腹ペコに正義を語るな。――黒き天使〈オメガ〉、降臨
これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。
次の一撃を受ければ、死ぬ。
――その瞬間、シオンの鼻腔を、卵と酢と油の混ざったあの香りが突き抜けた。
脳が「テリヤキを食っている」と誤認し、アドレナリンが洪水のように溢れ出す。
「キタキタキタァァァ! これだよ、これ! 最高に不健康な力が湧いてくるぜぇぇ!」
セラフィオンは、垂直落下しながら空中で一回転し、ドローンの群れの中心で黄金の光の輪を放った。
それはまさに、偽物の空の下に現れた、本物の破壊神の輝きだった。
爆発の煙を切り裂き、その男は現れた。
漆黒の装甲を纏ったもう一機の天使装甲、〈オメガ〉。
その肩に直立し、乱れることのない銀髪を風になびかせる青年、グリード。
「……見苦しい」
グリードが一言つぶやく。
「……見苦しいな、シオン・グレイス。その野蛮な輝き、そして、不衛生な情熱。
……この惑星の静寂を乱す、万死に値する『ノイズ』だ」
グリードの声は、増幅器を通さずとも、シオンの脳内に直接響いた。それは、感情という不純物を削ぎ落とした「正義」の響きだった。
「誰がノイズだ、この潔癖症野郎!
お前らが配る味のしねえゼリーの方が、よっぽどこの星の『ノイズ』だろ!」
「……。話にならんな。……ネメシス、新作ポエム『無菌室の処刑人』、第一節を。
……この者の魂に、真の沈黙を与えてやろう」
『了解、マスター。……。……「白き翼は油に汚れ、墜ちる先は……」』
「うわあああ!やめろ!
その、聞いているだけでこっちが恥ずかしくなる攻撃はやめろぉぉぉ!」
シオンは全力で耳を塞ぐ動作を(セラフィオンの腕で)行ったが、
セラの冷静な声が割り込む。
『マスター、取り乱さないでください。
……。敵機〈オメガ〉高出力ブレードを展開。……来ます!』
漆黒の機体の右腕から伸びる漆黒の刃が、セラフィオンに切りかかる。
「うわぁ、セラ、こっちにも武器はないのかよ!?」
「マスター、エーテル・ソード展開します。適当に振り回してください!」
セラフィオンの右腕の甲の部分から伸びる白銀の粒子。シオンはその粒子の刃で漆黒の刃を受ける。エネルギーとエネルギーがぶつかり合い、衝撃が周囲を包む。
「旧式の天使装甲など敵ではない!塵となれ三〇〇年前の亡霊め」
グリードが〈オメガ〉でセラフィオンを押し込む。
「腹が減って力が出ねぇ!!」
「――なら、その空腹を刃にしなさい!マスター!」
キィィィィィィィン!!
漆黒の剣と、白銀の剣が激突した。
衝撃波が、眼下の廃ビル群の窓ガラスを一斉に粉砕する。
シオンは、義手を通じて伝わってくる「グリードの意志」に、吐き気を感じた。そこにあるのは、完璧な正解だけを求め、間違いを許さない、窒息しそうなほどの潔癖さだ。
「……お前、楽しいのかよ!?こんな、何もかも決まりきった世界で、
人形みたいに剣を振ってさ!」
「楽しい? ……。感情などという不確かな指標に、何の意味がある。
……私は『正解』を執行する。それだけで十分だ。……消えろ、不浄なるエラー個体!」
オメガの翼から放たれた黒い雷が、セラフィオンを直撃しようとしたその時――。
『マスター、強行突破します!……。このまま空中に留まれば、物量で押し潰されます。
……三〇〇年前の遺構、旧・高速輸送トンネルへ飛び込んでください!』
「あそこか!? あんな狭いとこ、機体ごと入れるのかよ!」
『私の計算を疑う暇があるなら、その脳内のマヨネーズを燃料に変えなさい!
……全スラスター、臨界点突破!』
セラフィオンは、〈オメガ〉の追撃を紙一重でかわし、ビルの谷間にある巨大な通気口へと、弾丸のような速度で突っ込んだ。
「逃がさん……! 地の果てまで、その不浄を追い詰めてやる!」
グリードの声が遠ざかっていく。
シオンたちは、暗い、深い、誰も知らない「街の裏側」へと墜ちていった。
そこには、ホログラムの空も、整列した市民もいない。
三〇〇年前のゴミと、錆びた鉄と、そして「本当の自由」を求めて死んでいった者たちの影が眠る、聖域『エラータウン』へと続く道。
「……。……ふぅ。……。……。セラ。……。……俺、やっぱり、バーガー食いたい」
『……呆れました。……でも、……私も、少しだけ、興味が湧きました。
……あなたが命を懸けて守ろうとした、その「味」という名のバグに』
暗闇の中、白銀の天使は静かに目を光らせた。
こうして、惑星レグナスの歴史は、一人の腹ペコな少年と、毒舌な天使によって、
決定的に狂わされ始めた。
ここまでありがとうございます。
黒き天使グリードは、悪ではありません。
彼なりの「正しさ」を守る者です。
――でも。
空腹を切り捨てた正しさは、本当に人間のためなのか。
「正しいゼリー」より「間違ったテリヤキ」を選ぶ人なら、
もう少しだけ、この物語に付き合ってください。




