12 Soluna
「アストル様。本日は貴重なお時間を頂戴いたします」
「こちらこそ。寄付もいただきまして、リアムさんにはお世話になっていますから、少しでもお役に立てるよう真摯に努めます」
リアムはノーフォークの正光教会へと足を運び、アストルとの勉強会をはじめる。
「手解きさせていただくのは正光教の正格についてです」
「正格ですか?」
「事前にあった打診では聖女とされていたものと同義と考えていただいて大丈夫です。背景はお話しするうちに、理解されると思います」
ここに来たのは、週末に対峙した現代の聖女について改めて知るためだ。
ルイスを倒したこちら相手にミリアに加勢する形でも食い下がってくるとは思わなかった。
アストルの話に耳を傾ける。
「正、あるいは聖は正光教を象徴する存在として、教会の修道士、および修道女の中から選ばれるのです。正光原典〈正書〉には、七正、正ヨニア、正ドリア、正フリギス、正リディス、正ミクリ、正エオリス、正ロクリスの名前が記されているそうです。この7人の名前を修道名として授けられれば、正、あるいは聖として教会内でも一目置かれる存在となります」
アストルは記されているそうです、と言ったが……知っている。これもアマティヴィオラの響かせた記憶の中にあった史実に基づく話だ。
「また、現代の正、あるいは聖は、我々が布教させていただいている原典を元に複製された聖書にて、ヨニアはイオニア、のように一部の音を変えて襲名されます。そしてこの7人の名前は正格という徳を得るための正光教の八度と呼ばれる7つの行と重ねられるんです」
「神との霊的合一を目指すものでしたよね」
「よくご存知で。第一度=浄化のエオリア、第二度=祈りのロクリア、第三度=知恵のイオニア、第四度=献身のドリア、第五度=愛のフリギア、第六度=勇気のリディア、第七度=観想のミクリア。これらが、現在の正、あるいは聖が授かる修道名であり、称号のようなものですね」
「第一度〈浄化の行-Purgatio-〉で躓いた身としては耳が痛い。よほど神に嫌われているらしい」
「あなたが参加した洗礼式は正光教の第一度と精霊教の精霊契約の混合を許す儀式です。決して、精霊契約ができなかったからと正光教の行に躓いたのだと同質化されることではありません。たとえば、ノーフォークでは第一度として光の仕え人である私が僭越ながら洗礼にて皆様の代行として祈りを捧げるわけです」
進もうと思えば、すぐにでも第二度の祈りの行へと移ることができるとアストルは道が閉ざされた訳でないと励ましてくれる。
「さて。きょうびの教会では、エオリス、ロクリス、ヨニアを正とし、残りの四度以上の四人を聖として布教させていただいております」
「原典とは、名前もですが、並び順も少し変わりましたね」
「ええ。残念ながらなぜそう区別するようになったのかは私にもわかりません。原典には理由が示されているそうなのですが、何分、私には目を通す機会がないものですから。原典に目を通すことが許されているのは教皇とセラフィム、並びに教皇に許された者のみ。一応、聖書では正は光に仕える者として、聖は光へと導く者として区別されています。しかし聖書の教えに準拠すれば、生を全うする我々は本来、このような隔たりなど気にするべきではない」
「それはなぜでしょうか」
「自然と試練はやってくる。そこへ挑むのは己自身であって、神から生を与えられた我々の持つ権利だからです。かいつまめば、第一度だけでも済ませてしまえば、霊的円環の終点である”第八度=完成の行”へと至ることができる、というのが教会の掲げる教えだからです。すなわち、死を以て、ということです」
アストルの考えは自然だと思う。何せ、僕は正光教の存在をそれほど有意義とは考えていない。
だけどその正光教の教えを通じてこの人は、ちゃんとベルの思想を継いでいる。
──ベルの旅路にて。
「そうしてわたしは、アウストラリアの人間ですがドリアとして修道名を授かった。そしてあなたの導き手に選ばれました」
