◆第二話『アムールであること』
十一月十九日(ガラトの日)
ごみ一つない上質な赤絨毯。どれもが手入れの行き届いた艶のある調度品。精緻な花柄模様が描かれた壁。それらすべてを、天井から吊るされた煌々と輝く装飾灯が照らしだす。
豪奢な部屋の中、ベルリオット・トレスティングは、上着を脱いだ状態でベッドに座っていた。
あちこちに包帯が巻かれた体を薄い緑光の膜が包みこむ。少量のアウラを取り込み、ほどよく体を活性化させることで回復を早める、という治療法を行っているところだ。
「うん、それぐらいを維持しててね」
室内には、ほかにクーティリアス・フォルネアがいた。ベッド脇の椅子に座り、彼女も同様に緑の光を纏っている。
ベルリオットの腹部に、クーティリアスの手が優しく添えられた。そこは、もっとも深い傷を負った場所だ。わずかに痛みを感じたが、最初だけだった。手が置かれた場所へとアウラが静かに集まっていく。やがて傷口を中心に温かい感覚が押し寄せ、心地よさを与えてくれる。
「大丈夫、ベル様? 痛くない?」
「ああ。むしろ気持ち良いぐらいだ」
「ならよかった」
メルヴェロンド大陸が落下してから四日しか経っていない。にも関わらずベルリオットは、すでに歩ける程度には回復していた。
人間と同じ姿をしているとはいえ、体の作り自体まで同じとは限らない。これまでを鑑みれば、アムールの傷の治りが早いことは間違いないだろう。
クーティリアスが無言でアウラの誘導を続ける。
そんな彼女の顔を見ながら、ふとベルリオットは心配になった。
表面に負った傷のほとんどはいつか癒える。
しかし心に負った傷は、そう簡単に癒えるものではない。
「クティの方こそ大丈夫なのか?」
「うん? なにがだろう?」
「いや……大陸、落ちただろ」
彼女はメルヴェロンド大陸に長くいたのだ。愛着が湧いているのは間違いないはずだが、落ち込んだ様子はいっさい見られなかった。
「悲しいとか寂しいって気持ちはもちろんあるよ。でも、だからって下向いてちゃなにも解決しない。今はみんな大変な時期だから。そういうときこそ、一人でも多く顔を上げてないといけないって、そう思うんだ」
言って、クーティリアスはにかっと笑った。
顔を上げたところで負の感情が消えるわけではない。それでも人はいま、顔を上げなければならない。顔を上げて、前を向いて飛び続けなければならないのだ。
彼女は、いつもこうして大事なことを思い出させてくれる。
「普段はへんてこなのに相変わらず根っこのところはしっかりしてるな、クティは」
「へへ、これでも教会の司祭ですから。人々を導くには……ってぼく、へんてこじゃないよ!」
「褒めたんだぞ」
「へんてこのどこが褒め言葉なんだよーっ!」
「おい、やめっ。こっちはけが人なんだぞ!」
ぽかぽかと殴りかかってくるクーティリアスを腕を掴み、動きを封じた。しかし彼女はなおも暴れ続ける。
「むおーっ!」
と、彼女が変な声をあげた、そのときだった。
こんこん、と扉が叩かれた。
「どうぞ、お入りください」
いつの間にかクーティリアスが距離をとっていた。その顔には、教会の司祭に恥じぬ凛々しい表情が貼り付けられている。
変わり身の早さも相変わらずだ。
「失礼いたします」
扉が開けられ、先にひとり、そのあとに続いて二人が入ってきた。
先頭を歩く者は、見目麗しい女性だった。精妙に編み込まれ、豪奢な飾りをつけられた美しい長髪。それに包み込まれる顔には化粧が施され、素朴さなどいっさい感じられない。
そして身に纏うのは紫を基調としたドレス。はだけた胸元からはふくよかな胸の肉が、脚部付近に入れられた切込みからはしなやかな太腿が覗く。
彼女の全身から滲み出る蠱惑的な空気。
しかしそこには、たしかな威厳が混じる。
「ファルール王……?」
七大陸王会議が開かれたとき、顔を合わせているので間違いない。どうして、王がこの場に来たのか。もちろんなにか要件があってのことだとは思うが、その表情の硬さにベルリオットは思わず身構えてしまう。
