10話──現実
ブラックアウト。
死の危機が去ったことによる、極度の緊張からの唐突の弛緩。長時間同じ姿勢の状態からの動作。理解の及ばない状況。それらが重ったアスモの身体は耐えきれずに、そのまま意識を手放していた。
見知らぬ建造物の中で目覚め、行く当てもなく歩いていたらフォラスと出会う。その後村まで強烈な方法で連れていってもらい、子どもたちと遊びつつ他の人とも交流を深め、フォラスの家に上がらせてもらって食事と睡眠を取る。長時間の睡眠後、フォラスから任された作業を終えたところで子どもたちと再び遊んで、帰宅。フォラスと散歩をし、眠り、走り、倒れ、眠り……走り…………遊び、そして少女の死を目撃。恐怖から家と家の間の物陰に身を潜め続けて十五時間後。殺されたはずのブリュームが目の前に現れた。
気絶してしまうのも仕方ない。そう思えるくらいの怒涛の三日間。
アスモはこれでもまだ世界を知らない。あくまでこれらは小さな村での出来事に過ぎないのだから。
「大丈夫かい?」
「…………わからないです」
アスモが次に目覚めたのは、フォラスの家の寝室だった。
フォラス曰く、ブリュームの母親がアスモが倒れていることを教えてくれたらしい。そしてフォラスが家までアスモを背負って運んでくれたと。
ブリュームの母親はブリュームに呼ばれて見に行ってみたらアスモが倒れていて、自分では運ぶのは難しく、手間取ってしまうので、アスモの面倒を見ているフォラスに声を掛けたとのこと。
しかしアスモにはわからない。何故その話の中にブリュームがいるのかが。
「……なに言ってるのかわからないかもなんですが、俺もわからなくて、なんですけど、その……ブリューム死んでるんですよ」
未だに整理できていない思考を、ただ言葉を引き出す形で口にしていく。
「昨日、多分昨日なんですけど、ウィングに殺されて、その、剣で殺されてたのを見て、だからそれが夢だったのかもしれないんですけど、フォラスさんが言う俺が倒れていた場所がその夢の最後と一緒で、だから本当かもしれないんですけどブリュームは生きてて」
支離滅裂な説明だが、フォラスは笑ったり茶化すことなく真剣に聞いてくれている。それがなによりもありがたく、少しずつアスモは冷静さを取り戻しつつあった。
「……教えてください。俺は夢を見ていたんですか? それともこれは……現実に起こったことなんですか?」
「まぁ……そうだね」
フォラスは考え込む。その時間がアスモの不安を増幅させていく。忘れていた恐怖も蘇り始め、顔色が明らかに悪くなっていく。フォラスはそのことに気付かず、一点を見つめて思案し……
「近々話すつもりではあったんだけど……そうか。昨日村を出てるうちにもうそんなことがあったんだね」
「っ……! 話すつもりって……じゃあ!」
「うん。まずこれだけは断言しよう。君が体験したこと、その記憶は実際に起こったこと。真実だ」
「──! ……断言できるってことは、確証できる理由があるって、ことですよね……?」
震える唇で、真実から目を背けたくない一心でフォラスの目を見る。からかっているようには見えない、呆れても無く、頬をあげているわけでもない、至って真剣な表情。アスモの心を締め付けるに不足は無かった。
「その通り。さて、どう説明すればいいかな」
お茶が入ったカップが机に二つ置かれる。ほのかな香りが鼻を通り、白い湯気が微かに立ち上り、消えていく。
「アスモ君が見た光景から処理していこうか。まとめると、ブリュームがウィングに殺された。でも、ブリュームが生きていた。ということでいいかい?」
「……はい」
カップの中で揺れる水面を見つめるアスモの肯定は、低く沈んだ声色で放たれる。フォラスは受け止め、頷く。
「私はその瞬間を見てないけど、確かにブリュームは昨日殺された」
震える心を鎮めようと、
「そう、ブリューム自身が言っていたからね」
そこだ。アスモにはそこがわからないのだ。
ブリュームは殺されたとブリュームが言っていた。ならば、なぜ殺されたとブリュームが言える? ブリュームが殺されたのなら、殺されたなんて言えないはずだ。死人に口なし。死んだなら言えない、今朝アスモとも会話ができないはずだ。
でも、実際にアスモは憶えている。殺された瞬間も、元気に生きていた姿も。だから理解ができない。アスモの基礎を作る常識が矛盾しているからだ。
「ならなんでブリュームは──」
「アスモ君。混乱する気持ちはわかる。でもまずは私の話を聞いて。それから質問。いい? そうしてくれないと、いつまで経ってもアスモ君が求める答えに辿り着けない」
「っ……はい」
アスモは押し黙り、震える手でカップの取ってを掴んだ。
「……」
アスモがお茶をすすり、飲み込むまでの間、フォラスは静かに見守っていた。出会ってからの時間、会話を重ねた数は昨日より増えたにも関わらず、アスモには机の対面までの距離が途方もないほど遠くに感じられた。
「……すみません。おねがいします」
「わからないことがあれば、私の話が終わってから改めて質問してほしい」
アスモは無言で頷き、顔を上げた時には座ってから初めて、フォラスの目を見た。
「死んでも死なない。殺されても殺しきれない……常識だ。人間は死なないし、死ねない。この世界はそう在る」
アスモに染み込む、常識。本来備わっているはずの普通のこと。
「ただ、不老不死ではない。老いるし、いつかは死ぬ。そうじゃないと、人間で埋め尽くされて自然も生態系も崩壊するからね」
染み込んでも、それは理解できない透明で、色は変わらない。
「人間は、受精した瞬間から人間としてこの世界に認められる。母体は死んでも生き返り、受精卵という状態でも母体と共に子宮へ戻る。産まれてからも同じ。戻る場所が母体じゃなくなるだけで、どれだけ悲惨な状態になっても、ただの肉片と化しても、次の日にはごく普通の日常が始まる」
アスモは再びお茶を飲む。渇きは消えない。零さないよう慎重に置く。
「痛覚すら淡く、痛みへの耐性が強いんだ。だから、ブリュームは剣で斬られることを受け入れた。鬼ごっこの終わりを告げる死を止めなかった。だっておかしいことではないからね」
呼吸が当たり前であり、日常生活では意識すらしない肉体の動きであることと同じように、死は当たり前であり、死への恐怖は無に等しい。
「この世界に、命の価値なんて無いのさ」
生きていくには理解しないといけない。順応しないといけない。それはアスモもわかっている。それでも今は受け入れ難く、可能であれば信じたくなかった。




