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ヒュダトスミュトス  作者: ْ
三幕 大海
16/20

四節

 ——最後の人身御供を捧げる儀式の前夜。  


 ナイアスは豪奢というほどではないが、華美に設えられた衣装に身を包んでいた。


 純白で清純な印象の儀式用の衣装は正に神の花嫁姿と言うに相応しかった。


 彼女は自室で一人、ベッドの上で外の世界の宗教の聖書を開いていた。


 「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります」


 目についた一説を朗読し、ナイアスは瞠目した。そして本を閉じる。


 最後の夜。皆への別れを済ませよう。


 ナイアスは部屋を出た。居間の卓に養母と養父が座っていた。


 「ナイアスちゃん、美しくなったねぇ」


 「あぁ、本当に綺麗だよ、ナイアス」


 暗く沈んだ顔をしていた養親は、それでもナイアスの最後の晴れ着——そして死装束——姿を見て、その匂い立つような美しさに驚嘆の声を上げた。


 元より何処か神秘性を纏った美しい娘のナイアスだったが、こうして衣装と合わせると御伽話の妖精のように可憐で美しかった。


 「おじさん、おばさん、これまで本当にありがとうございました」


 そう言って感謝を示してナイアスは姿勢を正して礼をした。


 「……ナイアス、座りなさい。一緒に話をしよう」


 「はい」


 養父は椅子を勧めて、ナイアスは席に着いた。


 曲がりなりにも、親の役目をしてきたのだ。話したい事もある。伝えたい事もある。伝えなくてはならない事もある。


 「こんなにも美しいから、だから正直言うと私達は残念でならない」


 「そうだねぇ、貴女のこの先の未来が私達は楽しみだったから」


 「ありがとうございます。そして、ごめんなさい。折角私を引き取ってくれたのに、意に添えなくて」


 養親の失意の言葉に、ナイアスはそう改めて礼を言うと共に謝罪した。


 「いや、謝らないちょうだい。こればかりは誰が悪いわけじゃないんだから」


 「そうだ。むしろ、俺達こそナイアスに甘えてばかりで悪かったと思ってる」


 曲がりなりにも親代わりとなったにも関わらず、不甲斐ないと頭を下げる。


 「そんな事ありません。両親を亡くして行き場を無くした私を引き取ってくれた事。ずっと感謝してます」


 「……ナイアス、俺たちはね。子供も出来ず夫婦二人で暮らしてきた」


 ナイアスの返答に、養父が重く口を開いた。


 「正直、私達に子供はいらなかったんだ」


 「あなた」


 「……」


 誤解を招きかねない発言に、妻は思わず声を上げるが、ナイアスは神妙な面持ちで聞いていた。


 「夫婦二人、私達は幸福な日々を過ごしていた。満ち足りていた」


 ゆっくりと養父は語り始めた。


 「夫婦二人で家族も多くなかった事も幸いして、七年前の飢饉も私達は、なんとか乗り切る事が出来た」


 「だけど、独りぼっちになってしまった者達もいた。ナイアス。お前もその1人だ」


 「お前は両親を亡くして独りぼっちで泣いていたな。私達はそれを見て可哀想だと思った」


 「そしてこうも思った。この娘は幸せにならなければならないと」


 「私は思ったよ、この世で一人になって泣いているこの娘に誰よりも笑うようになって欲しいって」


 養父の後を継いで、養母もそう言った。


 「別に俺達に子供が居なかったから子供が欲しくてお前を引き取った訳ではない」


 「ただ、俺達は充分幸せだったから、一人で泣いているお前に少しでもその幸福を分けたかったんだ」


 「血は繋がっていなくとも、それでも家族になれたらいい。そう思った」


 でも、とそこで養父の声は沈んだ。


 「俺たちは上手くやれただろうか? お前に幸福な日々をやれただろうか? お前を笑顔に出来ただろうか?」


 「やはり、ずっとお前に遠慮させてばかりでお前に甘えてばかりではなかっただろうか?」


 「お前との距離感が測りきれず、ずっと家族になりそこねていたのではないか、と後悔がある」


 「すまないねぇ、やはり私達は不甲斐なかったよ」


 懺悔するように吐き出した養親を前に、ナイアスは一つ深く息を吐き、話し始めた。


 「七年前、私は家族を失いひとりぼっちになりました」


 「寄る辺を無くした私は、もう何も残っていませんでした。生きる気力もなく、朽ちていくだけだと、涙も枯れた私は思っていました」


