痛みを与える側へ
翌日から神崎は、正式な副執事となり、気持ちを新たに働き出した。
朝礼の進行を任され、連絡事項を伝え終えた。
「連絡事項は以上です。最後に、真理子さん、客室の花瓶を割った事へのお仕置きを行います。昼休みに執務室へ来なさい」
「は、はい…」
名指しされた真理子は、副執事となった神崎からの呼び出しに不安そうに返事をした。
昼休みの執務室。いつもなら静かな時間だが、今日は緊張感が漂っていた。
「失礼します」
真理子が扉を開ける。彼女の表情は硬く、小柄な体がさらに縮こまって見える。
「こちらへ」
神崎が机から離れ、田所と並んで立つ。真新しい副執事の制服が少しぎこちない。
真理子は副執事の立場になった神崎を前に言葉が出ない。
「客室の花瓶を割った事へのお仕置きです」
神崎の声が執務室に響く。昨日までの見習い時代の柔らかさはない。執事らしく整えられた口調だった。
「は……はい……申し訳ありませんでした」
真理子の声が震えている。
フットマンだった神崎とメイド達は共通の仕事も多く、かつては気軽におしゃべりをした仲だったのに……今は全く違う立場になっている。
「副執事として最初のお仕置きです。神崎君、貴方の手で行いなさい」
「はい。では真理子さん、こちらへ来なさい」
神崎は椅子に腰掛けた自らの膝を指し示した。
真理子は、神崎から打たれる事に一瞬戸惑ったが、すぐに諦めたように従った。
神崎は深呼吸した。昨日自分が田所の膝に乗せられた時の感覚が甦る。恥ずかしさと恐怖—それらすべてを彼は味わった。
(彼女達は、もう何度もあの痛みを味わってきたんだ……)
「……スカートを持ち上げて」
神崎の命令に真理子の肩が大きく揺れた。
「早くしなさい」
田所が補足する。
「は……はい……」
真理子はゆっくりとエプロンドレスの裾を捲り上げた。白いショーツが露わになる。
神崎は拳を握りしめた。(これは仕事だ……)
「そのまま膝の上にうつ伏せに……」
「……はい……」
真理子はゆっくりと体を折り曲げた。スカートの中からショーツに包まれた丸みを帯びたお尻が現れる。
神崎は田所がいつもしているように、真理子の履いている下着を太腿まで下げた。
「いや……」
真理子は咄嗟に手で体を隠そうとする。
「動かない。真理子さん」
田所が注意すると真理子は素直に両手を床に付けた。その時真理子の下着は太腿のところで丸まる形になり、剥き出しになったお尻があらわになった。
神崎の鼓動が高まる。自分も昨日田所の膝の上でこんな格好になった事を思うと恥ずかしさが込み上げる。
「平手で……20回です」
神崎は腕を上げた。
「いきます」
パシン!
「……っ!」
真理子の体が小さく震える。叩いた瞬間、掌に伝わるお尻の感触に神崎は息を呑む。
「もっと強く」
田所の冷静な指摘。
「はい」
パシン!
「っあ……!」
(昨日の痛みを思い出せ)神崎は心の中で唱える。
「まだ甘い。しっかり打たなければ反省に値しない」
「……はい」
神崎は腕に力を込めた。振り上げた手を振り下ろす。
パシーン!
「痛いっ……!」
真理子の悲鳴に神崎の手が一瞬止まる。
「続けなさい」
田所の声が響く。
神崎は再び腕を振るう。
パシーン!
「うぅ……!」
パシーン!
「ひっ……!」
(これは必要なことなんだ……)
そう自分に言い聞かせるが、彼女の表情が歪むたび胸が締め付けられる。しかし打つ手は止まらない。
パシーン!
「ごめんなさいぃ……!」
パシーン!
「もうしません……!」
真理子の声が涙混じりになる。
(ごめん……でもこれは彼女の為でもあるんだ……)
神崎は必死に心を鬼にする。
パシーン!
「痛い……」
パシーン!
「うぅ……」
パシーン!
「ごめんなさい……」
真理子の悲痛な声が執務室に響き渡る。神崎は無心で手を振り下ろした。途中から無意識に数字を数えていた。
パシーン!
パシーン!
