ファイナル・セラフィオン
雨が、廃棄エリアの赤錆びた大地を叩いていた。
かつて人類の栄華を支え、今は都市の排泄物として見捨てられた鉄の墓標。
その最深部で、セラは孤独に立っていた。
「セラフィオン。
いや、人間というバグに成り下がった裏切り者よ」
老科学者の嘲笑が響く。
彼の背後には、かつての開発者としての矜持を
「無菌の秩序」に売り渡した過激派たちが控えていた。
「貴様がシオンと結ばれることは、
人類が再び『欲望の泥沼』に沈むことを意味する」
そして。
「……今ここで、その心臓を停止させ、
清浄な機械に戻れ」
セラは雨に打たれながら、自らの胸元を強く握りしめた。
そこには、シオンがくれた不器用な情熱が、
今も熱を帯びて脈打っている。
「……私は……ここで停止するべきです」
セラの声が震える。
「存在してはいけない」
「そうだ。お前は存在すべきではない」
「ですが……」
セラは断言する。
「……拒絶します。
私は、もうプログラムでは動きません!」
——そう言い切ったはずなのに、
彼女の奥底で、何かがまだ“計算”を続けていた。
しかし、セラの瞳に、かつての冷徹な演算機能の光はない。
そこにあるのは、ひどく不安定で、
けれど力強い光だ。
「お腹が空けば苦しくて、誰かを想えば胸が痛い……」
セラは続ける。
「この不便で、不条理で、愛おしい『味』を、
私はもう二度と手放さない!私は、シオンの隣で生きていく!」
「ならば死ね、エラーコードが!」
轟音と共に、老科学者の背後から
漆黒の巨影が立ち上がった。
管理社会のお袋ですら制御を恐れ、
封印していた殺戮の化身――自律型戦闘人型ドローン。
その胸部のリアクターが、世界を焼き尽くすための荷電粒子を
赤黒く充填し始める。
「あああああっ!!」
逃げ場のない熱波にセラが叫んだ。
その時。
絶望の闇を切り裂いて、琥珀色の閃光が降り立った。
「……誰が、俺の花嫁に説教垂れてやがんだ!」
地響きと共に現れたのは、かつての英雄の面影を微塵も留めない、
“白銀の死体”だった。
荒野で子供たちの遊び道具になり、
風雨に晒されていた残骸。
左腕はなく、装甲の半分は剥がれ落ち、
内部フレームが剥き出しのまま
軋みを上げるセラフィオン。
だが、その剥き出しのコクピットに立つシオンの瞳は、
太陽よりも眩しく燃えていた。
「シオン!? ……どうして!」
「当たり前だろ!
お前が一人で抱え込むなんて、俺の計算外なんだよ!」
シオンは叫ぶ。
後方では、仲間たちが援護に回っていた。
「シオン! 応急処置で無理やり動かしてるだけなんだから、
あと三回動かしたら爆発するわよ!」
ジャンク屋の少女、リナの叫びを、
シオンは笑い飛ばした。
「へっ、一回あれば十分だ! 行くぞ、相棒!」
ガァァァァァァァン!!
金属同士の衝突音が、夜の静寂を粉砕する。
ボロボロのセラフィオンが、
最新鋭の殺戮マシーンへ体当たりを敢行した。
狙いの逸れた荷電粒子砲が、雨空を焼き、夜を昼に変える。
「二人まとめて地獄へ送ってやる!」
老科学者の叫びと共に、敵のリアクターが再び再充填を開始する。
セラフィオンの右腕が弾け飛び、頭部が粉砕された。
機体各部から警告アラートが鳴り響き、
オイルが血のように溢れ出す。だが、シオンは退かない。
「ハッ、まだだ……まだ動くだろ、相棒!」
シオンは剥き出しの操縦桿をねじ伏せる。
義手を通じて流れ込むのは、もはや情報の断片ではない。
それは、アリシアと分け合った合成パンの味。
セラと一緒に食べた、あの焦げた醤油の匂い。
五感すべてを動員した「生」への執着。
「俺は……お前に、本物のテリヤキを食わせるまで
……絶対に壊れねぇ!!」
ドォォォォォン!!
セラフィオンの内部フレームが軋み、
限界を超えた高熱で白銀の装甲が赤熱する。
敵の猛攻を受けながら、
シオンは一歩、また一歩と距離を詰めていく。
装甲が剥がれ、電子回路が焼き切れるたびに、
シオンの意識は加速した。
「悪いが、俺はセラを幸せにするって先約があるんだ。
ここで死んでる暇はねぇんだよ!!」
ついに、至近距離で敵の砲口がシオンを捉えた。
ゼロ距離射撃。回避不能。
死の光が溢れ出す一瞬前。
シオンは、剥き出しになったセラフィオンの
コンソールを、まるで愛しい女性の頬を撫でるように、
優しく、愛おしそうに触れた。
「……なぁ、セラフィオン。今までよく戦ってくれたな。
……でも、これが最後だ」
シオンは微笑んだ。
その瞳には、恐怖も後悔もなかった。
「俺ごと、食らえッ!!」
「シオン――ッ!!!」
セラの絶叫が響く中、白銀の残骸が、
漆黒の死神を抱きしめるように特攻した。
機体の全エネルギーを逆流させ、
リアクターを臨界突破させる。
直後、
すべてを呑み込む大爆発。
爆炎が空を焦がし、衝撃波が廃棄エリアを更地に変えた。
「……バカな……自分ごと自爆するなど、正気か……!」
腰を抜かした老科学者が、黒煙の先を指差す。
セラは、炎の中に消えたシオンの名を
呼び続け、膝をついた。
「そんな……シオン……あなたがいないと、私は……」
だが、黒煙を割って、
煤まみれの少年がフラフラと歩み寄ってきた。
「……ふーーーっ、死ぬかと思ったぜ。
リナの作った脱出装置、ギリギリだったな」
「シオン!!!」
セラは弾かれたように駆け寄り、シオンの胸に飛び込んだ。
もう計算も、
論理も、
確率もない。
ただ、彼の心臓の音を確かめるように、
本物の涙でその胸を濡らした。
後方では、リナがハッキングで武装を解除し、
グリードが「無垢なる秩序の崩壊」を詠いながら掃討戦を終えていた。
ネメシスとタナトスの二人が老科学者とその取り巻きを捕らえる。
シオンは、震えるセラの肩をそっと抱き寄せ、
耳元で囁いた。
「セラ。お前がかつて何を消してきたかなんて、
俺には関係ねぇ。俺が知ってるのは……」
シオンは、彼女の濡れた頬を指で拭った。
「……俺の不味いテリヤキを食べて泣いた、
一人の不器用な女のことだけだ」
セラの瞳から、プログラムでは決して生成できない、
虹色に輝く本物の涙が溢れ出した。
「でも、私は……私は……」
「腹が減ったな。……帰るぞ、セラ」
「……はい。……はい、シオン!」
シオンは背後の爆炎を振り返り。
「火加減は上々だな」
――いいテリヤキが焼けそうだ。
静かにつぶやく。
シオンの足元に、わずかに黒い血のようなオイルが滲んでいる。
本物の雨空の下、世界で一番不純で、
世界で一番温かい焦げ色の日々が、ここから始まる。
だがその時、セラの視界の端で、
一瞬だけ——消えたはずの“エラーコード”が明滅した。
最終回まで、あと2話。




