投げる前に聞いてる
砂粒が、月になった。
ハルの指先を離れた時には爪の間へ入るほどだったものが、天蓋射場を横切るうちに馬車を越え、家を越え、ついには空を塞ぐ岩月へ育った。
風が低く唸る。
岩月はもう止まらない。縮まない。星座峡谷のどこかへ落ちるまで、大きくなり続ける。
「投擲巨大化魔法で、試し投げって言ったよね!」
リナの髪が風に煽られる。
「砂一粒だった」
ハルは空を見上げたまま答えた。短い茶髪の間に本物の砂が残っている。
射場の石台にはハルの答案が残り、その横で解環の内側だけが光っていた。砂を投げる前に、本人が一行を発動させていたのだ。
「大きさの話じゃない!」
「距離の話だった」
岩月の影が射場全体を覆う。
学院が示した終点は、峡谷の向こうに浮く青い輪だった。けれど輪は三つへ分かれている。右、左、天井近く。岩月はその中央へ向かい、どの輪にも入らない。
「手放した後は、止められず縮められない」
ハルが一文で言う。
「知ってるなら、どうするの」
「落ちる場所を選ぶ。次は」
「次がある前に、今の月が落ちる!」
セシルは言い争いを聞かず、地面を見ていた。
白い射場には、まだ起きていない灰紫色の巨大な擦り傷が走っている。昨日、球形城壁の空に見えた、触れられない未決宮の候補像と同じだ。
「この岩月は、峡谷の縁を擦る」
「落ちる?」とニコ。
「落ちる前に、あちらの横倒しの塔へ当たる」
峡谷の向こうで、細長い塔が空中に横たわっている。岩月の軌道からは少し外れていた。
「少しじゃない」とハル。「今の角度では届かない」
「宮の候補では届いている」とリナ。
不合格答案を開く。
――岩月は、峡谷を渡る橋になっている。
「それを出したら、十二の鼓動で本当に橋へしないと崩れる」
「岩月はもう飛んでる」とハル。
「だから間に合わせる」
「どうやって」
「それを今から考える」
「順番が逆」
「私の得意な順番」
セシルが答案を覗き込む。
「橋、だけ?」
「書くのは一つだけ。岩月が峡谷へ挟まって、渡れる」
「人の位置は指定しない」
「勝手に動かせないから」
ハルが二人の間へ入った。
「出す前に聞く。僕が次の石を投げて、今の岩月へ当てる。角度を塔側へ変える。やっていい?」
「石はどこまで大きくなる?」とセシル。
「岩月までの距離。たぶん鐘ひとつ分」
「たぶん?」とリナ。
「飛んでる物へ当てたことはない」
「今度は首席が止める番じゃない?」
セシルは灰紫色の擦り傷と岩月を見比べた。
「止めない。角度は合う」
「即答だね」
「時間がない」
リナが解環を答案へかざす。
一行の光像が輪へ移った。
周囲の音が消えた。
どくん。
峡谷に、未来の岩月橋が重なった。
現在の岩月はまだ空にあるのに、もう一つの巨大な岩体が峡谷へ食い込み、横倒しの塔へ肩を預けている。表面は触れられるほど実体を持ち、亀裂の中で星が流れていた。
橋の上には六つの半透明の人影がある。
現在の六人は射場に残ったままだ。
「私たちは影。橋だけ本物」とリナ。
未来痕のハルは右手を上げている。掌に傷はない。足元には、鐘ほどに育った石が岩月へめり込んでいた。
「当てる場所はあそこ」
「見える」とハル。
「見えるからって、投げろとは言ってないよ」
「投げる前に聞いてる」
いつも軽い声から、冗談が消えていた。
「ニコ。石が光刃の線へ入る。いい?」
「僕は走らない。いい」
「マヤ。衝撃が来る」
「受けない。伏せる。いい」
「イオ。橋の亀裂が閉じた空間になるかもしれない」
「入らない。いい」
「セシル」
「投げて」
リナは最後に自分の答えを言う。
「やって」
二つ目。
ハルは拳ほどの白石を拾った。
「未来の石が刺さっている黒い傷。そこまで」
投げる。
白石は風を切り、飛ぶほど大きくなった。頭ほど、鐘ほど、さらに大きくなる。
三つ目。
現在の岩月へ衝突する。
ごおん。
空全体が鐘になった。
岩月の軌道がわずかに塔側へずれる。だが、先ほど宮が見せた擦り傷の角度よりまだ浅い。
「足りない!」
リナが叫ぶ。
「未来痕を見て」とセシル。
半透明のセシルは、岩月の表面へ星喰い鏡を伏せている。鏡の傷は塔の青い窓へ向いていた。
「光で引く?」
「引けない。塔へ当たる位置を照らす」
「それだけ?」
「ハルは終点が見えれば、次を投げられる」
「もう一つ投げるの?」
「小さく。近くへ」
四つ目。
セシルが星喰い鏡を現在の岩月へ向ける。遠すぎる。鏡の光は途中で薄くなる。
ニコが鏡の前へ立った。
「光を、僕の刃で伸ばす」
「走ったら曲がれない」とリナ。
「終点は塔の青い窓。誰もいない」
「返事を聞いてから」
「聞いてる」
五つ目。
ニコが走る。
星喰い鏡の細い光を、巨大な光刃が塔まで一直線に延ばした。青い窓が白く燃え、ハルにも終点が見える。
ハルは今度こそ砂粒をつまんだ。
「青い窓まで」
投げる。
六つ目。
砂粒は光刃に沿って育ち、岩月の端へ当たった。最初の石より小さい。それでも最後の角度を押すには足りた。
岩月が横倒しの塔へ衝突する。
未来と同じ擦り傷を刻み、峡谷へ食い込んだ。
七つ目。
本物の岩月が、本物の橋になる。
未来環境と半透明の人影が消えた。
残った橋は大きくひび割れている。渡れるが、誰が先に踏むかで崩れ方が変わりそうだった。
向こう岸に、学院の三つの組札が立ち上がる。
二人ずつ、指定された入口から渡れという印だ。
リナは自分の札と、セシルの札が別々なのを見た。
「宮って、成功した後に嫌なことするね」
「学院の札よ」とセシル。
「もっと嫌だ」




