29 惑星
ホールは満席だ。
王族も、国外にいるアイザック第一王子、それからシータ第三妃とその息子である幼い王子は欠席、しかしシータ妃の娘であるエレアを含めて、みんなが揃っている。
それでもぼくは、まっったく緊張しないのだが、ボルテージ・オーケストラの面々は違うだろう。
素直に、こころから応援を送りたい。
……にしても、じぶんで責任をとる、かぁ。
あぁーあ、こんな気持ちで観ないといけないのかぁ。
まぁ、でもやっぱり、たのしみだけど。
1番、2番……そうして、プログラムの最後から2番目のボルテージ・オーケストラの出番が回ってくる。
曲目は、『ラルラリラ』。
曲名からもわかるように、ラリルで旋律をかなでる、ヴォカリーズ形式の曲だ。
ラフマニノフの『ヴォカリーズ』は、あいう、と母音で奏でる旋律である。
花の譜、あるいは楽譜とも呼ばれる。
『ラルラリラ』はヴォカリーズより、子供にわかりやすい旋律の運びをしていて、会場が一体となって、つい歌っていっしょに参加したくなるような美しく、無邪気で、それでいて自然と親しみが溢れてくるそんな曲だ。
しかし、ボルテージ・オーケストラは曲選びだけじゃない、演出にも秀でていた。
演奏の準備が整い、始まろうというボーカルが前に出て立った時に会場中がわずかにどよめいた。
エリシアとドリアのダブルキャスト。
聖女の名を世にたらしめた元聖ドリアであるローズの孫のエリシアと、現聖ドリアにして聖女を名乗る女性が並び立っている。
それでいて、どちらの歌声も非常に洗練されている。
演出としても激熱じゃない?これ、優勝決まったわ。
ミリアもエリシアもやるなぁ。できることの少ないコンクールの舞台の上で、最高のエンタメを披露した。
ボルテージ・オーケストラの5分間は、会場中からの拍手喝采でフィナーレを迎えて、5曲に渡るコンクールの全日程を終えた。
ぼくは立ち上がって、「ルイス」と声をかけてヒョイっと手の中に返されたリアムの物を投げ渡す。
「おまもりにあげる」
特に意味があるわけでもないが、なんとなく、ルイス、それからじぶんの背中を押すような気分で渡した。
受け取ったルイスの、「心強い、ありがとう」とボソッとこぼれた言葉を背中に、観覧席をあとにし、リセット冷め止まぬボルテージが残る舞台へと上がった。
前の演目に刺激されてというわけではないが、泣いても笑ってもこれが最後の本選のステージで、ぼくもちょっと特殊な演出を試みる。
「みなさま、こんにちは」
コンクールの舞台から観客へ挨拶をする者など一人としていなかった。
会場はシンッ──と、音楽を鑑賞するのとはまた別の緊張感に包まれる。
ぼくは、そんな衆目にさらされながらも、バルトの方をまっすぐ見る。
目のあったバルトはゆっくりと首肯し、プレトークを黙認する旨を周りへと示した。
「優秀な演奏家たちによるコンサートをたのしんでいらっしゃいますか?ぼくは、とてもたのしく拝見させていただきました……ですが、そのぶんだけ、熱量を伴い、疲れもたまるものです。そんなみなさまに、恐縮ながらにお願いをいたします。本選も今日でおわりです。どうか、もっとこの時間が長くつづけばいいのにと、指揮棒を手に名残惜しさを感じているぼくに、すこしだけ、みなさまのお時間をください。そしてどうぞ、姿勢を楽にしてください。そうして、演奏を聴いていただけるとうれしいです」
飲食厳禁だが、茶を濁すとでもいうのだろうか。
「夜空に点と輝く星々が、どれだけ大きいのか」
トークの内容は、『光度はことばだ』。
しかして、この話には、ナオトとヒカリ以外の登場人物がいる。
それが、伊颯さんだ。
「妹を亡くされた演奏家のその方はいいました。この音がドだと人は言う。なのに旋律とは、如何にして同じものがないのだろうか。まったくもって、妹のことが忘れられないというのに、どうして同じものなど在るはずもなく、代わりに響くものすら見つからないとわかってしまうのだろう。笑ってくれていいよ。わたしは未来を見通す力をてにいれてしまったらしい。そんなもの欲しくないというのにね。わたしはただ、妹とまた……」
練習の合間に2人で楽譜に目を通していた、そんな時のことだった。
伊颯さんは、鈴華とこの曲についてこんな話をしたことがあると思い出ばなしをしたあとに、そう言って、膝を抱えながらうずくまってしまった。
……鈴華のバイオリンがまた聴きたい。
また音をいっしょに重ねたい。
鈴華の音がいい。
ぼくは弱音に打ちのめされている伊颯さんの隣に腰をかけて、かつて妹にした、星とヒカリのはなしを披露する。
──光度はことばだ。
