38 心の木丈
水時計に新しい水が注がれた。
「知恵を試しに来たものよ」
ヌースの書はミネルヴァの書となっており、十二年の石像化のペナルティもリヴァイヴ送りと軽くなっていたが、水時計の試験内容はそのまま。
試験は何度でも受けられるが、ミネルヴァの書はひとり一回しか授けられないようになってしまった。
ミネルヴァの書は、本棚や書に制限なしで1年に12ページだけの知識の書き写しができる、それでも他の人間からしたら喉から手が出るほど欲しい代物だっただろう。
アリアの消失とともにヌースの書を失った。
ヌースの書が必要なら、マジで詰む。
葬式もぜんぶやったのに、こっからアリア復活祭なんて御免だ。
「というわけで、3人の力を貸してほしい」
招集したのは、マリー、リアナ、そしてソフィアの3人だ。
なお──。
「静粛に、静粛に!……だめですね、これは」
「ミッチー、もうこれでは議論にならないのではないでしょうか」
「そうですねマリナさん。はぁ、やはりあの子はやり手ですね。ベルはどうにも一つ問題を解決したと思ったら、一息つく間もなく一波乱をよぶ」
「たしかに、綺麗にできましたで終わらん女だな、あれは」
「わたしゅは面白かったけどなぁ、ベルと遊んで」
ぼくの内面でも、これまで夜にはヘイジーとして好き勝手させてやった恩を盾にさせた大会議が開かれている。
「楽しそうなことやってんな」
「あら、クロウ。久しぶりに出てきましたね」
「おまえのシワくちゃ顔を見なくて済むからな」
「死にたいのね」
「ずいぶんと熱をあげているな、吸血鬼」
「だまれヒューズ」
「なぁクロウ。相続した遺産が盗まれた遺産なら所有権はどっちにあるんでしゅかね」
「おまえはいったいなんのはなしをしてるんだ。いまはミネルヴァのことだろ。これだけいてなんにも気づかないのか?」
「その素振り……わ、わたしにだけこそッと教えてくれてもいいんでしゅよ」
「それで自分の手柄にしようってか、かぁー、頬まで黒い奴だな」
「だまれヒューズ」
「キンキンとヒューズがとっくみあうのはもう名物みたいなもので飽きましたけれど、答えは気になります」
「これはナオトへのベルからの挑戦状でもあろうから、答えはおしえないが、オレがでまかせ言ってるとおもわれるのも癪なもんで、だからヒントをやろう。ヒントは水時計の試験の答え、それからミネルヴァはなんと呼ばれているか、だ。だが、ナオトからのオーダーだろうとおまえらもあんまり鼻をつっこむな。いいか、これはベルからナオトへの挑戦状なんだからな」
「やけに強調するじゃない……いいかげんにだまりなさいヒューズ、キンキン!」
「「だってコイツが!!!」」
「いまはナオトさんのために皆一丸となろうではありませんか。クロウさんはこう言われますけれど、なにがナオトさんのためになるのかはわからなければ引き際もわかりません。あ、だまれヒューズ」
「ミッチー!?」
「ふはは、言われてやんの!これで1巡。では2巡目はわたしゅから──」
「オレはまた深層に戻る。オレからのありがたいヒントで解決の兆しが見えることを願ってやるよ」
「……みんなが嫌う、ましてやナオトでさえ警戒感を抱いているというのに、あなたほんとうに物好きなこと」
「おまえらにとってはまさに、物だろう……でも忘れてるぜ。ナオトが転生してリアムとしてどんなに語りかけてきたと思う。耳を傾けてきたと思う。じぶんの気持ちをナオトに代弁させようとしている奴らと、どこが違うんだ?……あのときまでナオトはリアムでもあった。それをぶち壊したのがだれなのか、この押し付け合いは一方的だが、押し続けたところでいつまで過っても落ちないだろうな。それでも、理解できないだろうな。リアムというアイデンティティを失いつつあることになぜだれも気付かない。おまえらがリアムを盛り立てて、かつ、ナオトをないがしろにしているわけではないと両立させようとするほどに失っていくんだ。オレたちがいなくても、リアムはちゃんと悩んで生きていた。そういうところを潔癖だとリアムは自嘲しているが、オレからしてみたらこういうことだ。何十万歩と下がっても、一歩を踏み出すことをぜったいに止めない……オレはこんなに強いヒトをほかにしらない。ナオトのやさしさとリアムの歪な不完全さに甘えていたイデアとどう違うって言うんだ」
「陸に上がれなかった魚に選択肢がなかったのか……ええ、我々にはなかった。奪われたからです。ですが這い上がれない我々がいなければ、リアムはイデアを許していた。そう言いたいんでしょう」