彼女の後ろから付き従うのは、ナド族のハーゲンとマルコだ。彼らは、肩と乳房に金色の鎖が、秘所に赤色の布が巻きつけられているだけという露出度の高い格好。裸であることが常である彼らにしてみれば最大限の譲歩なのだろう。
だが、クーティリアスには刺激が強かったらしい。頬を赤らめ、目をそらしていた。
正面に立ったファルール王が、続いてハーゲンたちが静かに片膝をついた。
「なっ――」
ベルリオットは目を瞠った。
いったいなにが起こっているのか。
相手はファルール大陸の王である。
王は、狭間の世界ではもっとも位の高い存在だ。
頭を下げる相手などいようはずがない。
戸惑うこちらのことなどお構いなしに、ファルール王が口を開く。
「あなた様の傷が癒えるのをお待ちしてからと思い、充分な時を置いて参上させていただきました。それにおいて、ご挨拶が遅れてしまい誠に申し訳ございません。また、このような場所しかご用意できなかったこと、どうかお許しいただきたく」
目の前の彼女からは、以前に会ったときのような俗世にとらわれない……言ってしまえば自由奔放な様子がいっさい見られなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ――待ってくださいって! なんであなたがこんなこと」
「神アムールを前にして、当然のことであると存じ上げます」
そこでベルリオットは、自分がアムールである、と公言したことを思い出した。
たしかにアムールは多くの者に神として崇められている存在だ。しかし自分は、アムールであっても崇められるようなことはしていない。たしかに立場を利用してサン・ティアカ教会の者たちを説得はしたが……。
人々から頭を下げられるためにアムールを名乗ったわけではない。
「まずは顔を上げて、立ってもらえると。あとその堅苦しい話し方もなしでお願いしたい」
「……お望み通りに」
ファルール王が顔を上げ、立ちあがる。その際、彼女はなにが気になったのか、眉をひそめていた。だがそれは一瞬で、すぐに表情を戻した。
「調子、思ったよりも良さそうじゃないか」
「おかげさまで。クティが看病してくれたので思ったよりも早く治りましたよ」
「可愛い娘に看てもらって幸せものだねぇ」
「そんな可愛いだなんて……」
言われ、クーティリアスが淑やかに照れる。
そこで地を出さないあたり、しっかりしているな、とベルリオットは思った。
「それで、どうしてここに来られたんですか? なにか用があったんじゃ」
「いや、気になってしかたなくてねぇ。〝我らが神〟はいったいどんな面をしているのか、と」
「さぞかしがっかりしたことと思いますが」
「前に会ったときに言っただろう。あたし好みだってね」
「からかわないでくださいよ」
「つれないね。……まあ、用ってものはなくて、軽く話そうと思っていただけさ。ただ……気が変わった」
そう言うと、ファルール王は、わずかに冷たさを宿した瞳で見据えてきた。
「少し散歩しないかい? 見せたいものがある」
/////
「散歩って言うものだから、てっきり外を歩くのかと」
「立場上、そう気安く顔を出せないからねぇ」
人が三人並んで歩ける程度の、石壁に囲まれた通路内。暗闇の中を先行するハーゲンが持つ松明の灯りを頼りに、ベルリオットはファルール王と並んで歩いていた。
袖を引っ張られる。引っ張ったのは、すぐ後ろを歩くクーティリアスだ。彼女は暗い場所が苦手なのか、不安げに周囲をうかがっている。
彼女のさらに後方にはマルコが続く。やや低めに持たれた松明の火がゆらめき、彼の顔を下方から照らし出す様は、不気味としか言いようがなかった。
少し肌寒さを覚える中、ベルリオットはぼそりとつぶやく。
「それにしても地下通路なんて……」
「外に顔を出さなくても、王宮からあたしの所有地に行けるようにね」
「じゃあ、さっきの屋敷は」
「あたしの別邸さ」
「豪華なわけだ」
誰もが自由に行き来できる街中には、どんな危険が潜んでいるかわからない。
