銀髪の少女シエラ
いつも読んでいただきありがとうございます。
前回、一ツ眼魔狼を撃破した海斗。 ですが、本当の意味での「ごちそう」はここからです。
恐怖を喰らう能力を持つ主人公が、人間と出会った時どうなるのか。 そして、この世界で最初の仲間(?)となる少女との出会いをお楽しみください。
それでは、第3話です。
「ひ、あ……あ、くるな……っ、こっちにくるな……!」
へたり込んだ銀髪の少女――シエラは、涙で濡れた瞳を大きく見開いたまま、狂ったように首を横に振っていた。
無理もない。体長3メートルを超える凶悪な一ツ眼魔狼を、魔法も武器も使わず、ただの素手で、しかも笑顔で撲殺した『謎の男(俺)』が目の前にいるのだ。彼女からすれば、俺は魔狼以上の化け物にしか見えていないはずだった。
ガタガタと激しく震える彼女の全身から、先ほどの魔獣とは比較にならないほど、澄み切った鮮やかな青白い霧がブワブワと噴き出してくる。
(なんだこれ……。魔獣の恐怖が『野生の肉』なら、人間の、それもこの子の恐怖は、まるで最高級の完熟フルーツだ……!)
じわり、と口の中に唾液が溜まる。
他人の感情に敏感すぎる俺の体質は、この世界に来てから完全に狂ってしまっていた。なぜなら、目の前で美少女が涙を流して怯えているというのに、俺の胸に湧いたのは庇護欲ではなく、猛烈な『食欲』だったからだ。
「おい、大丈夫か?」
なるべく刺激しないよう、俺は一歩、ゆっくりと近づいて声をかけた。
だが、その親切心が逆効果だったらしい。
「ひぅっ……!? お、お願い、食べないで……っ! 私は、何も持ってない……っ!」
シエラは短い悲鳴を上げて、さらに地面を這うようにして後退りする。
するとどうだ。彼女がさらに怯えた瞬間、周囲の空気が甘く痺れるような濃厚な霧で満たされた。彼女の放つ極上の『畏怖』が、惜しげもなく空間に供給されていく。
「はは、食べないって。……でも、これはもらうわ」
俺は立ち止まり、深呼吸をするように、彼女から溢れ出る青白い霧を思い切り鼻から吸い込んだ。
――スゥウウウウウウウッ!!!
「、あ――……くぅ、美味すぎる……っ!」
思わず脳がとろけそうになり、目眩を覚えるほどの快感が全身の神経を駆け抜けた。
胃袋の奥がカッと熱くなり、第2話で魔狼を倒して得た魔力が、さらにピカピカと純度を増して体内に定着していくのが分かる。体の底からフツフツと湧き上がる全能感が、さっきよりさらに一回り大きくなっていた。
「あ、あなた……一体、何をして……?」
シエラは、俺が霧を吸い込んだ瞬間に恍惚とした表情を浮かべたのを見て、いよいよ怪訝そうな、しかしやはり怯えきった声を漏らした。
どうやら、一般の人間にはこの『恐怖の霧』は見えていないらしい。ただ、俺が何か異常な行動をしていることだけは伝わっているようだ。
「いや、なんでもない。ちょっと一息ついただけだ。それより、お前こそなんでこんな危険な森に一人でいるんだ?」
俺はブレザーのポケットに手を突っ込み、できるだけフランクに問いかけた。
ここで彼女に逃げられたら、この世界の情報を得る手段がなくなる。だからこそ、最低限のコミュニケーションは取る必要があった。
俺の問いかけに対して、シエラは青ざめた顔のまま、震える声でぽつりぽつりと話し始めた。
「私は……シエラ・ルミナス。……この先にある、辺境の街リメインを治めていた、貴族の娘、です……。でも、家が没落して……借金の方に、街を牛耳る悪質な盗賊団に狙われて……」
「へえ、盗賊ね」
「はい……。今日も、街の外まで執拗に追われて、逃げ込んで、そこでさっきの魔狼に……。もう、本当におしまいだと、思いました……」
シエラはそこまで言うと、悔しそうに唇を噛み締め、再び俺を恐る恐る見上げた。
つまり彼女は、人間の悪党から逃げた先で、今度は魔獣に遭遇したわけだ。そして、その両方を一撃で消し去りかねない『俺』という特異点に捕まった。
