あなたの答えを、もう一度見たい
白い階段が、空へほどけていた。
一段踏むたび、足元の石が薄い羽根の群れになり、雲の底へ舞い上がる。縦穴の向こう岸では、まだ誰も渡っていないのに、灰紫色の着地場だけが淡くせり出していた。
そこに、灰紫色の半透明のリナとセシルが立っている。
影のリナは腕を組み、影のセシルは片膝をついて床を見ていた。
どれも未決宮が見せる候補像だった。指はすり抜け、周囲の音も消えず、十二の鼓動も始まっていない。
現在の二人は、入口の一段目から動けずにいた。
「私、向こうで怒ってない?」
「いつもと区別がつかない」
「返してって言ってるのに答案を返さない人には、いつもより怒るよ」
セシルは外套の内側を押さえた。暗赤の不合格印がある答案は、まだそこに入っている。
「向こうへ着いたら返すわ」
「その約束、階段と一緒に消えそう」
背後では入口が閉じていた。昨日の見届け人に呼ばれる前、セシルがリナをここへ連れてきたのだ。封鎖札を破ってはいない。札の下をくぐっただけである。
「首席って、規則の隙間を見つけるの上手だね」
「褒めている?」
「半分」
「残り半分は、向こうで聞く」
階段がまた一段、羽根になった。
リナは石台へ答案を広げる。紙はセシルが持ったままなので、二人のあいだに差し出させた。
「離さないの?」
「落としたくない」
「私の答案を?」
「いまは、私たちの床でもある」
リナが解環を余白へかざす。
――対岸の着地場は、こちらへ届いている。
一行が一度だけ光り、光像が輪の内側へ移った。
周囲の音が消えた。
どくん。
向こう岸の足場が、白い舌のように空中へ伸びる。手前まで届きそうで、途中に三人分の空白を残した。
灰紫色の候補像は消え、代わりにリナの未来痕として淡い二人が向こう岸へ現れた。道順はない。
「昨日と同じ。景色は触れる、人は影」
「十二までに、この足場を本当に届かせる」
「方法は?」
「書いてない」
「そこは胸を張らないで」
二つ目。
セシルは影の自分が見ている床へ目を凝らした。半透明の指先の下で、一本の白い骨が浮いている。
「浮骨鍵」
「鍵穴は?」
「ない。だから扉の鍵ではない」
「首席、いま名前に負けた?」
「少し」
現在の同じ場所を見る。消えかけた四段目の裏に、細長い骨が挟まっていた。魚の背骨にも、鳥の指にも見える。セシルが家で読まされた古記録では、空間の継ぎ目でだけ浮く遺物だ。
「家の本、好きなんだ」
「記録は。読める者を家名で決める棚は別」
三つ目。
「取ってくる」
リナが足を出す。
「待って。あなたが行けば、発動を選び直せる人が空中に出る」
「じゃあ誰が行くの」
「私」
「魔法なしで?」
「魔法がないから、発動を失う心配もない」
言い方だけはきれいだった。
「落ちる心配はあるよ」
「それは、ある」
セシルは答案をリナへ返した。ようやく紙が持ち主の手へ戻る。
四つ目。
セシルが二段目へ乗る。石が足裏から羽根になり始めた。三段目へ。四段目へ移る前にしゃがみ、消えかけた段の下へ腕を入れる。
「届く?」
「指一本」
「足りないね」
「あなたなら、そこで笑わず何かすると思っていた」
「いま考えてる」
リナは昨日の角片を取り出した。枝の樹液が乾いて、青い面を曇らせている。
「投げる。受け取って」
「外したら?」
「首席なら取れる」
「信頼の使い方が雑」
「五つ目!」
投げる。
セシルは片手を骨の方へ残し、もう片方で角片を受けた。危うく取り落とし、肘と胸で挟む。
「いま笑った?」
「まだ」
角片の先を骨へ引っかける。浮骨鍵が抜けた。
その瞬間、四段目が羽根になった。
セシルの身体が落ちる。
六つ目。
リナは未来の着地場へ踏み出した。実体はある。けれど途中で途切れている。腹ばいになり、腕を空白へ伸ばす。
「骨を離して!」
「落ちる」
「鍵は浮くんでしょ!」
セシルが手を開く。
浮骨鍵は落ちなかった。二人の間で縦に止まり、見えない継ぎ目へ歯をかけるように震えた。
七つ目。
消えかけた階段全体が、音もなく九十度回る。
上る段ではなく、縦穴を横切る飛び石になった。
セシルは空中で身体を捻り、回ってきた段へ腹から落ちた。息を詰まらせても、浮骨鍵から目を離さない。
「リナ、骨を向こうへ押して」
「命令?」
「お願い」
「最初からそう言って」
八つ目。
リナは未来の足場を走り、浮骨鍵を掌で押した。鍵は継ぎ目を滑る。横向きになった階段も、それに従って対岸へ伸びた。
九つ目。
先端が、未来の着地場へ重なる。
現在の石段が本当に対岸へ届いた瞬間、淡い足場と半透明の二人は消えた。
リナとセシルは、回った階段の上に残った。
「あと三つも余った」
「安全点は余っていないわ」
「落ちた人が言う?」
「落ちていない。途中で段に当たった」
「それを落ちたっていうんだよ」
*
出口には見届け人がいた。
当然、怒っていた。
「記録上は、未来先現魔法とする」
「未来を先に出す魔法、か」
リナは、ついたばかりの名前を口の中で転がした。
秘密試行、封鎖札、未申請の遺物使用。石板へ四つの評価印が並び、完遂、安全、再現、時間と適応の光が一つずつ刻まれる。
累計は、リナ二十二、セシル二十四。
「答案の点数じゃないからね」
リナが念を押す。
「誰に?」
「自分に」
安全で負けた。適応では勝った。合計は二点差だった。
見届け人が答案を保管箱へ入れようとする。
セシルが、その手より先に紙を取った。
「また?」とリナが言う。
「今度は、借りたい」
「満点答案なら書庫に山ほどあるよ」
「あれは、今日の階段を横にしなかった」
セシルの親指は不合格印を越え、書かれていない条件欄で止まった。
「あなたの答えを、もう一度見たい」
見届け人の前で言ってしまった。
これで、共犯は二人だけの秘密ではなくなった。