「陸に上がれなかった魚に選択肢がなかったからと、飛べない鳥が空を飛ぶ鳥に罪を問うのか。飛べない鳥が空を飛べなかった罪を問うのか。それとも、飛べない鳥が空を飛ぶ鳥を罪に問うのか。飛べない鳥が空を飛べる罪を問うのか。オレたちは、飛ぶ鳥に代わりに巣まで温めさせた。ここで一番の理不尽に晒されているのは、嫉妬に羽を毟られる飛ぶ鳥であって、そしてここで一番の自由を持っているはずなのも飛ぶ鳥であるはずだ。ああ、魚はしゃべることすらしないな。だったらオレたちは、陸に上がれなかった魚ではなく、飛べない鳥に徹するべきだ。ミッチェル。皆をまとめるために奔走することを買って出たんだ。いちばんの理解者がおまえだとは思っていたよ。おまえも……いや、いい。でもイデアの話し相手になれるやつは、そう多くないからな。励め。おれは時間つぶしに励む」
おまえも、苦労するな。そう喉まで出かかった言葉をクロウは飲み込んで、時間つぶしと著したイデアとハイドのいる水槽の底へと潜っていく。
”愛に過失を求めることなどわたしはしません”
本当はだれが答に辿りついたんだろう、とか考えてしまう。……クロウ、偏屈で、それでいて難しく取り繕った君の言葉の裏に僕も強感したこの言葉が響く。天邪鬼も踏みつけるくらいのもんなんだろと誰一人いないんなら興味など湧きもしなかったけれど、まさか一人だけ、イデアを擁護する奴が出るとは思わなかったな……愛に過失を求められないのだとしたら、愛を学びたくても、得たくても、感じたくても、欠けて失っていたことに過失は求められるのだろうか。
いろんなことにあたまを悩ませていると、マリーがなぐさめの金言をくれる。
「誰かの顔をうかがって、正解を当て続けていくのにもいずれ飽きが来る。そこからがたのしいんですよ、じぶんの足で立って生きてるってかんじがして」
わたしも若かったわねみたいに邪気があるんだかないんだかで笑うマリーから、かつてのミネルヴァへの執着の片鱗が見える。
「どうして水時計の試験のことを外に持ち出せたのかしら。わたしのときはそうじゃなかったはずだけど」
「あぁ、それは、リアムさんがはじめてクロポの試験に挑んている様を目撃した時にアカデメイアでもちょっとした議論になってました。試験を途中でキャンセルしたからだろうというのが結論でしたね」
「”この試験を受けたい──では試験をはじめる”が通例です。プニュクスまで司書がクロポの試験のために出向くのではなく、むこうからやってきたクロポから試験を挑んできてそれを受ける形という点もおさえておけば、さらに明確になります。試験問題ではなくて試験の提示だった。試験がはじまっていなければ水時計は流れも溜まりもしてない状態、それも相まって0級ということでしょう」
「わたしも概ね同意です」
「ソフィアは相変わらずしっかりしてるし、リアナは相変わらず頭の回転が早いわ~」
「しごとです」
「わたしもベルの持っていた記憶の知識しか知りませんからね。もちろん、すべてでもない。直人の知識も得たベルがどんな作問をしたのか、作者の気持ちになってはみているのですが。これがサッパリ」
「そこよ、リアナ。あなた妙に達観した、それでいてミネルヴァの影を見る新しい切り口で物語を書くと思っていたけれど、ミネルヴァにある本に似たような書物に目を通していたなんてずるいじゃない。わたしにも教えてくれればよかったのに」
「いつのことを持ち出してるんですか。いまはそれどころじゃないでしょう。それにわかる範囲の音義はおしえたじゃないですか」
「こほん。いまではわたしがいちばんミネルヴァをマスターしてるんですからね。がんばったでしょ、わたし」
「よくがんばったね、ソフィア」
「まざまざと石の置物になった気分。エレア王女もすでに5級なんですってね。いくら鏡のことに気づいたからって出来過ぎよ。あなたどれだけミネルヴァに入れ込んでいたの。婚期遅れるわよ」
「わたしはリアナが結婚してからでいいかな。リアナよりかは早い齢までに結婚はしておきたいかもね」
「わたしに合わせると現時点でもソフィアは一生を使い切ってしまうんじゃ?」
「結婚だけがすべてではないんです」
「あなたはそれじゃあダメでしょうが」
「リアナもね」
「ねぇリアムさんはだれをお嫁さんにもらいたい?」
「まにあってます」
「わたしはリアムでもいいかな」
「それならわたしだってリアムさんが、いいかもしれませんね」
「ごめんねー、2人とも。すでにリアムさんにはカレンダーっていう素敵なガールフレンドがいてね。まぁ、わかっていてイジワルな質問をしたんだけど」
「カレンダーにはカレンダーの好みがありますよ」
「ちょっとそれくわしく!」
「……同僚の秘密をペラペラしゃべるのは、職業倫理に反します」
「ほう、つまり娘の仕事関係ということですな」
「いらん推理力!?」
シルクはぼくの境遇を慰めたんだとして、ソフィア王女は暗に公務と執筆活動に勤しんでまだしばらく結婚しないと言っている。
ここまででいちばん盛り上がったのが、恋バナをしゃべれ、しゃべらない、って。
