32 Gretchen am Spinnrade
ソフィアかわいさに、ぼくにソフィアを傷つける立場にある共犯関係だと突きつけるやりざま、バルトはひどい王だ。
王ですら、裁くのが難しい案件だろう。
他国から嫁いできた王妃が、さらに別の強大な魔力を有する国の姫の心臓を解く糸口を持ちながら、人形として操り続けた。
パトスですら手に余る事案なのだ。
むしろ、王家を王家たらしめるパトスの善性が仇となっている。
アリアを見抜けなかったパトスの不完全さの露呈が、激しすぎるのだ。
だから、ルビアは……ぼくは世間に委ねることにした。
自らの手で心臓を潰し、そして再生させた、ぼくでも、世間も欺いたシルクだったリアナをどこまで信用していいのかと迷った。
しかしだ。
困ったことに、アマティヴィオラでエデン・オービットに接続してみても、アリアを追えなかった。
実行することのためらいは、消えた。
波のない穏やかな沼に石を投げて、人の意思とそのときの体の状態とが造りだす水の揺らぎに──と。
自然に人為的なカオスを投下した。
……バルトは、やはり王なのだ。
出版社「My FIRST BOOK」に一通の召喚状が届く。
ただちに、ルビア・アルギィは王城へと参上せよ。
召喚状にはアウストラリス家、そして、ハワード家の印鑑が認められている。
ルイス、君の甘い考えがあってるといいな。……このタイミングできたか。
「リアム。ハワードがウィリアムとアイナの泊まっている宿におしかけました」
ドミナティオスからの報告が入る。
「だれがいる」
「オースティン・ハワード。現当主です」
「なら、いま王城に当主はいない。いこう。ただちに、王城へ」
両親は、ドミナティオスが常に遠視している。
ぬかるなよ、ティ。
アウストラリア城、玉座の間。
「これはどういうことだろうな……」
たったひとつしかない座には、アリア王妃が拘束されていた。
全身を縛る拘束は、赤い鉱石の有刺の朱線である。
あれは、アメリアを拘っていた鎖と、ギグリ・ソーを参考にして造りだし、バルトに渡していた桎梏の魔道具-儀繰り-だ。
儀繰りの繋縛の玉座の傍らには、バルト、ソフィアをはじめとする王族たち。
そして、その反対側の傍らには、ぼくの祖父にあたる、ビル・ハワードがいた。
「きたか、リアム」
「ティ。警戒しろ」
「はい」
「パワーズ」
「パトス」
三つ巴になるかと思ったが、ドミナティオスの召喚に反応したバルトとビルの指示で顕現したパトスはパワーズへ、そして、パワーズはパトスへそれぞれの超弦の先を向けている。
「どういうつもりだ、ビル・ハワード」
「どうもこうもありますまい。わたしは今日という日をどれだけ待ち望んだことか。邪魔をするでない、世間の風も知らぬ豎子よ」
丁寧な言葉から、燃え移るように、ビルの言葉遣いが崩れていく。
とても王族へ向ける言葉ではない。
だが、格下同士の主導権争いなど、どうだっていい。
いきみがとれた穏やかな声色に戻ったビルが、こちらへと向き直る。
「ルビアよ。君が書いた物の真贋について聞こうか」
「真贋などない。これはフィクションですってちゃんとかいてあったでしょう」
「だから真偽ではなく真贋と訊いたのだ」
「……煮ても焼いても食えないな」
「わたしを侮るのはよしたほうがいいな。ようやくここまでこぎ着けたのだ。そこな縛られる女などよりもよっぽどわたしは執念深い。もういちど、答えよ」
「それを聞くなら、リアナに訊きな。ぼくは彼女の話をきいて本に認めただけだ。デルフィニウムのように」
「デルフィニウムというと……」
「……わたし?」
「シルヴィア王女は現デルフィニウム。かつてのデルフィニウムであったリアナことシルクのペンネームを引き継いだ。その引き継ぎの過程で、ものがたりの骨子をもらい、あなたが肉付けをする。そうして生まれた本が何冊かありますよね?そうして描かれた本はフィクションではないのでしょうか?これは、デルフィニウムの本を出版しているグラウクス出版を運営するソフィア様にお答えいただきたい」
「……リアムさん。わたしは、ようやく彼女と和解できたというのに、なぜこんな……こんなことを」
「僕は答えろと言ったんだ。ソフィア」
「……わたしには、その真贋などわかるはずもないではありませんか」
「そういうこと。シルヴィア王女はルイスの婚約者だったよな。わかったか、クソじじい」
現段階でリアナの話を真実と肯定するわけにはいかない。なぜなら肯定できないからだ。
