第37話:先代
「以前、魔力溜が発生してから人間との争いが始まった時の話は覚えているだろうか?」
「はい」
当時魔王だった魔族は、人間との交渉の席で聖剣によって殺された。人間と魔族の争いは、確かそこから始まった筈だ。
「それ以前は確かに血筋で魔王を決めていた時もあったが、あの魔力溜の出現によって、その方法では駄目になってしまった」
「魔力溜から溢れる魔力を、抑え込める力量が必要になった、という事ですか?」
「もっと正確に言うなら、抑えるというよりも、消費する、という方が近いかな」
「消費……?」
魔力の消費という事は、魔法を使うという事。だが魔王様の周りには濃密な魔力の気配はあるが、火球だとか風だとかそんな魔法の姿は無いが……。
「まさか」
ふと過る、不老不死という言葉。それと、魔王様に治してもらった、火傷。
「回復魔法……?」
「正解」
答えられた生徒を褒めるように、魔王様が私の頭を優しく撫ぜる。
「回復魔法を常に自分にかけ続け、魔力溜の魔力を消費し続ける事で魔獣の発生を抑えている」
「なるほど。だから聖剣以外の攻撃はすぐに完治してしまう」
「それでなくとも、魔力溜からの魔力供給が絶える事もないから、通常の攻撃は防御魔法で弾けてしまう」
「でも、魔力を吸い取る聖剣なら」
「防御魔法は簡単に突き破れるし、聖剣で突けられた傷は、そのまま魔力を奪い続ける。そしてその魔力を奪うスピードは、傷の数が多くなる程に大きくなる。防御も回復も阻害されれば、魔王といえどもただの魔族、という訳だ」
優雅な所作で紅茶を一口飲んで、魔王様は穏やかに微笑む。
「魔力溜が発生してから、魔王の条件として莫大な魔力に飲まれない器と、回復魔法が足されたが、魔族には回復魔法の使い手、というのが中々希少でね」
「それは、人間も同じです。……代々回復魔法を使う一族も居ましたが、ほとんどは突発的に生まれ、回復魔法の所持者だと分かれば国で管理されます」
「人間もそうなのか」
人間達にとっても、回復魔法の使い手は希少だった。
もれなく回復魔法の使い手であると分かれば、ほぼ全てが国の管理下にある教会に所属する事になる。
過去の仲間である僧侶のトールも元は平民の子だったが、当代随一と呼ばれる程の白魔法の使い手として教会内ではそれなりに大物だった。ただ、白魔法の使い手は貴族が多く、トールにとって居心地の悪い場所だったのは間違いない。死ぬかもしれない勇者パーティーに選ばれている辺り、お察しください、というものだ。
「私は元は孤児だったが、偶々回復魔法を扱う事ができて、それなりに魔力も多かった。それを見込まれて、先代魔王様に養子として迎えられた。日々勉強の毎日は退屈だけれど、今思えば楽しかったよ。先代魔王様も随分良くしてくれた」
懐かしむ様な視線で、コバルトブルーの瞳が空を仰ぐ。
「ただ、あの頃はまだ魔力溜についてあまりよく分かっていなかった。回復魔法を自分自身に使い続ける事の結果も、知らなかった」
「それは……不老不死になるという事ですか?」
魔王様は私の言葉に穏やかに微笑むだけで、答えなかった。
「魔族は長命で、長く生きるという事を苦には思わない。でも、先代が魔王位を継いだのはかなりお年を召された後だったから……友人達がこの世を去る中で、一人残される事を嘆かれていた」
人間と魔族の寿命はかなりの差がある。長く生きる苦痛の捉え方は違うだろう。
けれど、親しい人を失う苦しみは、魔族も人間も同じはずだ。
「そこで、私に魔王位を引き継ぎを行おうとしたのだが、それが中々上手く行かなくて。あれやこれやと試行錯誤している内に、聖剣を所持した勇者が現れた」
「……まさか」
「先代魔王様は、一切の抵抗も無く、聖剣によって斬られた。すると、今までの苦戦が嘘のように、魔力溜からの魔力は私へと流れてきた」
魔王様の、コバルトブルーの瞳が閉じられる。
詳しく話してくださった訳では無い。それでも、魔王様の言葉の端々に、先代魔王様への敬愛が滲んでいる。
「魔王様は、その姿を、ご覧になっていたのですか……?」
抵抗無く、という言葉は、見ていたからこそ言える言葉ではないだろうか。
でもそれはあまりにも、あまりにも……。
「引き継ぎさえ上手くできていれば、と何度も考えて自分を憎んだ。そして次に人間を、勇者を恨んだ。もう少し後に来てくれていたら、と」
「魔王様……」
「しかし、何よりも魔力溜という存在が、不幸の原因だと気付いた。だが、気付いた所で、何もできなかった……。どれだけ魔法を使っても魔力が尽きる気配も無く、封じようとすれば溜まった魔力が暴走して魔獣を生み出す。魔力溜を調べて百年経っても光明が見えず、いつしか私も変化の無い日々の中で打破できない現状に諦め始めていた。けれど――」
魔王様の、深い海の底を思わせるコバルトブルーの瞳が、私をまっすぐに見つめる。その瞳にまるで吸い込まれてしまったように、私は視線を逸らす事ができない。
「ベールが聖剣で怪我を負った後、その魂が変質した事を感じ取った。そんな事は、今まで生きてきた中で初めての経験だった」
魔王様の指が、私の頭を撫ぜ、短くなった毛先を辿り、そして頬に触れる。
「私はもう、幾多の年月が流れる中で、何もかも諦め始めていた。先代魔王様と、同じように。でもその私に、一筋の光明が差した」
椅子から腰を浮かせた魔王様の、整った顔が近づいてくる。私はまるで魔法にかかったように、一つも動く事ができない。
「エレノア・ユンカース。そなたは、私の希望の光」
魔王様の、形の整ったその唇が、私の額に押し当てられる。
私は、ハクハクと、打ち上げられた魚のように唇を動かすだけで、声が出せない。
魔王様はゆったりとした動きで椅子に腰かけて、それから穏やかに微笑む。いつものその笑みを見て、停止していた思考が動きだす。
掌で顔を覆うと、口からは言葉にならないうめき声の様なものがでてくる。
そんな私を見て、控えめながらも抑えきれない笑い声が、魔王様から聞こえてきた。
思わず恨めし気な目で見てしまった私を、一体誰が怒れるというのだろうか。




