33 Gretchen im Zwinger
父のウィリアムは言った。
「もしも、ほんとうにアリア王妃が裏で糸を引いていたのなら、オレは王都で世論を見届けたい」
じぶんが世話になった人だった。じぶんたちのパーティーの名前として、誇りにするほどに、アリアという女は、ウィリアムとアイナと親しく、そして、憧れだった。
溺れるスプーンは、すべてをひっくり返してしまう諸柄の匙だった。
──玉座の間。
ビル・ギルマン・ハワードは願望を垂れ流す。
「川に波紋をつくった雨粒が、海へ流れつくように。かえってくる。川の水面に落ちた雨粒が、海へとながれつくように。ウィルは本当のかぞくの下へかえってくる。私の息子は英傑だ」
それだけを信じて生きてきた10年を超える時間がどれほど永かったか、ぼくにはわかる気がする。
「ウィルの眷属契約を成した日、灰離原で知った。わたしの孫には、ハワードの罪が凝集されて生まれてくる。当時のアウストラリスはヒューズを失っていたことだし、聖戦の悲劇が引き起こされたのはベルにマルクトを託したハワードの責任であると、一条 直人の転生の土台となると立候補し、私の父ギルマンは、その罪を一身にハワードへと引き受けた。聖戦の復興政略として、アンバーズハウスから私の妻へと嫁いできたグレイス・ハワードは、メデューサというドラゴンのドラコニスだった。そしてわたしは、ハワードの源流にあるシュタットという男の生まれ変わりなのだという。わたしもグレイスもハワードの罪のことなど知らずに、ウィルを儲けたあとでの真実だった。その後、ほどなくして私たちはウィルを狙う神竜教を名乗る賊に襲われた。我々は生け捕りは適わずとなんとか討伐したが、深手を負ったグレイスはほどなくして帰郷した。アンバーの再誕があると知ったのだから、当然のことよ。わたしはこの秘密を孤独に抱え続けた。ウィルに、おまえの子には異世界転生者が宿るのだ、最初からおまえの誕生も仕組まれていたことだったのだ、と話すことなど正気を乱す」
とても、お前だの、クソじじいなどと言えない状況になってきた。
ビルにはイザベラという正妻がいる。その息子のひとりがオースティン・ハワードであると父さんからも聞いていた。
「ハワードの直系の血と精霊とドラゴンの寵愛を受けて生まれたメデューサのドラコニスの子だ。ウィルは特別だった。精霊魔法の親和性もオースティンより上だった。だからこそ、眷属契約の火口を抑えなければならず、あの子には抑圧を強いた。後継者問題はなんとしても避けなければならなかった。わたしはさぞ、ウィルを差別的に扱う人間にみえただろう。事実、外部との接触を極力と避けさせ、イザベラとの子のオースティンとイザードは学院の初等部から王都に滞在させていたのに、ウィルは中等部から通わせる徹底ぶりだ」
……見えてきた。父さんがなぜ土属性精霊のモグリと精霊契約しているのか。メデューサは、土の系統に縁を持つ妖精の血を引いていた。
聖戦の原因を見せるフリした、あの夢、見せたのはハイドとイデア、どっちだ、クソ。薄々、自分の器の出自について気づいていたな。
「軋轢があったことも認めよう。それがわたしの未熟さであったことも認めよう。わたしはウィルだけを愛していたわけではないのだ。わたしは家族を愛していた。だからどんなことになろうとも、おまえを家族として受け入れようと思っていたよ。リアム・ハワード」
こちらにあきらめの声で語りかけてくる祖父に当たる老人に、ぼくは目を向けられない。
「それだというのに、天上はユノへと行くようにウィルを唆かせというので、オースティンたちに一芝居売ってもらい、それを成せばじぶんも認められるというウィルの自尊心を刺激した。ユノの理不尽さとその意図。これは、アイナにラストレガシーをとらせるためだったのだろう。アイナは東の密林の魔女たちの血を引く娘だ。魔女は、ゲマトリアの血を引くゆえに女系にある一族の人種を言う。魔族と獣人への風評がひどかった時代には、青い炎の裁判という茶番を共謀し、密林へと匿われた魔女とハワードは協力関係にあった。住む土地を与え、子孫を残すために交渉ある程度の行為についても目をつぶっている。神竜教の強襲のときに魔女たちの協力も得たのだが、そのとき灰離原の礼拝の帰りがかった僧侶に魔女たちが女児2人を託したそうだ。のちに、その僧侶は自らが運営する王都の孤児院へと女児を預けていたことがわかったところで、そのままにしておくことにした。運命を試すような、倫理に欠ける最低の気分だった。やがてハワードに迎え入れる予定だったその女児が、未来でウィルと引き合わさるのか。これが、わたしが犯した最大の我儘だ……栄えある若人たちの運命を弄ることがどれほどの苦痛を伴うか、わかるか、アリアよ」
