逃亡者シオン―反逆のマヨネーズ
これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。
「早え……早えぞ!」
その歓声は、逃走者のものだった。
シオンは興奮のあまり、コクピットの中で鼻息を荒くしていた。セラフィオンは重厚な駆動音を響かせ、悠然と地下高速輸送トンネルを飛んでいた。その姿は、管理局の処刑機クリーナーが玩具に見えるほど神々しく、早い。高速輸送トンネルは入口こそ狭かったが入ってみると思ったより広々としていた。
『……ハァ。あまり期待の眼差しを向けないでいただけますか、テリヤキマスター。不愉快です』
脳内に響くセラの声は、マスターをサポートする聖女のそれとは程遠く、休日に無理やり出勤させられたOLのような倦怠感に満ちていた。
「おい、せっかくパワーアップしたんだぜ。このままドカンと一発、
あのアリんこどもを吹き飛ばして、優雅に脱出しようぜ!」
『却下します。現在のエネルギー残量を確認してください』
セラの言葉と同時に、コンソールに表示されたバッテリー残量が、真っ赤な点滅と共に「〇・〇二%」という絶望的な数字を叩き出した。
コンソールの数字は、伝説の天使装甲が「ただの鉄屑」に戻るまでの残り時間を示していた。
「は……? ゼロが一個多くねえか?」
『いいえ。三〇〇年間も放置されていたんですよ。
今、貴方の情熱(脂ぎった執着心)でかろうじてエモーショナル・ドライブを維持
していますが、武器を一つ使うだけでこの機体は豪華な棺桶に早変わりします。
具体的に言うと、今の貴方にできるのは「非常にゆっくりと歩く」か
「派手に自爆する」の二択です』
「どっちも死ぬじゃねえか! 天使装甲ってのは
もっと、こう、ビュンビュン飛んでビーム撃ちまくるもんじゃねえのかよ!」
『カタログスペックを語るなら、まずその懐に隠した合成パンを私に捧げなさい。
そうすれば効率的な燃焼計算をしてあげなくもありません』
「これだけは絶対にやらねえ! 隠れ場所の食糧庫で、やっと見つけた一個なんだ!
命より重いんだよ!」
シオンは懐の合成パン(の残り)を死守しながら、電池切れ寸前の伝説の機体を操作し、泥縄式の逃走を開始した。
「おいセラ! 後ろからなんかヤバそうな音がすんぞ! またあのポエム野郎か!?」
シオンは冷や汗を流しながら、後ろを振り返る。セラフィオンの巨体は、油切れのドアのように「ギギギ……」と情けない音を立てて右を向く。
『落ち着きなさい、テリヤキ野郎。それは貴方の腹の虫です。
マイクが最大出力で拾ってしまいました。騒音公害として訴えたいレベルです』
「俺の腹の音かよ! 紛らわしいな! それより早く出口をナビしろ!
電池が切れる前に地上に出るんだよ!」
『ナビゲートなら既に開始しています。
前方三〇メートルの壁を見てください。光っていますね?』
見れば、暗い通路の壁にぼんやりと矢印のホログラムが浮かんでいる。だが、その矢印は……なぜか「反復横跳び」を繰り返す妙な動きをしていた。
「……なぁ、あの矢印、めちゃくちゃ震えてねえか? 壊れてんのか?」
『いいえ。私の演算能力も現在、省エネモードです。
正確な座標を表示する体力が残っていないので、「だいたいこっち」という
ニュアンスを揺らぎで表現しています。貴方の野生の勘で補完してください』
「ニュアンスで道案内すんじゃねえ! AIのくせにアナログすぎるだろ!」
さらに悪いことに、背後からはセラフィオンを特定した機動ドローン軍団が迫っていた。
『敵接近。……シオン、名案があります。機体の姿勢制御をオフにしますので、
貴方がコクピット内で暴れてください。その遠心力で機体を強引に前へ進ませる
「人力加速」を提案します』
「名案のハードルが低すぎるだろ! パイロットが中で暴れて動くロボットなんて
聞いたことねえぞ!」
『四の五の言わずに暴れなさい! 普段の運動不足を解消する絶好のチャンスですよ!』
「畜生、やってやるよ! 見てろよ、お袋、
これが俺の、ダイエット・レヴォリューションだぁぁ!」
シオンはコクピットの中で激しく暴れ回り、セラフィオンは酔っ払いのような軌道で、周囲の壁と火花を散らしながら暗闇の奥へと飛んでいった。
「ハァ……ハァ……。セラ、もう限界だ。俺の腹の虫が『降伏勧告』を出してる……」
人力加速(コクピット内での暴走)により、シオンは合成パンを食う前に力尽きようとしていた。逃げ込んだ先は、旧時代の巨大なゴミ捨て場。廃材が山をなす沈黙の空間だ。
『情けないですね。貴方の根性は、その懐にあるテリヤキバーガーのレシピよりも軽いのですか?』
ゴミの山は静まり返っていた。
追手の羽音も、腹の虫の主張も、一瞬だけ遠のく。
「うるせえ! ……ん? おい、あそこを見てみろ。光ってんぞ」
山積みのガラクタの中に、古びた、しかし重厚な液体燃料タンクが埋もれていた。
『解析中……。驚きました。三〇〇年前の「高純度マヨネーズ・エッセンス」です。
当時の人類が過剰なカロリーを摂取するために精製した、
不健康の極みのような代物ですね』
「マヨ……ネーズ? よくわかんねえが、燃料になるんだな!」
『理論上は可能です。ですが、私は天使装甲の気高きAIですよ?
そんな脂ぎった不潔なものを内部回路に通すなんて、生理的に受け付け――』
「背に腹は代えられねえんだよ! 注入開始だ!」
シオンは外部マニピュレーターを強引に操作し、タンクのホースをセラフィオンの給油口(?)へ突き刺した。
『イヤァァァ! 回路が! 私の清楚な論理回路がドロドロの油脂に侵食されるぅぅ! ……あ、でも、このコク……悪くない……かも……』
「セラ!? しっかりしろ! 昇天すんじゃねえぞ!」
その背後で、赤い目がひとつ、静かに点灯した。
ギャグ回でしたが、世界観的にはかなり大事な話数でもあります。
セラの反応をどう受け取ったかで、この物語の見え方が少し変わるかもしれません。
次話も、よろしくお願いします。




