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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
四章【狭間の王・前編】
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◆第一話『遠くティゴーグの地にて』

 七大王暦一七三五年・十一月二十八日(ガラトの日)


 蝋燭の火がゆらゆらと揺らめく。くすんだ黄金色の笠を通しているため、照らされた室内は薄暗い。そのおかげと言っていいのか、年季の入った調度品に傷やシミがついていようが、さして気にならなかった。


 イオル・ウィディールは酒場を訪れていた。

 外套を羽織ったまま、カウンター前の椅子に腰掛ける。店内は、カウンター前に置かれた椅子が六脚、ほかには机と椅子が二組あるのみで、相応に狭い。


 客は、自分以外に一人のみ。同じくカウンター席に座っている。店主に向かって、こちらが左端、あちらが右端という格好だ。

 イオルは、店主から出された水をぐいとあおる。


 ここはティゴーグ大陸。

 貴族街と貧民街の中間、流通街と呼ばれる区域である。

 ティゴーグは、七大陸の中でもっとも格差が激しい。そのうえ、貧富の間に生まれた確執に向き合おうともしない。言うまでもなく両者の関係は最悪だ。

 だが生産と消費を互いに依存し、切っても切り離せないという状況に置かれている。


 そこで国は、互いに越えてはならない線の役割も含め、流通街を設置した。

 流通街内では、越えさえしなければ誰もが行き来可能だ。

 また好きなように売買を行える。

 だからか多くの商人が押しかけ、いまでは年中賑やかな場所となっている。


 ただ、良い場所であるかと問われれば首を傾げざるを得ない。

 流通街は、門を広く開けられた特質上、すべてのものを管理することは困難を極める。いわゆる抜け穴が多く存在し、闇取引の隠れ蓑として使われているのだ。

 当然、付随するように闇に通ずる情報も多く集まる。

 イオルが、この流通街に長く留まっていることも、それが理由だった。


 ふいに、つんとした匂いが鼻腔を突き抜けた。

 視線を上げれば、店主が酒瓶の栓を抜いたところだった。

 グラスに赤々とした酒が注がれていく。やがて真っ赤に染まったグラスは、もう一人の客へと手渡された。


 客がグラスに口をつけたのを確認してから、店主がイオルの前に立った。

 一枚の紙切れを机に置き、すべらせてくる。

 それを受け取り、さっと目を通した。


 イオルは、黒導教会に関する情報収集を店主に依頼していた。

 しかし、紙に書かれた文字数は少ない。

 それも黒導教会に直接関係のない、彼らの縁者と思しき名前しか記されていない。


「少ないな」

「それ以上はこちらも命を賭けることになる」


 店主が、とんとん、と机を人差し指で叩いた。

 追加で払え、と言っているのだ。


「もう出せないぞ」

「ではここまでだ」


 言って、店主がすっと手を引いた。

 あっさりした引き際には反して、彼は横目でこちらをうかがっている。

 食い下がるなら今しかないぞ、と言わんばかりだ。


 イオルは乗らなかった。

 もちろん情報は欲しい。

 だが充分な金は払った。

 それで、この情報量しかないのだ。

 出し惜しみにしても、底が知れるというものである。


 イオルは紙切れをくしゃりと丸めて服にしまいこんだ。

 席を立ち、店の出口へと足を進める。

 と、背後から肩に手をかけられた。


「ちょっと待ちな兄ちゃん。良い情報があるぜ」


 振り向いた先、そこにいたのはもう一人の客だ。

 フードを目深に被っているため、正面からでも顔の全貌はうかがえなかった。

 目についたのは、鼻筋の斬り傷やこけた頬のみ。

 風貌からして怪しいことこの上ない。


 それに……。

 肩に手を触れられるまで、男が席を立ったことに気づけなかった。

 そのことから、男が相当は手練であることをイオルは直感で悟った。

 男の手を払いながら、威圧するように告げる。


「悪いが金がない」

「ああ? いらねえよ、そんなもん」


 良い情報ほど流通街では高い値がつけられる。

