24 Sturm und Drang
「ピーコンはラフマニノフ、じゃあ、バイコンでおすすめはある?」
「そもそもあまり造詣が深いわけではないんだ。話の流れからして、チャイコフスキーといきたいところだけれど、バイコンは1曲だけで弦楽セレナーデはバイコンでもないし……」
「ほう。けれど……?」
「シベリウス バイオリン協奏曲47番」
脈がほんの少し飛ぶ、そんな感覚を鈴華は静かに胸に抱える。
「どうしてお姉ちゃんはシベリウスを愛してるの?」
「だれもが好きな音楽を共有できるこんな時代だからこそ出会えたというのもあるし、たくさんの曲が溢れているこんな時代に出会えたという喜びがあったから」
シベリウスが一番のお気に入りだと答えた姉への質問を思い出して、鼓動が速くなる。
「……どうして?」
「僕が知る限りテレビとかでも聞いたことがないし、父も母も知らない一曲があった。自分で発掘したって思い入れかなぁ」
「そういうのってなんか嬉しいだろうね」
どことなく、5つ上の姉の伊颯と直人の姿が重なった。
……。
2次予選、翌朝のこと。
寝室を出て、リビングに飾ってある赤に戻った何輪かの彼岸花にゼンライカが触れると、バチバチと家中の家電が動き出す。
「Good morning to you, Good morning to you, Good morning dear children, good morning to all〜♪はい、ゼンライカのためのブレックファストプレート」
「ありがとう、これよこれ。いただきます!」
「召し上がれ。それじゃあぼくも、いただきます」
これはこれで、しあわせなんだ。
”はい、ヒカリのためのブレックファストプレート”
”ありがとう、ナオト”
……願望からだ。
次に控える3次予選、あえてこの曲を選んだ。
父と母に向けた今際の笑顔。
ちゃんと笑えていたのかもわからない顔だが、いろんな未達の思いを無視して、心は精一杯に幸せだったと自分に言い聞かせるために、叫び続けていた。
その一つが、血を分けた、3歳下の妹の光をひとりで残してきた。その後悔だった。僕を失った父と母にまだ残された宝もの。
この世界にきたときに、すでに僕は壊れてしまっていた。
妹が小さければ、死んだ兄のことなんて覚えていない。失った辛さを覚えさせることのない、そう論ずれば、僕は残すことへの罪悪を感じずにいられるように思う。ヒカリ── 一条 光。
どんなとき、どんなになってしまってもヒカリの幸せを願っていただろうに、記憶を封じ込めて裏切った。
どんなに唱えても、もう思い出と願望の中でしか拠り所になってあげられない。
一条 直人は死んだ。
日登 鈴華を失った、日登 伊颯の姿が強烈によみがえってくる。
ヒカリをイブキさんに重ねてしまったんだ。
3次予選、会場の入り口には人が溢れかえっている。
2次予選、妖精族の里から貸し出されたベルのバイオリンの一基が披露されたことで、微かにでもその音色を聞こうと新聞部が掲示したリアムへのインタビューを見た人が押し寄せている。
そんな喧騒が外で起こっていることなど目で確かめなければわからないほど、ホールの防音は完璧だった。
衝撃的な1次予選、2次予選のサプライズで話題を掻っ攫ったリアムだったが、3次予選は忽せ、これまでのサプライズを世襲した舞台で、バイオリンを手に奏者の一人として演奏の中へと溶け込んでいく。
ハイドン 交響曲第44番 ホ短調。
想定では27分半。
早めに駆け抜ける。
日本では『悲しみ』の愛称で知られ、哀悼や追悼といった意も当てられる。
自らへ捧げる追悼の曲となる。
水槽の水面。演奏者たちを見送った教皇の背後に、クロウが立つ。
「お見送りですか」
「見送りなんていらないさ。みんなここに帰ってくるしかないんだからな」
「……クロウさん。お聞きしたい。自らへの追悼を自ら行うとは、如何なものでしょう」
「な。ハイドンだって自分の追悼をこの曲で演奏したわけでもないのにな。追悼ってのは、残された者がすることだろ。治せないとわかっているのに、ナオトは直情に頼るように、感覚で探るように心痛を諌めようとしている。変な事が起こってるよな」
「今回のコンクールは、歴史に準える物語がテーマなんです。クロウさん。あまりに膨大な記憶を呼び起こしたとはいえ、あのアマティヴィオラでも情報としてしか心に残らなかったナオトさんの懐古に、あなたとブラックさんの再会は、血肉を与えたのです。兄妹を思い出させる、あなたのいう変な事をするには十分な理由ではないでしょうか」
「どっちにしろ、今、舞台で楽器を手にして奏でている奴らは、みな、誰かの追悼をしているんだろう。もうこの世から旅立って、自分達のことを忘れてしまっているだろう誰かを想ってだ。そんな中にあって、自愛に救いを見出すとは、みっともないと思わないか?」
「思ってもないことを口にするものではないですよ。舌が腐ります。ついでにそのうちご立派な牙も腐り落ちてしまうかもしれませんからね」
「おいおい、まだ教皇様って呼んだ方がいいか?」
「元です、元。それに、誰にでも優しい顔をするのが教皇というわけではないのですよ」
「はは。あんた人間らしかったんじゃねぇか。死んじまってからがあるなんてな」
「まったくです。さて、まだあと2曲残っています。残りの舞台も現実にしてからもう一度、労っていただきたいですね。謝肉祭と洒落込みましょう」
「褒めてやるよ」
クロウは、楽しめと言わんとし、ウインクを飛ばして水槽の底へと潜っていく。




