータ集積エリアの方向を指差した。

「……色の行き先。そこは、存在しない筈の、灰色のキャンバス。寂しい影が、一人で絵を描いている」

「よし、場所が分かったなら突撃あるのみよ!」

ミカゲが黒龍を従えて駆け出そうとしたその時、ムシキがそれを手で制した。

「待て。仮想現実科のイデアの墓守エリアは、肉体を捨てた純粋知性が集まる場所だ。」

今は其処に魔性の悪性情報が完全に定着してしまっている。此処から先は、半端な覚悟では精神を汚染され、一歩も動けなくなってしまう。

「僕が行きます。」

ロトスが、ユラの前に立ちはだかるようにして言った。

「ユラさんとキラさん……そして僕が、あの消えかけの怪盗の目を覚まさせなければいけません。彼がどれほど深い闇に堕ちてい様と、僕達の絆と色彩で、そのキャンバスを塗り替えてみせる」

ユラは無表情の儘、ロトスの袖をきゅっと掴んだ。それは、言葉はなくとも一緒に行くという、彼女なりの強い意思表示だ。キラの凛とした声が響く。

「当然、僕も一緒だよ、ロト。さあ、月の国の夜を、僕達の色で派手に飾り立ててやろうじゃないの!」


仮想現実科の最深部、純粋知性の居住区へと足を踏み入れたロトス達を迎えたのは、息を呑む様な異界の光景だった。そこは、すべての光と色彩が剥ぎ取られた、完全なるモノクロームの世界。空間のあちこちに、不気味な黒い靄と、見た事もない独自の言語――魔性(サヴァト)の特殊文字が、害虫の様に蠢いている。

その中心に、一人の青年が佇んでいた。彼の身体は、まるで古い写真のように色が欠落し、輪郭が常に確率の雲の様に揺らいでいる。彼こそが、誰からも認識されなくなり、世界の記憶から消滅しかけていた幻影――怪盗ミスター・カオスの正体だ。

「……来たね、龍神の観測者達。」

青年の声は、幾重にも重なるノイズを伴って響いた。聞いた者の精神を根源から蝕む、魔性の言語。

「僕には、もう場所がないんだ……誰も僕を記録してくれない……誰も僕の名前を呼んでくれない……だから、僕は世界から色を奪う……この輝かしい月の国を全て塗り潰し、僕だけの、誰にも邪魔されない灰色の世界を再構築するんだ!」

青年が両手を掲げた瞬間、彼が世界から強奪した『赤』『青』『黄』の色彩エネルギーが、ドス黒い魔性の悪意と融合し、巨大な混沌の奔流となってロトスたちへ襲いかかった。そのエネルギーは、月の国の防衛バリアを内側から引き裂き、都市カエルム・アルバス其の物を物質レベルで崩壊させるほどの破壊力を秘めていた。

「させるか……っ!」

ロトスが前に躍り出る。彼は胡蝶の杖を激しく振り下ろした。

「おいで、熱力学の摂理を狂わせる僕の羽達! 氷蝶(グラシアス)!紅き蝶(アルデンス)!」

彼の肩付近から、氷の結晶で形作られた小さな蝶と、火の粉を散らす紅い蝶が、少女の輪郭を持った半透明のエネルギー体へと姿を変えて飛び出す。二柱の蝶は分子運動を完全に操作し、青年の放った混沌の奔流から熱を奪って瞬間凍結させ、次の瞬間には爆発的な熱量でエネルギー法則を無視して相殺した。

さらにロトスは、純白の糸で魂を繋ぎ止める慈愛の化身、白聖ノ蝶(ルクス・サンクタ)の翼を広げ、物理・魔法の両面を完全に遮断する幾何学模様の結界を構築。背後にいるユラへと届くはずの悪性情報のノイズを、その聖なる白光で完璧に消滅させていく。

「君が消えかけの寂しさを抱えていたとしても……ユラさん達の世界を、皆の思い出が詰まったこの月の国を壊す事は、僕が絶対に許しません!」

ロトスの誠実にして苛烈な叫びが、異界の空間に響き渡る。

「……ロト、下がって。」

背後から、至高の静寂を纏ったユラの声が響いた。ロトスが振り返ると、其処には、既に通常の少女の枠を超えた、神性を全開放しつつあるユラの姿があった。ユラと、彼女の内なる姉キラの魂が、今、完全に共鳴(シンクロ)を果たす。

「いくよ、ユラ。僕達の、本当の芸術を見せてあげよう!」

「……うん、キラ……世界を、塗り替える。」

二人の意識が融合した瞬間、ユラの身体から、爆発的な極彩色と無彩色の魔力が交互に迸った。

彼女の頭上には、蝶の意匠が施された王冠型の角――極彩式の王冠《マキシマラエトス・クラウン》と無彩式の王冠《アクロマティクス・クラウン》が一つに重なり合って顕現する。其の瞳は、左眼が空間座標を固定する蒼天の魔眼、右眼が世界の理から対象を切り離す魔眼へと変貌していた。

