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告白

孝一郎の部屋を退出した神崎は、年長のフットマンとメイドに留守を頼み、モミの木の家へと車を走らせた。



「まあ、怜司君!来てくれて嬉しいわ」

モミの木の家に着くと、玄関前で遊ぶ子供達を見守っていた院長先生が笑顔で迎えた。


「院長先生、ご無沙汰しております。今日は、九条伯爵からの書簡をお届けに参りました」


「え…伯爵から私に…?」

神崎が差し出した封筒を受け取り、院長先生は不安げな表情を浮かべながら封を開ける。


「……あらまあ」

手紙の内容に目を通した院長先生は、くすりと笑った。

「これは重大なお手紙だわ」


そこには『僕の親友とその想い人をよろしくお願いします』とだけ書かれていた。


「そ、そうなのですか?」


「……ふむふむ」手紙を読み終えた院長先生は、わざとらしく咳払いをする。


「紗希ちゃんは裏庭で洗濯物を取り込んでいるわ。顔を見せてあげてね」


「はい……」


裏庭に出ると、春の風が大量の洗濯物をひらひらとなびかせていた。そこに紗希が数人の子供達と一緒に楽しそうに作業をしている。大きなタオルを抱え、鼻歌混じりでシーツを取り込む様子は無防備そのものだった。


「…紗希さん」


突然の声に紗希の背筋がピンと伸びる。


「え?……きゃああ!」


振り返った先に神崎の姿を認めると、紗希は抱えていたタオルの山を危うく落としそうになった。


「か、神崎さん!?どうしてここに!?」


もう二人でここに来る事は無いと思っていた紗希は、大きく動揺した。


「失礼します」

神崎はスタスタと歩み寄り、落ちかけたタオルを受け取りカゴに入れた。


「すみません!大丈夫ですから!」


「手伝います」


そう言うと神崎は作業に加わり、子供達と共に物干し竿からシーツ類を取り込んでいった。

いつもの普段着と違い、執事の制服姿の神崎に戸惑っていた子供達も安心したようで、興味津々で話しかけてきた。


「怜司さん、今日の服、すごくかっこいい!」

「どうしていつもと違うの?」

「最初、誰だかわかんなかった!」


子供達の無邪気な感想に、神崎は苦笑まじりに答えた。


「これはね、私のお仕事の制服なんだよ。今日は仕事で、院長先生にお手紙を届けに来たんだ」


「そうなんだ。怜司さんのお仕事って、郵便配達やさんなの?」


「あはは、たまに配達もするけど郵便屋さんじゃなくて…執事…まあ、何でも屋さんかな」


(神崎さん…お仕事だったのね。びっくりした…)

神崎の突然の訪問に驚いた紗希だったが、子供達との会話から事情がわかり安堵した。


やがて洗濯カゴがいっぱいになってしまった。


「一旦お部屋に持って行きますね。すぐ戻りますから、ちょっと待ってて下さいね」


「では、私も一緒に…」


紗希の言葉に、神崎がカゴを運ぼうとすると、


「僕も手伝う!」

「僕も!」


子供達に先にカゴを奪われてしまった。


「みんな、ありがとう。それじゃ、行ってきますね」

紗希は少し困ったように微笑みながら、子供達とカゴを運んで行った。


「…はぁ……」

後に残された神崎は、肩を落とし大きくため息をついた。


(ここはライバルが多すぎる…)