──……なんとも、美しいはなしだ。
──でしょう。それでね、伊颯さん。ぼくは、あなたに聞きたいんです。ぼくが抱くこの疑問は、あなたでないと答えられない気がするから。光度はことばだ。
──ごめんね。悪いけど、星のはなしなんてこれっぽっちもしたくない。
お星さまを連想させるこのはなしは、説法じみているし、不謹慎だとわかっていた。でも、ぼくは続けた。
──だとしたら、旋律ってなんなんでしょう。伊颯さん。
そうして、ぼくの知らない鈴華とのなにかに想いを巡らせはじめ、訊ねた質問の意味をゆっくりと理解していった伊颯さんは、涙をボロボロと流しながら、こういった。わかった──……。
「光度はことばだ。そして、旋律は記憶だ」
会場中が、一気に引き込まれたのがわかる。
ここは、まさに、星を見上げるための場所ではなく、音楽を嗜むための場所だ。
だからこそ、想うのだろう。
ここが屋根のない舞台だったのなら、あぁ、どんなによかっただろうか。
風の音のことなど忘れてしまって、ここと同じように外でも音は響くのだと奇跡を錯覚する。
伊颯さん。
ぼくは、いま、世界を超えて、ぼくたちが大好きな鈴華にいちばん近いところにいます。
「きょうの夜空の光は、白く輝きます。光の暴き出した闇の空にも、旋律は宿ります。これから演奏する曲には、そんな星々への畏敬の想いを込めたいとおもいます」
ホルスト『惑星 組曲』より、木星。
ワクワクとした疾走感のあるはじまりに、観客は、こころを躍らせて草原を波立たせる風となる。
だんだん、だんだんと空へと上がり、宇宙へと飛び出して、遠く輝く星々に包まれながら、寂しさや孤独など一切感じずに、あろうことか空でステップを踏みながら、ひとときの歓喜に酔いしれる。
そうして、ようやく心が落ち着いてきたとき、いつの間にこんなところまで来たのだろうとたどり着いた先に、その星はある。
圧倒的な、スケールでおしこめる。
聴け、聴け、聴いてくれ……これが、ぼくの故郷の地球がある太陽系で最も大きな惑星の名を冠する曲だ。
そして歴史であり、ぼくの記憶だ。
だけど、ぼくは演奏が終盤へと向かっていくにつれて、だんだんと強く感じ入ってしまう。
旋律はここにある……、だけど、ここに地球はないのだと。
『……まだだ』
万感の想いを込めろ。
それでも、打ち震えるな。
最後まで走り抜けて、ぼくが作り上げた本気の舞台で、みんなに知ってもらうんだ。
ここにはない、星のはなしを。
これで、ラストだと、いまにも達成感に身が沈んでしまいそうになる足を立たせながら、ぼくは指揮棒を振り切った。
やった、やったぞと、リアムとして、みんなでやりきったんだという想いがわきあがった、そのときだった。
最高潮に高ぶった感情の隙を、突かれる。
射すくめられて……指揮が停まったまま、手を下ろせない。
演奏が、終わったからではなく、また、演奏が、そして、歌が、はじまったからだ。
「ハッピバースデー トゥーユ~♪」
固まるぼくの目前で、聞き馴染みのある旋律ではじまった合奏に体のこわばりが震えといっしょに抜けてしまった。
「ハッピバースデー トゥーユ~♪
ハッピバースデー ディア リアム~……
ハッピバースデートゥーユ~♪」
このコンクールでみんなに伝えたかったこと、それは歴史だった。
鈴華との出会い。
直人という人間の大きな転換点と自己の確立。
ベルの奮闘。
家族や友人たちとの永遠の別れ。
そして、あたらしい家族への感謝だ。
……だったというのに、すべてを持っていかれた。
舞台からだけじゃない。
たくさんの声があふれだしてくる。
会場が置いてけぼりをくらうなかで、ぼくは壇上で一人、泣き崩れてしまった。
この舞台にいるのは、みんな、すでに知っての通り、普段は頭の隅においやっているが、ぼく自身が、自身の存在についての疑問を抱かずにはいられないほどに、理不尽に運命をグチャグチャにされた人たちばかりだ。
そんなみんなからの予期せぬ贈り物に、どうやって膝をつかずに耐えられる。
「だいじょうぶ、ほんとうに、うれしいだけだから」
胸を手で押さえないと、声すら絞り出せないほどに、涙がとまらない。
「ソフィア、あとですこしいいか……」
完全に制御下にあったと確信していた舞台でのこと、感涙に咽び泣くリアムの健気な姿に奇しくも目頭が灼かれるほど痛ましげに瞼を狭めながら、バルトは、ソフィアへ声をかけて、客席から何事かと飛び出したウィリアムとアイナ、それからカリナとティナに囲まれたリアムがふたたび立ち上がり、ほッとした様子の家族に連れられて、舞台から引いて本選のすべてが無事に完走するまでを静かに見守った。




