触っていい?
雷が、巨獣の骨を歩いていた。
雲へ突き刺さる肋骨から肋骨へ、青い火が跳ぶ。死んでいるはずの骨獣が前脚を上げるたび、雷骨庭の浮島が一つずつ裏返った。
蹄が落ちる。
空気が潰れた。
どん。
衝撃に押され、リナの身体が地面から浮く。隣のセシルが肩から石柱へぶつかった。浮島の端では、二人組の受験生が裂けた地面へしがみついている。
巨獣が、もう一度脚を上げた。
「次は島ごと割れる!」
リナが叫ぶ。
マヤが前へ出た。
六人の中で一番背が高い。普段は人へ触れる前に声をかけるくせに、いまは巨獣へ断りもしない。
足元の石へ答案を置き、解環を一度かざす。一行の光像が輪へ移ると、マヤは紙も輪もそこへ残して両腕を空けた。
「来て」
両腕を広げる。
骨の蹄が落ちた。
マヤは受け止めた。
細い身体が潰れる代わりに、衝撃が皮膚の下へ沈む。肩から胸、腰、脚へ、青白いひびの光が走った。
庭が静止する。
次の瞬間、マヤの足元から周囲の石が砕け始めた。
ぱき。ぱきぱき。
彼女が一歩も動いていないのに、石柱が外側へ折れ、浮島の縁が砂になる。
「衝撃渡し魔法。受けた衝撃を、次に触れた一つへ全部渡す」
マヤは歯を食いしばる。
「それまで、漏れる」
一文で言い終える間にも、リナの足元へ亀裂が届いた。
「巨獣へ返せない?」
「次に触れたものへ渡る。あれまで行く途中で、誰にも触らないなら」
裂けた浮島の受験生が落ちかけた。
マヤのすぐ横だ。
手を伸ばせば助けられる。触れれば、巨獣の蹄の衝撃をその身体へ全量渡してしまう。
マヤは伸ばしかけた手を止めた。
「触れないで!」
声が裏返る。
受験生の顔が強張った。
「助けたくないんじゃない。いま触ったら、あなたを壊す」
マヤの周りだけ石が砕け続ける。
セシルは肩を押さえながら、浮島の裏を覗いた。
「向こうの島。人がいない」
「遠い」とリナ。
「星喰い鏡で傷を照らす」
黒い鏡片を取り出す。骨獣を歩く雷を一度吸わせると、鏡は傷の向きへ青い光を吐いた。
誰もいない浮島の裏に、古い裂け目が浮かぶ。
「あそこなら、衝撃を渡しても割れるだけ」
「割れたら、こっちへ落ちる」
「未来を見せる」
リナは答案を石台へ広げた。
――衝撃を受けた浮島は、骨獣の前脚を下から打っている。
解環をかざす。一行の光像が輪へ移る。
周囲の音が消えた。
どくん。
無人島が砕けた姿で実体化した。巨大な破片が骨獣の脚を下から押し、蹄を空へ跳ね上げている。
半透明のマヤは、島へ片手をついていた。現在のマヤはまだこちらにいる。
「島までの道は?」とマヤ。
「見えない」
「やっぱり」
軽く笑おうとして、声が震えた。
二つ目の鼓動。
セシルは未来痕のマヤではなく、島へ伸びるひびを見た。現在の庭にも同じ方向の亀裂がある。マヤが立つ足元だけ、細長い石板として割れかけていた。
「重力布がある」
骨の間に、銀灰の布が引っかかっている。覆った物の落下方向を布の裾へ揃える古い遺物だ。
「私が渡す」
セシルが走る。
「肩、打ったでしょ!」
「脚は動く」
「そういう問題?」
「いまは」
三つ目。
セシルは布を外し、マヤが立つ石板の縁から裏側へ滑り込ませた。布の裾を無人島へ向ける。石板は庭からひびに沿って離れたが、落ちずに宙へ浮く。
マヤは動けない。衝撃を抱えた後で別の物へ足を置けば、その瞬間に全量を渡してしまう。だから最初から触れていた石板ごと運ぶ。
「私が受験生を引く」とリナ。
落ちかけた生徒へ腹ばいで手を伸ばす。
「手、掴める?」
「うん」
「マヤ。私が触っても大丈夫?」
「私に触らなければ」
「分かった」
四つ目。
リナが受験生を引き上げる。そのあいだ、セシルは重力布の端を両手で押さえ続けた。魔法の補助はない。肩を打った痛みで、左腕が少しずつ下がる。
「セシル、代わる」
「あなたは未来を見て」
「命令?」
「お願い。あと、四つ目」
「数えてたんだ」
「あなたが数えていないから」
五つ目。
セシルが重力布の裾を引く。マヤを乗せた石板が、無人島へ横滑りする。マヤは両足を最初の位置から動かさず、腕だけを島へ伸ばした。
「板の端が割れる!」
ハルが後ろから叫ぶ。
マヤの足元から漏れる力が、乗っている石板を内側から砕き始めていた。
「島まで、あと腕一本」
未来の島は触れられる。だが、そこへ衝撃を移しても本物の島はまだ遠い。まだ答案に書いた景色にはならない。
セシルが重力布の裾をさらに向こうへ引く。肩が震える。
「腕一本ぶん、落下方向を向こうへ」
石板が横へ滑る。
六つ目。
マヤの掌が、本物の無人島へ届く距離になった。
島の上には誰もいない。
それでも彼女は振り返った。
「触っていい?」
割れたら庭全体が揺れる。リナたちも立っていられない。
「やって!」とリナ。
「いい」と受験生。
「受ける」とニコ。
セシルは布を押さえたまま頷いた。
七つ目。
マヤが島へ触れる。
巨獣の蹄ひとつ分の衝撃が、浮島へ移った。
島が下から爆ぜる。
未来と同じ破片が骨獣の前脚を打ち上げた。本物の蹄が空へ逸れる。
未来環境が消え、現在の破片だけが雨のように落ちた。
マヤの身体から青白いひびが消える。けれど、周囲の砕けた庭は戻らない。
*
救助後、マヤは最初に受験生の前へ座った。
「今度は、触っていい?」
「今度は平気?」
「何も持ってない」
受験生が自分から手を差し出す。
マヤはその手首を取り、傷を確かめた。
庭の裏側では、砕けた浮島の中から白い球形の城壁が現れていた。
内側に、小さな黒い人影が立っている。
イオはその影を見て、珍しくすぐには質問しなかった。