「怜司さん、どうしたの?」

残った子達が心配そうに神崎の顔を覗き込む。


「え、ああ、何でもないんだ。さあ、今のうちに洗濯物を片付けて、みんなをびっくりさせよう!」


神崎は努めて明るく呼びかけ、残ったシーツ類を外して畳み、近くのベンチの上に重ねていった。


「それにしても、みんな、ちゃんとお手伝いできて偉いな。いつもやっているのかい?」

素直に作業に加わる子達に、神崎は感心して声をかけた。


「うーん…今日は紗希お姉ちゃんが来てるから特別なんだ」

「みんなお姉ちゃんと一緒にいたいからね」


無邪気に答える子供達に、神崎は妙に納得した。


「そうだよね。その気持ちよくわかるよ」


「僕達みんな、紗希お姉ちゃんが大好きなんだ!怜司さんは?怜司さんもそうなんでしょ?」


「…そうだよ。私も紗希さんの事が大好きなんだ」


「やっぱり!あ、お姉ちゃん」



「!!」


振り向くと、空のカゴを手に戻ってきた紗希が呆然として立ち尽くしていた。


「さ…紗希さん…」


「…神崎さん……」


二人は向かい合わせで立ち尽くしたまま、動けずにいる。


「どうしたの?」

「二人とも顔が真っ赤だよ」


子供達が興味深そうに見ていると、近くの木陰で本を読んでいた少年が近付いてきた。


「さあみんな、洗濯物をカゴに入れて。それを持って全員部屋に戻るんだ」


「ええっ…なんで?」

「まだ遊びたいのに…」


「いいから、ほら。『こういう時は二人きりにしてやるのが優しさだ』ってクラウドも言ってただろ?」


「うん。確かに言ってた!」

「『俺達の分まで頑張れよ。相棒!』だよね」


「そういう事。さあ、行くよ」


最年長で中学三年生の聡志さとしは、子供達を引き連れてその場を後にした。



「あの…今のは…?」


「あ、あれはマンガのキャラクターのセリフです。神崎さんが年末に買ってあげた…」


「ああ、なるほど。マンガも役に立つものですね」


「そ、そうですね。みんな夢中で読んでたから…」


(こんな雑談をしている場合ではない!この機会を逃せばもう…)


意図せずに、3ヶ月前の医務室と逆の状況になってしまったが、しばしの逡巡の後、神崎は覚悟を決めた。


「紗希さん…お話したい事があります」


「は、はい…」


「さっきの子供達との会話ですが…あれは…私の本当の気持ちです」


「え!!それって……」


突然の神崎の言葉に、紗希の理解が追いつかない。


「3ヶ月前、医務室でのあなたの言葉が私の頭から離れなくなって…ずっと考えて悩んで、それでも打ち消す事ができなくて…」


神崎は大きく息を吸い、紗希の目を見てはっきりと打ち明けた。



「紗希さん、私はあなたの事が好きです」



「!!……神崎さん……」


思いもしなかった展開に驚きと混乱に陥っている紗希は、どう対処すれば良いのか皆目見当がつかず戸惑うばかりだ。


「……あの時……『大好きです!』と言ってくれましたが……あれはどういう……」


「あ……」


3ヶ月前の自分の言葉を思い出し、紗希は顔が真っ赤になった。慌てて弁解しようと口を開くが何も言葉にならない。


「あの……私は……!」


言葉が出てこない。喉が乾いて張り付いたようだ。


神崎は黙って紗希の次の言葉を待ち続けた。やがて紗希はゆっくりと深呼吸し、意を決したように顔を上げた。



「……私も…本当の気持ちです……大好きです……」


「紗希さん……」


(ああ……どうしよう……神崎さんに好きと言われてしまって……もう……駄目……)


激しい鼓動は止まらず息が出来なくなるかと思われる程、どんどん顔が紅潮していく。


「あの……神崎さん……私…」


「はい」


紗希が言葉に詰まる。どう伝えたらいいのだろう。伝えられるのだろうか。ずっと想い続けてきた事が現実になるなんて想像もしなかった。


神崎は紗希の言葉を辛抱強く待っていたが、彼女の様子を見て胸の高鳴りを抑えきれなくなっていた。


「紗希さん……抱きしめても……いいですか?」


その一言に紗希はさらに真っ赤になり言葉を失ったが、小さく頷いた。


次の瞬間、優しく温かい感触が彼女を包んだ。


紗希は初めて感じる神崎の腕の中の安心感に酔いしれながら、自然と涙が溢れた。


(夢みたい…神崎さん…)


神崎は紗希の細い体をしっかりと抱き締めながら囁いた。


「…ずっと…こうしたかった…」


年齢差も立場も常識も、全てが神崎の頭から消え失せた。


優しく包み込まれる腕の中で、紗希は涙が止まらなくなった。それは悲しみの涙ではなく、あまりにも温かく幸せな瞬間に押しつぶされるような歓喜の涙だった。


神崎は紗希の髪に頬を寄せ、その存在を確かめるようにゆっくりと力を込めた。15歳の年の差も、執事とメイドという関係も、すべてが遠い世界のことのように感じられた。ただ目の前の温もりだけが真実だった。


少し距離を取ると、神崎は紗希の涙で濡れた頬にそっと手を添えた。親指で優しく涙を拭いながら、彼は彼女の潤んだ瞳をじっと見つめた。澄んだ湖のような紗希の瞳の中に、自分の姿が映っているのが見えた。


(……ああ)


何かが神崎の中で弾けた。彼は無意識に紗希の頬に添えた手を滑らせ、その小さな顎に指をかけた。もう一方の手で腰を支えながら、ゆっくりと顔を近づけていく。


(君が好きだ……もっと近くに……触れたい……)


理性の箍が緩み、本能が先行する。


二人の距離がほとんどゼロに縮まった瞬間――


紗希のまぶたが微かに震え、閉じられかけた目尻から新たに涙がこぼれ落ちた。



その瞬間、神崎は電流が走ったように硬直した。至近距離で見る紗希の涙は、あまりにも純粋で脆い輝きを放っていた。その瞬間、彼の脳裏を様々な思考が駆け抜けた。



(私は……何をしようとした?)