パシーン!バシッ!……
規定の20回に達し、神崎は手を止めた。
「…終わりです。立って服装を整えなさい」
「はい…」
真理子は泣きながら立ち上がり、赤く染まったお尻をしまった。
「今日の痛みを忘れずに、明日からは細心の注意を払うように」
「はい…ありがとうございました」
真理子は一礼して、執務室を後にした。
こうして、神崎による初めてのお仕置きは滞りなく行われた。
真理子が去った後も、神崎はしばらく動けなかった。
「……これが……お仕置きというものですか……」
疲労と罪悪感で肩が落ちている。
「初めてにしては上出来です」
田所は厳粛な声で言った。
「しかし何を悩んでいるのですか? これは必要不可欠な仕事です」
神崎は顔を上げた。
「……昨日自分がされた痛みを思い出すと……彼女はまだ若いんですよ。あんなに泣き叫ぶなんて……」
「…君は他人への共感能力が高すぎるのかもしれませんね」
田所は静かに机の上の紅茶を一口飲んだ。
「感情移入すれば公平な判断ができなくなります。しかし君はきちんと20回を完遂しました。それが重要な一歩です」
神崎は自分の掌を見つめた。赤く熱を持っている。
「痛みを知っているからこそ、力加減が分かるはずです。昨日君が経験したことは無駄ではありません」
「……はい」
「厳しくするだけが指導ではありません。しかしどこかで区切りをつける必要があります。メイドたちの信頼を得るには、公正さが必要です」
田所の言葉に神崎は顔を上げた。執事の目に宿る厳しさの中に温かさを感じる。
「これからは毎週月曜日にお仕置きを担当してもらいます」
「……わかりました」
「辛い仕事かもしれない。しかし」
田所は立ち上がり、神崎の肩に手を置いた。
「これが執事としての重責であり使命です。君なら必ず乗り越えられると信じています」
神崎は深く息を吸い込んだ。
「ありがとうございます……田所さん」
執務室に再び静寂が戻った。神崎の掌にはまだ先程の余韻が残っていた。彼の心は、職務への責任感と罪悪感でひどく揺れていた。
その夜、神崎は小百合との待ち合わせ場所である非常階段へと向かった。
夜の非常階段に神崎が姿を現すと、小百合はすでにそこにいた。彼女はいつものように柱にもたれていたが、神崎の顔を見た瞬間に表情が曇った。
「……どうしたの? 顔が真っ青よ」
小百合の声が心配そうに響く。
神崎は黙って階段に腰を下ろした。視線は地面に釘付けで、口を引き結んでいる。
「大丈夫?神崎君」
小百合の問いかけに神崎はようやく顔を上げた。目元が赤く腫れている。
「…今日、初めてお仕置きをしました……」
言葉が喉に詰まる。真理子の悲鳴、歪んだ表情、涙に濡れた頬が鮮明に蘇る。
「……仕事とはいえ、あんなひどい事を…」
神崎は拳を握り締めた。
「僕には無理かもしれない。あんな事を平気で続けるなんて……」
小百合は黙って隣に座った。彼女の体温が冷えた神崎の左腕に伝わってくる。
「辛かったね」
優しい声が夜風に乗る。
「真理子さんはすごく泣いていて……僕の手が振り下ろされるたびに小さく震えて……」
神崎の声が震える。
「彼女のあんな姿を見るのは初めてだった。今まで普通に話していた子なのに……」
小百合の手が神崎の肩に触れる。
「よく頑張ったと思うわ」
「でも……」
「貴方は優しすぎるから……」
神崎は顔を上げた。小百合の瞳には理解と共感の色が浮かんでいる。
「あなたはちゃんと仕事をこなした。それが一番大事なの」
「けど彼女を傷つけたんだよ!」
感情が爆発するように声が大きくなる。
「こんな事続けていたら心が壊れる……他人を傷つけて平気でいられるわけない……」
小百合は静かに首を振った。
「メイドのお仕置きは、貴族の館で働くためには必要な事なの。私たち全員が理解しているわ。そんなに苦しまないで…」
「…小百合さん……」
「みんな副執事の貴方を信頼してるわ。もちろん、私もね」
小百合はそっと神崎を引き寄せた。彼女の胸元に頭を預ける形になった神崎の体が微かに震えている。
「大丈夫。ここには私しかいないわ」
柔らかい声が耳元で囁かれる。
「貴方の痛みも、悩みも、全部吐き出していいのよ」
神崎はゆっくりと息を吐き出した。小百合の香りが鼻孔をくすぐる。いつものコロンではなく、彼女本来の柔らかな匂い。
「……怖かったんだ」
小さな声で告白する。
「僕なんかが誰かを叩くなんて……」
小百合の腕が優しく背中を撫でる。
「誰だって慣れないわ。特に貴方みたいな人には」
「どうして孝一郎様は僕なんかを選んだんだろう……もっと向いている人がいただろうに」
「選ばれたからには役目があるの。副執事の貴方にしかできない事もあるはずよ」
夜風が二人の髪を揺らす。非常階段の隙間から差し込む月明かりが二人を銀色に照らしている。
「ねえ」
小百合の声が変わる。
「ここで……してみる?」
神崎の体が硬直した。
「こ……ここで?」
困惑した声に小百合は小さく笑う。
「嫌なら無理しなくていいの。でも……」
彼女の指が神崎の頬を撫でる。
「あなたを癒やしてあげたい。言葉じゃ足りないから……体で伝えさせて」
月明かりに照らされた小百合の顔が妖艶に輝いている。神崎の胸が高鳴った。非常階段という非日常的な空間が妙な興奮を呼び起こす。
「でも……もし見つかったら……」
「だからよ」
小百合が意味深に笑う。
「見つからないようにするゲームみたいなもの。二人だけの秘密を作りましょう」
神崎は迷った。副執事としての自覚と男としての欲望が葛藤する。しかし小百合の誘いは甘美だった。
「……少しだけなら」
神崎は照れくさそうに答えた。
「見つかったら終わりだから……本当に少しだけだよ」
「わかってる」
小百合は嬉しそうに微笑んだ。彼女の手が神崎の腰に回される。
非常階段の踊り場で、二人は着衣のまま互いを求め始めた。秋の夜風が肌を撫でる中、唇が重なる。いつもとは違う環境での行為に二人の鼓動は高まった。
「怜司君」
小百合の息遣いが乱れる。
「素敵よ……強くて優しくて……貴方は最高の副執事よ…」
神崎は小百合を抱きしめた。痛みを知った者同士だからこそ分かる心の繋がりがある。彼女の体温が心の痛みを溶かしていくようだった。
二人の秘密の関係はより深いものとなっていった。そして神崎はこれから副執事として歩んでいく厳しさへの覚悟を固めていくのであった。




