34 Beata Maria Virgo Perdolens
「まどろっこしいことはしません。あなたが約束をまもらなくても、わたしは名誉を失うだけです。もうお分かりですよね。わたしにも、称号楽曲があります。わたしの名は、アリア。聖譚曲を冠する、ファウストのひとりです」
ついに、アリアの口から言質が取れた。
ビル、おさえろよ。
2体の猛獣に鞭を入れるベテランの猛獣使いにはなりたくない。
「聖譚曲に宿るスケールは、契約、です。わたしに誓えば、それを成さねばなりません。ただし、これは同格のノードを持つ者には効きません。シルクもシドもコナーも、そしてあなたも対象外です。ざんねん」
「聖譚曲はオペラとはまたちがって、舞台装置や衣装、演技を伴わない。証言者によって物語が進行する叙事詩のドラマだ」
「当てこすりはよしてください。アダムの書にもなかった異世界様式の情報ですね。もっとあなたが欲しくなる」
「屍と契約はできないだろう。誰を犠牲にした」
「誰も。グレートヒェンは必要ないと、あなたがおっしゃったとおりです。わたしは灰色のファウスト。孤立したファウストなんです」
「しかし今日までバレなかった。シドのヘテロフォニー、シルクのファンタジアのように後から結んだはずだ」
「わたしがしたのはもっとシンプルです。称号楽曲を包むように、術針で編んだ膚のガーゼで隠していたんですよ。嫁いでくる前からずっと、わたしはファウストでしたよ。いまも隠していますが、どこにあるかわかりますか?……わかりませんよね。アダムの偽装は完璧ですから……ここですよ、ここ。左のあばらのところです」
人を小馬鹿にしたような笑みだ。めくれないから拘束を解いてくれとでも言いたいのだろう。
「拘束前提で行こう」
「順序よくお話しできていると思いますよ。そのアダムの容姿とね、あなたのその容姿とはうり二つなんですから」
とんでもないことになった。
ぼくの絶対的な味方にあったバルトとビルの魔力にさえ、揺らぎが生じるほどの緊張が場に走る。
「攪乱などではありませんよ。アダムとリアムは別人です。そして、一目惚れというものです。わたしはね、あなたの容姿に恋をしたんですよ」
それはまだ嫁いでくる前の、幼少の頃のアリアの記憶だ。
「親に玄関で待っているように言われて、独りで迎えを待っていたわたしのまえにあらわれたのは、ゲオルクと名乗る壮年の男でした。彼は壮年でありながらも、小さなわたしに恐れをまったく抱かせない不思議な人でした。連れられて向かった先が、あなたがたが言うVOXの本拠地です。場所はわたしもわかりません。目的地に着いて門扉が閉まると、振り返ったゲオルクはわたしの手を取りながら、目の前で変身してみせたんです。彼こそが、アダム。日登 鈴華の記憶にあった一条 直人の姿を本性とする澄み切った青空のような笑みを浮かべる人でした。あの顔が、王子様のようで、たちまち恋におちました」
もしかしたら、アダムはミネルヴァにも何度か行ったことがあるんじゃないか。アダムはヘブライ語では「赤い土」、ゲオルクはギリシャ語の「ゲオルギウス」由来であれば、大地で働く「農夫」の意味だったはず。これを鈴華が知っていたとは思えないし……内と外の姿を使い分けていたらしいが、偶然かどうかは判断が難しい。
このはなしで信頼性が高まったのは、アストル司祭と顔見知りにあったアメリアを連れてきたゲオルクの正体はおそらくそのアダムが姿を変えた人物だったということかな。
「謎に満ちたその人ですが、アダムはこっそりと恋する私にひとつ秘密をおしえてくれたんです。じぶんの姿は、一条 直人という直近で製作していた設計図を基に再構成された肉体だ」
……設計、図?
