腰抜けイルシュ
「なに…これ…?」
震える声でイルシュが呟く。
その声は幽鬼のように生気が無く、おおよそ軍服を着た人間のそれとは思えなかった。
「なんだ…これ…意味わかんねえし…。」
彼女の声に、周りのみんなが様子を伺うように覗きこんでいる。
先ほどまで命すら危惧するほどの恐慌状態だった少女が、徐々に瞳に生気を宿し始めているのを見て一安心する一行。
「なんでドラゴンが普通に話してんの…。」
「しかも誰も驚いてねえし…。」
彼女の言葉でお互いに顔を見合わせる面々。だが次第にその顔に笑みが浮かんでくる。
ジャルバ団長が彼女の前に腰を下ろし、子供を諭すように話した。
「ま、初めて見たらビビってもしょうがねえよな。安心しろ、オレ達も初めて会った時は村人全員がビビりまくってたから。」
そう言って笑う。そしてふと真顔に戻って
「そういや、一人だけビビッてなかった子がいたな。」
と言って再び笑った。
キルトランスがそれを聞いて「それはもしやエアリアーナの事か?」と尋ねた。それに肯くジャルバ。
(別に驚いていなかった訳ではないが、あの時の恐怖はどちらかと言えば、村人たちへの恐怖だったと思うのだが…。)
当時の彼女の気持ちを聞いていたキルトランスは思ったが、それを口に出すのはやめておいた。
「べ、別にビビッてねーし!」
バカにされたと思ったイルシュは慌てて否定するが、説得力皆無とはまさにこの状況の事であろう。だがその気概だけは汲んだジャルバはあえて反論はしなかった。
「そっか。じゃ、とりあえず立てるか?」
そう言って手を差し伸べるがイルシュはそれを振り払った。
「うるさい!田舎もんの助けなんか借りない!」
威勢よく怒鳴る彼女を見て、手を振り払われたジャルバは手をひらひらさせて笑った。
「そいつは済まなかったな。」
そう言って立ち上がる。
目の前に立ち上がるとジャルバの身長も高く、まるで見下されるような格好になった。イルシュがそれに耐えられるはずもなく、立ち上がろうとする。
「よい…あれ…?」
彼女は不意に我に返る。そして何か手をバタバタとさせて慌てはじめた。
「うーん!ふん!!はあっ!!」
何かをしようとしている彼女を、ジャルバはニヤニヤと眺めている。
イルシュは完全に腰を抜かしていたのだ。
そのために下半身に全く力が入らない状態でへたり込んでいた。そしてジャルバ団長はそれをすでに分かっていてからかっていたのだ。
曲がりなりにも自警団団長なのだ。それなりの修羅場はくぐってきているし、新米の自警団員が初めて魔獣と対峙した時の様子もたくさん見てきた。
彼自身は一度も腰を抜かした事はないが、それでも足が震えて上手く歩けなかった体験だって無かったわけではない。
だからこそ、彼女を嘲る事は言わなかったし、同情の気持ちもあった。
ここで手を貸さずに、自力で立てるようになるのも彼女の為だろうと思って待つことにした。
ところが、目の前の少女は予想外の思考回路であった。
「ま、まさかお前…怪しげな魔術で私を拘束したな!!」
そう叫んでキルトランスの方をビシッ!と指さした。
「は?」
思わず素で応えるキルトランス。周りも同じような顔をしている。
立ち上がって砂を払っていたホートライドが真面目に尋ねる。
「キルトランス。そんな魔術があるのか?」
そしてそれに対して真面目に答えるキルトランス。
「ふむ…まあ、無くはないな。」
「ほ、ほらやっぱり!」
それ見た事かと、なぜか得意げに胸を張る目の前の軍人。
「無くはないが、お前には何もしていないぞ。」
そうきっぱりと言い切るドラゴンに慌てるイルシュ。
「そ、そんなはずはない!じゃあどうして私が動けないんだ?!」
慌てて否定するが、むしろキルトランスの方が聞きたいくらいである。なぜなら、彼も腰を抜かしたことがないから、彼女の状態が分からないのだ。