だから代わりに中指立てて、これまでの鬱憤を晴らすシンプルにしてストレートな悪口を言ってやった。パワーズが「言うに事欠いて」などと、いつかの問答をした時の日のように恨み言を漏らしたが、んなの気にかからないくらいに、めっちゃすがすがしい。
玉座に縛り付けられているアリアを見たときよりも、ずっとだ。今日までの汗水染みた苦労がさっぱりと洗われるのをかんじる。
「いいんだ、パワーズ。わたしは厭な奴だ。ウィリアムも一条 直人もそれでさぞ苦労したことだろう」
まるでそっちがいじめられてるかのような皺を寄せた表情で、じぶんがどれだけ嫌な奴だったかを聞かせつけるなんて、これは筋金入りだ、そう思った。
「なぜ、わたしはこうして拘束されているのかをお聞きしてもよろしいですか?」
「疑わしきはってことなんじゃないですか。だから自ら証明されてはいかがでしょうか。そうすれば、リアナの召喚など待たずに沙汰がくだるかもしれません。そのための審問官はぼくが務めようか。アリア。答えろ」
「あら、なぜか容疑者に祭り上げられている身ではありますが、だからといって、あなたより立場が上のお二人を無視してもよろしいの?」
「坐骨で座ってろ。それに溺れるスプーンの執筆者のぼくは、おまえよりだよ」
「不敬でしょう。王族に名を連ねるわたしを貶めるような書き方をしておいて、あなたにこそ罪があるのではないでしょうか」
「バカなことを。それで仇敵を引きずり出したとでも思っているのか。不遜な孫だ。わたしの教育がすこしでもあったのなら、こういうことにはならなかった」
「……こっちの姿の方がアリアにはわかりやすいか」
体は黒い霧を抜き出して、体の組成を変え、かつての姿、19歳の一条 直人の姿を形どる。
「でたか……一条 直人」
直人の姿を現した僕に対して、ビルはたしかに本性を見たりと、握りこぶしをつくり、わずかに全身をこわばらせた。
「これがぼくの本性。おまえはミネルヴァにある一条 直人の知識が欲しいんだろ?」
「ええ、そうですよ。ですがそれは別に、わたしだけではございませんでしょう」
事前に聴いていたアリアの話と同じだ。でもなにか、ズレを感じる。
「たしかに、あなたは一条 直人。本人でまちがいないんですね」
「そのとおりだ」
この問答に、バルトとアリア以外の王族たちはなにをはなしているのか理解できていない様子だった。
一方で──。
「わたしには、問答をする権利はないのかね、アリア王妃」
「……」
「そうか……どちらも、雑喉のさえずりなど聞こえるはずがないだろうと……」
アリアは、腐った中身を隠すように、真剣な眼差しでこちらをにらみ続けている。
フルスロットルの思考で、弁舌を尽くそうとしているのだろう。
「問おう、アリア。おまえは、持針器を持っていたな。ソーマの術具のひとつである持針器は、ソーマの術針を自在に操る魔道具だ。この星のどこにあっても、術針を袂に喚び寄せることができる。術針は、大きさも弯の強弱も自在で、魔法の縫合糸を付けることができる。生の魔力なら機能する心臓を編んで縫いつけて、移植したりすることも可能だ。その手術をしたのは、ロマンスの貴族であった折のことだろう」
「わたしは形式上では、いまでもロマンスの貴族でもあります。でなければ、政略がなりたちません」
「”嫁いでくる前”と、言を訂正する。時間稼ぎの先駄賃は口車を回すパフォーマンスには陳腐で向かない。──おまえはミネルヴァに執着している。シルクの心臓の糸口を握り、ファウストのバディとなって、裏で引いていた」
「そこはわたしも疑問に思っていました。シドとコナーの調書からはバディという制度が重視されているように思われました。しかしなぜか、シルクのバディについて言及するところがなく、謎に包まれていました。VOXでしたね。彼らがファウストにした仕打ちはここにいる全員が調書を読んで知っているでしょうから割愛させていただきますが、なぜVOXは、ファウストにはバディなどと非効率的なことをするのでしょう?」
