まだ答えてない
迷宮が、縦に立ち上がった。
床だった石路が壁になり、壁だった石路が天井を突き抜ける。階段も扉も人も、巨大な本の頁に挟まれたように九十度回った。
ニコだけが、回る前から走る場所を見ていた。
彼の正面には、石壁が十三枚重なっている。その向こうで、迷宮の出口を示す青い星が光っていた。
「あそこまでなら、まっすぐ」
「途中の壁は?」とリナ。
「切る」
ニコが自分の答案へ解環をかざす。一行の光像が輪へ移り、足元から細い白線が青い星まで走った。
ただし、七枚目の壁だけが動いている。
壁ではなかった。巨大な甲虫型守護獣の背だった。迷宮が立ち上がったため、石に擬態していた殻が道を横切っている。
「いま走ったら、七枚目で甲殻が刃を弾く」とセシル。
「弾かれた刃は?」
「この角度なら、私たちへ戻る」
リナは一歩下がった。
「それ、先に言って」
「いま分かった」
セシルは橋の端に残された守護獣の甲殻片を取り出した。昨日、岩月へ刺さった欠片から剥がした薄い一枚だ。
「同じ殻なら、傷の向きも似ている。七枚目の手前へ置けば、光刃を背の継ぎ目へ導ける」
「置くのは誰」とマヤ。
「私」
「また走る?」
「走らない。横向きの階段を使う」
迷宮の側面には、天井だった段が梯子のように並んでいる。セシルは甲殻片を口にくわえ、両手で段を登った。
魔法の光は一つも出ない。
足を滑らせれば、立った迷宮の底まで落ちる。ニコの白線をまたぐ位置へ辿り着き、甲殻片を石の隙間へ差した。
「固定した」とセシル。
ニコは青い星を見ている。
「背が動いたら、僕の線に入る。入る前に――」
甲虫の脚が石路を掻いた。
巨大な背が白線へ近づく。
セシルが叫ぶ。
「今!」
ニコが走った。
足元から巨大な光刃が立つ。第一の壁を切り、第二、第三を一直線に裂く。
「待って、ニコはまだ――」
リナの声は刃の音へ消えた。
七枚目。
光刃が甲殻片へ当たる。薄片の傷へ導かれ、守護獣の背の継ぎ目へ滑り込んだ。
甲虫の殻が左右へ開く。
ニコは曲がらない。開いた背のあいだを抜け、残りの壁を切り、青い星へ到達した。
立っていた迷宮が、再び横へ倒れる。
どおん。
リナたちは石床へ転がった。
*
出口で、ニコは解環の光が静まるのを待ってからセシルへ来た。
「まだ答えてない」
「何を?」
「走る前。僕は、甲殻が線に入る前に合図して、と言うつもりだった」
「入る直前だった」
「だから成功した」
「ええ」
「成功したから、いい?」
セシルはすぐに答えなかった。
「よくない」
「なら、次は待って」
「分かった」
ニコは頷いた。怒鳴らない。責め続けない。その短さの方が、セシルの顔を硬くした。
リナは口を挟む。
「でも、待ってたら甲虫が入ってた」
「別の合図があったかもしれない」とニコ。
「なかったかもしれない」
「それを決めるのは、走る僕だ」
リナは黙った。
セシルが代わりに言う。
「次は待つ」
約束は短かった。
迷宮の切断面に、まだ存在しない巨大な足跡が浮かび上がった。
十二の鼓動後にだけ立つ何かが、雷骨庭の深層へ向かっている。




