イルシュの剣技 その1
初夏の香りを乗せた風が吹く広い庭に木の剣戟音が響き渡る。
ここは村の北西はずれにある「本当の」自警団本部の裏庭である。
広い庭には数々の鍛練用の道具が置いてあり、自警団の若者が様々な鍛練を行っていた。
敷地の隅に小さな家があり、そこが本来の自警団本部なのだが、今となってはほとんど使われることのないモルティ専用の事務所状態になっている。
練習の後に皆で酒場に行って、そこで話すことが多くなったために、いつのまにやら本部というのは「北の山の果実園亭」のことを指すようになってしまった。
ちなみに「小屋」というのが旧本部の愛称なのだが、それは団員全員が入ることができない狭さに由来している。
そんな「裏庭」の柵にキルトランスとレッタとアリアがもたれかかっていた。
キルトランスが村への滞在を許可されて以来、ジャルバ団長の提案でキルトランスは度々自警団の訓練に付き合わされるようになった。
もちろん彼に剣の練習など必要はない。
魔術など使わなくても、その強靭な腕はやすやすと剣を弾き飛ばす力を持っていたからだ。
だがジャルバ団長は、そんな彼と自警団を戦わせることで、団員の実力の底上げを図ろうとしていた。
特にホートライド含む武術に覚えのある団員たちは、キルトランスとの模擬戦を心待ちにしており、日々精進をしている。しかし未だに彼に一太刀を浴びせた者はいない。
またあの日のオレガノ亭でのホートライド戦と異なり、魔術の使用は相変わらず禁じられているものの、飛行の制限がない裏庭ではキルトランスも本来の運動能力を十二分に発揮できる場であり、一層の強さを発揮していた。
当初は難色を示したキルトランスであったが、数こなすうちにだんだんと楽しくなってきたのか、最近では自主的に裏庭に顔を出すようになった。
そしてアリアとレッタも気が向くとキルトランスとともに顔を出すようになった。
だがそれがジャルバの予想を超える効果があり、女が見ているだけでこれほどまでに男どもが真面目に訓練をするようになるとは思っていなかった。
アリアは訓練の一環として小屋で飲み物の準備をするようになり、訓練をしている男たちの喉を潤す役目もやりはじめた。
メイド服の少女に飲み物を入れてもらえる体験など、田舎村の青年には一生縁のなさそうな体験ができるとあり、団員達には好評であった。
もっとも、未だにカップを外して注いでしまったり、溢れてしまったりと未熟な面もあったが、そこは少女の愛嬌である。
そんな自警団の日常に、今日は新たな顔ぶれが加わった。
イルシュ・バラージ軍曹である。
巨乳軍人の噂はあっという間に村中に広がり、自警団の連中にも知られるところとなった。
そのために今日、キルトランスたちが来ると団員たちは色めき立った。
一目見ようと柵に群がる団員達を一喝すると、ジャルバ団長はイルシュに歩み寄って申し出た。
「軍曹サマよ。暇だったらオレたちの訓練に付き合ってくれんかね?」
周囲がどよめく。
「え、やだよ。なんで私がそんなのに付き合わないといけないのさ。」
全力で難色を示すイルシュにジャルバ団長は意外とあっさりと引いた。
「まあ、そのうちでいいからさ。今日は訓練の様子だけでも見てってくれ。」
そう言うと団員たちを解散させて再び訓練に入った。
その様子を四人が何の気なしに見ている。
そよ風は南西から吹き、心地よい湿り気はタタカナルにこれから夏が到来することを告げていた。
アリアとレッタは小屋に飲み物の準備に向かい、キルトランスとイルシュが柵に残された。
柵に胸を乗せてもたれかかりながら、ボーッと訓練の様子を見ていたイルシュがふと顔を上げた。
「アンタさ。人間と戦ったことはある?」
何を言い出したのかと訝しんだキルトランスは慎重に答えた。
「…本気で戦ったことはないが、自警団の奴らと訓練で手合せすることならある。」
なにせ一挙手一投足が監視され、それがどう軍部に報告されるのか分からないのだから、不用意な発言は控えるべきだろうと思ったからだ。
だが諜報部軍曹イルシュにはそんな深遠な考えはなかった。
「そうなんだ…。強い?」
「…相手にならん。未だに一太刀も私に当てられた人間はいない。」
「やっぱ強いのか…。」
何やら考え込むイルシュ。
戦ってみるか?と声をかけようとも思ったが、やはり面倒なので黙っていることにしたキルトランス。好戦的だと思われるのも困るし、そもそも面倒だったからだ。
