37 Gretchens Bitte
黒い煙に身を包んで王都の居に備えたソファに、リアムに戻った小さな身を沈める。
アリアは糸を紡いで結ぶ中、マリー、リアナ、ソフィアは筆を走らせた。
両者ともに、物語を紡いだ。
糸で縛る、インクの中に閉じ込める。
どちらも、運命を司った。
アリアは自らの死とともに誰にも真似できないし、手に取れない大作を完成させた。
パルカの3作家は書の完成とともに誰にも真似できないし、だれでも手に取れる名作を完成させた。
僭越ながら、この大仕事を完成させる編集者としての役割に努めたのが僕だけど……つかれた。
アンバーズハウスからはまだ来るなと言われたし、まずは手近なミネルヴァの攻略をしたけど、オブジェクトダンジョンを攻略しろだの言ってた。
残りはウルカヌス、ユピテル、ユノ、ネイドン。
……ユノは父さんが攻略してるからあとに置いといて……だって徘徊するラストボスと戦って死んだら誰かが攻略するまで生き返れないとかこわいし、つーか、いまは封鎖されてるから億が一、負けたら詰むし。
『憶が一の間違いでしゅな』
『それよりも俺の遺産の返還をバターフィールドに求めよ』
『どうせもうカレンダーに引き継がれてるか国庫に入ってる。不当に引き継がれた隠し遺産を真の所有者の魂を宿す者に返還すべき、なんてドチャメチャ法を施行しゅても、法の不遡及で無効。諦めるしゅかない、うん』
『キンク!おまえいつからそんなに物分かりがよくなった!』
『わたしゅはナオトに忠実なんでしゅ。くやしかったらわたしに黄金の1tでも献上してみろ!』
『死後にしてなお、六道能化への奉斎をかつあげするとは、金の亡者らしいがめつさだ』
『なんだと!なんかいっぱいバカにしゅたな!くらえっゴールデンキンク、まるかじり!』
『身の程を計れぬおまえなどその程度よ!なんども同じ手をくらうか!あっ、あんなところに黄金が!』
『んにゃ、どこ!?』
『はっはっは!これこそが、バカにつける薬はないのでダッシュ──!』
『にげるなヒューズ!またんかい!』
うるせぇ。痴話げんかは僕に届かないところでやれ。特にヒューズ、てめぇの子孫のごたごたで僕は心を痛めてるってのに……われがはがれてんぞ。
よし、もう立ち直れる。
おまえたちが、ぼくの惑星舞台をひっくり返したんだろ。
どっしり構えてろよ。
木星を選んだのは、ユノを攻略して、ソロネの超弦’ジュピター’を手にした父のウィリアムを意識してのことだった。
今もソロネの正統契約者はマルデルのままだが、それがグレイスの息子である父さんに与えられた意味もまた複雑としている。
「音楽雑学ならわたしがぜったいに勝つ!」
「受けて立つ」
あれは、鈴華と雑学勝負に託けて、同好の士として楽しんでいたときだったなぁ。
「ねぇ知ってる?ホルストの組曲『惑星』にはね、地球はないんだよ」
「しってるよ。じゃあどうしてないのかはしってる?」
ホルストはこの作品を天文の視座ではなく、占星の視座で語った。
「わかるよ。地上からじゃ、その星のぜんぶはみえないもんね。まるでわたしたちみたい」
「そうだね」
鈴華は見事に正解してみせた。
僕もこれ以上つっこむなんて野暮だとわかるくらいに、穏やかな時間が流れていた僕と鈴華だけの時間の一幕だ。
占星から天文となった地球、でも過去のじぶんとそれから伊颯さんがおしえてくれた。
光度はことばだ。そして、旋律は記憶だ。
ここに地球はないけれど、だから、ぼくを見てほしい。そういう気持ちを込めて臨んだ。
なのに、そこへ誕生を祝う歌だ。それも、ぼくの中にいる彼らからとなると、どれだけの想いがこみあげて、流れ込んできたことか。
とりあえずは、『溺れるスプーン』に関する声明の発表とアリアの葬儀への参列の準備だ。
リアナとバルトの両名からの依頼であったことを、そこにハワードも加えてほしいという打診があったので声明文を整えること、それからアリアの葬儀へリアムとして参列すること。
コンクールの予選を観覧していたのは、多くは学院の生徒で、そして、一部の貴族や一般客たちだ。
そう数は多くないが、アリアの処刑人となったかもしれない、リアムという存在への未知性と畏怖を植え付けるには十分な効果がある。
アウストラリアにはリアムという影が支配する、闇の時代がやってくる。
しかし闇の中にあっても雷鳴は轟き、そして灯火も輝くことがわかった。