「そんなことをハワードがされていたなんて、驚きです。人道に反する、とても精霊王の一角とその契約一族がすることとは思えません」
「ようやく開いたかと思えば腐った口で臭うセリフを言いよる。そうでもせんと、神とベルの一条 直人の転生という契約の履行が果たせなかった。ウィルとアイナはな、初代魔王リディアの両親の魂の生まれ変わりらしいぞ。このあたりは、レテの仕込みか。どう見る」
ビルは、運命からは逃れられないと言いたいのだろう。だけど、んなことどうにかできる領分を超えている。
「どちらもすんなりと理解できているような顔をしおる。この舞台こそ、わたしの人生の集大成が試される大舞台なのだな……ウィルは英雄に祭り上げられた。これでようやく、後継者問題が解決する。ウィルが新しく家を興せばいい。成功してからすり寄る私は白い目で見られるだろうが、息子たちの兄弟仲は悪くはなかったし、どうでもよかった。これでリアムが生まれるまでのわずかな平穏が訪れたかと思えば、身に覚えのない刺客がウィルを殺そうとしている。寝耳に水とは、このことか。脳まで沸騰しそうであった。火消しにも終われ、オースティンをユノに向かわせなければならず、挙句にラストレガシーを得られなかった偽物だと指を指される始末だ。だが、わからない。誰がハワードを煽り続けていたのか。終ぞ、わからずじまいであったまま、リアムは生まれた」
恨まれてるな、これは……僕だったら気が狂う。そうでなければ転生云々であんなに悩まなかっただろう。ビルも同じように悩んでいたんだ。だけど自分のことばかりだった僕よりもずっと、孤高だ。
「シルク・ハッターの事件もあったことだしな。王城に侵入できる何者かが裏にいることを悟ったわたしは、想った。ウィルの家族を護らなければならない。あの女のわるふざけにのって、ルイスに勇者を名乗ってもらったのもその一環だ。バルト。おまえはノーフォークの甥の結婚式の騒動で、ナオトのことを知ったのではないか」
「……そうだ」
「パトス。おまえは真相を知っていて、一芝居うったな」
「……」
「ケルビムの超弦を扱う子供を当然調べるだろうな。しかし、アウストラリアへのオブジェクトダンジョン誘致の計画に参加していた先王はおそらくリアムの誕生を知っていたと思われる。私にもよく気を配って理解を示してくれた。死人に口がないのが恨めしい」
遠いところにある過ぎ去りし日々を、ビルは見つめる。
「わたしはオースティンと話を詰め、黒幕をひきずりだすことに全力を尽くした。ソルナ選定を逆手にとり、ルイスを候補の候補として留めておくことで、表向きは愚かな女々しい古い時代の残火を灯しながら、真相を知る者にはリアムの邪魔をしている蛍火に見せかけ、かつ、勇者であるリアムの存在が公にならない方が都合がいいのなら再び煽りたくなる、火種ともとれるようにだ」
「ビル・ハワードらしい計略家の思考です。若くして戦略家であり、ゲウィッターを産んだ親らしい、しかし、いささか妄想が過ぎます。だから界隈では、耄碌したと囃し立てられるのではありませんか。私の冤罪を巡る裁定の場は、ゲームではありません」
「とぼけたことを、おまえももう耄碌したふりはするな。当時からウィルと友好関係を築いていた小娘。ウィルと近しい立場にあった一人がおまえだ。ウィルを私たちから引きはがしたのは、リアムとハワードが強く結束することを望まなかったからだろう」
「妄執です」
