第38話:完璧
コツコツと、小さな足音を立てながら地下室へと続く階段を下りる。夜という事を差し引いても暗い道なので、壁に設置されている明かりに魔法で火を灯しながら歩いて行く。
ひっそりと佇む頑丈そうな扉を、魔王様から借りた鍵で開けて中へと入る。
部屋の中央にある、圧倒的な魔力を漂わせる穴に近づき、危なげのない距離から覗き込む。どこまでも真っ暗で一寸先も見えない闇は、夜の帳が落ちた城の階段よりも、暗くて深い。
穴から離れて、部屋の隅に置かれた椅子に腰かける。
じっと、魔力溜を見つめる。
たぶん、魔王様が憎んでいるのは、あの穴なのではないだろうか。
人間との争いは、あの穴による副産物。
だから、魔王様は人間との和平に積極的なのだ。人間が悪いわけではない、と考えているから。
全ては、あの魔力溜から発生した悲劇。だから殺し殺された過去があっても、魔王様は人間に寛容になれる。
――でも、それでは人間と和平を結んだ所で、噛みついてくる犬が大人しくなっただけで、根本的な問題は何も解決していない。
もう一度、魔力溜に近づく。
そこから溢れる魔力は天井へと昇り、そしておそらく魔王様の下へと流れている。干渉しようと私の魔力を流すが、流れに飲まれて押し戻されてしまった。
無限の如く湧きだす魔力。誰かが受け止めなければ溜まった魔力が実体となって魔物となり、魔族と人間を襲う。
「こんなの、どう考えたっておかしいじゃない」
魔王様にとって、敵は人間ではない。
本当は、この魔力溜。
でもどれ程の年月が経とうとも、この魔力溜からの魔力が収まる様子は見せなかった。
その事実は、何度、魔王様の心を砕いたのだろう。
「魔力を吸う聖剣が同時に現れた……なら、普通に考えて、魔力溜と聖剣はセットでしょ」
嫌らしい程あからさまに。
聖剣と魔力溜は繋がっている。
ただ、それぞれが人間と魔族の下に別々に現れた、という一点が話をややこしくしている。
「神様っていうのがいるなら、本当に良い性格しているわ」
人間達は、神様という存在が聖剣を授けてくれたと言っていた。悪しき魔族を倒す為に、と。
今ならその馬鹿馬鹿しさが分かる。
実際は、何度魔王を倒そうとが、この魔力溜が消えない限り、次の魔王が現れるか、暴走した魔力溜から魔獣が溢れるかだ。
終わらない争いが、ただただ続くだけ。
「問題は、どうやって聖剣を手に入れるか」
貸して、と言って貸してくれる訳が無い。
生まれ変わった先が元のエレノア・ユンカースだったら……いや、それだと結局この魔力溜と聖剣の繋がりは分からなかった。
人間だった私が、魔族として生き返ったからこそ見えている世界。
なら、それを最大限に生かして、聖剣を手に入れる手段が必ずある。
それこそが、私がイザベラ・ベールとして生き返った理由――。
「何で貴方が、こんな所にいるんですか」
突然かけられた声に、驚き振り返る。
眼鏡の奥にある、不機嫌そうに眇められた緑色の瞳。瞳と同じ色の髪をぐしゃりとかき上げて、それから深いため息を吐きだす。
最近すっかり見慣れた、心底疲れたと言わんばかりのヴィタリの姿だ。
「貴方の魔力で点けられた明かりを辿ってみれば……まさか、何もやってないですよね」
「やってないわよ!」
実際は少し干渉しようとしたが、魔力は弾かれたので何もやっていないのと同じだ。
疑わしそうにじっと見られているのが居心地悪く、兎に角離れようとヴィタリを押して部屋を出る。扉を閉めて鍵をかける手元を、ヴィタリがじっと見つめていた。
「魔王様ですか」
「何か役に立つかもしれないから、とお借りしていたの」
「あの方は貴方を信用し過ぎている気がします」
「どういう意味よ」
「貴方がその身体に入ってから、一体何をやってきたのか思いだして下さい」
「すみませんでした」
私の素直な謝罪に、意外だったのかヴィタリが微かに目を瞠った。だが、流石にイザベラ・ベールとなってから圧倒的に迷惑を掛け続けた自覚はある。
「……本当に何もやってないのですよね?」
「まだやってないわよ!」
「まだ」
余計な一言を言ったようで、ヴィタリの視線に鋭さが増す。私はさっと顔を逸らした。
すると背後から、一つため息が聞こえる。
「それで、何か掴めましたか?」
「掴んだというか、考えたというか」
「何ですか?」
地下室から上がる階段を、ヴィタリと並んで登りながら思う。
「私は、我儘なの」
「……は?」
――人間との和平何かで満足なんて、してやらない。
――完璧で、完全な、終戦。
「だからとりあえず、聖剣を勇者達からパクッてこようかな、って」
人間と和平を結んで合法的に聖剣を手に入れるよりも、手の内が分かっている勇者パーティーから聖剣を奪い取る方が、遥かに簡単な様に感じる。
それに、聖剣という魔王様に唯一対抗できる手段だと、盲目的に信じているものが無くなれば、人間達は魔族と和平を結ぶ他に手段がなくなる。
つまり、聖剣さえ奪ってしまえば一石二鳥というやつだ。
これ以外に、私がベールとして生まれ変わった理由は無い。
自信を持って隣のヴィタリを見上げる。
ヴィタリは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた後、私の顔を見て溜め息を吐くという失礼な態度を見せ、何を思ったのか私の短くなった髪の先を掬った。
「やっぱり貴方は、目を離すととんでもない事をやらかしそうだ」
吐きだされた言葉は相変わらず失礼だったが、その眼鏡の奥の瞳が存外優しいように見えたのは、私の錯覚だったのかもしれない。