共生体である闇喰が、彼女達の体内で発生する強大な破壊衝動と自己犠牲の闇を瞬く間に吸収し、全てを純粋な創造への情熱へと変換していく。

二人が融合した無双の女王は、その唇をそっと開いた。感情のノイズを完全に排した、何処迄も優しく、聴く者の魂に直接届く研ぎ澄まされた旋律。


――聖歌。


空間其の物が、彼女達の歌声に呼応し激しく震動を始める。ユラとキラの絶唱は、世界其の物の概念を変質させる絶対的な旋律だ。瞬時に現実へと上書き展開される、広大な極彩式の城《マキシマラエトス・カストゥルム》と無彩式の城《アクロマティクス・カストゥルム》の融合世界。

城壁や回廊の全てが彼女達の神経系と直結し、空間内の全ての物質・現象の優先権が、完全にユラとキラの手へと掌握された。

「アハハハ!これが僕達のキャンバスだよ!悪性情報なんて、全部モノクロームの影絵に変えて、僕達の光の肥料にしてあげる!」

キラの声が響くと同時に、ユラは星々の瞬きを凝縮した流体硝子の大杖、白仙の硝子筆を天空へと掲げた。

周囲の重力が完全に消失し、無限の夜空を投影する夜空の投影(プラネタリウム)の結界が展開される。その中で、ユラは極点たる虹色の洋墨を筆先に纏わせ、虚空のキャンバスを一閃した。

描かれた虹色の光跡は、圧倒的な質量と絶対的な事象改変の力を持ち、青年を包んでいた魔性の悪性情報を、その根源から上書きしていく。

青年が必死に放った黒い靄の攻撃は、ユラの紫の洋墨によってすべて治癒の光へと変換され、彼自身の足元を無彩色の黒蝶が潜り込んで楔として完全に固定した。

「あ、あ、ああ……!光が、色が……僕の中に、入ってくる……!」

青年は、己を包み込む圧倒的な極彩と無彩の美しさに、恐怖ではなく、只々涙を流して魅了されていた。ユラの歌声が最高潮に達した瞬間、虹色の極点があらゆる呪いと悪意を完全に拒絶・消滅させ、暴走していた世界の色彩エネルギーは、綺麗な星屑の粒子となって、月の国の夜空へと優しく還っていった。


数日後。カエルム・アルバスの混乱は嘘の様に収まり、強奪されていた『赤』『青』『黄』の色彩は全て元の場所へと戻った。物理法則のエラーも修正され、月の国を覆う防衛バリアは、以前よりも強固な輝きを取り戻していた。

あの消えかけていた幻影の青年――ミスター・カオスは、完全に消滅する事はなかった。ユラが桃色の白仙の鉛筆を使い、彼の本来あるべき姿を模写する様にして魂の設計図を再構成し、更にロトスが胡蝶の生命工学的なアプローチを用いて、不確かな魂を現世に縫い止めたのだ。

青年は、世界のシステムから除外されない為の擬似回路を身体に巡らせ、一人の異邦人としての新たな肉体と戸籍を与えられた。彼は今、学園の仮想現実科の助手として働きながら、自らの誰にも認識されなかった日々の孤独と、救われた瞬間の美しさを、一冊の本に綴っている。その本は何時か、彼の人生の証明として、龍神族の個人領域に大切に保管される約束になっていた。

所変わって、パラチウム学園の広大な市場、メガ・ルナ・バザールの一角にある、見晴らしの良いカフェテラス。穏やかな風が吹き抜けるその席に、ユラ、ロトス、そして幼馴染達が集まっていた。

「……ん。」

ユラは、何時もの様に全くの無表情の儘、目の前に置かれた特大のティラミスにフォークを突き立て、小さく口へと運んだ。そして、コクのあるカフェラテを一口すする。

「……美味しい」

感情は希薄だが、その瞳の奥が、ほんの少しだけ満足そうに揺れるのを、ロトスは見逃さなかった。

「よかったですね、ユラさん。君が美味しそうに食べてくれるのが、僕にとって何よりの癒やしですよ。」

ロトスは徐ろに、自ら作ったクッキーをユラに差し出す。

「はい、これは僕が新しく試作したクッキーです……蝶の形にしてみました。キリウさんのハーブも少し練り込んでありますから、魔力回路の回復にも良い筈ですよ」

ロトスが極上の過保護スマイルを浮かべ乍ら、手作りのクッキーをユラのお皿に添える。

「ちょっとロト、ユラを甘やかしすぎだってば!まあ、今回の事件は僕達の完全勝利だったし、此れ位のご褒美は当然だけどね!」

キラの楽しげな笑い声が弾けた。

「もー、相変わらずあの二人はバカップルなんだから。解析するまでもないわね」

ヒオンが呆れた様に溜息をつき乍らも、自分の分のカフェラテを飲む。

「ふん、今回はユラの聖歌に美味しい所を持っていかれたけど、次は負けないんだからね!私の黒の美しさを、世界に思い知らせてやるんだから!」

ミカゲが相変わらずの調子でキャンバスを弄る。そんな彼女を、キリウが宥めている。

「まあまあ、ミカゲ……落ち着いてハーブティーを飲んでよ。」

遠くの席からは、ムシキが野良猫を膝に乗せ乍ら、こちらの騒ぎをフッと目を細めて見守っているのが見えた。月の国の冷たい銀色の夜空を見上げながら、ロトスはユラの小さな手を、もう一度そっと握りしめた。ユラは拒む事なく、その温もりを受け入れるのだった。

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