15 Assidue non saxa legunt volventia muscum
バルト・アウストラリスの手によって、王の執務室の扉が開く。
「うおっ!?」
「ヤッホい」
「……お前みたいに粗く目につく家具を置いた覚えはない。ナチュラルに部屋にいるな。会うたびにわたしの秘蔵の茶葉の減りが多くなっている」
「まあまあ。進捗はどうでしょう」
「紛糾しているらしい。アンバーズハウスはお前の威し鉄砲に恐々としている。結論が届くにはもう少しかかるだろう」
「使節団の受け入れは夏の楽霖祭が終わった後くらいで」
「お前が早めがいいと急かしたのだろうが!」
「事情が変わったんで」
「……わかった。通達しておこう」
「さっすが話がわかる」
「散々人のことをイビリ倒す気だろうが、はぁーイヤダイヤダ。過ぎたことをネチネチと粘着質なヤツだ」
「で、本題に入るんですが」
「本題は別にあるのか?」
「娘さんのソフィア王女に会いにいくので、話を通しておこうと思いまして。必要なら王女には一緒にお出かけしてもらいます。あっ、ダメだと言われても会いに行くのであしからず」
「ダメだダメだダメだ!!!ソフィアに何をする気だ!!!」
「じゃ、そゆことで」
「待てといってるだろ!!!我が物顔で国王の城の中を散歩するな!」
バルトの制止などあっけらかんと、リアムはソフィアの部屋へと向かう。
ソフィアの執務室の扉がノックされる。
「はい、どうぞ」
「失礼しまーす」
「あら?リアムさん……?」
「少々お時間をいただきたい。お父様には断りを入れてきましたから」
「……そのお父様もご一緒のようですが」
「私はダメだというのにこいつが突っ走ってきたんだ」
「まぁ。そんな強行をなされるなんて私にどういったご用件でしょうか」
「マリーゴールドについて二、三ききたいのです」
リアムがマリーゴールドの名前を出すと、呆気がふよふよ漂っていた執務室の空気は一変し、満たされた水中の底のように重くなる。
「お父様。どうやら私とリアムさん二人でお話しした方がよろしいかと」
「しかし……」
「大丈夫でしょう。面会の間、私に危害を与えることはないとお約束くださいますよね?」
「身を守る権利は私にもあなたにもあるでしょう。私はあなたの身を尊重します」
「だそうです。ではお父様、気兼ねなく公務にお戻りください」
バルトは娘のミリほども視線の動かない笑顔に圧されて、渋々と扉を閉めて戻っていった。
「2人のマリーゴールドとデルフィニウムについて、私は存じ上げています」
「リアナのおしゃべり癖には困ったものです。それで、マリーゴールドの何についてお聞きになられたいのでしょう」
「あなたのマリーさんへの想いです」
「また難しいことをお聞きになるのですね。マリーに然り、シルクに然り、私の感じた想いを改まって言語化したことがないので、思い出話をしていくというのももう過去のことですし……」
「はじめて出会った頃のマリーさんをソフィアさんは大好きでしたか?」
「はい」
「ご一緒にミネルヴァの女神の聖域へと赴かれてインクに溺れていくマリーさんのことをどう思いましたか?」
「……あの石像の間のことでしょうね。私は幼いながらに自分にどれだけの力があるのかを自覚していましたから、困っている姉のような人に自分が役に立つということを証明したかった。きっとそれは、私があの人に褒めて欲しかったから」
「入水というと語弊があるでしょうが、マリーさんの採られた選択にあなたはどう思いましたか?」
「吹っ切れました」
「でしょうとも」
「ええ」
ソフィアはニコニコとしているが、当然のように笑い声を漏らしたりするわけでもなく、沈黙をじっくりと使った振る舞いで複雑な心境があった過去をこちらに思わせる。
「ミネルヴァを攻略しようとは思わないんですか?」
「なぜでしょうか」
「なぜでしょうね」
「ダンジョンポイントは他のダンジョンで入手できる。それを用いて私はグラウクス出版を大きくし、十分な恩恵を受けています」
「ですがいずれは、シルヴィア王女も女神の聖域にたどり着くことになるのではないでしょうか」
「シルヴィアはそこまでミネルヴァに溺れていませんよ。ちゃんと息継ぎして、必要な分だけを学ぶ、ただそれだけです」
「にしては、グラウクス関連の書籍のインクの濃さはミネルヴァの知識の占める割合も多いような気がします」