「八度。7つの行と霊的円環について聞いてピンとこないけれど」
「神の子であるあなたがですか?」
「神の子って、ただ別の世界から呼ばれたってだけだって。それでこの世界で生きてみることにしましたって。私がもうしばらく、私を失いたくなかったから……でもなんだかな、一つだけ思い浮かんだことがあるかなぁ」
「何をでしょう?」
「虹。アーチを描く虹は円環の一部だと私は知っている。もし霊的円環?が虹なら私の人生は何色も持っているし、輝いている」
「そうですか。有象無象の中から神の目に留まったあなたの魂は、さぞ輝いていたのでしょうね」
「それはないかな。私が虹を思い浮かべたのは、私の故郷では、一応、区別するために虹は7色で数えられるからだよ。虹はたくさんの力が合わさって可視化され、濃くなったり、薄くなったりもする。行を重ねていって円環を太くするっていうのは私の価値観とはちょっと……ローズ?」
「素晴らしいですね。ちょっと感動してしまいました」
「どうして?」
「違う世界で生まれたあなたとわたしが、こうして肩を並べて同じ事象に想いを寄せている。こんなに素晴らしくて、奇跡のようなことが素敵だと感動したわたしは不謹慎なのかもしれませんが、……ベル。わたしはあなたとのこれからの旅を輝き続ける星のように生涯忘れることはなく、誇りと共に大切に胸にしまい生きていくでしょう」
「ローズって……聖女様って感じ」
「聖女?聞き慣れない言葉ですが……」
鈴華の解釈は、この世界の理を突いていた。大事なのは、レテに魂を曝す時に、どれだけの輝きを落とせるのか。……名誉だが、くだらないと思う。死んだ後のことではなく生きているうちのことをまず大切にしたい、鈴華もそう思っていた。そうして死んだ後に満の輝きの星を授かるのなら、この上なく幸せなことだと思う。
「八度について、昔、ローズから聞いたことがあった。その時、わたしはファーストインプレッションがさも、虹であったかのように答えたけれど、本当は虹よりも先に思い浮かんだのは7つの音階だった。そうして五線譜の上で奏でられるオクターブは八度へ」
「誤魔化したわけは、なんだ?」
「好きになった男の子を思い浮かべたからかな。咄嗟に言えなかった。私ね、この世界に来る時に神様と一つの契約を結んだ。なんでもないとか、自分勝手だとか思わないように抑えてきたけれど、やっぱり、違ったやッ!わたしには再会の可能性の残るナオトの声をもう一度だけでも聞くことが、拠り所になっちゃってるみたいだから……だからッ……あぁ、なんであんな約束しちゃったか。ひどいよ……でもどうしようもないくらいに、あの時の選択が間違いだったと思えない」
「また、奏でるのか。君だけの夢中の人を想って」
「セレナーデだけど、恋人でなくてもいい。親友としてでいい。小夜に望みすぎかもしれないけれどせめて彼に捧げたい。たった独りで奏でるオーケストラだけど……」
ベルはバイオリンを手に、観想の内に弦を響かせた。
リアムはそのときのベルの正しさと心細さとの葛藤に想いを馳せながら、アストルとの会話を続ける。
「聖女という称号はベルが聖ドリアでもあったローズ様へと授けたものでした。しかしローズ様はベルのもたらした安寧の下で魔族ブラックと婚姻し環俗されました。婚姻したら環俗せよという風習も錆びて久しいですし、教会も残留していただくよう願い出たらしいですがローズ様に強く固辞されたのでせめてもと、あの方の生家であるヴィアー家はドリアのドを名乗ることを許されたそうです」
「そうして、因果か聖女という聖職位階は現、聖ドリアへと引き継がれた……」
「はい」
おさらいは済んだ。
「アストル様。僕はそのことがどうしても引っかかるんです。勇者物語しかり、勇者が聖女を選んだものと思っていましたが、なぜ現代では聖女が勇者を選ぶという事態に陥っているのか」
これだ。これが一番尋ねたかったことだ。