「状況証拠しかないことを認めよう。それはおそらく、リアムもなのだろう。だからこんな『溺れるスプーン』などという周りくどいやり方で、しかし、確かな一投で火花を散らした。わたしが強くアリアに妄執するようになったのは、ルイスが本当の勇者候補になった1年前に起因する。わたしはルイスの勇者候補の確定を遅らせるためにも、ルイスにユピテルに挑むのに万全の準備をするように言ったのだ。ユノも、ケレステールも、完全攻略を果たしたパーティーは一度目の挑戦での撃破はなしえていなかった。いまでは唯一の事例としてメルクリウスが挙げられるが、ラストボスに挑めばほぼほぼ負けが込む」
ビル。ハワードはいまでは軍部を担うため戦略家である意外性は少ないが、学院で親しまれている戦略シミュレーション染みたゲームを作った賢い愛好家な面、そんな経歴を持っていたか、侮れない軍人だ。
「これが決定打だ。ルイスに、ミリアを紹介してユピテルのラストボスに挑むようにと誘導したな。わたしは早いと何度も進言したが、周りは王妃の善意を賛美する。わたしの懐疑は固まった。おまえならすべてを企める。これで裏で糸を引く者があぶりだされたが、煤にまみれた手と燃えてしまった糸でどう表へ引きずり出すというのか。だがおまえはいま、表に、暴かれた。リアム。よくやった」
「ですが結局は、妄執、ですよね。あなたが訊ねて、リアムさんがおっしゃいました。真贋の鴈だと」
「これからアウストラリアは青い炎の海に包まれるだろう……もう我慢ならん」
疑わしきは、というやつだ。
結局は、アリアが上手だった。
真の悪魔裁判だ。
所詮は悪魔の指紋がとれた程度のこと、ビルは、汚名のすべてをかぶってでも、アリアを断罪するつもりだ。
……シルクは、父さんを襲ってない。
いまでも、ときどきアリアもミネルヴァへと出向いている記録があるのだという。
供は、アリアの輿入れで附いてきた自国の随員だ。
陪臣として、ロマンスとの外交を担当しているらしいその随員も、グルだという。
「勝手に人の舞台をとるな。役者が過ぎる。もっと三文芝居を板につけないと。芝居なら芝居だってもっとわかるようにしてくれないと、わからないよ……」
こんなに苦しませてしまったあなたを、とても、おじいちゃん、なんて呼んであげられないけれど、ウチにはまだ、姉さんとティナとエリオットもいることだ。
これ以上、ビルの手を煤だらけにさせるものか。
「アリア王妃。僕にあなたが抱えている腹の内をすべて吐き出してほしい」
「なぜだ。なぜこの女と同じ視座で席につこうとする」
「アリアもビル・ハワードと同じく、役不足だ。もうすこしクサイ演技をしてくれ」
「だからなぜだ!!!」
「ティ。牽制しろ」
「はい。パワーズ」
「リアムよ!おまえをわたしは受け入れると言っている!だというのに──」
「ビル、すこしおとなしくしてろ。ドミナティオス相手では、オレも分が悪い」
精霊王の中でも、抜群にとびぬけてヤバいケルビムに次いで、ほかの7柱よりも頭が抜けてヤバいのがドミナティオスだ。
ケルビムの魔力を1とすれば、ドミナティオスは0.5を占めて残りの0.5を7柱が分け合ってると考えていい。
ぼくとドミナティオスの契約は、縛りも多いが、ベルから引き継いだ勇者としての役目を果たすためにある。
「アリアがすべてを認めてくれるのなら、ぼくはあなたに、ミネルヴァのラストレガシーをとらせる」
その一言に、花びらが舞うように、玉座の間の空気が明らかに変わった。
「いま、ラストレガシーをわたしにくださるとおっしゃいましたか?」
「そうだ。ぼくの知識のすべてをあなたに捧げる」
「しかしわたしはこんな有様です。どう誓いをお守りになるというのでしょう。どうせわたしは釈放されるのです。とても正気の提案とは思えません」
「厚い壁だ」
「やさしく砕いてください」
「日登 鈴華に誓う。これじゃあダメか」
「最も不適切なシチュエーションで、最も適切な信頼の厚い誓いをなさるのですね」
ささやいたのは、とてもとても甘い言葉だった。
「純潔。それはわたしからもっとも遠い言葉でしょう」
そしてアリアから紡がれたのは、ぼくが求めたアリアドネの糸だった。
「……わたしが惚れたのは、あなたの顔です」
囁かれたのは、人も無げに振る舞う独唱である。