そんな場所を、一国の王が極力出歩かないようにするのはなにも不思議ではなかった。だからと言って、このような地下通路が存在するとは思いもしなかったが。もしかすると、リヴェティアにも同じようなものがあるのだろうか。
帰ったらリズに訊いてみよう。と、そう思ったとき、外へと意識を向けたからか、ふと気になることが頭に浮かんだ。
「今、情勢はどうなってるんですか?」
「膠着状態だよ。リヴェティア、ディザイドリウム、聖堂の騎士連合はかなりの被害を受けたみたいだからねぇ。見る限りじゃすぐに動けそうにない。向こうも、かなりの損害を被ったんだろう?」
「ええ、たぶん」
「ってな感じだから、またすぐにおっぱじめようってわけにはいかないんじゃないかい」
「そう……ですか」
ベルリオットは、ほっと安堵した。
またガスペラント帝国側がなにかしかけてくる可能性は高い。いざそのときが来たら全力で事に当たれるよう、できるだけ体調を戻しておきたかった。
「まあ、こっちも哨戒機を出してる上に、北方に部隊を配置してけん制してる。そう易々とは上陸できないだろう」
「ありがとうございます」
「なに、帝国に主権をとられるのはうちとしても面白くないからねぇ。それにリヴェティア側につけば、まだうちのファルールが〝最後の大陸〟になる可能性も残されてる」
言って、ファルール王はにやりと笑う。
反射的に、ベルリオットは眉をしかめてしまった。
ファルールも戦争をしかけるつもりなのか、と。
そんなこちらの様子を見てか、ファルール王がふっと噴き出した。
「安心しな。あたしは帝国みたいな野蛮なことはしないさ。戦うとしたら、それはちゃんと交渉の場でだよ。あんたんとこの王はまだまだ甘いところがあるからねぇ。つけ入る隙はたくさんある」
「俺にしてみれば、よくやってると思うんですけどね。歳も俺と変わらないのに、立派にみんなを引っ張ってくれてます」
リズアートは、父が殺された直後という失意の中でリヴェティアの王となった。その若さゆえ、不安視する者も少なくはなかったが、それらを一蹴するほど揺るがぬ意志で王としての務めを果たしている。
人々を導くという使命を背負いながら、目をそむけ続ける自分とは大違いだ、とベルリオットは思った。
ファルール王が、ぐいと顔を寄せてくる。
「なんだい、あたしが老けてるって言いたいのかねぇ?」
「い、いやそういう意味で言ったわけではなくて」
ふいに、前を歩くハーゲンが足を止めずに叫ぶ。
「陛下はまだ三十一歳ですから! 充分にお若いと思います!」
「おいハーゲン、誰が歳を言えと言ったんだい。余計だよ」
「陛下は歳のわりにはお美しいと思います! 自分、いけます!」
「マルコ、お前まで……。ったくナド族ってのは、どうしてこうも隠すのが下手なのかねぇ」
「隠す気がないからです!」
やれやれ、とファルール王が肩をすくめた。
ふいに、くいくいと袖を引っ張られた。振り向くと、クーティリアスが頬を赤らめながら前方を指差している。たどった先にあるものを目にして、ベルリオットは妙に納得してしまった。
クーティリアスは暗いのが怖くて周囲をうかがっていたわけではない。ただ、目のやりどころがなかっただけだ。
視界に映る、ハーゲンの尻。
たしかに隠す気がないな、とベルリオットは思った。
/////
長い地下通路を経て、たどり着いたのはファルール王宮だった。
光沢のある石質の廊下には絨毯など敷かれておらず、歩くたびに小気味よい音が響く。両脇には区画ごとに色分けされ、飾られた花々。色だけでなく香りも違うようで、区画が変わるたびに違った趣を楽しませてくれる。
リヴェティア王城が荘厳さに特化した造りであるすれば、ファルール王宮は華美さに特化した造りといった感じだ。
ベルリオットはクーティリアスとともに、ファルール王の斜め後ろから続く。地下通路で前を歩いていたハーゲンは、いま、マルコとともに最後尾につけている。
道すがら何人もの騎士とすれ違った。
しかしその中に、ナド族は一人して見当たらなかった。
「ナド族って、あんまりいないんですね」
「ああ、うちにいるのはハーゲンとマルコだけだからねえ」