(紗希さんは……まだ16歳で……)


(彼女が流している涙は……本当に喜びだけなのか?)


(こんな激情に任せて行動することが……本当に彼女を大切にすることになるのか?)



神崎は自分の心臓の鼓動が激しく打っているのを感じながら、その衝動を必死に押し殺した。欲望と責任感が激しくせめぎ合う。


紗希の無垢な涙は、彼の自制心を呼び起こした。


(……今じゃない)


(いや……)


(きっと……私は間違える)


(衝動に任せては……いけない……)



ゆっくりと顔を離す神崎。彼の瞳には言いようのない苦悩と自制の色が宿っていた。



紗希は突然の停止に驚き、目を開いた。神崎の顔はすぐそこにあるのに、触れそうなほどの距離でぴたりと動きを止めている。彼の眉根には深い皺が刻まれ、苦悶とも取れる表情を浮かべていた。


「……神崎さん?」


戸惑いを含んだ紗希の声に、神崎は重い溜息をついた。それは諦めのような、あるいは大きな決断を下した後の疲労感にも似ていた。


「すみません……」


絞り出すような謝罪の言葉。紗希の頬に添えられていた手が名残惜しそうに離れ、神崎は一歩後退した。物理的な距離と同時に、見えない壁が二人の間にできたように紗希には感じられた。


「どうして……謝るんですか?」


紗希は咄嗟に問いかけた。期待していたものが与えられなかった寂しさと同時に、神崎の態度の豹変への不安が入り混じる。


神崎は視線を紗希から逸らし、遠くの雲を見つめた。


「……あなたがまだ16歳で、私は30過ぎの男だからです」


「えっ……?」


「私のような立場の者が、こんな形であなたの純潔を奪うわけにはいきません」


「純潔って……」


紗希は自分の浅ましい妄想が恥ずかしくなり、かあっと頬が熱くなる。ただ触れ合いたかっただけなのに、神崎はもっと先のことを想定していたのだ。



神崎は真摯な眼差しを紗希に戻し、力強い意志を秘めた声音で告げた。


「ですから、紗希さん。あなたが成人を迎え、18歳になるその日まで……私は何もしません」


「18歳……」


それはあと一年以上の月日。あまりにも遠い先に感じられる。


「本気……ですか?」


信じられない思いで聞き返すと、神崎は固い決意の表情で頷いた。


「私の気持ちに偽りはありません。あなたが好きです。しかし……」


神崎は自分の拳をぐっと握りしめた。


「だからこそ、あなたの未来を大切にしたい。世間の目や噂からあなたを守るためにも、今は……待たせてください」


その言葉は紗希の胸に深く染み込んだ。情熱の衝動に身を任せることもできるはずなのに、神崎は紗希のためにそれを耐え忍び、先を見据えて行動してくれようとしている。


その冷静な判断と深い愛情の間で葛藤している姿が、紗希には痛いほど伝わってきた。


(神崎さんは……私の事を本当に大事に思ってくれているんだ)


子供扱いされているわけではない。むしろ逆だ。一人の人間として、紗希の未来を真剣に案じてくれている。


(なのに私は……ただキスしてもらえなかっただけでこんなに寂しがって……)