絶望のトリプルコンボ。そりゃあ、そんな極上の恐怖の霧が出るわけである。
「なるほどな。事情は分かった。要するに、そのリメインって街に戻りたいけど、盗賊が怖くて戻れないってことか」
「……は、はい。そうですけど……」
「よし、なら俺がその街まで送ってやるよ。案内しろ」
俺がニヤリと笑って提案すると、シエラは弾かれたように顔を上げた。
「えっ……!? あ、あなたが、私を……? でも、どうして……。私には、あなたにお支払いできるような報酬なんて、何もありませんよ……?」
彼女のエメラルドグリーンの瞳に、今度は「裏があるのではないか」という新たな疑惑と恐怖が宿る。
それと同時に、彼女の身体から再びふわふわと新鮮な青白い霧が立ち上り始めた。
「報酬なら、さっきから十分すぎるくらいもらってる。これ以上の贅沢を言ったらバチが当たるわ」
「え……? さっきからって、一体……?」
「気にするな。こっちの独り言だ」
俺はクスクスと笑いながら、へたり込んでいるシエラに右手を差し伸べた。
シエラはその手を、まるで今にも噛み付いてくる蛇でも見るかのような目で凝視している。だが、他に頼れるあてもないのだろう。彼女は意を決したように、細く震える手で、俺の手を握り返した。
ギュッと握った彼女の手は、驚くほど冷たく、そして小さかった。
「……ありがとうございます。あの、お名前を、お伺いしても?」
立ち上がり、ドレスについた泥を払いながら、シエラが遠慮がちに尋ねてくる。
「海斗。高坂海斗だ。……いや、この世界じゃ『かいと』でいい」
「カイト、様……ですね。よろしく、お願いします……」
シエラは未だに俺の一挙手一投足にビクビクと身体を震わせ、一定の距離を保とうと必死だ。歩き出す彼女の背中からは、相変わらず極上のスープのような青白い霧が、絶え間なくゆらゆらと立ち上り続けている。
歩いているだけで、彼女が勝手に俺に怯え、勝手に極上のエネルギーを供給してくれる。まさに歩く高級食材。こんなに美味しい相棒はいない。
「カイト様、この獣道を抜けた先が、街へと続く街道になります。ただ、あそこには盗賊たちの見張りがいる可能性が非常に高くて……」
森の奥へと進む中、シエラが周囲を警戒しながら声を潜めて言った。
「見張り? 上等じゃん。むしろ、どんどん出てきてほしいね」
俺は獰猛な笑みを隠そうともせずに答えた。
なぜなら、シエラの話が本当なら、その盗賊団とやらは人間を恐怖させて支配する悪党なのだ。
人間を怯えさせるのが大好きな悪党。そんな奴らが、逆に自分では到底敵わない怪物(俺)と遭遇した時、一体どれほど『美味い恐怖』を流すのだろうか。想像しただけで、お腹の虫が鳴りそうだった。
「ひっ……!」
俺の横顔に浮かんだ狂気的な笑みを見て、シエラがまた短く息を呑んで震えた。おまけに、彼女からの霧の出力がさらに一段階跳ね上がる。
「あはは、ごめんごめん。ビビらせるつもりはなかったんだ。……さぁ、案内を頼むよ、シエラ。俺、めちゃくちゃお腹が減ってるんだよね」
俺は、ごちそうを前にした子供のような純粋な笑顔で、彼女を促した。
消えかけた現実世界への未練なんて、この濃厚な『味』を知ってしまった今となっては、もうどうでもよくなりつつあった。
森の木々の隙間から、うっすらと開けた街道の明かりが見え始める。
そこは、俺の魔法界での本格的な成り上がりの舞台であり、同時に――新たな『ディナー会場』の入り口だった。
第3話を読んでいただきありがとうございました。
ついにヒロイン(予定)のシエラが登場しました。
ただし海斗視点だと、
「助けた少女」
ではなく、
「とても美味しそうな恐怖を供給してくれる人」
という認識なのが問題です。
普通の異世界主人公なら好感度イベントになる場面ですが、この作品の主人公は少し……いや、かなりズレています。