「他の者は大陸西部の村で過ごしています」
と、声をあげたのはマルコだ。
「声はかけたんだが、来たのはこいつらだけさ」
「みな、解放感を求めていますから」
王に仕えることになれば裸ではいられない機会が増える。
たしかにそれは、裸でいることを常とするナド族には厳しい条件なのかもしれない。
とはいえ、ベルリオットにはとうてい理解できない問題だった。
「まあ《災厄日》には、ナド族も手を借してくれるからねぇ。西側は防衛が楽でいいんだよ」
「自分の身は自分で守る。それが聖なる騎士・ナドであります」
同じく聖なる騎士を名乗る、教会お抱えの聖堂騎士。ひとたび剣を置けば、楚々とした雰囲気を纏う彼女らとは、似ても似つかない存在だ。
どちらが聖なる騎士にふさわしいのか、と考えてみたものの、個人的観点からではナド族には勝ち目がないように思えた。
……まずは服を着てからだな。
そんなくだらないことを考えながら、ファルール王のあとに続いていく。
長めの回廊、階段を経て、王宮の上部の方へたどり着いた頃、ベルリオットはずっと気になっていたことを口にする。
「そういえば見せたいものって、なんなんですか?」
「もうすぐだよ」
言ってから、ファルール王がクーティリアスの方をちらりと見やった。
「教会の歌姫もいることだしちょうどいい。サン・ティアカ教会の信徒は、全大陸人口のどれくらいを占めてるか、わかるかい?」
「少なくとも七割以上、と言われています」
クーティリアスが淀みなく答えた。
信仰の程度に違いはあれ、ほとんどの者がサン・ティアカ教会に属している。彼女の〝少なくとも〟というのは、本当に控えめに言われたものだ。
「そう。我がファルール大陸にも相当数が存在する。そしてその彼らが信仰する神アムールが、先日降誕した」
ファルール王は、いったいなにが言いたいのか。
思考を巡らせる間もなく、彼女が足を止めた。
「ついたよ。顔を出してみな」
幕付きの立派な門に囲われた先、外へと通ずる道があった。外から差し込む陽射しに思わず目を細めながら、ベルリオットは促されるまま足を踏み出す。
石壁の柵で囲われた、外へと突き出すような足場。どこかリヴェティアの天空の間に似通ったその場所からは、王宮前に広がる前庭を望めた。
眼下に広がる光景を目に収めたとき、ベルリオットは息を呑んだ。
決して狭くはない前庭の中、人がぎっしりと詰まっていた。汚れた服を着た者から煌びやかな服を着た者まで、と身なりに一貫性はない。ただ多くの者が両手を合わせながら天を仰ぎ、または跪座している。
動かされた彼らの口から、多様な言葉が出される。
「滅びのときを前にして、我らのために天上より降りてくださったのだ……」
「神は我らを見捨てなかった!」
「ふたたび我らのために立ち上がってくださった!」
「神よ……どうか我らをお救いください……」
ファルール騎士と思しき者たちが、王宮に押し寄せる人々を制していた。相手は戦士ではない。ましてや自国の民だ。手を出すわけにもいかず、騎士たちは抑えるので精一杯のようだった。しかもいまだ多くの者が前庭に入ってくる。いつ決壊してもおかしくない。
「なん、だ……これ…………」
目に映る光景を前にして、ベルリオットはうまく言葉がでなかった。
前庭にいる者たちは、なおもアムールへ祈りを捧げている。
ただ祈りを捧げるだけなら教会でもいいはずだ。
ファルールにも、サン・ティアカの教会は多く存在する。
しかし前庭にいる者たちは、わざわざ王宮に訪れた。
理由は、わかっている。
彼らが信仰するアムール、つまりベルリオットが王宮にいるからだ。
ここにいる全員が、俺に祈りを捧げてるのか……。
その答えに行きついたとき、ベルリオットは全身がざわつくような感覚に襲われた。
ゆっくりとそばに立ったファルール王が耳打ちしてくる。
「もちろん、こうなることを承知で、きみはアムールであることを自ら明かしたんだろう? そうでないのなら――」
冷淡な口調で、彼女は言葉をつむぐ。
「きみは、いますぐに自分の立場を理解するべきだ」