「ファウストには、メフィストの取引が推奨されるからだよ。ファウストはメフィストの取引によって連れ合いの魂を身に宿す。ファウストに倣って出典から、グレートヒェンと呼ぼう。しかし、ファウストがメフィストと取引するのに、かならずしもグレートヒェンはいらない。魔女の薬とでもいうのか、心臓の取り出しと仮死によって魂からの強い死の魔力を発し、そいつを利用してリアナの中にまじっていた精霊と混ぜたんだろう。シルクのファンタジアはそうして造られた、まさに幻想の称号楽曲だ。バディは、愛にしろ憎しみにしろ、ファウストにグレートヒェンを創らせたいVOXの予備策なんだろう。主作であるメフィストの取引を通じさせて、一度、殺せば歯止めは効きづらくなるように」
「だとしたら、シドとコナーはさっさと殺しあえばよかったものをと、そう思いませんか」
「ファウストも人だから……ここにすべてが詰まってる」
力を得たければ他から奪え。愛する者を永遠と共にありたければ殺せ。でもそれがしあわせにつながらないことは、ファウストだって心のどこかでは知っている。
「だが、溺れるスプーンにすべてが描かれて詰まっていたわけではない。本題だ。なぜおまえはナオトに固執する」
ソフィア王女。あなたがいる眼前で、ぼくはこれからひどいことを言う。もっと傷つけるだろう。
「おまえの僕への陶酔は常軌を逸している。その一面が、ミネルヴァへの狂気的な独占欲に顕われている」
シルクは、リアムへと依っていた。アダムの書とかいう、前世の知識とは比べ物にならないミネルヴァの重厚さに惹かれてしまったという筋書きで、リアムへの陶酔を演じることで、それが心臓を握るアリアとの同調となり、自らの救済計画のいい隠れ蓑になったのだと聞いている……。
「そして、マリーをミネルヴァから遠ざけるためにその夫を殺し、さらには嵐の事故にみせかけて、マリーの娘が送られた先にいたピーターを殺したな。そこにマリーの娘が送られたという確信などなく、憶測だけで」
カレンダーの実母、マリーゴールドは、最もミネルヴァのラストレガシーに近い存在だった。
ガスパーは博打を打たない、実利主義の男だった。
ピーターはスカイパスの敷設の役目に没頭してマンチェスターへと遠ざかる。
ラストレガシーは貴族からすれば厄ネタであることは、実家とのいざこざがあったウィリアム・ハワードが証明していた。カストラは王のひざ元の都に構っている時間もなくなり、目下のメルクリウスに肝を据えて対処しなければならなかった。父親がメルクリウスのラストレガシーの所有権の主張をダンジョン経済封鎖の呪いとしてかけてもいた。ぼくはその呪いを王族とギルドの睨みを効かせることで無効化した。
娘のソフィアは、ピーターや自分ほどミネルヴァへと懸ける情熱はなかったし、シルクは手の内にあった。
だが、マリーゴールドだけは違った。
どこまでもどこまでも執着していく。
ミネルヴァの音義を、ソフィアとマリーに教えさせてしまったのは、失点だったとシルクは歯を食いしばっていた。
日本語と一部外国語に限られるが、地球の音義のわかる教育を受けた、シルクと同じアリアは、ピーターたちのことも把握していたはずだ。
いまでも、ときどきアリアもミネルヴァへと出向いている記録があるのだという。
供は、アリアの輿入れで附いてきた自国の随員だ。
陪臣として、ロマンスとの外交を担当しているらしいその随員も、グルらしい。
マリーを失ったことで、アリアがミネルヴァの秘密の共有を命じたのは、娘のソフィアの成果ではなく、マリーの成果を直前で掠めとってやる算段だったのだと解った。
マリーがほんとうは何級司書まで昇級していたか、アリアは知っているのだろう。
マリーは、おそらく、水時計の試験の受験資格を得てしまったのではないだろうか。
0級の水時計の試験自体には、階級制限がない。
しかし、そこに至るまでの知識を得るためには、相応の級が必要になる。
マリーとカレンダーのつながりをシルクから聴かされた時は、カレンダーがラディの許にいるなんて、そんな偶然もあるのかと思ったが、すべてはアリアの謀略に渦巻かれた結果だったのだと……これまでの考察を思い出してアリアへと立ち向かっていたリアムの思考が一時、止まる。
驚嘆に染まった公への真相解明の訴求は、続くビル・ハワードの言葉によって、こう、遮られることになる。
「それだけではない。王都の英雄となったウィリアムへハワードの名を語る刺客を差し向け、我が家族の分裂を図った黒幕こそは、アリア・インペリアリス・フリティラリア。おまえだな」
続いたビルの告発は、釣鐘の音のように玉座の間へと響き渡る。
すべてが凍り付く極寒にあっても、気取らない優美さを誇る王族の威厳を粉微塵に砕き、その中にあって腐りに染まった黒い花弁が、血飛沫に戦ぐ。