「神崎さん……」


紗希は溢れていた涙を手の甲でぐいっと拭った。悲しい涙ではない。神崎の優しさと誠実さに対する感謝と決意の涙だった。


「分かりました。私も……待ちます。18歳になるその日まで」


はっきりとした声で応えると、神崎の緊張がふっと解けたのが分かった。彼の表情に安堵の色が広がっていく。


「紗希さん……ありがとうございます」


「こちらこそ……私のために……」


「いいえ。私がそうしたいんです。」


二人の間に穏やかな、しかし確かな絆が流れ始めた。これから始まるであろう一年以上の日々は、決して平坦ではないかもしれない。それでも。


「では……約束しましょうか。その日が来るまで一緒に頑張る事を」


神崎がポケットからハンカチを取り出し、紗希に差し出しながら言った。


「はい!」


紗希はハンカチを受け取りながら笑顔で頷いた。それは、大人になるまでの期間限定の、清く正しい交際の始まりの約束だった。


神崎の大人の責任感と、紗希の無垢な信頼。対極にあるようでいて、互いを補完し合う二人の関係は、新たなステージへと足を踏み出したのだった。



「そろそろ部屋に戻りましょう。みんな心配しているかもしれません」


「はい。もうすぐ、おやつの時間ですしね」


二人が連れ立って部屋に入ると、子供達が歓声をあげて集まってきた。


「紗希お姉ちゃんと怜司さんが帰ってきたよ!」

「怜司さん、紗希お姉ちゃんの事、大好きなんだよね!?」

「ねえねえ、キスした?結婚するの!?」


「!!そ、そう言う事を軽々しく言うものじゃ…」


「み、みんな、落ち着いて…」


興奮した子供達からの問いに、二人はしどろもどろになる。


「まったく…みんな子供なんだから。単純だな」

そう言いながら1冊のマンガを手にした聡志が二人に近付いてきた。


「あ、聡志君、さっきはありがとう。助かったよ」


神崎がお礼の言葉を述べると、聡志はスッと目をそらした。


「…別に怜司さんのためじゃないです。紗希さんが…貴方と話したそうだったから……」


「聡志君…私からもありがとう。聡志君は優しいね。さすがお兄さんだね」


紗希の言葉に、聡志の顔がいっきに赤くなる。


「…い…いえ…そんなんじゃ…それより!」


聡志は持っていたマンガを開き、あるページを見せた。


「このマンガでは、クラウドに二人きりにされたショーマとユリアはキスをして、次のページでは結婚しています」


「う、うん…」


「そうだね…」


聡志の意図がわからず、神崎と紗希はとりあえずうなずく。


「みんなこれを読んで、単純にこうなると思い込んでる。でも!現実にはここまでいっていない。そうじゃないですか?」


「そ、それはまあ…なんていうか…」神崎は言葉を濁す。


「やっぱり…真面目で優しい怜司さんならきっとそうすると思ってました」


「聡志君…君はいったい何を……」



その時部屋のドアが開き、昼寝から目覚めた文哉が泣きながら紗希の方へ駆け寄ってきた。


「うわああん…紗希お姉ちゃん…怖かったよ…!」


「文哉君、どうしたの?怖い夢を見たのね。もう大丈夫だよ。あっちで絵本読もうか?」

紗希は文哉を抱き上げ、本棚の方へ向かった。


「僕も絵本読みたい!」

「僕にも読んで!」


他の子供達も紗希達の方へ集まっていった。



その場に残された神崎に、聡志は話を続ける。


「怜司さん、僕はこの前十五歳になりました」


「う、うん」


「紗希さんとはたった一つ年下なだけです。学年は二個下ですが…」


聡志の意図が相変わらずわからず、神崎は困惑している。


「今の僕は子供達の一人であって、何一つ貴方にかないません。でも…来年はここを卒業して、同年代の男子として紗希さんの隣に立ちます」


神崎は聡志の真意を理解した。

「…そうか…君は紗希さんの事が…」


聡志は決意を込めた強い瞳で神崎を見上げた。その瞳には涙が滲んで見える。


「僕は…紗希さんが結婚するまでは…絶対に諦めません!」


そう言い放つと、聡志は駆け出して行った。



(聡志君…)


少年の剥き出しの情熱に神崎は圧倒された。それに比べて、自分はどうだろう。気持ちだけで動けない自分が歯がゆく感じる。


(でも…私は私のやり方で行くよ。大人になった紗希さんに選んでもらえるように)



「神崎さん、おやつの時間なのでみんなで食堂に行きませんか?」


いつのまにか傍に来ていた紗希に声をかけられ、神崎は我に返った。


「あ、紗希さん、私はもう屋敷に戻らないと…旦那様の特別な計らいで急遽出て来たので、まだ仕事が残ってるのです」


「そうだったんですね…」

余りにも短過ぎる神崎との時間に、紗希は寂しげな表情になる。


(ああ、紗希さん…そんな顔をされたら私は…)