 それを無料で提供するというのだ。

 ますますもって怪しい。

 イオルはふたたび出口へと向き直る。


「おっと、待てよ」


 しかし回り込んだ男に、前をふさがれてしまった。


「邪魔だ」

「おいおい、少しぐらい聞く耳持けよ。これはあんたが知っておいて損はない話だぜ」


 顔を近づけてきた男が、ぼそりと呟く。


「――《剛剣》のイオル・アレイトロスさんよ」


 瞬間、イオルは全身が粟立つような感覚に見舞われた。

 気づいたときにはアウラを纏い、短剣形状の結晶を男の首に添えていた。


「なにが目的だ」

「別にあんたをどうこうするつもりはねぇから、安心してくれ」

「口でならなんとでも言える」


 首に刃物を突き立てられているというのに、男に動揺した様子はなかった。

 そればかりか口元を緩め、にやにやと笑っている。

 どう見ても正気とは思えない。


 イオルは特に素性を隠しているわけではない。とはいえ、流通街に来て以来、ただの一度も素性を漏らした覚えがないのだ。

 リヴェティア王国内では、それなりに名前が知れていたかもしれない。だが、ひとたび大陸を出れば、《剛剣》の名を知るものなどほとんどいないようなものだった。それを相手は顔と名前を一致させた状態で知っている。


 男が何者なのか。

 平静を装いながら、イオルは全力で思考をめぐらせる。

 だが、答えは一向に出ない。

 こちらの焦りを知ってか知らでか、男が飄々とした様子で話しはじめる。


「あんた黒導教会を追ってるんだってな。グラトリオの敵討ちか?」

「お前には関係ない」

「愛想ねえなあ。まあいい。で、その黒導教会についてだが……そこの頭が誰だか知りたくねぇか」


 イオルは思わず短剣を握る手に力が入ってしまった。

 それに目ざとく気づいた男が、口の端をわずかに吊り上げる。


 提示された話題は、イオルにとって捨て置けないものだ。

 この男が何者かはわからないが、話を聞いてみる価値はあると思った。

 イオルは、纏っていたアウラを散らした。


「ふぅ、ようやく話を聞く気になったようだな」


 肩をすくめる男をよそに、イオルは入り口に近い側のテーブル席に腰を下ろした。向かい合う形で、男も座った。

 さすがは流通街といったところか。

 一連のいざこざを見ていたにも関わらず、店主は平然としていた。

 店主がグラスを磨く音を背景音に、男が語りはじめる。


「さて、どこから話したもんかね。少し前置きというか、雑談から入ろう。あんた、黒導教会がいつ頃から存在していたか、知ってるかい」

「今から六百年ほど前と聞いている」

「そう、奴らが歴史に顔を出したのは約六百年前。それだけの長い間にも関わらず、いまだ多くが闇に包まれたまま。おかしいとは思わねえか」

「よほど情報統制がとれているんだろう」

「それはどうだろうな。人間ってのは、なにかを信じれば信じるほど、その裏に大きな不安を抱えてるもんだと俺は思ってる。そして不安は疑心を生む。ひとたび黒導教会に入ったはいいが抜けたくなった。そんな人間が、一人や二人いてもおかしくはないとは思わないか?」

「抜け出せない環境下に置かれたのかもしれない」

「具体性に欠けるな。そもそも抜け出せない環境なら、活動できないだろう」


 男が人差し指をたてる。


「じゃあ、こういうのはどうだ。信徒たちは疑心すら生まない存在だった」

「人ではない、と言いたいのか」

「近いな。もっと根本的なものだ」


 男は、人間は必ず疑心を生むと言った。

 それなのに疑心を生まない存在だったら、と言う。

 一見、矛盾しているようだが……。

 まさかとは思ったが、イオルはその答えを口にする。


「信徒が、存在しない」

「そう。黒導教会には初めから信徒なんていないんだよ」

「いや……ありえない。リヴェティアを襲撃したときにも、奴らはたしかに存在した」

「言い方を変えよう。操られた使い捨ての駒は存在する。もちろん使う奴は、黒導教会の頭だ」


 黒導教会として実質的に動いているのは一人である、と男は言いたいのだろう。

 たしかに一人であれば、当人が黙っていればいいだけなのだから、内部の情報は漏れようがない。それにどれだけ黒導教会をさぐってみても、実体を掴めないことにも説明がつく。ただ、認めるには重要な問題が捨て置かれていた。


