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狐の神様  作者: おばば
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4.母

 技術とは畢竟、係数の問題だ。

 打点をズラす。弾く。受ける。躱す。それらの行為から、十全の攻撃に係数を掛けていく。係数が0.1ならば、100の攻撃は10になる。

 なる程、良く出来ている。

 どんなに上手く受けても、0にはならない辺りが、特に。


 体重の乗った一撃を身を屈めて躱す。

 重心を化かされる。体勢が崩れる。戦況が少し、相手に傾く。

 3くらいのマイナスかな、と計算する。

 曲げた背骨を縦に回して顎を狙う。

 黒い鋒が皮を裂く。2くらい返す。


 相手が僅かに怯む気配。

 そのまま右足を引く。

 地面から抗力を吸い取って左手を突き出す。

 胸に刃を差し込む。

 刃を通して拍動すら感じられる。

 それでも厚い筋肉に阻まれて、心の臓には届かない。15のプラス。


 リソースの奪い合い。

 戦闘の熱に浮かされた頭に、そんな文句が浮かぶ。

 右足刀。こちらのリソースを3使って、相手のリソースを10奪う。

 右前足の振り下ろし。相手は10のリソースを使って、こちらのリソースを3奪っていく。

 重心の位置。筋肉の動き。骨の撓み。カロリー。血液。痛みに至るまで、全てをひっくるめてリソースと呼ぶ。その分別の無さに破顔する。

 仕方無い。そんな細分をしている暇があったら、体勢を立て直し、相手に先んじる。そうしなければ、死ぬ。

 命の取り合いというのは、精確さだけでは、生き残れない。

 悠長な計算は後回しだ。


 突進。

 躱せない。受けるなど論外。

 どうする。


………

……………

…………………………


 子供の泣く声がした。

 慌てて駆け寄ると、腹が空いたと言う。

 すまない、と頭を撫でる。

 もう、しばらくマトモなモノを食べていない。

 傍らで泣く子が、日に日に痩せていく。

 全身に重い倦怠感がまとわりついている。

 このままでは、明晩、動くこともままならなくなるだろう。

 生きるためには、体が動く内に、何か行動に移さなくては。

 こんな時、母はどうしていたか。

 朧に霞む記憶を探る。

 私が幼い時にもこんな事があった。

 空腹に耐えかねて、水ばかりを飲み、腹を壊した。

 泥にも似た便を垂れる度に、体が重くなっていく。

 今と良く似た飢餓の記憶。

 どれだけ続いたのかも思い出せない。

 このまま死ぬのか、と感じたことはよく覚えている。

 空腹に、昼夜の別すら定かでは無くなった頃だ。

 何かを喰った。

 アレは本当に美味かった。

 同じく空腹に蝕まれていた、あの時の母でも狩り取れた。

 あの肉は、何だったのか。

 私は必死に思い出す。

 あの肉の味を、匂いを。

 今まさに飢える我が子には、アレが必要だ。


…………………………

……………

………


 転がった。

 水芭蕉の翠が鮮やかに目に焼き付く。

 鼻腔に青臭い緑の臭い。続いて、水気の多い泥が口内に感じる。

 四肢で大地を噛み締める相手を、更に低い位置から見上げる。

 口の端には、泡立つ唾液。

 その奥には黄ばんだ犬歯。

 濡れた鼻先が、陽光を反射して鋭く光る。

 まだ足りない。

 冷たい泥濘に、更に潜る。

 渾身の震脚。

 横たわった状態から、全身を反らして発勁。

 鼓動が一拍する頃には、私は死ぬ。

 死ぬならば、足掻くだけ。

 沈墜勁。

 足先から腰までが泥に埋まる。

 土塊をかき分ける。

 目前に充血した両眼が迫る。

 確かに、足先に感じる硬い感触。


………

……………

…………………………


 記憶を手繰る時はいつも、匂いからだ。

 乳の匂いから始まり、雪の溶ける埃の臭いに繋がる。

 湿った靄の匂いと共に朝を思い、緑の匂いで昼を思う。夜の匂いは母の匂いと区別がつかない。

 花の匂いで春を感じて、水の匂いで飢餓を覚える。

 嗅ぎ慣れた苔の匂い。岩の匂い。

 今と同じ、苦しみと気怠さと、ゆっくりと近付く死の匂い。

 土を掘り返して虫を食い、水辺に降りて草を喰む。

 とても腹は膨れない。

 垂れ流す糞。命を消化している様な、濃厚な生の匂い。

 薄くなる母の匂いが、そのまま命が消えていく様に重なる。

 朦朧とする意識の中で、母に食い物をねだる。

 匂いの薄くなった母が、気休めを口にする。

 このまま、薄れて、薄れて、日に炙られる霧のように死んでいく。

 きっとそうなる。


…………………………

……………

………


 爪先から鋒までを一つの鉄塊だと想念する。

 地面から抗力を吸い上げる。

 突き出す刃は遅い。

 速度は必要無い。

 強くする力は、今は要らない。

 それは相手が持ってきてくれる。

 ただ、揺るがないことだけが、必要だ。


 至近で目が合う。

 黄ばんだ白目。きっと栄養失調だ。黄疸は熊にも出るのだろうか。

 首元に反転した三日月。そう言えば、月輪熊は天然記念物だ。殺しても良いのだろうか。

 短い前足と、ソレに比べれば長い後ろ足。四肢にて接地すれば、前屈みになる。

 重心は自然と前へ。

 己を体重をこそ最大の武器であると、そう知っている者の一撃。

 岩であろうと、大木であろうと、速度と質量という単純明快な力によって踏み潰す、強者の武器。

 

 コンはニヤリと嗤う。

 教えてやる。強いだけでは、勝てない。


 鼻先に鋒が飲み込まれる。

 全身の筋肉で骨を、関節を締め上げる。

 自分自身に絞め技を掛けている様な、異様な感覚。

 自らの力を受け取るが良い。

 絶紹、金剛勁。

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