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一人で入るとは言ってない

 空が、城壁の内側へ落ちた。


 白い球形城壁が裏返り、外にあった雲と雷骨庭の破片を丸ごと呑み込む。代わりに城の土と枯木が空中へ撒かれ、リナたちの頭上を大地の雨となって通り過ぎた。


 世界が一度、内と外を間違えた。


 乾いた反転音のあと、球形城壁は元へ戻る。


 その表面には、入口が一つもなかった。


「内外反転魔法を、もう一度やる」


 イオが言った。


 黒髪を首の後ろで束ね、白い壁を見上げている。声は落ち着いているのに、指だけが袖口を数えていた。


「条件は?」とリナ。


「閉じた空間。私が内側にいること」


 一文で答えた。


「入口がないのに?」


「入ってから閉じる入口があるはず」


「出る方は?」


「反転した外側」


「イオがいた方が内側になるんだよね」


「そう」


「それ、出られるって言わないよ」


 イオは袖口を数える指を止めた。


「だから探す」


 セシルは球形城壁の周りを歩いていた。白い面へ触れず、地面に落ちた影を見る。


「影が一箇所だけ途切れている」


 城壁の下、土との境に髪一本ほどの黒い線がある。


 セシルが浮骨鍵を近づけると、骨は掌を離れ、継ぎ目に沿って浮いた。


 球形の表面を半周し、一点で止まる。


「ここが閉じ口」


「開けられる?」


「鍵という名前を信じれば」


「この前、名前に負けたよね」


「今日は負けない」


 浮骨鍵を押す。白い壁に縦の裂け目ができ、人一人ぶんだけ開いた。


 中は夜だった。


 壁の外は昼なのに、球の中には星がある。上下も分からない暗闇を、見えない風が回っている。


 イオが一歩入る。


「待って」とリナ。


「閉じる前に境界を確かめる」


「一人で?」


 イオは振り返った。


「一人で入るとは言ってない」


 視線がセシルへ向く。


「私?」


「あなたは魔法を持たない。反転に引かれる能力光がない。浮骨鍵を読める。帰り口を探せる」


「条件が三つ」


「足りない?」


「十分」


 リナは口を挟んだ。


「私は?」


「外にいて。閉じたかを見て」


「私だって鍵くらい持てる」


「あなたは、閉じた後に未来を選び直せる」


 役割を与えられたのに、置いていかれるようで気に入らない。


 セシルが中へ入る前、リナの横で立ち止まった。


「怖い?」とリナ。


「ええ」


「即答なんだ」


「あなたが聞いたから」


「帰ってきて」


「条件?」


「お願い」


 セシルは少しだけ目を細めた。


「承知したわ」


     *


 二人が入ると、浮骨鍵が地面へ落ち、裂け目が閉じた。


 球形城壁が完全な輪郭になる。


 内側で、イオが答案へ解環をかざした。壁越しでも、一行の光が輪へ移るのが透けて見える。


 イオは球の中心へ立つ。


 星空が足元にあり、土が頭上にある。セシルは浮骨鍵を拾い、半透明になった継ぎ目を追う。


「閉じている?」


 イオが問う。


「上は閉じている。右も。足元だけ、鍵が沈む」


「沈むなら隙間」


「土が柔らかいだけかもしれない」


「曖昧」


「宮に言って」


 外から、巨大な影が近づいた。


 雷骨庭で脚を逸らされた骨獣だ。白い球を前脚で押さえ込もうとしている。


「来る!」とリナ。


 骨の蹄が城壁へ落ちる。


 どん。


 球の中で星が揺れた。


「閉じている」とセシル。


 イオが解環を握る。


「私が内側。閉境界。反転する」


 乾いた音がした。


 城壁の内外が裏返る。


 空が球の中へ落ち、骨獣の前脚だけが外側から内側へ呑まれた。土と枯木は外へ吹き出す。


 リナの目の前に、内側だった夜空が広がった。


 イオとセシルは、透明な球の外面に立っているように見える。だが二人にとっては、そこがまだ内側だ。


「出口!」


 イオの声が反転した空から響く。


 セシルは浮骨鍵を見る。鍵は星空の一点へ向かって浮いている。


 その先には、骨獣の眼窩から剥がれた白い石があった。閉じた瞼に似た守護獣片。


「眼蓋石を外す。そこが継ぎ目になる」


「外せる?」とイオ。


「やってみる」


「答えになってない」


「あなたも、出られるかに答えていない」


「……お互いさま」


 セシルは星空を走らなかった。足場を一歩ずつ確かめ、浮骨鍵が沈まない場所だけを進む。骨獣が脚を引けば、球全体が揺れる。


 眼蓋石へ届く。


 両手で掴み、身体を捻る。光は出ない。石も彼女を選ばない。ただ重く、爪の隙間へ砂が入り、腕が震える。


「セシル、左へ半歩!」


 外からリナが叫ぶ。


「理由は?」


「その場所、空が薄い!」


「見えるの?」


「私には外だから!」


 セシルが左へずれる。眼蓋石の端が浮いた。


 イオが指をかける。


「触る」


「どうぞ」


 二人で石を外した。


 丸い穴が開く。


 外のリナの手が、穴から差し込まれた。


「迎えに来た」


「外にいてと言った」


「手だけ」


 イオはその手を掴まなかった。


 先にセシルを穴へ押し出す。次に浮骨鍵を渡し、最後に自分で縁を越える。


 全員が外へ出た瞬間、骨獣の脚を呑んでいた反転が解けた。


 巨獣は均衡を失い、雷骨庭の向こうへ倒れる。


 その背後の空に、灰紫色の巨大な丸い影が浮かんでいた。


 月ではない。


 何かを投げた後らしい、未決宮の候補像だった。触れられる厚みはなく、周囲の音も消えない。十二の鼓動は始まっていなかった。

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