「仮にお前の言う話が本当だったとしたら、どうして黒導教会は今も存在している。信徒がいないのであれば、受け継ぐ者もいない。とうに滅びているはずだ」

「簡単だ。受け継ぐ必要がなかったんだよ」

「……なにが言いたい」

「あくまで俺の推測だが――」


 もったいぶるように間を空けてから、男が口を開く。


「黒導教会の創始者は、今もこの世界に存在している」

「馬鹿な。六百年だぞ? 人外か」

「そうかもしれねえし、そうじゃないかもしれねえ。あくまで推測なもんでな」


 推測にしては妙に信憑性のある話だった。

 いや、そう思わせるような話し方であった、というべきか。

 居住まいをなおしたあと、男がふたたび語りはじめる。


「さて、ここらで雑談は終わりにして本題に入ろう。黒導教会の頭について、だったな」


 もともと、その話を聞くために席についたのだ。しかし男の話に耳を傾けているうちに、いつの間にか本題が頭から抜け落ちてしまっていた。ひどく癪に障ったが、顔に出さないようぐっと堪えた。出せば、男が調子に乗ると思ったからだ。


「俺、ちょっと危ねえ橋渡っててよ。仕事の都合で、ある二つの組織に関わる機会があってな。で、その依頼主ってのが、どっちも同じでよ」


 言いながら、男は鼻筋の傷をさする。

 しのぶように細められた目の中、瞳にはわずかに哀愁が宿っているように見えた。


「まあ察しの通り、そのうちの一つが黒導教会の頭からだったんだが、そのもう一つってのがガスペラント帝国の幹部だったんだ」


 黒導教会とガスペラント帝国。

 その二つは、以前から関わりがあるという噂が絶えなかった。

 だから驚きよりも、やはりな、という気持ちが強かった。


「そいつの名前は知らない。ただ帝国では、奴はこう名乗っていた」


 男は組んだ両手の上に顎を置くと、低い声でこうつぶやいた。


「ガルヌってな」



   /////


 酒場をあとにしたイオルは、流通街をあてもなくぶらついていた。

 並ぶのは石造りで統一された建築物。内側の貴族街側には買取店が多く、外側の貧民外側には販売店が多い。もちろん売っているものは多種多様で、先ほど入っていたような飲食店も存在する。


 すれ違った人の中に、煌びやかな衣装に身を包む者は誰一人としていなかった。多くの者が外套を羽織るだけの格好だ。中には秘所を薄汚れた布で隠しているだけの者もいたが、そういった者はたいていが、ふらふらとした足取りで隘路へと姿を消していく。


 ここは流通街の中でも異質な場所だ。

 大陸の東側一帯に、廃棄物がすべて集まることから“ごみ溜め”と呼ばれている場所が存在する。そこには、ごみを頼りに生活する者や、ごみを求めて訪れる浮浪者が多く住み着いている。


 ――ティゴーグ王国に認められない者たち。

 彼らの中にも温厚な者はもちろんいるが、その多くが過酷な環境下に置かれたことで良心を捨てて悪事に走る。

 イオルが今いる区画は、そんな〝ごみ溜め〟にもっとも近いため、治安が悪い。


 耳を澄ませば、どこからか怒鳴り声が聞こえてくる。初めてこの区画に訪れたときは顔を歪めっぱなしだったが、慣れてしまえば日常的に行われることとしてまったく気にならなくなった。


 遠く聞こえる喧騒を耳に入れながら、イオルは酒場での出来事を振り返る。

 鼻筋に傷を負った男が、黒導教会に関する情報を提供してくれた。それも大本の情報だ。

 ――黒導教会の創始者が今も生きていて、帝国の幹部として活動している。

 もちろん審議は定かではない。無償で提供されたことも手伝って胡散臭いことこのうえない。ただイオルは、これまで買ったどの情報よりも信憑性があると感じていた。


 金のかかった情報よりも、金のかからない情報を信じるか……。


 しかし話が本当だったとして、どう動けばいいのか皆目見当がつかなかった。

 なにしろ帝国の幹部である。

 自分一人ではとうてい近づけそうにない。

 だからと言って、諦めるつもりは一切なかった。


 グラトリオ・ウィディールをたぶらかした存在を討つために――。

 心の奥底に隠した爪を研ぎながら、〝ガルヌ〟に繋がる道を探りはじめた、そのときだった。


 後方から悲鳴が聞こえた。

 ただのいざこざにしては周囲の反応が大げさだ。

 振り返ると、アウラを纏った三人の集団が遠くに映った。

 こちらに向かって、地上すれすれを飛行している。

 先頭を翔ける者が叫ぶ。


「うっわぁ~、どいてどいて~!」


 どうやら後ろからくる二人に追われているようだ。

 行き交う人たちを避けながら追走劇を繰り広げている。


 近づくにつれて、段々とその姿があらわになってくる。

 逃走者は身長が低く、一見して子どもに見える。動物の耳のような突起がついた帽子を被り、分厚い硝子の入った眼鏡と思しきものを目につけた格好。帯革で吊られた赤茶のつなぎには黒い汚れがあちこちに付着している。


