第17話:月夜
魔王様には私の正体を明かしてあるので、件の部隊については前世の話も交えたうえで相談できた。
他の者には私の話を伏せ、あくまで報告と勇者の動向を魔王様が考えた上で、という体で進めてもらい、再度の勇者出現に備える対策はできたと思う。
とりあえず問題の一つである勇者に区切りができた所で、無表情でじっとこちらを見据えてくるヴィタリに取り掛かろう。
約束していたので執務室に留まっていたヴィタリに声をかけ、私室に連れてくるまでの間一言も発する事なく、立ち話もなんだからとソファに座らせ、お茶とお菓子を用意しても手を付けず。
のんびりお前と話をするつもりは無い、という全力のアピールかな。
ならば細々経緯なり説明するよりも、ヴィタリが知りたいだろう結論から話した方が良いのかもしれない。
紅茶で喉を潤して、コホンと咳払いする。
「気付いているようだから先に言っておくのだけれど、私は記憶喪失では無いわ」
単刀直入に大事な事を言ったが、ヴィタリに驚く素振りは無い。
まぁ、元々私の記憶喪失を魔王様に怪しいという言うぐらいだから、もうヴィタリの中では確信だったのだろう。
「そして私は、イザベラ・ベールでも無い」
「……は?」
流石にこれは考えていなかったのか、それとも意味が分からなかったのか。
頭の中で言葉を反芻しているのか、ヴィタリが眉をしかめる。それから一つため息を吐きだすと、自分の髪をかき上げた。
どういう結論に達したのか分からないが、ヴィタリの雰囲気に棘が増した気がする。
「魔王様と二人で何を企んでいるのか知りませんが、そんな荒唐無稽な話を私が信じるとでも?」
「残念ながら、貴方が信じるか信じないかは、真実である以上関係ないわ」
「しかしその身体も魔力も、ベール様のもの。例え魔王様であっても、それ程の幻影を作り出せるとは思えません」
「魔王様ができるかどうかは分からないけれど、貴方の言う通り、この身体も魔力も、イザベラ・ベールのものよ」
私の言葉に、ヴィタリの表情がみるみる険しさを増す。
もし誰かにこんな話をされたら、私だって何を言っているのだろうと眉をしかめるだろう。話にならないと会話を切り上げてしまうかもしれない。
しかしヴィタリは私の迷い無い言葉を受け取って、馬鹿にしているのかと怒るでもなく眉を顰めながら考えて、でも結局受け入れがたくてため息混じりに言葉を吐きだす。
「じゃあ、貴方は一体何者だというのです?」
「私はベールの身体にお邪魔させてもらった、エレノア・ユンカースという元人間よ。よろしくね?」
「……はぁ?」
「だから、身体は確かにベールだけれど、中身は別の人間。記憶喪失でもないけれど、私はベールでも無い。もっと簡単に言えば……イザベラ・ベールは死んだのよ」
最後の言葉に、ヴィタリが息を飲むのが分かった。
「そんな話を、信じろと……?」
「信じられなければ魔王様に聞いてみて。私の事情は話してあるし、最初から私とベールの魂が入れ替わった事に気づかれてたみたいだから」
「最初というのは、あの怪我の……」
「そう。聖剣で死にかけた時。あの後意識が戻った時から、ベールとしての記憶は全く無いのに、別の人間の記憶がある状態で、このイザベラ・ベールという魔族の身体に入っていたわ」
ヴィタリは呆然とした表情で、テーブルの上に置かれた冷めた紅茶を見つめた。
確かに、そう簡単に飲みこめる話ではない。すんなり受け止めた魔王様が可笑しいのだ。
それに、いがみ合っていたとはいえ、ベールはヴィタリにとっての姉だ。
その姉が、目の前に居るのに死んでいる、というのは殊更理解しがたいものだろう。
ゆっくりと紅茶を飲みながら、ヴィタリが落ち着くまで静かに待つ。そうすると、どこからか聞こえる誰かの話し声だとか、魔獣の遠吠えだとかが開けた窓から滑り込んでくる。
窓の外へと視線を移せば、丸い月が煌々と輝いていた。
「今夜は満月だったのね」
私の言葉に釣られて、ヴィタリの視線も緩々とした速度で窓へと向けられる。
そしてお互いに、それ以上何を言うでもなく月を眺めていた。
それから少しして、ヴィタリがぽつりと呟く。
「では、貴方が別人だとして、イザベラ・ベールの魂は……? 貴方の元の身体に?」
「私の元の身体ならどうなっていたのか貴方も見ているのよ。エレノア・ユンカース――勇者パーティーにいた魔法使いよ」
私の言葉に、再度ヴィタリは目を見開く。
「じゃあ貴方は勇者の一員だったという事ですか?!」
「そうね」
「魔王様はその事を――」
「知っているわ。知っていて変わらずあの態度なんだから、本当に困っちゃうわよね」
困る、と言いつつも口元が緩んでいるのが自分でも分かって、そっと手で隠す。
「……魔王様が知っているなら、私から言う事はありません。しかし、あの時会ったあの女魔法使い……私の目には、あれがイザベラ・ベールだとは……」
「私も、そう思う」
「ではやはり……イザベラ・ベールは、死んだのですね……」
ヴィタリの言葉が、揺れる。
私はそっとソファから離れて窓辺に立つ。
「そういう気遣いはいりませんよ。これは、貴方の考えているような感情ではありません。ただ、私が倍返しにする前に、勝手に死んだあの女を恨めしく思っているだけです」
「私もただ満月が見たくなっただけで、別に貴方に気を遣ったわけじゃないわ」
窓の外に視線を向けていたから、ヴィタリがどんな表情だったのかは分からない。
言葉通りかもしれないし、本当は違ったのかもしれない。
ただ、不仲だった姉弟が、不仲のまま死に別れてしまった事は、繕えない現実で。
その現実が、ちょっぴり目に染みた。




