増える家族?
レッタに引き止められて転びそうになったイルシュは辛うじて体勢を立て直した。
そしてレッタが指さす門の先を見て意外そうな顔をする。
「あれ?思ったより立派な家じゃん。」
そう言ってオレガノ邸を見渡す。
「てか私、勝手にキルトランスを監視するとか言っちゃってるけど、ご両親の許可とかいらんの?」
その言葉にレッタとホートライドの顔が曇る。キルトランスはアリアの様子を伺った。
それに対してアリアは顔色を変えずに当たり前のように返した。
「私、両親がいないんです。二人とも昔に亡くなって…。だから許可はいらないですよ。」
そう言って笑うアリア。
その言葉を聞いてさすがのイルシュもハッと息を飲んで顔色を変えた。キルトランスは顔色を変えずに何かを考えているようであった。
「ご、ごめん。もしかして古傷抉っちゃった感じ?」
本人としては気を使っているつもりなのかもしれないが、無遠慮きわまる言い方はさして変わっていない。ただ時として、その無遠慮さは下手に気を使われるよりは次善である。
「いえ、昔の話ですし、今はレッタもみなさんもいてくれますから特に困ってはいません。」
気丈に微笑むアリア。
レッタはアリアの肩を抱いて高らかに宣言する。
「今はアタシがアリアのお母さんでお姉ちゃんで…友達だ!」
彼女の言葉の裏にある感情がいかほどのものか、付き合いの短いキルトランスと今日会ったばかりのイルシュには分からない。
ただ二人の間にある絆は、新参者が推し計る事が出来ないほどの強いものだという事だけは理解できる。
キルトランスは初めてレッタに会った時から、彼女が自分を疎んじていた理由も少しは分かった気がした。
ホートライドは何も言わなかった。あの当時のアリアを知っていたからだ。
一行は妙に静かな空気のまま玄関を開いた。
応接室に入るとイルシュはきょろきょろと周囲を見ながらも、レッタに促されるままソファに座った。
アリアとレッタが共に座り、ホートライドとイルシュが共に座る形となった。
キルトランスはいつも通りの自分の椅子に座っている。
当初はキルトランスを注視していたイルシュもすでに慣れたのか、彼の方を特段意識しているようには見えない。本当に監視目的なのかと疑うほどだ。
そしてホートライドが隣に座ってしばらくすると、妙にチラチラと彼の方を見て気にしているようである。
「イルシュ、どうしたの?」
レッタが尋ねると彼女は少し恥ずかしそうに答える。
「いやぁ、なんか隣にホートライドさんが座ってるのが恥ずかしくて…。」
「「は?」」
ホートライドとレッタの声が被る。二つの意味でそんな答えが返ってくるとは思いもよらなかったからだ。
一つはイルシュがホートライドを意識している事。軍人である以上、男に囲まれる職場なのだから、当然男慣れはしているものだと思っていた。
そしてもう一つはイルシュの今までの言動からして、男に対しての羞恥心があるとは思っていなかった事だ。
「あ、すみません。邪魔なら俺はどきます。」
真顔で席を立つホートライド。
「いや、そう言う意味じゃないし!」
慌てて繕おうとするイルシュ。
その朴念仁ぷりをため息をつきながらやれやれと笑うレッタ。
「…まったくホートライドは人の心が分からないのね。」
この中で一番人の心が分かっていないのはレッタであろう。ホートライドの心が分かっていればこんな酷い仕打ちは出来ない。現に彼の苦虫を噛み潰したような表情を見れば分かるであろう。
そんな一方通行の痴話喧嘩の中、ずっと静かにしていたアリアがレッタの手を握って控えめに頼んだ。
「ごめんなさい、レッタ。ホートライドさんとイルシュさんと一緒にお買い物に行ってもらえる?」
それを聞いたレッタはまじまじと彼女の顔を見つめると、チラリとキルトランスの方を向いて、それから黙ってうなずいた。
「よーし。じゃ、また増えたお客さんのために買い物に行こうかな。」
そう言って立ち上がると廊下の方に向かう。なぜその察しの良さがホートライドには向けられないのかが謎である。
「ほら、イルシュも一緒に来てよ。」
そう言って手招きするとイルシュは条件反射のように立ち上がった。
「え、でも私はこいつの監視と言う仕事が…!」
それまで一切キルトランスを気にしていない様子だったが、突然仕事を言い訳にする。
しかしそこはレッタ。ちゃんと対応を考えてあった。
「でも今日初めて会ったんだから、食べ物の好き嫌いとか分からないの。一緒に来ないと嫌いな物買ってきちゃうかもね。」
そう言って意地悪な瞳でイルシュを見つめると、彼女は慌てて後を追う。
「それはイヤだ!ぜひともお供させてください!!」
キルトランスは思った。本当にこいつは諜報を専門とする軍人なのだろうか、と。
もちろん自分も偵察や諜報に向いていない性格でありながら、長老の命を受けアルビに偵察に来ているのだが、ここまで不安にさせる要素は無いはずだ。
そしてレッタはどうしたものかと迷っているホートライドにも一声。
「ちょっと、アンタも手伝いなさいよ。女の子二人に重い荷物持たせるつもり?」
その言葉で一も二もなくレッタの後に着くホートライド。
だがホートライドは分かった。これは何かの理由でアリアとキルトランスを二人っきりにするための方便だと。
なぜならレッタはアリアと一緒にいる時に、女であることを振りかざして弱さをアピールする事は、ほとんど無いからである。
先ほど外でレッタが宣言した言葉に含まれていなかった、「父親」の代わりも彼女が引き受けているのだ。
アリアの前であればどんな時でも気丈に振る舞うレッタに、彼は尊敬の念を感じつつも少しの嫉妬を禁じ得なかった。
もちろん彼自身、アリアの事は好意的に見ている。
しかし彼女がいる以上、これから先もレッタが自分を含めて周りの男に目を向けないであろう事は予想に難くない。
ホートライドは廊下に出る時に、部屋に残るアリアの後姿を見て、少しだけ複雑な想いを抱いた。
三人の声が廊下の向こうに消えると、応接室に静寂が訪れた。
もちろん三日に一度は静寂の日が訪れるのだが、今日の騒動を経ると、今、この静寂がなんだか久しぶりのものにも感じる。
アリアはその空気をゆっくりと吸い込むと、全身で愛おしい静寂を楽しんだ。
そして少しだけ笑った。
「なんだか急に静かになりましたね。」
それに対して静かに返事をするキルトランス。
「…先ほどの事…か?」
アリアは少し驚いたように目を開いたが、すぐに閉じて微笑んだ。その笑みは安堵からのものであろう。
「さすがはキルトランス様。分かってらっしゃったのですね。」
キルトランスが黙っていると、アリアは少し何かを考えていたようだが意を決してゆっくりと口を開き始めた。
「私の両親の事なんですけど…。」




