058 契約変更
「ソルド下ろして!」
「もう手遅れだと思うが」
「いいから!」
「了解」
真っ赤に染まった惨劇の通りを黒いドレス姿の少女が駆けていく。
その後ろ姿を見ながら、ソルドは肺を満たす凄惨な匂いに懐かしさに似た感情を覚えた。
(山賊の時は何とも思わなかったんだがな。殺している間に鼻が慣れちまうのかね)
あっちの世界とこっちの世界じゃ違う点は星の数ほどあるが、この鉄錆臭さだけは変わらない。
竜が居ようが魔法があろうが『死』だけは常に不変なのかもしれないなどと考えているうち、サイボーグは地に膝を突く少女の背中に追いついた。
「エクス! ねえ、起きて!」
血にまみれながら、力なく横たわる黒衣のエルフの身体を揺さぶるステラ。
少女に今更できることは無いと伝えるため、ソルドはそれが僅かに生体反応が残っているだけの死体であると伝えようとした。
「ステ、ラ、お嬢さま。どちら、に……」
「っ! エクス! わたくしはここにいるっ!」
だがサイボーグの予想に反して、エクスは首を少し動かして呼びかけに応えた。
大量出血の影響だろうか。その目はわずかに開いているが、彼女の手を握るステラの姿までは視えていないようだった。
「時間が無い、ので、簡潔に……デトロスは、トールを生かして連れて、行きました。殺されているかも、しれませんが、追いかければ、救出……」
「分かったから! ねえ! このまま死なないでよ!」
「私はどのみち、死ぬつもりでした。少し時期が早まった、だけ。そうだ……お嬢様、ナイフを持って、いませんか……?」
「ナイフ!? ナイフが必要なの?」
キョロキョロと辺りを見るステラに、ソルドは血にまみれたヒートナイフを転がっていた死体から取り上げて手渡す。
「ナイフを手に入れたわ! そしたら、どうしたらいい?」
「良かった……そのナイフで、私の心臓を、突いてください」
「……」
エクスの言葉に、ステラはナイフを握りしめたまま答えない。
その沈黙を否定と受け取ったのか、黒衣のエルフは令嬢の手首を掴み、自分に強く引き寄せた。
「エクセリア・グレアリング・キーワーク。私の、本当の名です。罪人に名誉ある死を齎すのを生業とし、あなたのお父様とお母様の首を落とした『処刑人』の名でも、あります」
「……」
「嘘をついたこと……申し訳なく、思っています。本当は、あなたを安全な場所へ連れて行ってから、最後に言うつもり、だったのですが」
「……」
「さあ、ナイフで、私を。ウォルムハルト家へのご恩を、仇で返した裏切り者に、その手で……」
「気づいていないと思っていたのっ!?」
ステラはナイフを握りしめたまま、怒りを隠さずに叫んだ。
「確かに確信は無かった。でも、あなたは知らなかったのかもしれないけれど、ウォルムハルト家と親しくしていた者たちは皆殺されるか投獄されたの。子供だからと放っておかれたわたくしだけが、お父様とお母様の人となりを知る唯一の生き残り。少しでも頼れる方は全員頼って、それでもなお全員助けてくれなかったし何回も騙された! だからこれは推理でも何でもない、単純な消去法。お父様とお母様の人となりを知っていて、かつ、まだ裁かれていない人。そんなの『処刑人』しかいないじゃないの!」
酸化して黒ずみ始めた血の海に透明な雫がぽた、ぽたと垂れる。
涙を流しながら、しかし、ステラはもはや視えていないエクスの目を睨みつける。
「『処刑人』のあなたなら、首を落とす直前まで牢に囚われたお父様やお母様と言葉を交わす機会があった。それよりもっと前にもね。そしたら二人が何の罪もない、善良な人間だと分かったはず! だから負い目を感じていたのでしょう? 国王様の命令で二人を殺してしまった事に負い目を感じて、わたくしを助けることで罪滅ぼしをしようとしたのでしょう!?」
「流石です、お嬢様。私程度が考えることなど、お見通し、でしたか」
黒衣のエルフは力なく微笑んだ。
「それなら、尚更です。早く、お二人の敵を、討ってください。でないと、間に合わなく、なります」
「……無理よ。そんなの」
ステラは首を横に振った。
「復讐の相手は皆悪人だと思っていたのに。あなたは嘘をついたと言ったけど、それってお名前だけでしょう? あなたはわたくしの前でずっと正直に話していた。お父様とお母様に恩義があるって言うのも、全部本当のことなんでしょう?」
「……」
「これはただの直感。だからじっくりお話を聞いて、あなたが本当に悪人なのかを確かめてから復讐するつもりだった。それでもし悪人でなかったら、わたくしの味方になってくれるなら、許したかった。そしてお父様とお母様のお話を、もっとしたかったのに……!」
「お嬢様は、やっぱり、お優しいのですね……」
徐々にか細くなる声でエクスは言う。
その見えてない眼も、もはや、ステラの声がする方を向いていない。
「……悪魔ソルド。君もそこに、いるんだろ」
「ああ」
「ステラお嬢様に何かあったら永久に呪ってやる。君が地獄から来ていようと、関係ない。その魂が朽ち果てるまで、呪い続けてやる」
「ご忠告どうも。だが契約報酬は後払いってことになっているんでね、依頼人の身を命懸けで守らなくちゃならないのは俺も同じだ。呪われるとしたら、あんたと地獄で再会した後ってことになるだろうよ」
「それなら、いい。悪魔は契約を絶対に守るのだろう? 下手な人間よりよっぽど、信用できる」
もうほとんど聞こえない声で言うと、エクスは少しだけ皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「でも、お嬢様。悪魔に魂を支払うなんて勿体ない。どうにか騙して、この男だけを、地獄に……」
ステラの手首を握っていた手が、血の海に落ちる。
汚染大気で曇った空を見上げたままこと切れた瞳に、ぽつ、ぽつと雨粒が当たり始めた。
「……ソルド、契約に一部変更があります」
没落令嬢は『処刑人』の死体の瞼を手で閉じさせ、ゆっくりと立ち上がった。
「復讐のことですが、標的をひとり変更します」
「構わないぞ。どうする?」
「『処刑人』はこの通り、わたくしの裁きを待つことなく、弁解もせず、勝手に死んでしまったので……その代わりにっ!」
浮かべた涙を睨みつぶし、真白い細指が差したのは違法建築の街の上層部、その更に上。
タインルフェ商会のロゴマークが掲げられた、ガレット全体を見下ろす巨大な塔。
「強欲で、すべてを自分の意のままに操れるとカン違いしていて、復讐相手を横取りしてわたくしを侮辱した、図体ばかりが大きい犯罪組織のボスにして極悪人、デトロス! あの男を、絶対に、殺します……!」
「了解」
ソルドは短く返事をして、依頼主の隣に並び立った。
「それじゃ、カチコミと行こうか」
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