その時、ジャルバが優しく彼女の頭を叩いて教えてあげた。
「お前さんはな、今、腰を抜かしているんだぜ?」
その言葉を聞くと、イルシュは一瞬何を言っているか理解できない顔をした。
そして徐々にその言葉の意味を理解し始めて、怒りと羞恥に赤面した。だが声に先ほどまでの勢いはない。
「そ、そんな…馬鹿な…ことがあるか…。わ、私は帝国軍人だぞ…。ドラゴンごときに驚いて腰を抜かすなんて…ありえないだろ…。」
涙目になりながらも必死で言葉を紡ぐイルシュ。そんな彼女を優しく撫でてあげるジャルバ。今度はその手を振り払われる事はなかった。
その時、ようやくアリアとレッタが服を着終って脱衣所から出てきた。
「なんかさっきから大騒ぎだったけど、もう落ち着いたの?」
風呂上がりで長い髪を後ろでポニーテールにしているレッタ。
「あの…みなさん大丈夫でしょうか?」
レッタにタオルで髪を上げて包んでいるアリア。風呂上りは毎度この髪形になるのだが、いつもと雰囲気が変わる二人をキルトランスは面白く思っていた。
アリアの手を取りながらイルシュの前にしゃがみ込むレッタ。レッタに場所をゆずるジャルバ団長。こういう時は女同士の方がいいと思ったのだろう。
「まあさ、恥ずかしいのは分かるけど、今ここで意地張っててもしょうがないからさ。とりあえずどこか行こうか。ね?」
彼女の良い香りがイルシュの鼻をくすぐる。
そう言ってレッタがにっこりと笑うと、イルシュは一瞬惚けたような顔をしたが、慌てて涙をこすってごまかした。
「…わかったよ…。」
恥ずかしそうな、少し拗ねたような声で下を向くイルシュ。
「ほら、ジャルバ団長。この子を背負ってあげてよ。」
「え、何でオレ?!」
突然話を振られて驚く団長。
「アタシが背負って歩けるわけないでしょ!それにアリアもいるんだし。」
呆れたように怒るレッタ。
確かに言われてみればそうかもしれない、と考えたジャルバはイルシュの前に立つと、しゃがんで背中を向けた。
「ほらよ。乗れるか?」
だが、その言葉にイルシュは首を振ると、スッと指をさして言った。
「…あっちがいい。」
指をさした先にはホートライドがいた。
固まるジャルバ。これではあまりにも彼の立つ瀬がない。
固まるホートライド。今までの話の流れから、自分がレッタに命令される可能性は少しは考えていたが、よもや初対面の軍人少女から指名をされるとは思ってなかったからだ。 レッタもしばらくきょとんとしていたが、突然笑い出すと
「あはは、ホートライド、モテて良かったね~!じゃ任せたから、ヨロシク!」
と言ってウインクしながら敬礼をした。
結局色々すったもんだがありつつも、最終的には以下のように落ち着いたのだった。
イルシュを背中に乗せるホートライド。
イルシュの馬の手綱を引きながら、自分の馬に乗るジャルバ団長。
その隣をキルトランスが歩き、アリアとレッタはいつも通りに一緒に歩ことになった。 目的地は協議の結果、自警団本部つまり北の山の果実園亭。
背中にイルシュの胸の弾力を感じながらも、その視線はレッタの方を恨めしく見ているホートライド。
ゆっくりと歩む馬から振り落とされないように、ホートライドの背中にしがみつきつつも、五人の様子を観察するイルシュ。
そして状況を意に介さず手をつなぎ歩くアリアとレッタ。
ジャルバは自分の馬にのりつつ、イルシュの馬の手綱を引いて、キルトランスはそれと一緒に歩く。
なんとも不思議な一団は村の中心部へを歩いていった。
結果的には普通に出会うよりも衝撃的な出会いをした事によって、イルシュはドラゴンが目の前に普通にいるという事実を、他の村人たちよりもすんなりと受け入れられたのかもしれない。




