番外編 汝、青空のごとく
生まれた時から、ささやかな幸せに囲まれた人生だった。
「では、仕事に行ってくるよ」
「気をつけていってらっしゃいませ、お父様!」
「いつも家のことを任せてごめんなさいね、クララ」
「我が家の社交はお母様が担っているのだもの、これくらい任せてほしいわ!」
決して豊かな稼ぎではないけれど、実直な仕事ぶりで王宮からの評価も高い父。
忙しい父に代わって、マグノリア家の社交を一手に担う母。
尊敬すべき両親の元で、私は育った。
「姉様! 姉様の辞書借りて良い!?」
「私の机にあるわよ! 持っていきなさい!」
「お姉さま、今日のドレスどちらが良いかしら?」
「ガーデンパーティーだし、庭のお花の色を邪魔しない色が良いと思うわ」
弟と妹はまだまだ手のかかる年ごろで、両親が不在の家を私が取り仕切ることも多かった。
日々の生活費に加え、交際費や使用人たちのお給金などもあり、決して裕福な暮らしではなかったけれど……私はマグノリア家の長子として生まれたことを嘆いたことはなかった。
私は家族を愛していた、だから――。
このささやかで幸せな世界を守ることが――私の役目だと信じていた。
とはいえ、弟妹たちが成長するにつれて、出費も増えていく。
そんななか私の元に舞い込んできたのが、作家デビューの話だった。
せめて自分にかかる服飾費ぐらいは稼ぎたい。
そう思って引き受けたのだが――。
「まさかこんなことになるなんてねぇ……」
苦笑いしながらタイプライターの上で軽快に指を動かす。
デビューしてからというものの、予想以上に原稿の依頼が入るようになり、ただでさえ家事で忙しかった日々が更に激務の日々となった。
それでも、決して嫌な気分ではなかった。
「やっぱり姉様の冒険小説は面白いな……もう新作読み切っちゃったよ」
「ルイは本当にその話が好きね」
「姉様の話を読んでいると、なんだか毎日の生活が大切なものに思えてくるんだよね」
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃないよ! ……きっとこれを読んだ人たちも、そう思ってくれてると思うよ?」
ルイは背表紙を見せながらそう言ってくる。
『水平線の向こうから朝は来る』。
発売されてから飛ぶように売れているらしく、増刷が決まっている。
しかしそう言われても、それだけ読者がいるという実感がいまいち持てていなかった。
(原稿料もいただいてるし、これならルイとナタリアの新しいよそ行きを誂えることができそうだわ)
その時の私には、まだまだ家族しか見えていなくて……。
私の収入で家族を支えられることが、一番の喜びだった。
弟と妹がが、社交界で素敵な伴侶と巡り合えるように。
その手助けをするためなら、いくらでも頑張ることができた。
そんなある日、出版社の担当さんが紙袋を持って我が家を訪ねてきた。
「実はクラヴィス先生にお渡しするものがございまして」
「なんでしょう?」
「これなんです」
差し出された紙袋を覗き込むと、そこには何通もの手紙が入っていた。
「……これは?」
「それはすべて、クラヴィス先生宛に届いたファンレターですよ!」
「……えっ!?」
思わず袋の中を二度見する。
試しに一番上にあった一通を手に取って、便箋に目を通すと……。
「わあ……」
そこには、温かい称賛の言葉が綴られていた。
一文字ずつ、噛みしめるように読み進める。
「良い作品は皆こぞって読みますし、口コミで評判も広まりますが……こうして作者にファンレターを送ろうとする読者はそう多くはありません。クラヴィス先生は、これだけの人に筆を執らせるほど、心を動かしたということですよ!」
担当さんの言葉が、そっと私に寄り添う。
便箋の上の文章が、眩しいほどにきらめいて見える。
『貴方の小説を読んで、僕は救われました』
青い光沢を放つインクで綴られたその文章。
私の物語は、顔も知らない誰かに届いている。誰かの世界に、触れることができる。
「――こちらこそ、ありがとう……!」
雲の切れ間に、青空を見たような心地だ。
私の意識の外側には、広大な世界と、数多の人々がいた。
私はその世界まで――物語を届けることが、できるんだ。
「クラヴィス先生。彼らのためにも――ぜひ、書き続けてくださいね」
「――もちろんです!」
私はこの日はじめて、自分のために書き続けたいと思うことができたのだ。




