9話──チャンバラ
「えっとね、あの……あれ! あれがいい!」
「あれ……? それって、どれのことかな? 僕思い浮かばなくて、ブリュームが良ければ教えて欲しいな」
「あれはね、鬼ごっこのことだよ? お兄さんと鬼ごっこしたいの!」
「鬼ごっこ?」
「うん!」
アスモは他三人の表情を見る。嫌な顔をしている子はおらず、それどころかその手があったかと、ワクワクしたような顔になっている。どうやら次の遊びは鬼ごっこで確定したようだ。
「じゃあー、誰が鬼になるのー?」
「じゃあおれがやりたい!!」
腰にチャンバラ剣を携えたウィングが勢いよく手を挙げ、そのことに対して誰も首を振らなかっため、ウィングが鬼となった。
「数えるからな! ──いち!に!さん!」
三十秒間の待機時間後にウィングがみんなを探しに行くという決まりになり、ウィングが数え始めると、ピニオンとエイルロンとブリューム、そしてアスモがそれぞれ村中に散開した。
途中、ウィングの親と目が合い、軽く会釈をしながら村の中心の小さな川に架かる橋を超えていく。
(どれくらい手加減すれば違和感無いか……。最後から二番目くらいに捕まるのが一番良いのかな)
アスモはフォラスの家の陰に身を潜め、顔だけ出して村の中心の木の前で目を瞑って数を数え続けるウィングを見守っていた。すぐにバレても、子どもの身体能力とアスモの身体能力は大きな差があるだろう。
手加減せず、本気で逃げ回るのは子どもたちにとって面白くない。だが、あからさまな手加減もつまらない。
だから丁度いいタイミングで、疲労という言い訳で捕まれば良いだろうと。仮に疲労という言い訳を疑われても、子どもたちはアスモの筋肉痛で万全な状態じゃないから捕まっちゃったと説明すれば納得してくれるだろうとアスモは考えた。
「……っ」
風向きで、顔を上げて走り出したウィングの靴が散らす微かな砂埃が、アスモの元まで流れてくる。
鞘から抜かれたウィングの剣が、金属の特有の輝きを放つ。
きらりと夕日を反射させ、一瞬アスモの瞳に煌めいた。
子どもたちの和気あいあいとした声。優しい目で見守る大人。明るい日差し。心地良い風。
笑顔で笑い声を上げながら逃げるブリューム。剣を掲げて追いかけるウィング。
──小さな身体が切り裂かれ、そして噴き出る血飛沫。
「ぁ……?」
それはブリュームから出た血の飛沫。ウィングが腰に携えていたはずの、チャンバラ用の致死性の無い玩具の剣だと思っていた物。それがブリュームの背を切り裂き、血と命を抜き取る。
悲鳴の無い、無言の死。地面に倒れる音と……そして、ウィングの笑い声が風に吹かれて流れていく。
どう言い表せばいいのかもわからない。アスモの心情は、ブリュームが倒れ、動かなくなる光景を目にした瞬間から崩壊を始めていた。
血。赤い。赤い液体。……血。
「……ッ!?」
──死。
ありえない。なぜこうなったのか、なんでこんなことになったのか、アスモには一切理解できない。
ただ、殺し、殺されがあったという事実のみ。視界に映る情報が、嘘だと願うアスモを真っ向から否定する。
(死ん、だ? なんで? 殺した? ブリュームは殺された? 動かない。死んだ……? なんでころ……ウィングは殺して……? 憎んでた? 殺したいって思う動機があって、ずっと剣を持ってた? なんで? なんで今殺した? 目撃した俺も標的になる……の、か? 俺も狙われる? 殺される? 逃げッ……でもバレたら……隠れていた方が──)
少女の死を目撃したアスモは、身体を動かせず、声も出せない。極限の緊張状態に置かれ、逃げ出せず、助けも求められず、物陰に身を潜めるだけ。
「ッ……」
ブリュームが殺された場所は村の中心に生えている木の付近。その死体は放置されているため、誰かしらが気付いてくれるはずだ。フォラスか、アラディアか、もしかしたら他の子どもたちが告げ口してくれているかもしない。
もしフォラスが気付いてくれれば、その身体能力でなんとかしてくれるかもしれない。そんな希望を持ちつつ、アスモは身体の震えをどうにか抑えようと、音を立てないように静かに息を整えようとしつつ、俯いて目を瞑って、恐怖から逃れようとした。
再び、走る音が聞こえた。エイルロンかピニオンか、どちらかの楽しそうな声が聞こえる。彼らはまだブリュームが死んだことに気付いていないのか。
「ブリューム捕まえたー!」
ウィングの元気の良い声が聞こえてくる。
捕まえたじゃない。殺した、の間違いなのでは?
