招待状と「愛」の定義
『レグナス・コア』が砕け散り、本物の太陽が惑星レグナスを
照らすようになってから一年。
瓦礫の山だった地下居住区エラータウンは、
今や「地上の風」が吹き込む活気ある街へと姿を変えていた。
「……よし、味付け完了! セラ、スキャンの結果はどうだ?」
シオン・グレイスは、復興のシンボルとなった自前のキッチンカーの中で、
フライパンを豪快に振っていた。
黄金色に輝くテリヤキソースが、厚切りの肉に絡みつき、
周囲には暴力的なまでに食欲をそそる香りが漂う。
『……ソースの糖度、想定比プラス〇・二%。肉の内部温度、完璧です。
……ですが、シオン。先ほどからあなたの心拍数が一二〇を超えています。
調理の熱気によるものか、あるいは……』
キッチンの隅で、セラが毒舌混じりに問いかける。
「あるいは、なんだよ」
「……今日の正午、リナに『例の封筒』を渡すという、
あなたの非論理的な緊張によるものか、です」
シオンの手が、一瞬止まった。
彼のポケットには、琥珀色の紙に金箔で縁取られた、手作りの招待状が入っていた。
◇◇◇
セラは、自身の銀色の髪を指でいじりながら、窓の外を見つめた。
彼女には、シオンが何をしようとしているのか、論理的には理解できている。
しかし、それが自分の「システム」にどのような影響を及ぼすのか、
予測モデルが弾き出せずにいた。
『シオン。改めて確認しますが、……「結婚」とは、法的・社会的な契約であり、
リソースの共同管理を目的としたものです。
……物理的な実体を持つ私と、有機生命体であるあなたが、
この契約を結ぶことに、どのような演算上のメリットがあるのですか?』
シオンは、完成したバーガーを包み紙に放り込み、
セラの目の前に突き出した。
「メリットなんてねぇよ。……ただ、俺は一生、お前とこのバーガーを食いたい。
……お前が俺の味を評価し、俺がお前の毒舌を聞く。
……それが、一番『旨い』生き方だと思っただけだ」
セラのナノマシン製の皮膚が、微かに熱を帯びる。
『……。……全く、あなたはいつも、私の論理回路を無視した解を提示します。
……ですが、
その「不純な動機」がなければ、私は今、ここに存在していないのも事実です』
◇◇◇
正午。二人はジャンク屋アスカールを訪れた。
店主のリナは、相変わらず油まみれのオーバーオール姿で、
巨大なエンジンの調整に四苦八苦していた。
「リナ。……これ、受け取れ」
シオンが差し出した琥珀色の封筒。リナは怪訝そうにそれを受け取り、
中身を確認した瞬間、手に持っていたスパナを床に落とした。
「……結婚式!? あんたと、セラが!?」
「ああ。……まあ、色々準備は大変そうだけどよ、お前がいないと始まらねぇだろ?」
リナの瞳が、一瞬だけ揺れた。
かつてカイルと夢見た「本当の空」の下で、目の前の少年——
かつてはただの食いしん坊だったシオンが、誰よりも幸せになろうとしている。
「……あったりまえじゃない!
誰が式の衣装や、会場のギミックを整備すると思ってるのよ!
……おめでとう、シオン。……それから、セラ。あんた、最高の花嫁になりなさいよね」
『……善処します、リナ。……ただし、シオンが式の最中にテリヤキソースで
正装を汚さないよう、監視カメラの増設を推奨しますが』
三人の笑い声が、開け放たれたドアから本物の空へと抜けていく。
しかし、その式の準備が、かつてない波乱の幕開けになることを、
彼らはまだ知らなかった。
結婚式まであと三日。
街はシオンとセラの門出を祝うムードに包まれていた。
だが、その喧騒の裏で、不穏な影が動いていた。
シオンのキッチンカーでテリヤキバーガーを食べた市民たちが、
次々と謎の体調不良を訴え倒れたのだ。
「そんな……! 俺のソースは、セラと一緒に完璧に管理してたはずだ!」
シオンは保健当局の調査を前に立ち尽くした。
そこに現れたグリードが、険しい表情で分析結果を突きつける。
「……シオン、これは食中毒ではない。……ナノマシンによる『味覚神経の強制遮断』だ。
かつての『お袋』が使っていた、感情抑制プログラムの残滓だ」
どうやら、人間の「味覚」や「愛」を不浄なバグとみなす
過激派集団『クリーン・レグナス』が、
シオンの看板メニューにウイルスを混入させたようだった。
◇◇◇
「……やはり、私のせいなのです」
セラは震える手で、謎のメッセージが届いた端末を握りしめた。
【花嫁は、三〇〇年前の罪を覚えているか?】
セラが人間になる過程で、彼女の深層意識には、
かつて管理AIとして「味」や「恋」を切り捨ててきた
何十億人分の「冷徹な論理」がアーカイブとして眠っていた。
犯人は、そのアーカイブをハッキングし、
セラを再び「冷たい機械」に引き戻そうとしているのだ。
「セラ、お前のせいじゃない!あいつらが勝手に……!」
「いいえ、シオン。私が『人間』にならなければ、彼らはこんな過激な行動に出なかった。
……私が存在するだけで、かつての管理を信奉する者たちの憎悪を煽ってしまう」
セラはシオンの温かな手を振り払い、一人、夜の街へと駆け出した。
彼女の脳内には、犯人が指定した座標——かつて自分がシオンと出会った、
あのゴミ捨て場が浮かんでいた。
——その時。
誰にも見えないはずの視界の端で、エラーメッセージが一瞬だけ点滅する。
《REGAIN CORE LINK...》
それは、すでに消えたはずのシステムからの、微かな“呼びかけ”。
そして、セラの耳には届かないはずの声が、確かに囁いた。
——「おかえり、管理者」
最終回まで後3話。
【重要】明日は21:00の更新です。




