第36話:庭園
お湯で汗を流し着替えを済ませてから、その間にイリーナにお願いして魔王様との面会の時間を整えてもらい、疲れで鈍る足を動かしながら魔王様の執務室へと向かう。
今はまだ身体のダルさだけだが、明日からは全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げる気配がした。
体力的にまだ訓練に参加するのは早すぎたのかなとため息が零れる。
というより、まさかベールの身体がこれ程貧弱だとは思わなかった。
ベールの魔力は、人間だった頃よりも多い。その分、筋力が下がってる。
もしかしたら、以前のベールは身体機能も魔法で補っていたのかも?
ならば基礎体力の訓練と並行して、身体強化魔法の訓練も必要になるのか……。
今後の訓練計画を練りながら廊下を歩いていたら、いつの間にか魔王様の執務室まで辿り着いていた。
もはや自分の部下よりも見慣れたマルコの部下が、今日も魔王様の執務室前に立っている。
取り次いでもらっている間に廊下の窓から外を眺めていたら、何故か魔王様が出てきた。
「ベールは訓練終わりだろう? 丁度私の仕事も目途がついた所だから、少し休憩にしないか?」
正直に言って疲れは残っているので、二つ返事で頷く。
魔王様はいつものように柔らかく微笑むと、私を先導するように先を歩きだす。
護衛の男も付いてくるのかと思ったが、魔王様に何か頼まれたのか私達とは逆方向に走っていった。
「どちらへ行かれるのですか?」
変な場所には行かないとは思うのだが、あまりに迷いなく突き進むので思わず聞いてしまう。
魔王様は振り返ると、少し眉根を寄せる。
「先日マルコとヴィタリの三人で、庭園でティータイムを過ごしただろう?」
「えぇ、あまり人が来ないので話がしやすいと」
そう言ったのはヴィタリだ。ヴィタリが言うならば間違いないだろうと特に下調べもしなかったが、実際途中で誰も現れなかった。
あんなに美しく手入れされた庭園なのに、何とももったいない話だ。
魔王様は今度は眉尻を下げて、それからそっと掌で口元を隠す。
「その報告を聞いて……誰かと外で飲むお茶は、美味しいのだろうなと思って」
そう言った後に、すぐに踵を返すとスタスタと歩きだす魔王様の後ろを慌てて追いかけながら、先程の表情と言葉を反芻する。
もしかして魔王様……誘って欲しかったのかも?
しかし魔王様の立場は人間で言う国王だ。そう簡単にお茶に誘える相手ではない。
けれど王様と言うと、会う為には何週間も前から予定調整が必要で、しかも確実に会える訳でも無く、断られる事もある。
さらには普段はほぼ玉座の間で踏ん反り返って座っているだけで、政務を行っていたのは事務官達。最終決定を発表するだけな上に、成功すれば自分のもの、失敗すれば部下のもの。
そんな相手と比べたら、魔王様は事務仕事も自分一人で抱え込もうとするし、玉座の間はあるけれど用事が無ければ普段は執務室で仕事をしている。
国王と比べて、かなり距離感は近い。
人間だったらこんな風に、王様からお茶に誘われる事などあり得ないだろう。
そして魔王様も、人間の王様みたいな対応は望んでいないのかもしれない。
少し歩みが遅くなった魔王様の隣に、小走りで駆けよる。
そして隣を見上げれば、魔王様もこちらに視線を向けてくれた。
「次のお茶会の時には、都合が合えば魔王様も参加して下さいますか?」
魔王様は私の言葉に目を瞠り、それからふわりと花が咲くように微笑みを浮かべた。
その顔が何だか幼く見えて、思わず魔王様相手に可愛いなぁなんて思ってしまった。
*
護衛の魔族はティーセットとお茶菓子を運んでくると、話が聞こえない程度に離れた場所で立っている。
せっかくなら一緒にと誘ったのだが、仕事中なのでと辞退されてしまった。
それに対して私と魔王様が酷く残念そうな顔をしたのだろう、護衛はしどろもどろになりながら逃げていったが故の距離感だ。
「前回の時も思いましたが、美しい庭園ですね。あまり人が来ないというのが、もったいなく感じます」
「先代魔王のお気に入りの場所でね。代々専属の庭師が手入れを行ってくれているのだが、そういう関係で近づき難いらしい」
「そうだったのですか? そこまでの事情はヴィタリからは何も聞いてなくて」
「結果的に人があまり来ないという事は変わりないから、理由は省いたのだろう」
魔王様の言葉に、確かにヴィタリらしいと頷いてしまう。
そんな私を見て、魔王様は面白そうに笑った。
しかし先代魔王所縁の場所だったとは。
というか、先代魔王という存在を地下の書庫以外で聞いた事がなかったので、何だか不思議な感じがする。
魔王というと眼の前の魔王様以外に思い浮かばないけれど、確かにこの城には魔王様以外の魔王が以前は暮らしていて……。
そこでふと、疑問が過る。
魔王は不老不死で、聖剣以外での攻撃は効かないとつい先日証明された。
では、先代魔王の死亡原因は聖剣以外にないだろう。
しかし、思い返してみてもこの数百年の間に、人間側が魔王を倒したという記憶は残っていなかったような……?
「どうかしたか?」
黙り込んだ私を、不思議そうに見てくる魔王様のコバルトブルーの瞳を見返す。
もしかして魔王様はもう何百年という長い間を生きているのだろうか。
でもその事を尋ねるのは、何だか躊躇われる。
先代魔王と魔王様の繋がりまでは分からないが、知らぬ中では無いだろう。
その人が亡くなった理由はほぼ聖剣でしかあり得ないので、元人間で勇者パーティーの一員だった私がその辺を聞くのは……。
不意に、魔王様の掌が私の頭の上に置かれた。
いつの間にか落ちていた視線を上げれば、魔王様はニコニコと楽し気に笑って居る。
「ベールは……いや、ユンカース、君は分かりやすいなぁ」
「……それはもしかして馬鹿にされてます?」
「まさか。可愛いなと思ったんだよ」
ヴィタリだったらすかさず当たり前だと言われる所を、予想していなかった返答で返されて思わず固まる。魔王様はそんな私の様子を気にする事なく、ゆっくりと私の頭を撫でる。
「先代魔王は、血の繋がりは無いが、私の育ての親だった」
魔王様の言葉に、思考停止していた頭が慌てて動きだす。しかし何か言おうと口を開いても、何と言っていいのか分からなくて言葉にならない。
「私は元々孤児だった。本当の両親は分からない。だが、魔力は人並み以上にあってね、それを認められて先代魔王様に養子として引き取られた。魔王とは血縁ではなく、実力が一番重要で、それはきっと人間達とは大きく違う所だろう」
魔王様の掌が、私の頭から離れる。
そして少し寂しそうな顔で、昔を思いだすように遠くを見つめながら、ゆっくりと語り出した。