「それだけグラウクス出版には優秀な人材が集まり、携わっているのです」
「羨ましい限りです」
「隣の花は赤いものですわ。私は所に縛られず、自信に満ち溢れ全てを手にしているあなたのことが羨ましい」
「転石苔を生ぜずとも言います。僕はこの言葉、結構好きなんです」
苔があるから良いのだという解釈もあれば、苔がないから良いのだという解釈もある。
「マリーさんにまとわりつく苔はどのくらい生してきたのでしょうね」
皮肉を投げかけれたソフィアは何を感じているのだろう。
「言葉遊びがお上手ですわね。Rubia argyiらしい提起のされ方です。されど、布は染まらない。石に布団は着せられず……今から布を染めて美しく飾り、羽毛を詰めても、もう間に合わない」
「石に裃のような方だ」
「ですから寒に帷子、土用に布子な人たちほど、大足小足で薄氷を履むような真似はいたしません」
「中途半端のろくでなしほど戯れ歌を好むもので、1年を知らない夏の虫は氷を笑うんです。氷は水より出でて水より寒い」
「青は藍より出でて藍より青いですものね」
ソフィアは、これまで止まっていた時間がふたたび動き出したかのように、やりとりしながら氷炭相愛と涙を流している。石のように固まった氷を陽の光で溶かしていくように、リアムはいましばらくのひととき、ソフィアと言葉の応酬を交わす。
「相愛す、私の中の2人はいつまでも、いつまでも……私のマリーゴールドとデルフィニウムは氷肌玉骨と枢要にあり続ける。氷に鏤めてしまえば、私はマリーゴールドを枯らして終わっていられていた。デルフィニウムだってそのうち勝手に花を落としていたでしょう。けじめはとうの昔にくわれているのですから、もうあのころには戻れないのです」
「烏夜啼は?」
「存じています」
「僕はその詩の秦川の女です……そう聞いて、どう思われました?」
烏の帰る夕刻のこと、機織りの途中、ふと手を止めて遠方の夫を思う妻を唄った詩だ。
試し気分にサッと問われて答えられるのだから、司書のソフィアもたいがいだ。
この詩を投げかけられてリアムに色々と試されたソフィアは、悲しそうな目でリアムを憂いた。
「あなたの瞳の中に、仄暮れの烏を見ましたの……一瞬、瞳が黒くなったような……」
「目は魂の窓であるといいますから。あなたの窓が透明なら、それがきっと僕の本性なのでしょうね。ですがあなたの窓が黒く、あるいは、鏡のように光を反射してしまうというのなら、それはあなた自身の問題であって、烏の影色を見ただけなのかもしれない」
ベルと戦った日のこと、リアナとソフィアは水の星を通してリアムを見ていた。
すさまじい探求力だ。
ピーターに前ならえしている人間の多いこと、モグリ司書の中でやっかいさはリアナに並ぶ人だと思う。
「烏は情け深い。慈烏から反哺を学べない僕は残念ながら、烏よりもはるかに鳥獣じみている」
リアムは、すこし踏み込みすぎたかと心配になる質問をしたことに内心で焦りを感じていたが、次のソフィアの言葉に、絶句する。
「”Der Schatten des Objekts fiel so auf das Ich”」
「それは……」
「やはりご存知なのですね。では、喪失を嘆き、日々少しずつ思い出にして切り離していく私をあなたは窓を通してどう読まれますか?愛情か、著名か、理想か、失ったものがはっきりとしないのはこれがメランコリーだからでしょうか。ご閲読ください」
「……あなたは離れていった2人に激しい怒りを感じている」
「ええ」
「不満を抱き」
「はい」
「喪失を感じ」
「かもしれません」
「そのくらい大好きだった」
「……そのとおりです」
「違うでしょう?大好きなんです」
「いいえ」
「でも友情を失ったとはっきりと言葉にしないのはどうしてですか?」
ソフィアは黙りこくり苦しそうな表情で感想の続きを待つ。
「それは、喪失したものではなく、まだ怒りを直接ぶつけられるとあなたが理解しているからこそのものなのではないでしょうか」
リアムに言語化されて、ようやく観念したソフィアは苦しそうに胸元を掴みながら堪えるようにしゃくり泣いた。
「泣き疲れ、もう枯れたと思っていたのに、意外にも涙はすんなりと溢れてしまう……リアナとあなたの勇姿を眺めたあの日にポロポロと涙が止まらなくてまさかと思いましたが、私はまだ……わたしを卑しめた2人を許したいんでしょうね。どうしようもない馬鹿ですね」