Ach neige, Du Schmerzensreiche…それだけ、アリアというスプーンが溺れさせていたものも多ければ、掬ったものも多かったということだ。
ああ、傾けさせたまえ、悩み多き御方よ…と、大罪を犯しに犯して、悲しみの聖母の像に語りかける歌い出し、愛に過失を求めたグレートヒェンの祈りが美しいと、僕も思ったことなどない。
アリアは、すべてを悟っていた。
ミネルヴァの作問者がいることを。
どんなに独り占めしたくても、もうできないことを。
でも逃げなかったのは、どんなに通じ合っていても共有できない価値観が誰の中にもあるということを、孤立したファウストと自身を呼称したアリアが理解していたからなんだとおもう。
その輝きがあれば、闇は星が宿る夜となる。
宇宙の星は地上から離れないとすべてをいちどに見渡せないけれど、地上にあっても夜空は巡る。
すべてを見るには地上を歩き続けるしかない。
僕は僕の輝きを大事にして、立って、今日を進もう。
闇が、みんなにとっては、自然と更けていく夜であるために。
そうして、王都に広がりすぎた火を消す日々を送って、一息つけるようになってきたころだった。
カレンダーを連れたマリーが、訪ねてきたのは。
「娘がたいへんお世話になったようで、ありがとうございます」
「いいえ。カレンダーの頑張りが今日につながったんです」
「すごく頑張ったのね、誇らしいわ」
「えへへ……」
王家からの大量の賠償が決まり、マリーは自分を買い戻して奴隷の身分からも解放された。
カレンダーがまた親元に戻れたのは、ほんとうによかった。
「ミネルヴァのことやアリア王妃をめぐる事件の真相を、事件に巻き込まれた当事者として聞かせていただきました。あなたのことと、ミネルヴァとの関係もです」
「そうですか。……すごいでしょ、ぼくの19年は」
「わたしが同じ時間をかけても読み解けないでしょうね」
「それはクロポがいじわるなだけですよ。もっと自由に開かれていたら、あなたには簡単に攻略されてしまうかもしれません」
「ただ目を通すだけならだれにでもできてしまいます……わたしはともかくとして、ピーターさんならきっと自分の物とされたでしょうね。わたしがきっかけを与えてしまったようなものですから、せめてもの償いとして、クッキーベルへの支援に参加させていただけないでしょうか」
「もちろん。歓迎しますよ。やはりグラウクス出版でまた書かれるのですか?」
「カレンダーとの失われた時間もすこしずつ取り戻しながらになりますが、ソフィアのことも放っとけないんです」
「ぼくはもう筆を折りますが、会社は残ります。これからは、ライバルですね」
「ペンの鎬を削りましょうね」
ヌースの書は、アリアがもっていった。
これで異世界の僕の知識の優位度は保たれたまま、ぐふふ、ビジネスや技術ではまだまだ稼げる、なんてゲスい思惑がちらりと脳裏をよぎったりしているのだから、ぼくの倫理観も自分の会社を持つようになってからさらに狂ってるのだと思う。
「カレンダーはどうする?新しくビジネスをはじめてもいいし、ピーターメールに残ってもらってもいい。残るのなら、これまでどおり、学院には通ってもらって卒業後にってかんじになるかな」
「わたしはのこります。ピーターメールには、わたしのインクもしっかり滲んでますから」
「そうだね。ピーターメールは名作だ。わかった。でも、カレンダーがあたらしい挑戦をすることをぼくは止めないからね。業務がおろそかにならないように、じぶんでバランスをとってね」
「はい、ありがとうございます。リアムさん」
やっぱり、ぼくがしたことは失わせることばかりではなかったのだと、カレンダーの笑顔が証をくれる。
そうして感じ入るのも束の間のことだった。
あなたはミネルヴァのすべてを理解しているのでしょうという前提があって、だから教えてほしいとマリーから投げかけられた問いが、あたらしい波紋を作った。
「あの、ところでミネルヴァにまつわることで、ひとつだけ、疑問があるんです」
「なんでしょうか?」
「ミネルヴァのラストレガシーは、なぜ1つだけなのでしょうか」
……人生の多くをミネルヴァに捧げたマリーの指摘は、アリアという劇に隠れてしまっていた、誰もが見落としていたミネルヴァの舞台のしかけを、冷静に分析する一文だった。
「そのとおりだ……どうして、1つだけだったんだ」
隠された答がある……まだミネルヴァは、すべてを攻略できていない。




