第28話:希望
「ヴィタリはいないのか?」
「ヴィタリには残っている仕事をお願いしています。私は、仕事をするには地理を把握していないと、あまりにも役に立たないなぁと思って」
そう言って手にした詳細地図を持ち上げれば、魔王様は納得したのか一つ頷く。
「ヴィタリには、元からベールは仕事をしていなかったから一人でも問題ないとは言われてはいるのですが、そう言う訳にもいかないですし」
ベールは仕事を全部ヴィタリに押し付け、自由気ままに動いていたらしい。私がベールとして転生してからも、魔王城内がつつがなく回っていたのは、その辺りが大きいだろう。
だから今もヴィタリ一人で何とかなっている所はあるのだが、ベールとして生まれ変わったからには、ヴィタリの言葉に甘えてじゃあよろしく! とお任せできるほど、私の神経は図太くない。
魔王様は私の言葉に柔らかく微笑むと、まるで幼子を褒めるように私の頭を撫でる。
「君は真面目なのだな」
「普通の事だと思いますが……」
釈然としなくて首を傾げれば、魔王様は何が面白かったのか、フフッと隠しきれなかった笑いを零す。じっと見つめれば、誤魔化すような咳払いをしてから、ニコリと微笑む。
「私で良ければ、何か手伝おう」
「でも、息抜きの最中だと」
「君との会話は、良い息抜きになる」
何か釈然としないものを感じつつも、せっかくの魔王様のお言葉に甘えて、魔王領の案内をしてもらう事になった。
まずは北方にある雪山。
山頂は厚い雲を突き破った向こう側にあり、正確にどれくらいの高さがあるかは未知数。
縦にも長いが、横にも長い雪山で、人間領の北側もこの山に覆われている。というか、この島の北側が全てこの島によって埋め尽くされている。
西と南の森は、シュバイツヴァルと呼ばれており、中に入った者は二度と出られないと言われるほどに深い森で、滅多な事では奥まで入らないそうだ。
海への道を開拓しないのかと尋ねたら、今の所必要性を感じていないので放置されているという。人間だったらさっさと木を伐採して開拓を始めそうだが、そう言う所にも魔族と人間の考え方の違いを感じる。
そして東は人間との境界線。人間と共生して居た頃は、交流の為の道などもいくつか整備されていたらしいが、今ではすっかり荒れ果てているそうだ。
確かに人間の頃に魔族領に入る時、獣道の様な所を通ってきた記憶があるので、道が整備されていればだいぶ違うだろうが……今の人間と魔族の状態で道がある方がおかしい。
「そう言えば、魔族と人間は、今戦争状態、という事でいいのでしょうか?」
私の唐突な問いに、魔王様は目を瞬かせると、首を傾げた。
「と言うと?」
「勇者を送り込んでくる程度に殺意はあるのに、かと言って総力戦を仕掛ける程の争いでも無く。ベールとなって魔族の側に立ってみると、何だか人間側の動きが矛盾しているような気がして」
私の言葉に、魔王様は瞼を伏せて考え込む。
「私にも、人間の考えは分からない。一つ言えるのは、我らは人間と戦争をしているつもりはない、という事ぐらいかな」
「それはつまり、魔族が攻めて来ない事を分かったうえで、聖剣を所持できる勇者が見つかったら、魔王様討伐を形だけやっていると?」
「私よりも人間の考えは君の方が詳しそうだから、否定も肯定もできないけれどね」
もし本当に人間側が形だけの魔王様討伐を行っているとしたら、意外と和平は簡単にできるのでは?
「という事は、勇者誕生を判断できる聖剣さえ人間から強奪できれば、人間は魔族への攻撃を辞めるのでは……?」
「確かに一理あるかもしれないが……とてもじゃないが、勇者も聖剣を手放すよな事はしないだろう」
「まぁ、そうですよね……」
人間の頃は、割と簡単に聖剣に触らせて貰えたけれども、魔族となってしまった今は無理だろう。
第一、魔族は聖剣に触る事ができない。
聖剣の刀身は魔族の皮膚を焼く。聖剣に奪われた魔力によって火傷のような状態を引き起こすのだ。
そっと、自分の腹を撫でる。
ベールが聖剣によって受けた傷は、魔王様によってほぼ完治したものの、後はうっすらと残っている。この傷跡は、綺麗に消える事はないだろう。
「私は……どうして生き残れたのでしょうか」
本来、聖剣によって受けた傷は魔族にとって致命傷だ。治らない傷として身体を蝕み続け、いつか息絶える。
だが、この身体は今も不調なく動いている。
「正直、担ぎ込まれてきたベールの傷が、聖剣によって出来たものだというのは分かっていたから、息を吹き返したと聞いた時は本当に驚いた。そうして現れたベールを見て、その魂が変わった事に二度驚かされたよ」
当時を思いだしたのか、魔王様は楽しそうに笑う。それから何かを思いだしたのか、その口元の笑みを深くする。
「そういえば、昨夜は酷く酔ったそうだね?」
「なっ?! 何故それを?!」
「ヴィタリが酷く心配そうにしていたから、何事かと聞いたんだよ」
「心配……というか、激怒されましたが」
あの時の頭痛と吐き気とヴィタリのお説教を思いだして、思わずヴィタリの様に眉間にしわが寄る。
それを見た魔王様は楽しそうに笑って、でもすぐに声のトーンを真面目なものに変えた。
「でも、ベールはお酒には弱くなかった、どころか、ザルだったんだけどね」
「え? それって――」
「もしかしたら、君の魂に引きずられて、その身体にも少し変化があるのかもしれないね」
自分の掌をじっと見つめる。
エレノアとは違う、別人の手。この身に流れる魔力も別物。
だけどもし、本当にこの身体が魔族のイザベラ・ベールと少し変わっていて、聖剣にも触れられたなら――。
「ユンカース」
魔王様の声に、手の平に落としていた視線を上げる。
真剣さを帯びた魔王様のコバルトブルーの瞳が、私を射抜く。
「君が考えている事は分かる。だが、あくまで可能性だ。それに、一度だけの奇跡だった可能性もある。……君に、危険な事をして欲しくは無い」
「魔王様……」
「約束だユンカース。無茶な事はしない、いいね?」
魔王様の瞳に押されるように、こくりと頷く。
――だけど。
もう一度、手の平を見下ろす。
わずかな希望が、この手にあるような気がした。




