三節
初夏のある日。その夜、毎年その日に行われる卜術の儀式の為に長老方は村の議場に集まっていた。
それは村の神との盟約である、人身御供。その最後に捧げる一人を決める為の儀式であった。
その七年目、最後の人身御供が今決まった。
「あの娘か……」
そう最長老は呟く。その場にいる者達は皆一様に神妙な面持ちをしている。
「でもこれで、最後だ……もうこれで誰も犠牲にならなくて済む」
そのうちの一人がそう呟いた。そう、これで最後。あれから毎年、自分達の娘も同然な若い娘達から誰を差し出すかという身を切るように辛い会合を続けたが、それもこれで終わり。
「それでも、自分達が不甲斐ないせいで、こんな最後まで娘に任せるのが、私ゃ自分が情け無いよ」
毎年毎年忍びない、情け無いと涙する老婆は最後もまた歯を食いしばり涙を滲ませた。
「もうここまでき来たら、いう事はない。私達は外道だ。残りの余生を神に祈り、娘達に詫び続け、死後も地獄で彼女達に詫び続けるしかない」
最後の一人が決まってしまった今、輪の中の一人が覚悟を滲ませてそう言うと、皆頷いた。
「すまないな、皆……」
最長老は無念さを滲ませてそう言った——
………
……
…
翌日、村中に最後の人身御供が発表された。
「え?」
その知らせを聞いた時、セクアナは凍りついた。
恐れていた名前ではなかった。彼女が恐れていたのは自分が最後の一人になるという事であり、その事ばかりに気を取られていた為に他の恐るべき可能性が抜け落ちていた。
「あっ、セクアナ」
その知らせをもたらした村の友人をその場に置いてセクアナは駆け出した。
近くだった為に親友の住む家には二分もかからずにたどり着いた。
「ナイアス!」
セクアナはノックも声かけもせずに、家の扉を開いて親友を呼んだ。不躾だが、そんな配慮が出来る場合ではなかった。
家の中の卓で、ナイアスの養親が二人、項垂れたように俯いて座っていた。ナイアスはそこにはいなかった。
「おじさん、おばさん! ナイアスは!?」
「……あぁ、セクアナちゃん」
セクアナの呼び方にナイアスの養母は思い詰めたような顔をのろのろを上げて応じた。
「ナイアスはいないんですか!?」
「ここにはいないよ……知らせを聞いた後。普段通りに本を持って出かけて行ったんだよ……」
恐らく突然の事で頭の整理がつかず、養親はナイアスとろくに話せていないのだろう。
「何処に行ったんですか!?」
「普段通りの場所でないなら分からないよ……」
それを聞くと挨拶もせずにセクアナは飛び出した。ナイアスは一体何処に? 普段通りの場所でないなら確かに検討もつかない。
普段ナイアスがよく行く場所をまずは探すしかなかった。思い当たるのは図書館、村外れの小川沿、そして神域である湖。
まず図書館に向けてセクアナは走った。やはり駆け足だとあっという間に目的地は見えてくる。
そして丁度図書館から出てくる人影があった。尋ね人ではなかったがその人物を認めてセクアナは声を上げる。
「アイテル!」
「ナイアスは!?」
図書館から出てきたアイテルは普段の平静な態度から想像も出来ない様子でセクアナに問いかけてきた。
「わからない、家には居なくて出かけたって!」
「今、図書館のノートを確認したが今日、本を借りた記帳がされていた」
「ナイアスなの?」
「わからないが、そうかも知れない」
少し二人は考えるように沈黙したが、アイテルが口火を切った。
「他に確認するところは?」
「普段良くいる小川沿か……湖」
二人は顔を見合わせた。何処を確認すべきかは二人の考えは一致しているようであった。
「行こう」
「うん」
そう言って二人は駆け出した。
………
……
…
湖の滸では綺麗な声で童歌が紡がれていた。
その日は雲一つない澄み切った青空だった。いつものように木の下で木漏れ日の中で本に目を落としながらナイアスは童歌を気持ち良さそうに口ずさんでいた。
「ナイアス!」
ザッ、と靴音を響かせて駆けつけてきたセクアナとアイテルがナイアスを見つけて名を呼んだ。
「どうしたの? 二人ともそんなに慌てて」
ナイアスは歌うのをやめて、二人に応じた。
「だって……ナイアス、人身御供に!」
「そうだね」
最後の年の贄に選ばれた少女、ナイアスは普段通りの穏やかな態度がまるで揺らがなかった。
「旅人さんも今朝来たみたいだよ」