そんな疑問も生まれるが、それよりもアスモに降りかかるのは恐怖。命が消える光景を目にしたこと。一切恐怖無く殺されたブリュームと、躊躇無く楽しそうに殺したウィング。少女も少年も、アスモには全く理解できない。
死にたくない。
殺されたくない。
生物に備わる根本的な生存本能が、アスモの身体を強く縛り付けた。
笑い声と、足音と、己の心音。その三つ以外が排除されていた。しかし、アスモは恐怖から逃れるために、一切の情報を断とうと耳まで塞いだ。
命を懸けた鬼ごっこから逃れるためにただただ身を縮め続けた。
「ッ……」
やがて太陽が沈みきり、月明かりが世界を包んだ。しかしアスモは気付かない。
「……」
月が最も上がりきり、そして落ち始めてもアスモは気付けない。
「……」
少しずつ、空に白が溶け込み始める。地平線から段々と明るくなり、視力が活躍し始める。だがアスモには関係無い。
「…………」
ずっと同じ姿勢を取り続けたアスモの身体がほんの少しの痺れと痛みを訴えていた。極度の緊張が続き、アスモの脳内には多量のアドレナリンが分泌されていた。それにより情報処理能力が向上。しかし思考を止めたアスモには意味が無い。
体感時間が短縮されているだけ。
「………………?」
瞼を貫通する光。いつの間にか、真っ暗だった瞼の裏が少し赤み帯びていた。
そして──
「ッ──!!」
誰かが肩に触れた。
心臓が跳ね、首筋に痛みを覚えるほどに硬直する。ギュッと拳を握り締め、一ミリほど伸びた爪を手のひらに食い込ませた。
このまま目を瞑り続けて、最後を迎えてしまいたい。そんな気持ちがある一方で、何も知らずに死ぬより最後くらいは世界を見て終わりたい。次に繋げたい。そんな気持ちも浮かぶ。
刹那の思考時間で、その二つを天秤に掛けたアスモは、選択する。
「──ねぇ。ねぇねぇお兄さん」
「は……?」
決死の覚悟でゆっくり目を開き、耳を塞いでいた手も緩めた時、肩を叩いた者の声がウィングではないことに気付いた。
パッと声を判断できるほど交流は深められていないアスモでも一瞬でそう判断できたのは、その声が少年のものでは無かったから。ウィングでもエイルロンでもピニオンでも無く、声に幼さが感じられるところから大人たちも当てはまらない。そしてアスモのことをお兄さんと呼ぶ。
思い当たるのは一人だけだった。しかし当てはまらない。だって彼女は既に居ないはずなのだから。
「……ッ」
だがもうアスモは既に選択しているのだ。
はっきり視認できるようになっていた地面から、少しずつ視線を上に移していく。見覚えのある白い靴。靴下、ピンクの可愛いスカート──
「ブリューム……?」
「うんそうだよ! お兄さんそこでなにしてるの? もしかしてかくれんぼ!?」
「──」
──何故ブリュームが生きているのか。ウィングに殺されたはずなのではないか。ならウィングはどこに行ったのか。エイルロンとピニオンはどうなったのか。そもそも目の前にいるブリュームは本当にブリュームなのだろうか。フォラスたちはウィングの殺人を知っているのか。それとも……あれは全て妄想だったか、夢だったか。今、夢を見ているのか。
順に順に考えても、納得できる答えに辿り着けない。都合良く解釈することしか道が無い。
「お兄さん?」
「わからん──」
──きっと夢だったんだ。そうだ。初めて、夢を見れたんだ。
「──お兄さん? どうしたの? あれ……?」
崩れ、ゴツンと地面に頭を打ち付けて倒れたアスモの身体を揺すり、反応が無いことに気付いたブリュームは母親の元へと向かって駆け出していった。
「ままー!」




