083 破滅の予言
空気が変わった。
言葉自体はただの比喩表現でしかないが、支配人バージルの雰囲気は確実に変化した。
ソルドたちが演じるのをやめたように、彼もまた、演じるのをやめたのだ。
「『保証』ねぇ。その言葉を使ってくる相手のことは信用しないってのが、俺がいた街の鉄則だったが……レットンに会うなって? 奴を隔離して誰にも会わせないようにした裏切り者ってのはやっぱりあんただったか」
「しかもオマエ、貴族院とか言ったな? まさか国の工作員……!」
「察して頂けているのなら話は早いですね。私はここ数年、レットン・グリドールの動きを監視していました」
懐かしむように天井を仰ぎ見たバージルは、冷たい視線をステラの方へと下ろして言う。
「ステラ・ホライソニア・ウォルムハルト、あなたのご両親が処刑されるよりも前から、ね」
「……!」
「レットン・グリドールがあなたのご両親に貸していた金を引き上げるのも見ていました……彼は自身の残酷さを少しも恥じてはいないし、気にしてもいない。だから今更になってあなたに会いたいなどと厚かましくも要求してくるのですよ。自分のやりたいことのためにね」
「……あいつの、レットンのやりたいことって何? さっき見た研究の事!?」
「もちろんその通り。だからまずは見てもらったのです、彼の所業を」
怒りか、恐怖か、ステラの首筋に汗がにじむ。
その反応を憐れむかのように、バージルは盾の形をしたペンダントを取り出し、胸元で握りしめた。丁度、復活した聖人に祈りを捧げる者たちが十字架でそうするように。
「大いなる天により形作られ、父と母に与えられし肉体をあるべき形から逸脱させる。罪深きことです。許されるべきではない」
「アンタがシルト正教の熱心な人だってのは分かったけどよ、オッサン。そんなに許せねえなら、何でレットンを閉じ込めるだけ閉じ込めてるんだよ。オレたちがこうしてやってくるまでの間にぶっ殺しちまうことくらいできただろ」
何もかも気に食わない、という表情のクロウがステラとバージルとの間に割り込んで言う。その顔を、バージルはじっ、と眺め、その猫耳を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「あなた方『フェンリル』はずっと彼に接触したがっていた。その目的は彼の保護でしたよね。殺害ではなく」
「リーダーはそのつもりだったかもしれねえがオレ的にはレットンは死んだ方がいいと思っている……こうやって会話している今も、オレたちより先に潜入していた仲間がどうなったのかわざと聞かないでいるんだ。答えによってはオマエか、レットンか、あるいは両方とも殺さなくちゃならねえ」
「ならば私も敢えては答えますまい。無用な混乱は、好みではない」
突き放すように言って、バージルは再びソルドの方を見た。少し首を傾げ、何かを試すようなその態度にソルドは企業の重役連中の面影を重ね、ため息を吐く。
「あんたはレットン・グリドールを殺さないのではなく、殺せない。そうだな?」
「……ええ。お察しの通りです。実際、レットン・グリドールは恐ろしい人物です。こうして外界との連絡を遮断し閉じ込めるだけでも、かなり苦労しました。もちろん、彼自身が不死というわけではない。彼に関わる者が全員合理的に動くと、彼を殺せないように出来ているのです。貴族院の裁量で動いている、この私でさえも。彼を殺す者が、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうように仕組まれている」
「飼っているはずの家畜に逆に飼われているようなものだな。国が弱っている証拠だ」
「家畜と牧場主の関係など大概そうでしょう。牧場主は家畜を生かし、家畜は牧場主を生かしている。まあ私は牧場に放たれ羊を追い立てる犬でしかありませんが……」
自虐的に言いつつゆっくりと歩き、バージルは竜の檻の前で足を止める。
「人間が竜に変ずるなどと、そのような冒涜的な現象の存在が突然明るみになれば民は混乱し、絶望し、ドラゴシルヴァ王国の破滅を招きます。民の幸せのためにも、この悪しき研究は秘密裏に抹消しなくてはならないのですよ」
「どう隠したって、情報はいずれ漏洩するぞ。現に俺たちがここに現れたのは『銀の呪い』という名の竜化現象についてレットンから情報を引き出すためだ。国がどれだけ隠しても、現実として、既に竜化は各地で起こっている。それが人為的なものであれ、偶然であれ、だ。そしてあんたがここでレットン・グリドールを閉じ込め続けても、いずれ誰かが同じ技術にたどり着く。現に『商会』の連中は既に開発を始めているし、『フェンリル』も時間をかければ同じものが再現できるだけの情報を持っている」
