見えない扉
つぐみがリビングに戻ると、品子が機嫌よさそうに鼻歌を歌っている。
「お、来た来た。なぁ冬野君。もう少し資料を読んだらお風呂に入ってきなさい」
「……え? お風呂ですか?」
「うん、お風呂。今日いっぱい汗かいたでしょう?」
「確かにそうですが。私はそろそろおいとましようかと。自分の家でお風呂は入りますから」
「え、だって泊まっていくでしょ?」
当たり前のように進む話につぐみは驚く。
「もう夜も遅いし、今日は金曜日だから明日は学校もない。あとこの資料、持出厳禁だからここで読むしかないよ?」
「そうなんですか? それは確かに困りますね。でも泊まるのはさすがに心苦しいです」
悪い癖だと理解はしているが、人見知りの行動が出てしまう。
「それに着替えも何もないですから。やはり失礼させて頂きます」
「ははは、そんな些末なこと、気にしなくていい! 風呂上がりの部屋着なら沢山あるよ! なぜなら私が、ここにしょっちゅう泊まっているからね」
なぜだか誇らしげにしている品子をつぐみは眺める。
「……あぁ、先生。そういえば週五でこちらに来ていると言っていましたっけ」
「うん、だからいつでも泊まれるように、お泊りセットはいっぱい準備してあるよ~」
「でも急にお邪魔しては、ヒイラギ君たちのご両親に迷惑が掛かります」
「それなら心配いらないよ。彼らの両親はもう亡くなられている。彼らは二人でここで生活しているから」
「二人だけで、ですか?」
「驚くことは無いだろう。君だって高校二年から一人暮らしをしていたのだから」
「確かにそうですが……」
つまり品子は、二人を見守るために週五でここに来ていたのか。
……ストーカー扱いしてすみませんでした。
心でそっとつぐみは品子にそう詫びる。
「見てわかると思うけど、この家は広いし部屋数もそこそこあるからね。寝る場所の心配もいらないよ!」
「それならやはり、家主のヒイラギ君やシヤちゃんに許可を頂かないと」
つぐみは二人の姿を捜す。
シヤがパジャマをもって、廊下の方に向かうのが見えた。
どうやら彼女がヒイラギの次に風呂に入るようだ。
「シヤー! 今日は冬野君を泊めるから。部屋が無いからさ、一緒の部屋で寝てもいいよね! ね!」
すごい勢いで品子がシヤへと向かっていく。
「先生、さっきと言葉が違いますが?」
品子にストーカー再認定をし、つぐみもシヤのそばへと歩いて行く。
「つぐみさんが泊まる件、私は構いません。兄さんも問題ないと言うと思います。あと、品子姉さんは奥の和室ででも寝てください」
シヤは淡々と語ると、廊下に出ていった。
「つれなーい。んじゃあ、私も一緒にお風呂に入ろっかなぁ~」
品子がシヤに続いて廊下に出て行く。
あの暴走を止めた方がいいだろうか?
リビングでそう考えるつぐみの耳に声が届く。
「顔のマッサージだったな、味わえ、品子」
これはお風呂を出たであろう、ヒイラギの声だろう。
「ひらい! ひらい! ひどいよぉ~」
「……いい加減こりろよ、お前」
向こう側からの声を聞くに、シヤはゆっくりとお風呂に入れそうだ。
安心したところでつぐみは再び資料を手に取る。
その店が多木ノ町の駅の近くにあるのは間違いない。
ではどうして見つからないのか。
入口が店のようになっていないという可能性があるのでは。
つぐみは会員制の店の二重扉を想像しかけるがすぐに否定する。
そもそもそんな店だったら、沙十美が入れるはずがないのだ。
「そういえば沙十美も全く店の存在は知らなかったって言っていたな。それで確かそこの店長さんに、メロメロな甘い言葉をもらっていて」
……あの時、彼女は何と言っていただろう。
その当時の会話を、つぐみは思い返していく。
『あなたのかつ? かつ何とかが感じられるこの出会いに感謝しても』
ぼんやりと輪郭のようなものが、浮かび上がってくる。
彼女はあの時、変わりたいと思っていた。
坂田に相応しい、輝いた人になりたいと願っていたはず。
品子達が持っている不思議な力。
それを使えるとして。
「あー、痛いわー。超~顔が痛いわー」
顔を押さえた品子と憮然とした表情のヒイラギが戻ってきた。
つぐみは立ち上がり、二人の元へと向かう。
「先生。先生が持っている力について聞きたいことがあります」