終わった後、ちゃんと話を聞くんだよ。とナイアス。
「それどころじゃないだろ! ナイアス!?」
激昂して叫んだのは、意外にもアイテルだった。
「びっくりした、アイテルが怒鳴ったの初めて見たよ」
それでもナイアスはあくまで微笑して応じる。
「ナイアス! 貴女はいいの!?」
「いいのって、何に対して?」
「だから、最後の贄になんて……」
言いながらセクアナの声が尻窄みになる。分かっている。いいとか悪いとかの問題ではないのだ。
「以前話した事あったでしょう? 選ばれちゃったならしょうがないよ。これでも怖くない訳じゃないんだよ?」
「どうにか、ならないのか?」
「それはテミスの時にもやったじゃない」
苦々しくアイテルは言ったが、にべもなく否定される。
他にどう声をかけていいか分からずに二人は何も言えなかった。
「そんなに気を使わないで。可能性があるのは分かっていた事でしょう」
しょうがなく穏やか微笑んでナイアスは二人を諭した。
「セクアナもこの前言ってたじゃない。人間は死んじゃう時は死んじゃうって。それはおかしな事じゃないの。自然なんだよ」
「だけど、何もこんな……」
そういいかけて声が詰まった。しかしそれでもセクアナは口を開く。
「やっと、穏やかな毎日が来て、誰も犠牲にならずにすむのに、どうしてそこにナイアスだけがいないの?」
「どうして、そこにナイアスは行けないの?」
「その毎日をくれた事の感謝を神様に伝えに、私は行くんだよ」
セクアナの訴えに、ナイアスはあくまで穏やかに返す。
ざっ、と何も言えずにいたアイテルが突然背を向けた。
「アイテル!?」
「すまない。今はろくな事が言えそうにない」
そう背を向けたまま言った。
「ただのエゴだが、それでもお前には死んでほしくはなかったよ」
そう言ってアイテルは歩き出した。
「うん、ありがとうアイテル。またね」
歩み去っていくアイテルの背中に、ナイアスは例と再見の声をかける。少なくともこれが最後にはならないと。
「私も同じだよ。ナイアスに死んでほしくない」
この場を去ったアイテルの言葉を継いでセクアナも訴えた。
「お父さんもお母さんも失って。ナイアスばかり失い続けなくてもいいじゃない。せっかく平穏な毎日が来るのに皆んなしてナイアスを置いてくなんて酷いよ!」
「私だけじゃないよ。テミスだってそうじゃない」
ナイアスはそう静かに言った。
「村の皆が幸福な日々の向こうに行けるように、これまでテミス達六人が神様のお嫁に行った。そして私が最後」
「やっぱり……酷いよ」
セクアナは苦々しく言った。
「そもそも、理不尽だよ。食べたくても食べられない毎日に、かと思えば平穏な毎日。私達の未来を理不尽に奪っていく」
「こんな理不尽な世界に、ねぇ、そもそも」
「セクアナ」
言ってはいけない事を言おうとしている事を悟り、ナイアスは静止した。だが、セクアナは止まらなかった。
「そもそも、神様なんているの?」
「いるよ」
到底村人の前では聞かせらない、神の存在を疑う言葉に、ナイアスは即答した。
「セクアナの言う通りだよ。世界は理不尽だよ。自分達の力ではどうにもならない事が沢山この世にはある」
ナイアスは空を仰いで語る。
「だからこそ神様はいるんだよ」
「私達の力ではどうにもならない時、私達は誰もが祈る。自分達を超えた存在がある事を知ってるの」
「生贄、と言えば聞こえは悪いけど。私達がそんな尊い祈りそのものなんだよ、セクアナ」
そう語ったナイアスの面持ちは、神聖な光を帯びていた。
「そんな、理屈じゃないよ。理屈じゃないんだよナイアス」
「そう、理屈じゃないよ。理屈を超えているの」
ただ、嘆きのようなセクアナの言葉に、ナイアスはそう返した。
「なんで……テミスもセクアナも自分が死んじゃうって時にそんな綺麗な顔が出来るの」
ぐすりと滲む涙を指で拭いながらセクアナは言う。ナイアスはこんなに美しかっただろうか? そう思う程、彼女から見て、あの日のテミスも今のセクアナも美しかった。
ただ、その言葉にナイアスは何も言わずに困ったように微笑した。
「いつなの?」
「テミスの時と同じ。明後日の明朝」
「ナイアスはこれからどうするの?」
「いつもとおんなじ。本を読んで、明日皆とお別れ」
「だから、セクアナ」
「また、明日」
光を反射して眩く輝く湖の滸。一つ、風が吹いて、咲き誇る矢車菊が揺れていた——




