082 研修室
その部屋は、一見すると酒蔵のようであった。
アルコールの匂いに似た有機化合物特有の刺激臭が漂う部屋には巨大な樽状の容器がずらりと並んでいる。一定間隔で壁にぶら下げられているランプに灯る炎は頼りなく、逆説的にこの場所が火気厳禁の酒蔵ではないと主張している。
では、酒蔵ではないのなら、この部屋は何なのか。
その答えは樽の上部に首から上だけを露出している人々の虚ろな表情を見れば察しがついた。
「人体実験をしているのか」
「いかにも、その通りでございます」
付き人『S』としての演技をやめたソルドが問うと、支配人バージルは涼しい顔で答えた。
「こ、これが見せたかったものなのですか……? あそこに入っているのは、もしかして、死体?」
「いいえ。彼らはまだ生きています。既に思考能力を失っているので、死んでいないだけ、とも言えますが。身寄りのない者を集め、同意の上で実験に参加して頂いたのです。たとえ薬剤に『適合』できずにこうして生ける屍になっているとしても、それは彼らの責任の範疇というわけです」
「そんな……」
ソルドの服をギュッと握り、仮面越しにも分かる怯えた表情を見せるステラ。
「それは、本気で言ってんのか? このカス野郎!」
その肩を掴んでぐいっと前に出ながら声を荒げたのはクロウ。バージルの肩を掴み、その顔を大樽に漬けられている人々……とりわけ、獣人と思しき面々の方に向けて言う。
「同意があるだと!? どうせ金で釣ったんだろうが、テメエらが出すようなはした金に釣られるような奴らがこの結末を正しく予想できていたと本気で思っているのかよ! 薬に『適合』できなかった、だ? 適合した連中がどうなったのか知ってるぞ。外の下衆な賭博場で戦わされている連中がそうなんだろうが! 何だってお前ら貴族はこんな悪魔の、いや、悪魔でも思いつかねえような発想を実行に移せるんだよ!? なあっ!?」
「期待していた反応をありがとうございます。反乱軍の方」
「期待だと!?」
「ええ。きっとあなたからはそのような反応が得られると理想的だと考えていた、という意味です。この意味が分かりますか?」
「は、はあ……!? 意味なんか、分かんねえよ……」
一切の動揺を見せないバージルの態度はあまりにも不気味。
胸ぐらに掴みかかっていた手が離れるのを見た彼はふっ、と息を吐き、そのまま樽が並ぶ通路を進んでいく。
その先には、次なる扉。
「この扉の向こうにあるのが、あなた方に最も見ていただきたい部屋です」
そう言って、紳士的な態度を貫く支配人は扉の向こうに消えた。
ぱたん、と閉じた扉はソルドたちにある種の猶予を与える。
この扉の向こうにどんな光景があるのか想像し、備える猶予を、だ。
まだそれを見ずに引き返す選択肢もあるように思える。バージルはそれも織り込み済みで、一度扉を閉めたのだろう。
「ステラ」
ソルドの短い問いに、ステラは迷うことなく頷いた。
「行きましょう。どのみち、この先に進まなければレットンにも会えないのでしょうし」
「了解」
依頼人の意を汲み、即座に行動するのが護衛の仕事だ。
ソルドは少女の代わりにドアノブに手を掛けーーー搭載されたセンサーによってある程度部屋の様子を『視た』上でーーー先へ進む。
「……」
サイボーグは、かつて似たものを見たな、と思い出す。
赤や黒のグロテスクな有機物が浮かぶガラス容器。
輪切りにされた肉塊と、そこから引きずり出された血管・筋組織。
変色した皮膚、変形した骨格。
それらに標識がつけられ、分類・整頓されて。
生物由来の組織だらけなのに、全くと言っていいほど生命の匂いがしない部屋。
あれは確か、臓器を製造するクローン工場の一室だった。
進み入ったのは、それとほとんど同じような光景が広がる部屋だ。
「なん、ですの……ここは……」
「ここは研修室と呼ばれています。レットン・グリドールに雇われた研究者が、彼の出資している研究の『成果』をざっと学ぶための見学部屋。兼、保存場所でもあります」
「……」
絶句してしまったステラ、そしてクロウの代わりに、バージルはソルドの方へ視線を向けた。
「質問があれば受け付けますよ。感想でも構いませんが」
「……まず、あんたらが高度な技術力を有しているのは分かった。さっきの樽の部屋は必要最低限。そしてここは、あんたが言ったみたいに『人に見せる』ための部屋だ。展示内容は人を竜にする研究……俺は勝手に竜化人間って呼ばせてもらっているが」
「分かりますか」
「ちょうどつい最近、ガレットで似たようなもんを見たんでな」
ソルドはガラスケースのひとつに近づき、展示物を見る。
人間の右ひじから先……だったものだ。電子義眼によるスキャンはそれを『人間』だと同定しているが、見た目には皮膚を鱗で覆い、凶悪な爪を有するソレはワニか何かの腕にしか見えない。
「タインルフェ商会の商品売り場でデモンストレーションしているのを見たし、連中のボスも魔力紋とかいう技術で自発的に変身していた。『銀の呪い』とも言うんだろ?」
「やはりマッドエルフたちもこれにたどり着いてしまっていましたか……忌々しい事です」
「忌々しい?」
「……この部屋はもう十分ですね。こちらへ」
ソルドが聞き返したのを無視し、バージルは更に先の部屋へ。
後に続いて入ると、途端、うめき声のようなものが辺りから聞こえだした。
研修室から続くその部屋はだだっ広いだけで、一転して特筆するような高度な技術は見られない。
ただ壁際には檻がずらりと並び、中には鱗や角、長い爪を持つ小型の竜たちが閉じ込められている。
……いや、竜だけではない。
長い爪や牙、鱗を持つ異形……元々は人間であったのであろう生物たちも、一緒くたに檻の中だ。
「ひどい……」
ステラのつぶやきに、バージルは「そうでしょう」と返す。
「もう説明は要りませんでしょう? これが、これらのおぞましい実験が、私が見せたかったものです。神の手元にある神秘へと人間が土足で踏み入り、人間を化け物に変貌させる。こんなものは、発展の可能性などでは決してない。大いなる天の意志を、冒涜する行為に他ならないでしょう……さて、その上であなた方には問わねばなりません」
そして支配人は一行を振り向き、言う。
「レットン・グリドールとの面会を取りやめてください。この案件はすでに貴族院の管轄。ここで見たことを全て忘れ、他言せず、二度と嗅ぎまわらないと誓うなら、あなた方の無事を『保証』しましょう」
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