それくらい、誰よりもミネルヴァを識るパルカを以ってしても攻略の取っ掛かりがなかった。
決して、真剣さを欠いた時間を過ごしたわけではない。
『この人たちは、いい意味でぼくの顔色を気にしないな……クロウみたいに』
ヒント、ねぇ……すこしクロウの話に戻ってしまうけれど、冷たく言い放てば、目の前で頭を使って口休めしている3人だって僕を手伝う義理はないんだ。
人にはいつだって誰かを見捨てる権利がある。救いの手を伸ばす資格がなくても、手を伸ばす権利は誰にだってあるように。
マリーとシルクを迎えるまえに、ソフィアには早めに予定を入れてもらって、顔を合わせることにした。
「お父様はあなたをこう言いました。”歩く聖戦。それがリアムという男だ”」
あんやつはホンマに、いてこましたろか。これが、手ずから母親を殺して残された娘の第一声への感情である。
ぼくの方はアリアの件の疲れはだいぶ回復してきてるようだった。
やっぱり直後は参ってしまっていた。手が血に塗れたまま、絶望の淵にいる家族を直に見ていたんだ。
シルクの時はアドレナリンどばどばだったし、自ら癒しを与えて修復する機会もあったわけで、淡とした素面で誰かを殺すモーションをとる行為は、プロセスからその終わりまで、モンスターで慣れていたとおもったのだが、なにかが違っていた。はじめてのモンスター討伐のときにも感じなかった、この”なにか”は、これから一生かかっても正体はわからない気がする。
「お母様を貫く姿が気を緩めるとフラッシュバックしてくるんです。ですが……お母様の生き様は、あなたに血道を上げたというには、綺麗すぎる悲劇でした」
字面は簡潔だが、詩のようだ。無性に手を水で洗いたくなる。すんごい風刺が膚にささる。ソフィアってこういうところ最初に出会った時からだったよ、そういえば。
「なので、次の著書は”歩く聖戦”にしようかと」
「……?」
「現代の勇者に迫るドキュメンタリー。これ、ぜったいに売れると思うんですよね。……なんというか、あなたを敵だとはおもえないんです。最初に向き合った時よりはるかに身近に感じます。むしろ、いまとなっては同じ痛みを抱える仲間のようにまで感じてしまう。不思議ですね」
「あの……ソフィア王女」
「よしてください……わたしはいま、なみだを、ながすつもりなんて……ないんですから」
ソフィアは言葉の通りに、堪えていた。泣いてしまうのではないかとこちらの心配がこみあげてくるほどに、手を伸ばすが届かない向かいに座っているソフィアから伝わってくる熱さからは、ぼくにとっては腰丈ばかりのものではあるが、万丈であろう心の丈があるのだろうと伝わった。
釈明するつもりはない。
ぼくの一手で、アウストラリアはロマンスとの戦争に突入するかもしれない。
しかし、そうなれば四面楚歌となるのはロマンスの方だ。
戦争は望むところだった。無血開城さえやってのけられるし、開城したあとの血は必要悪と許容の範疇だ。
でも、戦争は起きないだろうという目算のほうが高かった。
VOXと通じていたとして、ロマンスはファウストの出来栄えでしか、いまのところぼくに勝つ手段を語れないだろう。
こちらにはパトスとパワーズもいる。
それにあちらの女王も代替わりしていて、ヴィクトリアの現王権への関与を真っ向から否定している。
葬儀を行ったの一点張りであるが、VOXにソーマがいるのなら死体の偽装なんて簡単にしてのけるし、若さだって自在のままだろう。
ほんとうにロマンスの女王には寝耳に水の可能性もある、デリケートな問題だ。
リアナという抑止力もあった。それでも、アリアを野放しにしておく選択肢だけは最初からなかった。
「わたしよりも歳が未熟なシルヴィアのためにも、わたしが筆を折るという選択肢はないんです。姉としての矜持ですわ」
周りの感情さえ置き去りにすれば、なんら難しいはなしではないんだ。
晩節を欲で汚した王妃の肖像は、後戻りできないところまで血に塗りたくられていた。
殺しておかないと、次はソフィアだったかもしれない。
「こんなことをどの口がと思うだろうけれど、ぼくは、ソフィアを応援してる」
「わたしも、リアムさんの未来が明るいものであることを願っています」
「忘れない」
「振り返ってくださるとは口にはされますけれど……あなたはほんとに……別れ道に立とうとするのがお上手ですね」
「……常に前を見て先を行き歩く人間の特権かのように言いますけれど、常に後ろ歩きなぼくは、しかしたしかに進んでいるつもりです」
「器用でもいらっしゃるのですね。わたしは不器用なりに……同じ形也でも、静かに狂った母のようにではなく、あなたを見つめつづけます」
そうして、マリーとリアナがチャイムを鳴らす時間まで、しばらくの静寂をおたがいにわかちあった。
「”熱狂”。それがわたしの次の代筆の著書となるでしょう」




