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ヒュダトスミュトス  作者: ْ
三幕 大海
18/20

六節

 親友との別れは済ませた。


 きっと、セクアナは夢を叶える事が出来る。


 目を閉じたナイアスの脳裏には、一度も見た事のない海岸でアイテルと共にいる今より少し大人びたセクアナが見えた。


 ただの妄想だろうか? いや、きっといつかの未来だ。


 そのくらいは期待してもいいよね。


 ナイアスは目を開き、手にしていた本を開いた。そこには顔も知らぬ、会った事もない人が紡いだ言葉がある。

  

 生きていた人々。その一人一人が太極(宇宙)を持ち、それを言の葉で紡いだのが本だ。


 本は一つ一つの宇宙に開く窓である。ナイアスはそう感じる。


 明日自分は死んでいく。

 

 自分の、自分の宇宙に窓を開かなかった。開けなかった。


 そういう人もいる。何も自分だけじゃあない。そうナイアスは思う。


 カチャリ、と扉が開いて最後の一人が入室してきた。


 「……馬鹿な事をしたな」


 「そう思う?」


 ナイアスが人身御供となった事の顛末は既に聞き及んでいるのだろう。開口一番にそう言ったアイテルにナイアスは問い返した。


 「馬鹿、と断じるのは俺のエゴだけどな。ナイアスが友の代わりに死ぬ選択をするなんて思わなかった」


 「俺はお前を最後まで見誤っていた。それは正直悔しさがある」


 「そんなに私、冷たく見えたかな?」


 アイテルの言葉に、少し苦味の走る微笑を浮かべてナイアスは言った。


 「冷たいとは思わない、むしろ優しい。そう思っていた」


 むしろ、とアイテルはベッドに座るナイアスの対面の椅子に腰を降ろしながら続けた。


 「冷たいのは俺の方だろう。だからお前の優しさが好きだった」


 「それを言うならアイテルだって優しいよ。確かに甘くないから冷たく感じる人はいるかもだけど」


 「時には厳しくても、冷たくてもその人の為になる事を選択出来るのは優しさだし、強さだよ。むしろ私はそんなアイテルを凄いと思ってたよ」


 例えば、とナイアスを指を立てて続ける。


 「食べるものがなくてお腹を空かせた人がいたとして、アイテルは一時の同情でご飯を恵んでおしまいにはしないでしょう?」


 「うん? あぁなるほど。言わんとする事はわかる」


 そう頷いて、アイテルは答える。


 「どうして腹を空かせてるか原因を聞き、食糧の調達方法。狩りや魚釣りを教えるな」


 「そう、その人がその後も自分でどうにか出来るようにするのが優しさだよ。一時の同情で食事だけ施すのは優しさとは言わないと思う」


 ナイアスの意見にだが、とアイテルは一考する。


 「だが、この場合はどうなんだろうな。友人の変わりに自分が死ぬというのは」


 「甘さではないと思うけど……優しさとも思わないよ。セクアナに余計なもの背負い込ませちゃう事になっちゃったし」


 そう、自嘲するようにナイアスは言った。


 「どうしてだ?」


 そんなナイアスにアイテルは問いかける。


 「どうして、セクアナを助けたんだ? 明確な理由があるんじゃないのか?」


 「明確、と言える程のものではないかも知れないけど、あるよ」


 それは? とアイテルは眼で問いかける。


 「ごく単純に、セクアナには夢があるから。ここで死んじゃうべきではないと思ったの」


 「その為なら自分が死んでもいい、と?」


 「うん、そう言い切るのは難しいかも知れないけど。私もナイアスの夢の向こうを見てみたい」


 「……死んでしまったら見れないじゃないか」


 アイテルは至極当然の指摘をする。


 「そうかな? 私は私が死んでしまった後にも私はいるんじゃないかと思うよ」


 「何故そう思うんだ?」


 「皆心当たりがあると思うんだけど」


 そう前置きして、ナイアスは話す。


 「死んだ人がいなくなるなんて、本当は誰も考えてないと思うんだ」


 「……確かに、生きている人間は死者を思う事は辞めないな」


 「おかしなものだよね。お墓に手を合わせて、何気ない時に死んでいった人が自分を見ている気がする」


 「私も、お父さんとお母さんにふと見られている気がする。二人は今の私を見て、どう思っているだろうって考えてるの」


 「やっぱり、死んだらその人が何処にもいない。なんて皆信じていない。漠然と何処かに存在していると思っている」


 だから、とナイアスは続ける。


 「私は死んでも、セクアナがいつか夢の向こう。一緒に海に連れて行ってくれると信じている」


 「アイテルも忘れないで。いつか行く、そこに私はいるよ」


 「……覚えておくさ、どうせ忘れられない」


 「だが、やはり意外だ。セクアナに道を譲り、自分は死を選ぶなんて。お前がそんなに自己犠牲精神が高いとは思っていなかった」