神崎の決意が早くも崩れそうになるが、強い意思で振り切った。


「では。院長先生に挨拶して帰ります。紗希さんも門限には遅れないようにして下さいね」


「はい…」


「次のボランティアの時には、なるべく休みを取ります。たくさんお話をしましょう」


「はい!楽しみにしてます」



神崎は後ろ髪を引かれる思いで、孤児院を後にした。


屋敷に戻るとすぐに孝一郎の書斎を訪れ、院長先生からの返事の手紙を手渡した。


「うん、確かに。ありがとう……それで彼女とは…?」


孝一郎は手紙にさっと目を通すと、待ち切れないように切り出した。神崎は、互いの気持ちは確認したが、18才になるまで待つ事を報告した。


「この先一年以上待つとは…なんてもどかしいんだ!」

孝一郎は驚きを隠し切れない。


「でも…真面目な君らしい選択だ。僕は応援するよ」


「ありがとうございます。今の私には何の迷いもありません。孝一郎様のお心遣いに心から感謝申し上げます」

神崎は深々と頭を下げた。


「相変わらず堅苦し過ぎるよ…まったくもう…」


孝一郎は神崎の何かが吹っ切れた様な顔を見て、満面の笑みを浮かべた。


「とにかく、君の想いが届いたんだ。おめでとうと言わせてもらうよ」


「ありがとうございます」


「先の事はゆっくり考えればいいんだ。なにせ一年以上もあるんだからね」


「はい…」


(孝一郎様…紗希さんとの事も孤児院が今在る事も、全て孝一郎様のおかげです。私は…生涯お側でお仕えする事を改めて誓います)



神崎は孝一郎の部屋を退室し、いつもの業務に戻り、外出中も特に問題無かった事に安堵した。そしてその夜、何度も相談に乗ってもらった美奈子への報告をするため、医務室を訪れた。


「あら、神崎君。久しぶりね。今日はどうしたの?」


医務室に入ると美奈子は優しく微笑みながらも、神崎の様子を見てすぐに察したようだった。


「紗希ちゃんと進展があったのね?」


神崎は少し照れ臭そうにしながらも、孝一郎との会話や紗希との進展について簡潔に報告した。


「良かった…本当に良かったわね。おめでとう…!」


美奈子はまるで自分の事のように喜びを露わにしたが「紗希が18歳になるまで待つ」という言葉に目を丸くした。


「ええっ!?一年以上!?それって、余りにも長過ぎるんじゃない!?」


彼女は椅子から半ば立ち上がるように身を乗り出し、心底驚いた様子で続けた。


「ちょっと待って神崎君。あなた本気で言ってるの?普通の若い男女なら毎日でも会いたいし触れたいって思うものでしょ?今時中学生だってキスくらいするわよ!いくら紗希ちゃんが未成年だからって……」


「はい。それが一番だと考えました」


神崎はきっぱりと言い切る。美奈子はその揺るがない決意に一旦引き下がり、腕組みをしてうーんと唸った。


「……気持ちは分からなくもないわよ?紗希ちゃんの事守りたいっていう誠実な気持ちはね。でもね……」


美奈子の眉間に少し皺が寄る。


「実はね……紗希ちゃんって結構モテるのよ。本人は全く自覚ないけど」


「え?」


意外な言葉に神崎の眉が上がる。美奈子は声を潜めて続けた。


「ここの若手男性職員はもちろん……出入りの業者やお客様の中にもチラホラいるの。もちろん表立っては言えないけどね」


「そうなのですか……」

神崎は平静を装いながらも、内心では僅かな焦燥感が芽生え始めていた。


「特に最近……去年末に貴方が紗希ちゃんを庇って怪我してから……顔つきとか立ち居振る舞いとか雰囲気が凄く魅力的になったわ。つまり、貴方に恋してキレイになったのよね」


「……そうですか……」

神崎の胸に鈍い痛みが走った。


「紗希ちゃんも人気がある事を頭に入れておいた方がいいわ。一年以上というのは長過ぎると思うけど……貴方の気持ちは尊重するから」

美奈子は諭すように付け加えた。


「肝に銘じておきます」神崎は静かに頭を下げた。


「……分かったわ。それじゃあ紗希ちゃんのためにも頑張ってね。応援してるわ」

美奈子は再び慈愛に満ちた笑顔に戻った。



神崎は医務室を出て廊下を歩きながら、美奈子の言葉を反芻していた。(紗希さんは人気がある……そうか……それは当然だ…)


確かに彼女は可愛らしくて優しく、それでいて芯の強い魅力を持っている。聡志がそうだったように、周囲が放っておくはずがない。


(それでも……『大好き』と言ってくれた紗希さんを信じよう。)


神崎の心に新たな決意が芽生えた。待つのは変わりない。

時間をかけてお互いの事を知り、絆を深めよう。


同じ屋敷に暮らしているのに、まともに会話する事もままならない今の状況をもどかしく感じながら、神崎は決意を新たにした。

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