眼鏡で馬鹿で軍人で
「はあ…やっと見えてきた。」
小さな森を抜けて、少し小高い丘を越えると、視界の向こうにタタカナルの村の影が見えてくる。
心の底から疲れたようなため息を吐いて彼女は肩を落とした。
「だいたい、なんで魔物の偵察が私一人なんだよ…。」
馬に乗る女性は、年の頃で言えばアリアたちと同じくらいであろうか。
「そんなもん帝都聖騎士団の仕事だろう…。」
馬上の彼女は厳めしいラクメヴィア帝国正規軍の軍服を着ているが、その身長の小ささが悪目立ちをして妙に「ちんちくりん」に見える。
「もし本当にドラゴンがいたら、見つかった瞬間に死ぬじゃん…。」
この時代には珍しい眼鏡をかけており、彼女が金持ちの家庭である事が想像できる。
「駐屯隊の連中、絶対私一人くらいなら死んでもいいて思ってるだろ…。」
駐屯隊とは国境都市ミナレバに駐在する正規軍で、隣国ガヴィーターからの侵攻を見張るための部隊である。
「この仕事って、手柄になるのかなぁ…。」
中央で採用された新人の軍人で幹部候補生の一人である彼女は、新人の恒例行事である周辺地域への派遣期間中であった。
「もし私が偵察で死んだら、誰も報告する人いないじゃん。あいつらバカじゃないの?」
言っている事は至極最もである。通常の敵の偵察であれば三人一組で行う。
だが、今回の偵察は「魔族」であり「噂」でしかないので、通常の偵察業務には含まれないのだろう。
しかも、その噂が流れたあともタタカナルからの隊商が到着したという報告もあり、真偽のほどが怪しい噂なのだ。
「早くイルラティオに戻って事務仕事で一生楽に暮らしたい…。」
それにしてもこの女、先ほどから一人で愚痴ばかりである。
馬を一旦止めて、少し村の様子を見る彼女の額には汗が流れていた。
快晴の平原は夏が近くなり昼間はそれなりに暑く、軍服でいるには少々辛いものがある。
「…村に着くまではいいか、どうせ全滅してたら見る人いないし…。」
彼女はそう言うと、軍服の胸元のボタンを全て外した。
小柄な彼女からは想像もつかない豊かな胸が、窮屈そうな服の間からこぼれ出る。
「はー…涼し…。」
胸元の空いたシャツをパタパタと扇いで中に風を送る。
「まあ…行きますか…。」
そうやる気なさそうに呟いて馬の腹を蹴る女。彼女のやる気を受けたように、トボトボと歩き始める馬。
彼女の名はイルシュ・バラージ。
帝国の軍人家系バラージ家に生まれた七人家族の三女であり、中尉の父親のコネで諜報課に配属されたお飾り軍人である。
ラクメヴィア帝国はこの時代にしては珍しく、陸戦部に女性兵士を導入しており、軍人家系に生まれた者は女であろうとも、何らかの課に配属されるのが普通とされていた。
イルシュも例に倣って軍に配属されたが、いかんせん本人のやる気が無さすぎて、有閑部署をたらいまわしにされている状態であった。
昨日「例の話題」が出た会議で、部隊長が偵察の派遣を提案したところ、諜報部員の間でじゃんけんで決めることになり、見事にパーで負けて派遣される運びとなった。
この事からも、帝国軍が征服地の辺境村をいかに軽んじているかが解り、モルティ副団長の言っていたことが正しいと分かろうものだ。
緩慢な歩みと共に村が近づいてくると、ゆるやかな鐘の音が聞こえてきた。
村に近づく者を発見した合図であろう。それを聞いたイルシュは再び一人で毒づく。
「なんだよも~、普通に村人いるじゃん…。やっぱあの噂はガセじゃねーか。」
元々やる気のない表情をさらに緩ませて、馬の首に倒れ掛かるイルシュ。彼女の豊満な胸が馬の首に押し付けられて形を歪めた。
「もう帰ろうかなぁ…。でもなんか報告っぽいことしないと怒られそうだし…。」
このやる気のなさはむしろ帝国軍が心配になるほどである。もし全軍の一割が彼女だったとしたら、帝国の未来は暗いものであろう。
「ま、一応村長に挨拶して一筆もらって…。あんな田舎でも風呂くらいあるっしょ。一風呂浴びてなんか美味しいもん食べて帰ろ!」
風呂と食事を想像して多少のやる気が出た彼女は、軍服の前を頑張って閉めて馬の腹を蹴った。
馬は少しだけ歩みを速めた。
イルシュはこの時、彼女自身もドラゴンという魔世界の住人を見た事がないのだから致しかたないのではあるが、ドラゴンの想像を勘違いしていた。
てっきり遠くから見て分かるほどの巨大魔獣が暴れまわっているかもしれないと思っていたのだ。
櫓が近くなると再び鐘が鳴らされ、来訪者が軍服であることに気が付いた自警団たちが、慌てて櫓を降りて彼女を迎えた。
「出迎えご苦労!」
胸を反らし威張りながら、さながら凱旋のように村の入口に着いた彼女。
しかしながら自警団員たちの視線は、彼女のその大きな胸に注がれている。
(はぁ、またか…)とは思ったが、その手の視線に慣れきった彼女は無視して話を続けた。
「私は帝国陸戦部・第三方面部隊・第二諜報課のイルシュ・バラージ軍曹である!」
そう言って眼鏡をクイッと上げた。
彼女が胸をはった理由はもう一つあった。それは彼女の胸元に付けられている階級章を見せるためだ。とは言ってもこんな田舎でその階級章がどれほど認知されているかは怪しいものであったが。
それでも効果はあったようで、田舎の自警団は慌てて彼らなりの敬礼で返す。それに対して正規軍式の敬礼で返すイルシュ。
「命あって、この村の視察に来た。入らせてもらうぞ。」
そう言って馬上から見下す彼女に気圧されたのか、自警団員たちは無言で肯いた。
イルシュはドラゴンの噂の事は言わなかった。帝国軍人たるものが市井の嘘に騙されて、こんな辺境までのこのこと来たなどと思われたくはなかったからだ。
「村の案内をいたしましょうか?」
金髪の若者が一歩前に出て進言する。中々の好青年の風貌にイルシュは少し目が泳いだがあえて否定した。
「結構だ。自由に見て回らせてもらう。一通り見て問題がなければ帰らせてもらうから手出しは無用だ。」
歓迎してくれるのも結構なのだが、逆に言えば常に監視が付きまとうようで気に食わなかったし、そもそも監視がいたら食事や風呂が自由に入れないではないか。
そのような思惑から彼女が同行を拒んだとは誰にも分からないであろう。
敬礼を返して再び馬の腹を蹴ると、彼女はゆっくりと村の中へ歩みを進めた。
残された自警団たちは、予定外の来訪者にしばし呆気にとられていたが、金髪の青年は我に返ると馬に飛び乗って走り出した。
彼女の進む道を避けて別の道から自警団本部へ。
その青年はもちろんホートライドであった。