「よもやと思っていたが、アダムの正体は……」
ダメだ、でてくるな、でてくるんじゃない、いであ。
ヴィクトリアは、アンバーの遺骸を辱めた女だ。
設計図だって、掠めていたかもしれない。
──ですが、アダムの正体がソーマだったのだとしたら、すべてに、すべてに筋が通る。
「彼はわたしのバディとなったシルクを糸繰りの人形にする手術にも同室させてくださいました。はじめてみる人の内側、わたしの内側もこうなっているんだという危うい好奇心と怖れのつばぜり合いに生を感じている隣で、むき出しとなったリアナの心臓を取り出して、新しい命の鼓動をその手技で紡ぐアダムの姿は、とても美しかった。命を腐ったその手に握る姿は、とてもとてもとても、うつくしかった」
アンバーの遺骸からソーマも回収したのか、でもだとしたら、なぜヴィクトリアに従っている。
ケルビムの復活をしらないのか。
持針器をアリアに持たせたのは、ファウストを通して、ぼくの姿をみせないためか。
それとも、ぼくだから、イデアだからダメなのか。
やはりアダムとソーマは、別人なのか……いまじゃない。ソーマ、セーマ、レテをギリシャ神話の三女神に例えるなら、マリー、ソフィア、リアナはローマ神話の三女神だ。
今は、目の前にある筆致の友情に同一の視をおくに留めよう。
「ここに刻響あなたに、とてもよく似ていた。……その姿こそが!!!まさしくあなたなのです!!!……わたしの知るあなたは、もうすこし幼かったわ、でも些細なことよね。わたしも年を取って、子を儲けて、それなりの人生を歩んできました。更にと、重らなくともあなたのことをこころに留めましょう」
一時、沸騰するように昂奮としたアリアもまた、ようやく見たかったものが見れたからと、もう本性を隠す気はないようだ。
「わたしの願いは、リアムという不完全な形ではないあなたの姿を完璧にして、世界の歴史に残すこと」
どうしよ、ますます気持ち悪いぞ。
「アダムをミネルヴァで補完して、一条 直人を再誕させるのです。いまは、アダムも必要ないことがわかりました。あなたがいますからね。そうして容姿を戻せるのですから。でもね、顔に惚れたからといっても、やはり好きな人と同じ視座を求める気持ちに蓋をするのって苦しいことだとはおもいませんか?」
「……思うね。相手のことを知りたいと思う気持ちはわかる」
「では、もういちどお訊きします。こんな状態のわたしの証言が、ほんとうに有効な証拠となるでしょうか。わたしに、どんな罪があるのでしょう。シルクを操ったのだという証拠はどこにあるのでしょう。其の夫を殺してマリーを追い詰めた、ウィリアム・ハワードに刺客をさしむけた、ルイス・ハワードに姪のミリアを引き合わせた……すべては憶測です」
状況証拠しかないんだから、じぶんに触れろと促してくる、気持ちの悪い女だ。
「ふはは。なればこそ、ぼくもこう返しましょう。ぼくの著書に、どんな罪があるというのです。たかがフィクションでしょう」
にっこりうれしそうに笑っちゃって。
覚悟極まってんなぁ。
目視はできていないが、称号楽曲があるのなら、殺せば彷徨うファウストに乗り移られる。
これで、バルトとビルはアリアを死刑に処することができなくなった。
マジで最強すぎる。
……まぁ、リアナにアリアが誰を好んでいるのか、ということは聴いていた。
なにに執着し、なにを独占したいのか。
ただ、グレートヒェンはいないということなので、この手でアリアを生滅させてもいいが、せっかくの捨て駒にしても心の痛まない相手だから有効活用はしたい。
気乗りしないけど、交渉を詰めよう。
「アリア王妃。そこまでやってのけてこそ、楽劇として完成されている。一貫してすばらしい」
「あら、お褒めの言葉をいただけてうれしいです」
「ええ。ですから交渉を詰めましょう。あなたもこちらに寝返ってください」
「……シド、コナー、シルクのようにですか?」
「かれらと違って、国家を欺くほどの手を打っていたあなたには実に多くの情報が詰まってそうだ。リアナにあなたの悲願を聞き及んでいます。あなたがミネルヴァを完全攻略するのをぼくが手伝いましょう」
浅はかだが、おまえの価値は他とはちがうと高く見積もってやれば、うさんくささのなかの真剣さがすこしだけ研ぎ澄まされる。
しかしここまでの劇をみせられて、観客でいられないだろうね、ソフィア。
「リアムさん、正気ですか!?」
「ちゃんと約束を守ってくれるのなら、拘束もしないし」
「犯情が明らかな女の情状をどうして引き延ばすとおっしゃるのですか!」
「クロポにぼくと手を取って挑むんです。人はあなたを花輪のように囲むでしょう」
「あのマリーの手紙はやはりフェイクだったのだといまわかりました!!!あそこまで憎たらしくミネルヴァに固執しているマリーがわたしやシルクに情報を渡すはずがないと!マリーとシルクを、わたしの友達を苦しめたのが、わたしの……わたしのおかあさんだった。こんな、こんなぁああああ……!」
ソフィアはその場で、泣き崩れてしまった。同じアリアを母とするシルヴィアも目の前で繰り広げられる憎劇に姉のソフィアに駆け寄って、肩に手を置いて掛ける言葉を失いながら、一緒に涙を流していた。
「だまってなさいソフィア!!」
「ぼくが”水時計の試験”と呼ばれる試験の受験資格を受けたことをみなさんはご存じですよね」
「ええ、もちろんです」
「実は、その試験の出題範囲にも大方見当がついてるんですよ」
「……夢が覚めてしまうような嘘をつかないでくださいませ。まだ一度も受けたことがない試験の内容をご存じなんて、知識はあなたのものでしょう、しかし知識と知恵は別物ということもあなたはよくご存じなはずです。なぜそんなことであなたの誠実さを語ることができるというのでしょうか」
前世にも、こんなはなしがあった。
試験で作問者に著書を引用された著者が、その試験を解くと著者も答えを間違えたというのだ。
借方の作問者とは、知識に付加価値をつけることができる。
純らかな本質であろうと、負債であろうと、それが社会の資産となっていく。
作問者という負債の混じる借方の資産を、貸方にある源泉が、勝手に膨らんだ負債をどう利益につなげるべくアリアへ説得をかけるか、腕の見せ所だ。
「それでマリーの呪縛が解けるのなら。ぼくも石にはなりたくない」
ソフィアの涙がピタッと止まる。
せめて、母に失望したあなたの一条の光になるのなら、こんな一得一失の筋書きはどうだろうか。
ねぇ、2人のマリーゴールド。
止まっていた君たちの物語の続きは、こう綴ろうよ。
ぼくはこのセリフが大好きなんだ。
時よ、歩け。おまえは美しい。