「ベルは八度の行を虹に例えたそうです。この光の魔石を見てください。ソルナ-Soluna-という魔道具です。祈りの行に入ったものは皆、最初に受け取るものです。初めは赤色、祈りの行を修めると橙色の層が追加されます。それから黄、緑、青、藍と行を修めるごとに層が増えていくのです」
「アストル様のソルナは赤、橙、黄の3色だから第3度までを修められ第4度の修行中である」
「その通りです」
「……んん?6色?」
「はい。7の観想の行に生涯、終わりはありません。教皇様のソルナは藍色まで、生涯を終えた時にこのソルナを紫色の布で包み共に埋葬するのです。生々しい話をしてしまえば、死んでしまうと魔力を注げませんからね」
「第七度の観想と第八度の完成の行はセットなんですね」
「ええ……神に遣わされたベルは恩寵の可視化という奇跡をもたらした……」
「いかがされました?」
「お話をしてよいか迷っているのです。私の推測の域になりますから」
「聞いてみたいです」
「このソルナを渡して、紫色までの7色全ての層を染める者がいたら報告するようにとアウストラリアの枢機卿を通して、教会を預かる者に本部から不思議な伝達があったのです。その指令が出たタイミングが、ちょうど聖ドリアがアウストラリアへ出向いた時期と重なるのです」
「あ……。聖女が選ぶのではなく、選定の方法を授かり、それを伝える役割が与えられたのがドリアだった」
「はい。全ての色の層を作るなどありえない」
「紫色……」
「いいえ。紫色のソルナを持つ者は意外なことにアウストラリアには一定数おられるのです。その者は死んでいるも同然、あるいは、死から蘇った者。この条件を満たすだけならダンジョンがあるので、そこで一度でもリヴァイブの門で復活した経験がある者のソルナには紫色の層が現れます」
「では、紫色の布に包むというのは」
「無駄ではないのですよ。正光教ではダンジョンを忌避するものではありませんが、藍色を志す者は紫色の層を作ってはなりません。観想の行に生涯の未満に完成はないという教義が揺らぎますから。問題は全ての層をという部分でしょう。藍色の層まで染められるのは全ての生きとし生ける者のために観想される教皇様のみ。セラフィム様との契約を以ってして円環を結ぶのです。まさしく神の遣いに相応しい」
条件を知らないものからしたらドリアが選んだように見える。
『おじいちゃま』
『未熟ながら、無涯の海で彷徨う前までは観想の行にて修行する身でした。現在はこのような境涯にありますから、私の教皇時代にはなかった石ですが、おそらくは、あなたのソルナは7色の層を作るでしょう……』
『……父さんは正光教の歴史についてどこまで知ってると思う?』
『聖女の派遣の時期からして、所縁あることをお父上がご存知であることを見込まれてのことだったのではないかと。現にあなたは正光の道を進まれていない。また、ハワードが聖剣の守護者であったことは勇者物語でも語られていることです』
『第六度の完成条件が精霊王との契約を結ぶことだとすれば?』
『一族は代々、集大成として灰離原へと赴く慣習がございました。正光教の行は聖域までの道程がなぞられている。認定の権を持つパワーズを伴い今もそれが残っているとすれば、ハワードのソルナは紫を除く6色まで染まりましょう』
『そして残りは紫の一色。ダンジョンで死ねば7色のソルナは完成する。条件に当てはまるのは当主の正統後継者』
食いしばる歯が軋む。
『勇者の選定条件を知ったハワードはルイスを無理矢理ダンジョンへ向かわせた……』
『あるいはそう仕向けた』
『ルイスはダンジョンで一回はぜったい死んでる。ルイスはミリアとユピテルのラストボス攻略に失敗している』
託けたな。なるほど。やってくれた。つまり今回、間違えたのはこちら側の可能性が出てきた。
ルイスはまだ、守ってやらないといけない子どもだった。
勉強会を終えて教会の外へ、リアムは空を見上げる。
「太陽と光の晴々しさには正聖する」
ルイスを敵のように演出して、そう仕向けた奴はよっぽど僕のことが憎いんだろう。