 追跡者たちは、どちらも長身痩躯の男だった。目だけを覆う黒い面をつけ、生地のしっかりした黒緑基調の軽装に身を包んでいる。


 逃走者が纏うアウラは黄の光(フラウム・クラス)。対する追跡者は紫の光(ヴァイオラ・クラス)、と質の差は一目瞭然。しかも追跡者が手に持った剣の精巧さは相当なものだ。リヴェティアで言えば、王城騎士に入れる程度の実力はあるのではないだろうか。


 傍を、彼らが通過していく。

 遅れてやってきた風に叩かれながら、イオルは周囲を見回した。

 逃走者の方が明らかに弱者だ。

 だが、誰も助けようとはしない。

 面倒ごとに巻きこまれたくないのだ


 自分も同じだった。

 明確にできた標的。その相手が帝国という巨大な組織に属する以上、目立つのは得策ではない。そう頭ではわかっていたのだが、イオルは気づけばアウラを纏い、彼らのあとを追っていた。


 前を行く彼らが、くいと直角に曲がり、右手側の隘路へと入る。

 イオルも続くと、前方から声が聞こえてきた。


「いい加減どっかいけー!」

「大人しく捕まれば、手荒な真似はしない!」

「散々脅しといて、よくそんなことが言えるよ!」

「ちぃっ! 多少痛い目を見てもらうしかないな!」


 追跡者の一人が剣を振り上げた。

 このままでは逃走者は攻撃を受けてしまう。

 イオルはすでに巨剣を造りだし、後ろに流していた。半円を描くようにして上空から前方へと倒す。不意打ちだったからか、追跡者の頭から背に直撃した。地面にめりこんだ彼は、ぴくりともしなくなる。


 すぐさまもう一人の追跡者へと剣を向けようとする。が、その巨大さゆえ、軌道の変更に手間取ってしまう。その間に追跡者に体勢を整えられてしまった。イオルは舌打ちとともに巨剣を薙いだ。追跡者の剣とかち合い、甲高い音が鳴る。相手の顔をわずかに歪ませることはできたが、それだけだった。

 競り合いながら、追跡者が訊いてくる。


「何者だ、貴様っ!」


 わざわざ答えてやる必要などない。

 イオルは無視した。

 それが気に障ったのか、追跡者が瞳に怒りを滲ませた。


 と、ふいに追跡者の後ろからしのびよる影が目に入った。

 逃走者だ。

 なにやら金槌形状の結晶を振り上げている。

 そんな後ろの光景を知らずに、追跡者はこちらに矛先を向け続けている。


「答えぬというのなら――!」

「えいっ!」

「ごっ――」


 金槌が振り下ろされた。

 脳天に直撃を受けた追跡者の目玉がぐりんと回る。

 それを機にイオルは手に力をこめ、巨剣を振り抜く。と、結晶剣ごと追跡者が壁へと激突。アウラを散らし、ぐったりと倒れこんだ。


 アウラの質では、ほぼ同格の相手だった。

 不意打ちや逃走者の加勢がなければ、勝利することは難しかっただろう。


 ……やはり切り返しの一撃が問題だな。


 造り出した武器には自信があった。だが、使い手である自分が未熟であるがゆえ、武器に振り回されているといった感が否めない。使いこなせれば、格上が相手だろうと引けをとらないと自負しているが、なかなか上手くいかなかった。


 先ほど地面にめりこんだ追跡者にも動きが見られないことを確認してから、イオルは自身の造り出した得物を霧散させた。

 ふと大通りの方から視線を感じた。そちらを見やれば、顔を出して隘路を覗いている者たちが目に入った。大方、騒ぎを聞きつけたのだろう。

 威嚇するようにねめつけると彼らはあっさりと四散した。


「いやー、助かったよー。あいつらしつこくってさ~」


 そう口にしたのは逃走者だ。

 彼、あるいは彼女は近くに寄ってくると、その眼鏡らしき物を額にずらした。あらわになった、あどけなさの残る顔で満面の笑みを浮かべる。


 いきなりの人懐っこい態度に、イオルは思わず面食らってしまう。

 そんなこちらの心情などお構いなしに、逃走者ははめていた手袋をとり、握手を求めてくる。


「あたしの名前はルッチェ――」


 次に逃走者が口にした名に、イオルは目を剥いた。


「ルッチェ・ラヴィエーナ! 助けてくれてありがと!」



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