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狐の神様  作者: おばば
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3.山籠り

 石塊で獣を追い掛けていた頃、武とは獲物を得るための道具であった。

 石塊を使った暴力としての武は、やがて同胞を損なう為の凶器として昇華された。

 凶器は美しい。

 獣相手には必要のない技術が取り込まれ、動きは洗練されていく。

 そうして、凶器は芸術品へと純化する。


 男の教えてくれた套路は、繊細な飴細工の様だ。

 恐らく、一つの流れから研ぎ澄まされたものでは無い、套路を回し始めてから、そう時間の経っていないコンでもそう分かる。

 動作の一つ一つが偏執的なまでに磨きあげられている。極僅かな関節の動きから、視線の振り方に至るまで、剣訣が詰め込まれている。恐らくは、一路循環の一節を取り出したとしても、数十に及ぶ剣術の流派の要訣を混淆させたものであろう。

 引いてみれば、それは完全無疵な神のように見える。

 数多の土神を喰らい上げ、血肉とし、自らも無貌と成り果てた、理の結晶。もはや名付けようも無いほどに、剣という概念に近付いたナニカ。

 見る者全てが剣という理想以外に覚えることの無い、高純度の技術の塊。

 そこには誰もいない。

 もはや、人の使いこなせる技術では無い。

 人体の可動域すら超えた軌道。

 幻惑し、誘導する事に重みを置いた視線のやり方は、相手を目視する事を忘れてしまっている。


 目眩がする。


 套路を切る。

 少女、コンは腕をだらりと下げる。

 髪から滴って、額に汗が流れてくる。

 袖口で乱暴に拭い取る。

 興奮の残り火に当てられて、頭に霞がかかるようだ。


 右。


 意識する前に腕を振った。

 過たずに投擲。薄闇の中をナイフが飛ぶ。

 ギィ、と短い鳴き声。恐らくは声に意味は無い。ナイフで土に縫い止められた際には、既に絶命している。

 肺から押し出された空気が、声帯を震わせただけだろう。

 近付くと一匹の狸が、首をナイフで断ち切られて絶命している。

 今日の晩飯はこれでいいか、とコンは思う。

 食い物を得るために殺す。殺すために武を振るう。

 これこそが、原初の武だ。そう思った。


 焚き火の中で、小枝が弾ける。

 火から離れて炙られた狸の肉の表面に脂が浮き、全体が飴色に輝いている。

 橙色の灯りに照らされて、コンは手を合わせる。

 手早く塩を振りかけると、齧り付く。

 串焼きばかりではあるが、不満は無い。元より粗食には慣れている。

 淡々と食い尽くすと、残った串を炙る。使い終わった後に炙ってしまえば、洗う必要も無くなる。肉への食いつきも良くなって、良いこと尽くめだ。そんな事に気づいたのは、ここに籠り始めて一月ほど経った頃だ。

 虻や蚋、蚊に刺されても、皮膚が赤くなることも無くなったのも、その時期。川底に湧き出る野湯に浸かることに抵抗が無くなったのも同じ時期。

 生きる事の他にも意識を割き始め、套路を回し始めたのも、同時期だったろうか。

 傍らに置いたナイフを手に取る。闇夜にあって尚も黒い二振り。黒地に薄い金色で刻まれたSmith & Wessonの刻印が鈍く光を反射する。

 肘から手首までに近い片刃の刀身。肉厚の刃。重心が柄に近い為か、意外にも振るには軽い。その分と言えば良いのか、投擲武器としては使いにくい。

 始めて手に取った時には、重すぎると思った。その印象が変わったのは、套路を回し始めて二月は経ってからだ。


 抜けが良い。

 モノを斬る感覚が、掌に帰ってくる。

 肉厚の刃。硬い鋼材。

 およそ力の通りに不慣れな者にとっては、これ以上無いほどに使いやすい。

 

 何度となく研ぎ直し、少し痩せた刀身を見ながら、上を見る。

 森冠の向こうに眩い星空が見える。

 既に男、千宗に置き去りにされてから、一年が経とうとしている。


 最初は、梃子の使い方だと思った。

 腰から背中、肩から肘、手首から刀身までを鞭の様に振るい、腰から刀身までで刃を加速させる。

 その有様は投石機の様で、関節を通す度に速度を増す刃を見れば、まさに梃子を持って動かしている様に思った。

 速く振ることに集中する半年が過ぎた。


 半年後に違和感を覚えた。

 套路には明らかに、速く振ることを重視していない型が幾つもある。

 フェイントの類でも無い。まるで受けられる事を前提に、受け太刀ごと、相手を押し切る様な一刀。舐めるように地を這う斬り上げ。それらは小さく、速い一撃とは明らかに性格が違う。

 教練用の技術とは思えなかった。その様な"遊び"が、この偏執的とも言えるまでに磨かれた套路に存在しているとは思えない。

 違和感が形を持ち始めたのは、狩り獲った獲物に、套路の一刀を試した時だった。

 刃が皮を切り裂き、肉に噛み付いて、加速した。そう、錯覚する程だった。


 幾度となく繰り返して、得心する。

 加速ではない。常の一刀ならば肉に力を削がれて失速する刃が、酷く滑らかに肉を裂いた。

 肉を裂いても失速していないのだ。

 套路の意味を理解する。

 減らない力と増やす力。

 速くする為の技術と、遅くならない為の技術。

 さらに踏み込めば、刃に掛かる抵抗が増減しても、刃の軌道にも速度にも影響させない為の、"力の道"。

 地面から吸い上げた力を刃の先端まで通す、軸の様な何か。

 思考がそこに至った時、勁というものの一端に触れた気がした。


 そして今。

 勁の概念は更に深まり、同時にコンの理解を越えていた。

 勁は関節の使い方であり、重心の取り方であり、筋肉の使い方である。それと同時に、それだけでもない、という事は分かる。勁道の通し方は簡単なものであれば、重心を上から下に、それに合わせて関節を外から内に、筋肉を弛緩から緊張に、変化させれば成る。だが、それだけでは不完全だ。

 何が足りないのか。人体の構成物の可動、それだけでは説明のつかない何か、それを模索する日々が続いた。

 約束の二年まであと少し。

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