だがそこにジャルバ団長が近づいてきた。
「どうよ、軍曹さん。我がタタカナル自警団の実力は。」
ジャルバの方に視線を向けずに、半目で若者たちの模擬戦を眺めていたイルシュは気だるげに答えた。
「…弱い。話になんない。」
心無い答えに笑いながら頭をかくジャルバ団長。
「手厳しいなあ。やっぱ正規軍の実力とはくらべものにならねえか?」
「うん、あれじゃ学校の剣技の授業だ。」
淡々と切り捨てるイルシュ。
ちなみに彼女の軍学校の戦闘実技の評価は「B-」であった。それは比較的強い評価であり、陸戦部であれば十分に即戦力として採用されるものだ。
少しだけ得意げな面持ちの彼女の様子を見て、ジャルバ団長はわざとけしかけた。
「見どころのありそうな奴はいるか?」
そう言われると、イルシュはゆっくりと訓練の様子を見渡しながら、適当に指を指していった。
「あのゴツイのと、あの副団長と、あの小さいのと…」
目ぼしい動きの団員を次々と指差す。その中にホートライドも含まれていた。
「さすがだな。オレが目をつけていた奴とほとんど一致してるぜ。」
感心しながらジャルバ団長が顎を撫でる。
「そりゃどうも…。」
やる気なさそうに答えるイルシュ。
「うちの村にはちゃんとした剣技を習った師匠がいないんだよ。だからみんな我流の剣だ。」
「そうだろうね…。みんな動きにムラがありすぎるわ~~ぁ。」
そういいながら背伸びをするイルシュの胸を見ながらジャルバ団長はすかさず切り込む。
「悪いが、あの連中に正規軍の強さってのを教えてもらえねえか?」
イルシュが見下していると踏んだジャルバは、下手に出てみた。そしてその作戦に見事にひっかかるイルシュ。
「え?…えー、そ、そりゃ負けるわけないけどさぁ?」
「そりゃ、正規軍の軍曹サマが田舎の自警団ごときに負けるはずないだろうよ。」
こう言われてしまっては引き下がれない。
それでも渋るイルシュに追い打ちをかける。
「じゃあさ、こいつだったらちょうどいいって奴はどれだ?」
「んー、アイツ。」
そういってイルシュが指差したのはホートライドであった。彼女からしたら、あの中で知ってるのはモルティとホートライドだけだからだ。
「ほう…。」
珍しくキルトランスも声を出した。
事実、キルトランスも自警団の訓練の中で、彼の成長の速さには驚いていた。
元が我流のために荒削りではあったが、対応力・応用力は群を抜いており、手合せのたびに彼の成長を感じられていた。
「おーい、ホートライド!」
「へぇっ?!」
ジャルバ団長が大声でホートライドを呼ぶと、イルシュが驚いて声を出した。
ホートライドは剣の手を止めると、小走りでキルトランスたちのもとに走り寄って来た。
「いやいやいや、別にやるなんて言ってないし!」
慌てて否定するイルシュを無視して勝手に話を進めるジャルバ団長。
「軍曹サマが手合せをしたいそうだ。」
突然の申し出に驚きつつも了承するホートライド。この辺は上下関係の厳しい自警団ならではの風習であろう。
ジャルバは首をふりまくるイルシュを半ば強引に裏庭に引きずり込むと、やおら自分の木刀を彼女に渡した。
そこに飲み物を携えたアリアとレッタが戻ってきた。
「お、なになに?どうしたの?」
興味津々といった感じでキルトランスに尋ねるレッタにキルトランスも興味ありげに答えた。
「今からイルシュがホートライドと模擬戦をやるそうだ。」
「え、本当に?!」
アリアとレッタが驚きの声をあげる。
「おーい!イルシュー!頑張れー!男どもに負けんな!」
レッタが大声で叫ぶと自警団たちが笑った。
戸惑い顔のイルシュがその声に振り向くと、レッタが楽しそうに自分の方を向いて手を振っているのが見えた。
だがその声で覚悟が決まったのか、イルシュの眼鏡が光った。
「お姉さまに頑張れと言われたら、いいとこ見せないとなあ…。」
小さく呟くと木刀を構えるイルシュ。その様子にどよめく自警団員。
そしてホートライドもまた気合が入った。レッタが見ている以上、格好悪いところは見せたくないからだ。
二人が剣を構えると潮が引くように団員たちは、彼女たちから距離を取って囲んだ。
正眼の構えで対峙するホートライドとイルシュ。
アリアは静かにレッタのスカートを握りしめた。
レッタは彼女の腰に静かに手を当てる。
初夏を運ぶ薫風が静まり返った裏庭に木々のざわめきを運んできた。




