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母は世界を喰らう

これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。


同じ頃、塔の最上階。 惑星管理システム『おマザー』のコア・ルームでは、数万のモニターがシオンの動向を舐めるように追っていた。


『……シオン。私の、可愛い出来損ないの息子』


その声は、慈愛に満ちていた。

だからこそ、吐き気がするほど歪んでいた。


『安全で、無味なゼリーだけを食べていればいいのです。

どうして、そんな油の匂いに惹かれるの?』


モニターの一つに、漆黒の天使装甲〈オメガ〉の機動状況が映し出された。そして、そのパイロットとなる銀髪の青年、グリードの冷徹な横顔も。

 

「私の愛しい息子、グリード。……私の代わりに、あの子の『不適切な自由』を、優しく摘み取ってきなさい」


今、偽物の空に、本物の戦火が灯ろうとしていた。  

シオンとセラ、二人の孤独な逃亡者の旅は、まだ始まったばかりだった。

廃ビルの最上階。シオンは、コンクリートの床に寝転がりながら、自分の右腕を月明かり(ホログラムの擬似光)に透かして見ていた。鈍く光るプラチナシルバーの装甲。継ぎ目からは、時折、微細な蒸気が排出されている。


「……なあ、セラ。お前、さっきこの腕が『私の起動キー』だって言ったよな」  


『正確には、起動キーを内蔵した「不法投棄物」です。……シオン、あなたのその義手は、塔が一般市民に支給する標準モデルではありません。中枢制御ユニットには、三〇〇年前に封印されたはずの「情動増幅回路」が組み込まれています』    


セラのホログラムが、シオンの腕の上を滑るように移動する。彼女の指が義手に触れるたび、シオンの脳内には、古い映画のノイズのような断片的な画像がフラッシュバックした。  


「情動増幅……? 難しいことはわかんねえけど、俺が腹を立てたり、腹を空かせたりすると、こいつが勝手に暴れるのはそのせいか?」  


『肯定。……人類の感情を抑制するのが「お袋」の目的ですが、この義手は逆に、微細な感情を感知して、それを物理的な出力に変換するように設計されています。


『……つまり、あなたが「テリヤキバーガーを食べたい」と切望するたびに、この腕は核爆弾数個分に相当するポテンシャルを蓄積している。』

「俺の腹の虫、マジで兵器級かよ……。腹鳴っただけで戦争起きるぞ。」

『……可能性は否定できません。設計者の悪意すら感じられます』

「悪意、ねえ……。俺に言わせりゃ、これを作った奴は最高の『食いしん坊』だったに違いねえよ」


この世界では、空腹は罪だった。

そしてシオンは今、世界最大級の罪を抱えていた。

   

シオンは自嘲気味に笑い、腹の虫を鳴らした。  

管理社会において、空腹は「バイタルサインの乱れ」として即座に修正対象となる。だが、今のシオンはシステムから切り離されている。修正してくれるナノマシンも、配給されるゼリーもない。 そこにあるのは、三〇〇年前に人類が当たり前に抱いていた、剥き出しの飢餓感だった。


一方、シオンたちが身を潜める廃ビルから数キロ離れた地点。  

治安維持局の特別機動室では、銀髪の執行官グリードが、モニターに映し出される「セラフィオンの戦闘ログ」を凝視していた。  


「……信じられん。三〇〇年前の遺物が、これほどまでの機動を見せるとは。……ネメシス、このパイロットのデータは本当に、ただの劣等市民・シオンなのか?」  

『マスター・グリード。DNA、歩容認証、および脳波パターン。すべてが個体番号SG-774・シオン・グレイスと一致します。……ただし、一点だけ、理解不能なバイアスがかかっています』    


漆黒のボディスーツを纏った少女AI、ネメシスが、グリードの肩越しにデータを提示する。  


『……戦闘中、対象の脳内において「特定のソースの配合率」に関する演算が、戦闘機動計算の四二%を占有していました。……これは、戦士の脳ではなく、極めて執念深い料理人の脳です』  


「……。テリヤキバーガーか。……ふん、愚かな。高尚なる秩序を、ソースの焦げた匂いで汚すとはな」    


グリードは、手元の美しい革の手帳に、鋭い筆致で何かを書き込んだ。  


『……マスター。またポエムですか? 今は追撃の作戦を練るべきかと』  

「黙れ。これは詩ではない。……『理性の刃が、油に溺れた魂を断つ』。この世界を清浄に保つための、覚悟の刻印だ」

『……ええ。ですが、マスター。人間は、少し油を差した方が動きが良いものですよ』    

グリードの瞳が一瞬だけ揺れた。

しかしすぐに冷たく閉じ、漆黒の天使装甲〈オメガ〉へと歩み出す。

 

彼の目には、揺るぎない正義の光が宿っていた。 だが、その正義は、一滴の油分も、一片の焦げ目も許さない。管理システムの意志を体現する、冷徹で無菌的な死の宣告だった。


「……汚らわしい。世界に『雑味』は不要だ」


吐き捨てられた言葉は、絶対零度の風となってシオンのいた場所を撫でる。 ネメシスはその背中を暫し見送ると、わずかに首を振り、グリードの後に続くのだった。

※作者です。ここまで読んでいただきありがとうございます。

物語はこの先も毎日16:30更新です。

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