リアナは存外に、いまだにシルクでもあろうとしている。それは総じて大切なものを愛して止まない自分を否定も拒絶もできず、自ら傷つけた絆でも未練たらしく思い出と諦めを折衷しようにもしきれていないからだとソフィアの元へ向かう前のリアムへ語った。
互いに疎外することなく、諦めきれていない。そんな境遇にあるソフィアだから、どうしようもないくらいに痛ましいリアムの境遇に気づいたのだろうか。
「こちらを……シルクの調査がはじまるまえの最後の書信でのことです」
ソフィアは、1枚の紙をリアムへ差し出す。そこには、マリー・カレンデュラの遺書であろう文書の一部が記されていた。
「私は一言一句、違わずにいつもそれを身につけ戒めとしてきました。私はシルクに嘘をついた。あなたが指摘したように、許したかったのか、あるいは、怒りゆえにか」
「狂ってる」
「でしょう。でもなぜか深読みをしたくなる。それは彼女が、最期まででなく、最後まで小説家だからなのかもしれません」
自分が何者かに狙われているという何ら根拠のない推察を根幹に言い訳にするようずらずらと女神の持つ書を諦めきれない忸怩を忘れた読者に嫉視反目する文書に、不快のあまり眉間に皺を寄せた。
……これは、シルクがマリーへの信頼を語ったのには、裏があるな。
シルクが知っていたということは、ソフィア王女からの最後の書信を見たんだろうけれど、シルクが語ったきれいな幕引きとは、マリーの人物像がずいぶんと違うように見える。
そもそも、欲を満たす金のために無責任にこどもを生むという選択をした愚かしい人だ、という印象がぼくのなかでは強い。
シルクの選択だから、ぼくがこれ以上根ほり葉ほりするつもりはないけれど……眉間に皺を寄せてしまうほど、信じ難いと思うほど、裏があるのだと信じたくなってしまうほどに文書の内容はひどい。
表景色を見て下を向くマリーと近い関係にあるソフィアには、これはとても見えない裏景色だとおもう。
「……あなたはベルを知っている。そうでしょう、リアムさん。あなたは……誰?」
「いいえ……僕はあなた方の創作物になった覚えはないので」
「ではどなた?どうしてあんなに怒っていらっしゃったの?」
「思い出を語り継ごうと人々に尊敬される勇者をシックが辱めていたからでしょうか……一樹の陰一河の流れも他生の縁です」
「わたしも大概ですけれど、リアムさんも大概にミネルヴァの言葉に精通していらっしゃるわ……こうして私の中に残る思いを起こしていただいて、私はあの日のあなたにどうしようもなく自身を重ねたのよ。だからあの日にふらっと会いに来てくれた友のこころのはたらきに気づけたのだとおもいます。……縁に覚えがないとおっしゃるあなたは、行き場のない感情を自身へぶつける苦しさで自分を信じられなくなるくらいに不感になるほど推してなお、ベルを信じている。なにか深い繋がりがあるのか、絆があるのか、愛か、信仰かは存じませんが……なにかがある。どうかその金石の交わりを大切になさって……」
「金蘭の契りとも、それとも紅黄草の契りというんですかね」
「まぁ、そうですね。石に苔むすよりも石に花咲く方が素敵ですね」
ソフィアは最初と最後のリアムの皮肉をかけ見事に冗談に仕立て上げて、華やかに咲った。
リアムが訪ねてきた夜、ソフィアの寝室。
「紅黄草のように、どんなに情熱的でも、時間の流れの中で形を変えていくことを前提にした誓い……それがいずれ金をも断つ交わりの秘訣なのかもしれないなんて。奇跡を馥郁としたほんとうにすてきなお方。……どなたでしょうか」
数年前にシルクの侵入騒ぎもあり、警備体制の見直された城のなかにも関わらず堂々と窓辺に立つ人影にソフィアは身構える。
「湿った熱い風が吹く季節にはまだ早いのだが、嵐と夏の終わる季節まで待つことのできない私をお前は夏の夜の夢として迎えてくれ。すれ違い、変わりゆく心に振り回される可愛い我が子孫よ」
開け放たれた窓から吹き込む風が、カーテンをゆらめかせ、人影の姿をはっきりと映し出す。その正体に驚くあまりに、ソフィアは護衛を呼ぶことを忘れて目を離すことができない。
「ヒューズ・ギガ・アウストラリス……」
「その名はもう私にはふさわしくない。今はノクトと名乗ろうか」
黒い霧を所々から吹かせながら、死人である祖先が自身へと語りかけてくる姿に、ソフィアは夢見の悪さを呪いながら、夜半に眺める絵画の不気味さに肘を咲わせる。