 「でも、そんな私に二人が手を差し伸べてくれました」


 「最初は何の感慨もありませんでした。放っておいて、このまま朽ちて死ぬに任せて欲しいとすら思いました」


 「でも、塞ぎ込む私におじさんは根気よく話しかけてくれました。おばさんは毎夜眠れぬ私を抱きしめてくれました」


 「やっと手に入るようになった食糧でご飯を作って持ってきてくれました。食べる気にならずに手をつけなくても毎日作ってくれました」


 「ある時、持ってきた貰った粥を一匙口にしました。気まぐれ以上の意味もなかったと思います。食欲なんて感じませんでした。喉を通るとも思いません」


 でも、とナイアスは続けた。


 「美味しかったんです。生まれてきて食べたものの中で、あの一匙の粥が一番美味しかったです」


 「あの時私は気が付きました。どんなに悲しくてもお腹は減るのだと。どんなに苦しくて、寂しくても私は生きたがっていたのだと」


 「それから、美味しいご飯を毎日食べさせてもらって、気力のない私の身の回りのお世話をしてくれて、話し相手にもなってくれました」


 「それで、ご飯が美味しい事も、毎日が平穏で楽しい事も、生きているという事は幸福だという事に気付けました」


 「お父さんもお母さんも失って、家族を無くした私にも、また新しい家族に二人がなってくれました」


 「嬉しかったです」


 「だから……ありがとう。お父さん、お母さん」


 その時、引き取られてから初めてナイアスは養親を父母と呼んだ。


 その言葉に養父と養母……ナイアスの第二の両親は涙を流した。


 「すまない……ナイアス。本当なこんな形でお前を失いたくなんてない、すまない」


 「ごめんよ、私達大人が不甲斐ないばかりに……」


 「いいんです。仕方のない事ですし……お父さんとお母さんのおかげで、私は幸せでした」


 ふ、と息を吐いて。ナイアスは天井を見上げて言った。そう言えば夕食がまだだったと。


 「お腹が空きました」


 「さっきも言ったことですけど、どんな時にでもお腹は空くものですね」


 「……ご飯、食べたいです。ここにきたばかりの時に作ってくれたみたいな、美味しいご飯」


 「うん、作るよ、ナイアスちゃん。最近はナイアスちゃんに作ってもらう事が多かったからね。今晩は私が作るよ」


 涙を拭いながらそう言って養母は立ち上がった。


 そうして、彼女は腕によりをかけて料理した。と言っても特別の馳走ではなかった。燕麦の粥。焼き魚。湯掻いた野菜。卵のスープ。カットした果物。普段通りの素朴な、だがナイアスが好きなものを用意した。


 そうして、家族は食卓に着いた。この七年間毎日やってきた普段通りに。だが、今夜限りの家族で囲む食卓。


 ナイアスにとっては最後の晩餐。


 ナイアスは焼き魚から粥と、それぞれ順繰りに一口ずつ食べて嘆息した。


 「……美味しいです。ここにきて最初に食べた一匙のお粥と同じ味がします」


 「生きていて、良かったです」


 そう言ってナイアスを満ち足りたように笑った。


 そこから、三人は普段通りに食べながら話した。今まであった事。これまで苦しかった事。楽しかった事。嬉しかった事。色々話した。


 そしてこれからの事も。


 「二人にお願いがあります」


 ナイアスは言った。


 「私がいなくなった後も、二人で仲良く、幸福に暮らしてほしいです」


 「私が来る前と同じように。私がいた時と同じように。私がいなくなっても同じように幸せでいて下さい」


 「私がいなくなった後でも、いた時と全然変わらないねぇ。って二人で笑い合ってくれたら一番嬉しいです」


 二人はもう涙を流さなかった。


 「約束するよ、ナイアス」


 「分かったよ、ナイアスちゃん」


 「お前が居なくなるのは悲しいが、それでもお前がいた思い出を未来に持っていくよ」


 「そして、貴女がいてくれたから幸せだったねぇ、って二人で言い合うよ」


 そう二人は約束した。そして家族は最後の食事を終えた。


 「これからセクアナちゃん達も来るんだろう?」


 「えぇ、部屋で待ちます」


 そう養母が聞くと、ナイアスはそう応じた。そうして居住まいを正してナイアスは礼をした。


 「お父さん、お母さん、私を愛してくれて、ありがとうございました」


 そう、ナイアスは万感の思いを感謝に込めた——

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