 その為に選出の儀式に潜り込む事までするなんて、故に見誤っていた。とアイテルは言う。


 「それともセクアナをそんなに思う程の事があったのか?」


 「あったと言えばあった、かな」


 それは? とアイテルが眼で促す。


 「お父さんが死んじゃった後、おばさん達と家に来てくれてね。励ましてくれた」


 「まぁ、たったそれだけなんだけどね。暖かかったなぁ」


 ナイアスはあの時セクアナが握ってくれた手に眼を落として、懐かしそうにそう言った。


 「それだけか、だけどお前にとってはそれだけが大事だったんだろう?」


 「うん、この子の為なら死んでもいいと思えるほど嬉しかったよ」


 「だからって本当に死ぬやつがあるか?」


 「そりゃあ、こんな特殊な事情じゃなきゃ私だって代わりなんてしないよ」


 全く、どうしてこいつはこんな事になってしまったのか。そうアイテルは思う。


 「セクアナには夢がある……本当にそれだけか?」


 「それだけって?」


 「要らない所で身を引いたんじゃないのか?」


 言外に血の繋がりのある身内がいない。そんな事で自分を蔑ろにしたのではないかとアイテルは問いかけていた。


 「……そんな事はないよ。おじさんとおばさんだって私にとっては第二の親だったよ」


 「本当に、実の親がいるセクアナと自分を比べなかったのか?」


 「……」


 ナイアスは返答に窮した。


 「死んだら居なくなるなんて信じていないと言いながら……お前、馬鹿だよ。親不孝者」


 アイテルは天井を見上げながら、ナイアスの矛盾を糾弾した。


 家族がいるセクアナが死ぬより、いない自分が。そういう考えが少しでもなかったと言えるだろうか。


 そう思ったのなら、決して存在しなくなった訳ではない亡き両親と自身をナイアスは蔑ろにしてしまったのだ。


 「アイテルにそれを言われるのは、結構キツイなぁ」


 しょうがないんだろうけど。とナイアスは独言た。


 「これでも結構考えたんだよ」


 一応ナイアスは弁明を計る。


 「結局、この役目は誰がやってもある意味では同じでしょう? テミスの時と同じ。誰がやる事になっても、その人だって死にたくないし、その人を大切に思っている人がいる」


 「誰がやっても、誰が代わりになってもそれは同じ。ただ、私はセクアナがその役目をやる事になったら代わろうと、そう決めていたの」


 「……私は本来、七年前に両親と一緒に死んでいた筈だった。だからそれからの日々は私に与えられた余生」


 そう、微笑して穏やかに語るナイアスに、アイテルはため息を吐いた。


 「そんな風に考えていた事に俺も、誰も、気付けなかった」

 

 「言わなかったからね、誰にも」


 悔やむように言うアイテルにナイアスはあくまで穏やかに応じた。


 「……お前が孤独を抱えていた事、薄々は分かっていた。分かっていて放置しておくべきではなかったと、今悔やんでいる」


 「……ごめんね。でもアイテルが悔やむ事じゃないよ。これは私の問題だったから」


 アイテルは俯き閉口した。二人の間に沈黙が降りる。


 「……ナイアス、俺はお前が」


 「言わないで」


 言いかけたアイテルの唇を伸ばしたナイアスの指が塞いだ。


 「ごめんね。これでも私、神様のお嫁に行かなきゃだから」


 「……そうだった、な」


 想いを伝える言葉も言わせては貰えなかったアイテルは椅子から腰を浮かせ、ナイアスを抱きしめた。


 「……これくらいならいいか?」


 「うん。暖かい」


 「すまない、一人きりで死なせる事になって」


 「ううん。アイテルや皆に、そう想ってもらえただけで幸せだったよ」


 「っつ」


 アイテルはナイアスの腕の中で一筋の涙を溢した。


 「ねぇ、アイテル」


 「なんだ?」


 「私は、いつでも冷静で強いアイテルに憧れていたよ」


 「俺はそんなに強くない」


 「ううん、強いよ。だからセクアナの事お願いね」


 「……」


 「危なっかしいけど、セクアナには夢を叶えて欲しい。だからアイテル、守ってあげて」


 「……あぁ、分かったよ」


 アイテルはそう言って、最後にナイアスを一際強く抱きしめた。


………

……


 深夜、家から出たナイアスを村のみんなが迎えた。


 ナイアスは最後に一人一人に礼を言って別れを告げた。


 既に別れを済ませた養親やセクアナやアイテルも、最後の見送りをしていた。


 そして、ナイアスは最後の旅路の行連(ゆきずれ)となる旅人と並んだ。


 「どうか宜しくお願いします」


 ナイアスは、彼に挨拶すると。先導されて、神域の湖へと短い最後の旅へと出た——

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