「……」
ソルドの問いかけに、バージルは黙ったまま答えない。
「なあ、オッサンも分かってるだろ?」
代わりとばかりに、クロウが口を開いた。
「確かに混乱は起きるかもしれないけど、いずれ全員が知るならとっとと情報を共有するべきなんだ。オレはレットンは死ぬべきだと思っているが、それは奴の持っている情報を喋らせてからだ。全員で団結して『銀の呪い』の対策を考えれば、克服することだって……」
「事態はもはやそんな段階に無いとしたら、どうですか?」
「えっ……?」
猫耳獣人の言葉を途切れさせたその男は、ゆっくりと振り向く。
その表情は、無。
深い絶望が刻まれているその表情からは、他には何の感情も読み取れない。
「改めて問います。ステラ・ホライソニア・ウォルムハルト。あなたはまだ、これだけのことを見ても、聞いても、まだ、レットン・グリドールに会いたいのですか?」
「……ええ。会いたいわ」
ステラは少し言い淀んだが、しかし、躊躇せずに言い切った。
「わたくしにとっても国は大事だけれど、それ以上に、個人的に、わたくしはあの方に会わなくてはなりません。彼の罪をただ見ていたというあなたにも、本当は聞きたいことがたくさんあるけれど……わたくしは『金貸し』レットン・グリドールに会って、彼がどうしてお父様とお母様を裏切ったのか、糾すと決めたのです」
「そう、ですか……」
「それに、あなたの話にも疑問が残ります。ソルドが言ったように、人が竜に変身してしまう事例についてはもう情報が広がり始めています。であれば、わたくしたちが今から彼に会ったところでどうなると言うのですか? あなたはわたくしたちが黙っているなら帰っても良いと言いましたが、結局はこれも情報が広まるリスクではあるはずです。だと言うのに……なぜわたくしたちが彼と直接会うことだけ、こんなにも拒絶しているのですか?」
「その質問には答えられません」
ステラの問いを遮り、バージルは顔を上げて、言う。
「そして……ここで引き返すつもりが無いと言うのなら、あなた方も、抹殺せねばなりません」
再び、空気が変わった。
バージルはまだ何も武器を持っていない。
だがその殺気は、例えセンサーで検知できずとも、サイボーグ傭兵には明確に感じ取れた。
「ハッ。自分で招いた客を殺すだなんて酷い支配人が居たもんだ。やっぱり昨日の勝ち分を支払いたくないだけか?」
「支払いなどどうでもよろしい。私はただ、レットン・グリドールの恐ろしさを理解しないあなた方に失望しているだけですよ」
バージルはソルドの軽口にマジレスしつつ、ぐい、と自身の襟元を引っ張って見せた。
そこに巻かれていたのは、特殊な紋様が刻まれた首輪。
「これはレットン・グリドールが部下に着けさせている首輪です。彼に反逆するものは、この首輪で処刑されます……ですが、これは今無効化されています。首輪の監視をかく乱する、特殊な音波をフロア中に流しているのです。あなた方にも聞こえているでしょう?」
「成る程、あのモスキート音もどきはそれだったか」
「音……?」
ソルドが苦笑し、クロウが無言で顔をしかめる横で、ステラだけが唯一『音』が何のことか分からない。
「……やはり。見逃すわけにはいきませんね、ええ」
支配人がそう呟いた直後だった。
「ぐっ!?」
電子鼓膜が甲高い音を脳に伝達し、ソルドは思わず頭を抑える。『音』の出力が上がったのだ。
サイボーグの身体システムは即座に異常を検知・対応し、電子鼓膜のノイズキャンセリングを調節して『音』を即座に無力化した……が、問題は残りの二人。
「ぐああああああああああっ!?」
『音』の無力化手段を持たないクロウが耳を抑えてうずくまる中、さっきまで『音』など聞こえていないという態度だった少女の身体がゆら、と揺れ、力を失って倒れる。
「ステラっ!?」
ソルドは地面に激突する前に少女の身を抱えたが、揺らしても頬をはたいても起きない。
ステラは気持ちよさそうな寝息を立て、ずっとそうしていたかのように深い眠りに落ちていた。
「卑怯とは言わないでください。人数差を考えれば当然のハンデですよ」
怪音波が鳴り響く中、バージルは少しも動じずに微笑む。
「では、殺しますね」
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